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第21話 カラオケ

 明けて土曜日の朝。

 込み上げてくる欠伸を噛み殺しながら、待ち合わせ場所である駅に向けてのろのろと歩く。

 徒歩三分の駅近物件に住んでいると言うのに、既に五分近くかけている。……気が重い。


 少し急げば十分通れただろう信号にわざと捕まって、ぼーっと待ち惚け……ていた俺の背に、ぽんっと優しく触れる感触。


「おはよ、辰巳くん!」

「おはようあ……陽華」


 家族以外で俺を名前で呼ぶ人なんて一人しか居ない。俺から名前呼ぶ人も、家族を除けば一人しか居ないわけだが。

 振り返れば、私服姿の陽華が少し不満げな顔で俺を見上げていた。


「ちょっと言い淀んだよね?」

「すまん、他人を名前で呼ぶのに慣れてなくて……」

「昨日あんなに練習したのに……」

「その話はやめよう」


 膨れっ面の陽華を慌てて制止する。

 あれは完全にお互いどうかしていた。一晩明けてようやく落ち着けたのに蒸し返したくはない。

 陽華の方にも自覚はあるのか僅かに頬を赤く染めて視線を逸らしてしまった。


 ちょうどそのタイミングで信号が青になったので、並んで歩き始める。


「……陽華は、カラオケの経験豊富な方なのか?」

「んー、高校に上がってから美樹たちと数回行ったことがあるぐらいかな。今回みたいに大人数で行くのは初めて」

「そうか……緊張するな」

「優唯ちゃんと行ったのが初めてだったんだっけ。こういう場は歌うより集まって騒ぐことの方が目的みたいなところもあるから、あんまり身構えなくていいと思うよ」

「そういうものか」


 ……何故そんなことを知っているのか、とは聞かない。いい加減優唯には釘を刺しておくべきか……。

 そんな話をしている内に駅に到着する。休日だけあって人通りもそこそこ多く、待ち合わせ場所である広場も大勢の人々で賑わっていた。

 さてクラスメイト達は何処に、と周囲を見回したところで、


「おーい! 陽華ー! 柳田くーん!」


 と、元気に満ち溢れた声で呼びかけられる。そちらを見れば、小柄な体でぶんぶんと大きく手を振る向井さんの姿があった。周りには橋本や岡たちといった他のクラスメイトも集まっていた。

 くすりと笑って手を振り返す陽華と共に歩み寄る。


 向井さんの大声と陽華の美貌で、周囲の人々の視線がこちらに集中するが……俺は毅然と胸を張って陽華の前に出た。

 ここ最近のあれこれで、すっかり人目に晒されることに慣れ切ってしまった。


「……ありがと、辰巳くん」

「別に……」


 小さく囁かれた言葉に、気恥ずかしさからぶっきらぼうに返す。

 そんな俺に陽華はくすくすと笑って……俺の手首にそっと手を触れさせてきた。

 また揶揄うつもりか、と……何だか少しだけ悔しくなって、こちらから陽華の手を掴み返してやる。

 途端にぎくりと硬直してしまった陽華に、胸の空く思いでドヤ顔で振り返り……真っ赤に染まった顔に、心臓が跳ねた。


「ご、ごめん、つい……すぐ離す」

「だ、大丈夫! ……だいじょうぶ、だから」


 とんでもないことをしてしまった、と慌てて離そうとした手を、逆にぎゅっと握り返された。

 俺の手に包まれると、もはや指先しか見えないほどに、小さく華奢な手の平。

 触れ合った肌から伝ってくる熱が、やがて全身に波及していく。

 熱に浮かされ、思考がぼやけて……お互いの境界すら溶け合っていくような、そんな感覚にぐぇっ。


「お前らさぁ……隙を見てはどころか、隙を作ってイチャつくの勘弁してくれよ」

「……すまん」


 べしっと頭を叩かれて我に返る。最近よく見る気がする、辟易したような顔の橋本。本当に申し訳ない。

 クラスメイト達の様々な視線を受けながら彼らの輪の中に入る。

 橋本や向井さん、バスケでチームを組んだ赤坂や南といった面々は納得だが……高宮さんが居るのは少し意外だった。

 俺の視線の意図に気付いたのか、高宮さんは浅く溜め息を吐いて、


「私もあまり気乗りはしないのだけど……美樹にどうしてもって言われてね」

「実は佳凛ってね、めちゃくちゃ歌上手いんだよ! 皆にも聞いてほしいな~ってずっと思ってたの!」


 高宮さんの横で自慢げに胸を張る向井さん。

 当の本人は平然としながらも、どこか満更でもなさそうな雰囲気が感じられた。意外と人前で歌うことへの抵抗はないらしい。

 そんな話をしている内にメンバーも揃ったようだ。人数にして二十人を超える大所帯である。

 集まった面々を見渡して橋本が号令をかける。


「よーし揃ったな。LAINで言った通り近くのパーティルームがある店を予約してあっから、まずそっちに移動するぞー。この人数で一気に動くと他の人らの迷惑になるから何人かに分かれて来てくれ!」

「現地集合でもよかったんじゃねーの?」

「それだと迷子になるやつ出てくるだろ!」


 赤坂の質問に怒鳴り返す橋本。

 ぞろぞろと動き出すクラスメイト達を見送っていると、くいくいとシャツの袖を引かれた。

 そちらに目を向ければ、陽華がその場でくるりと一回転して、


「今日はまだ聞いてなかったなーって。どう?」


 ふむ。腕を組み、陽華の服装を改めて見回す。

 陽華が身に纏っているのは、七分丈のブラウスの丈を伸ばしてワンピースにしたかのような、所謂シャツワンピースと呼ばれる衣服だ。その下にジーンズを履き、スニーカーを合わせた、お洒落ながらも動きやすい服装だ。

 ひらひらと揺れる空色のワンピースと相まって、梅雨の湿気をかき消すような爽やかさを感じさせている。


「爽やかな感じで、凄くいいと思う。陽華の近くに居ると涼しそうだ」

「ありがと♪ ……辰巳くんが涼みたいなら、少しだけ君専用のクーラーになってあげるよ?」

「……是非に」


 おどけたような物言いに俺は軽く笑って、差し出された手を取った。




§




 目的のカラオケ店に到着したところで、橋本の主導で俺たちは二つのグループに分けられた。

 俺が入れられたグループには、陽華、高宮さん、向井さん、そして橋本に赤坂たちと言った知り合いばかりが集められていた。

 橋本曰く個々人の友人関係などを参考に、できる限り男女が均等になるようグループ分けをしたとのことだったが……問いかけるような視線を向ければ、橋本はパチリとやたら上手いウインクを飛ばしてきた。


「お前は俺が無理矢理連れ出したんだから、なるべく楽しんでもらえるようにするのは当然だろ?」

「橋本……」

「……ぶっちゃけこの面子以外の男子だと、明瀬さんに強引に絡もうとしたりお前に突っかかったりしそうでなぁ」


 はぁ、と重い溜め息を吐く橋本。色々と配慮してくれたようで頭が下がるばかりだ。

 ……いつかこいつに飯の一つでも奢ってやらないとなぁ、としみじみ思う。


 二手に分かれて受付を済ませ、道中のドリンクバーで飲み物を確保してを手にパーティルームへと向かう。

 橋本の後に続いて薄暗い部屋に入り、驚く。最大収容人数二十人の大部屋と言うだけあって、かなり広い。

 ドア正面の壁に大きなプロジェクターが設置され、部屋中央には大きなテーブル、それを囲むようにコの字型にソファーが置かれている。


 おー、すげーなどと言いながら部屋に入った俺たちに、橋本がパンパンと手を叩いて注目を集めた。


「ほいじゃあ席決めるぞー。まずは入口に近い方から順に女子組で座ってもらって、一番端っこが明瀬さん。んでその隣が柳田。柳田の隣に俺が座って後は自由!」

「……おい」

「異論反論は受け付けませーん。ほれわかったら座れ座れ」

「ちょ、押すな、飲み物が零れる……!」


 橋本にグイグイ通された先には、いち早く席について笑顔で隣に手招きする陽華の姿。

 好奇や嫉妬、呆れの視線を感じながら、観念してその隣に腰掛ける。

 一応二十センチほどの間を開けて座ったのだが、すぐさま向こうから詰められてしまった。もはや何も言うまい。


 全員が座ったのを確認したところで、橋本がカップを手に取って上に掲げ、俺たちもそれに倣った。


「高校生活初めての定期テストお疲れ様、ということで企画させてもらったが、今日はみんな集まってくれて本当にありがとう。女子側の予定の調整や連絡を引き受けてくれた明瀬さんもありがとう、めちゃくちゃ助かった」


 そんなことまでしていたのか、と隣に視線を向ければ、得意げなピースサインで返された。流石、要領がいいことだ。


「テストの出来が良かったやつ悪かったやつ、色々と思うところがあるやつも居るだろうが、今日は全部忘れて楽しんでくれ! それじゃ、乾杯!」

『かんぱーい!』


 橋本の音頭に続いて、全員で乾杯と言ってコップを掲げる。俺も凍えながらそれに参加した。

 ……意外とテンションが上がるものなんだな、これ。


「辰巳くん! 乾杯!」

「お、おぉ。乾杯」

「あたしもあたしも! ほら、佳凛も! かんぱーい!」

「私は別に……あぁもう、分かったわよ。乾杯」

「おいおい仲間外れはやめてくれよー。ほれかんぱぁい!」

「ありがとう、二人とも。乾杯……おいバカ、強すぎるっての!」


 そこら中からプラスチックが軽くぶつけられる音が聞こえ、賑やかな……けれど居心地のいい喧騒に包まれた。

 最初の乾杯を終えて歓談が始まる中で、最初にタッチパネルを操作してマイクを握ったのは……なんと高宮さんだった。

 予約されているのは、確か……最近放送されたドラマの主題歌だったか。

 数秒の、静かに染み入るようなイントロの後に、高宮さんは大きく口を開いて歌い始め……彼女の歌声を知らない面々は揃って度肝を抜かれた。


「……高宮さんうっま」

「やば、ちょっと感動する……」


 周囲から小さく感嘆の声が上がる。俺も全く同じ気持ちだった。

 音程が正確なのはもはや言うまでもなく、ビブラートやこぶしのような細かい技巧が凝らされ、何よりその歌声で表現される感情の”圧”に圧倒される。

 声も出せずに聞き入っていた俺たちは、最後に作曲者やアーティストの名前が表示された瞬間に、大きな拍手と歓声を送った。


「へへへっ! だから言ったでしょ、佳凛はほんとに歌が上手なんだって!」

「何であなたが得意げにしてるのよ。……ありがとう、次どうぞ」


 照れた様子もなく軽く手を振った──いや、薄暗くてわかりにくいが少しだけ耳が赤くなってるな──高宮さんがマイクを置くが、誰もそれを取ろうとはしなかった。

 当然だ。素晴らしい歌唱だったが、あまりに凄すぎて次に歌う人間のハードルが爆上がりしてしまっている。あんな凄まじいパフォーマンスを見せられて、我こそはと続ける猛者がそう居るはずもない……。


「仕方ねぇなぁ……!」

「橋本、お前……」

「やめろ、死ぬ気か!」

「ただでやられる気は毛頭ねぇぜ。曲を入れろ、赤坂……!」

「了解だ、橋本。存分に暴れてこい」


 無駄にカッコよく立ち上がった橋本がマイクを握った。

 シリアス顔でパチンと指を鳴らせば、心得たとばかりに赤坂が頷き、タッチパネルを操作する。

 曲名が画面に表示された瞬間、橋本が叫んだ。


「こっちじゃねーよ!!」

「えっ、ちげーの!?」

「入れちまったもんは仕方ねぇ! うおおおおお!!」


 やけっぱちになったように、スピーカーから流れ出すハイテンションなメロディーに乗ってマイクに叫ぶ橋本。

 聞こえてきたのは、俺でも知っているような有名男性バンドの楽曲。

 とにかく明るい曲調とわかりやすい歌詞で、何より掛け声が気持ちいい。


 テクニックなど何もなく、ただひたすらにノリと声量で押し通そうとする橋本の歌い方は、場を盛り上げるという意味で最高のものだった。

 サビに合わせてノリノリでコールするみんなに釣られて、俺も思わず声を出してしまう。横目で高宮さんまでもが楽しげにコールしている姿が見えた。

 喝采の中で長いシャウトを出し切った橋本が、手に持ったマイクを赤坂に突き付け、


「次は、お前だ」

「橋本……確かに受け取ったぜ」


 自分が入れた明らかなネタ曲に悲鳴を上げる赤坂を尻目に、コーラをがぶ飲みした橋本が話しかけてくる。


「どうよ、盛り上がったろ?」

「あぁ……凄いな、お前」

「だろぉ? テクニックとかんなもん関係ないんだって、とにかく盛り上がれば勝ちよ。……約束、忘れてないよな? せめて一曲は歌えよ」

「わかってる」


 ならいい、と肩をバシバシと叩く橋本の手を振り払いつつ、思案する。

 盛り上がればいい、と軽く言ってくれるが……それができれば苦労はしない、と言ってやりたい。

 そもそも俺はカラオケに来るのはこれで二度目なのだ。

 普段から音楽を嗜んでいるわけでもないので当然レパートリーも少なく、こう言った場で盛り上がる曲などわかるはずもない。


 一体何を歌えばいいのか、うんうんと悩む俺の肩を、ツンツンと突く指先。

 そちらへ視線を向ければ、陽華がスマホの音楽アプリの画面を見せながら、


「この曲知ってる?」

「あぁ……有名だし、聞いたことはある」

「よかった。じゃあさ、この曲で私とデュエットしない?」


 陽華が提案してきた曲は、数か月前の恋愛ドラマの主題歌で、ポップな曲調と男女ボーカルが掛け合いをするような歌い方が特徴の楽曲だ。

 これを陽華とデュエットか……正直に言って、かなり有難い申し出だ。

 曲そのものがあまり難しくないことに加え、この曲は女性パートがメインで男性パートは比較的少なくなっているのだ。

 是非にと飛びつきたいが……生憎と、俺はこの曲についてうろ覚えもいいところで、今のままでは歌える自信が全くない。


「ありがたいんだが、あんまり覚えてなくて……」

「今聞いておけばいいよ。私も一応確認しておきたいし……はい、イヤホン。有線だけど大丈夫?」

「え? あ、あぁ……ありがとう」


 俺の返答を予想していたとばかりに、素早く突き出されたイヤホンの片割れを受け取ってしまう。

 とは言えせっかくの好意を無碍にするわけにもいくまい。早速耳に装着しようとして……ふと気付いたことがあった。


 話は変わるが、現在陽華は俺から見て右手側に座っている。

 そして俺に差し出されたのは、左耳側のイヤホン。

 つまり俺と陽華が一度にこのイヤホンを付けようとすれば、まるでイヤホンで二人を挟むような形にならざるを得ないわけ、でっ!?


「ごめん、ちょっと詰めるね」

「お、おう……!?」


 ケーブルの長さ的に物理的に不可能では? などと考えていた俺の思考を遮るように、陽華が思いっ切り距離を詰めてきた。

 俺の腕を抱き込むように体をぴったりと密着させて、こてんと俺の肩に頭を預けてくる。

 突如として右腕を襲った暴力的な柔らかさと、至近距離からふわりと漂ってくる女の子の香りに、俺の脳はあらゆる思考を強制停止させられた。


「……どうしたの? 辰巳くん」

「どうしたの、って言うか……あー、その。当たってるん、ですけど」

「……あ、当ててる、だょ」


 ……顔を真っ赤にして噛み噛みになるぐらいなら、やらなきゃいいだろうに。

 俺が発しようとした苦言は、さらに強く腕に押し付けられた感触によって無理矢理封殺されてしまった。


「ほら、聞こ!」


 有無を言わさず再生ボタンを押した陽華に、仕方なく口を噤んでイヤホンを耳に装着する。

 耳元で軽快な音楽が流れていくが……当然ながら、ほとんど頭に入ってこなかった。

 完全に固まった右腕に触れる、とんでもなく柔らかく、温かい感触。

 接触した皮膚の上から、どくどくと早鐘を打つ心音が伝わってくる気がしたが……いつしか、それが自分のものか、それとも陽華のものかもわからなくなっていた。


「…………」

「…………」


 お互い沈黙したまま、結局歌詞の一つすら記憶に刻めないまま聞き終えて……ふと気づく。


『…………』


 誰一人としてマイクを持たず、無言で俺たちを見つめている。

 その視線には、好奇や嫉妬と言った感情を塗り潰すほどの、”マジかこいつら”と信じられないものを見るような色がありありと浮かんでいて。

 俺と陽華も、クラスメイト達も一言も発さず硬直する中、モニターから流行曲について紹介する芸能人の声だけが虚しく響く空間。


 その沈黙を破るように動き出したのは、俺たちの両隣に陣取っていた、橋本と高宮さんだった。

 彼らは真顔のまま俺たちにマイクを突き出して、


「次、お前らな」「次、あなたたちね」


 二人の醸し出す威圧感に抗えず、マイクを受け取ってしまった俺たちは、青ざめた顔を見合わせて、


「「……も、もう一回だけ聴かせてください」」


 あと一曲歌うことを条件に許された。

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