第18話 出会わせてくれてありがとう
校舎四階の公民科準備室。そこは数年前に歴史科と公民科の準備室が”社会科準備室”として統合されて以降、物置部屋として利用されている教室だった。
生活相談室や情報科準備室と言った滅多に使われない部屋に隣接しているだけあって、昼休みだと言うのにその部屋の近くの人通りは皆無だった。
わざと足音が響くように強い歩調で廊下を歩き、ノックもせずに部屋のドアを勢いよく開け放つ。
文化祭等の行事で使用されていたのであろう看板やその他雑貨な物品が整然と並んだ物置部屋。
その片隅のパイプ椅子で、一人の女子生徒がスマホを弄っていた。
「おっせーよ、昼休み終わっちゃうでしょ。てかなに、何か機嫌悪そうじゃん。こわ」
俺をLAINで呼び出した張本人たる真壁が、気色の悪い笑みを浮かべてこちらに目をやってくる。
その視線と挑発を無視して部屋の中を確認する。見える範囲で真壁以外の人影はない。とは言え、これだけの荷物があれば隠れる場所はいくらでもある。油断は禁物だろうが……既に手は打ってある。問題ない。
「用件は?」
真壁の戯言に付き合ってやる義理もない。居丈高に詰問するように問いかければ、真壁の表情があからさまに強張った。
「……何その態度。言っとくけど、あたしを怒らせるような真似したらあんたの学校生活終わりだからね? それともまた暴力で──」
「早く要件を言えよ。何もないなら帰るが」
ギリ、と奥歯を噛み締める音が聞こえる。自身の優位を主張している割には、随分と余裕のない態度だ。
……まさか、怯えているのか? 俺とたった一人で相対している状況に。自分で呼び出した癖に情けない話だ。
これ見よがしに舌打ちをした真壁は、再び気味の悪い笑みを浮かべて、
「”暴力事件”について学校中に言い触らされたくなかったら、明瀬と別れて。簡単でしょ?」
「…………」
もはや、「付き合ってない」と否定してやる気力も湧かなかった。
明らかに虚勢とわかる態度で自分の立場が上なのだと見せつけようとしてくる様にも、憐れみしか感じない。
それでも現状ではまだ証拠が足りない。決定的な発言を引き出すために会話を続ける。
「どうしてそんなことをさせる?」
「何でかわかんないけど、明瀬はあんたにべた惚れみたいだし? あんたから別れ話を切り出せば、あいつもあのムカつくすまし顔のままじゃいられないでしょ」
「そこまで明瀬さんに拘るのは何でだ? ……俺と明瀬さんが付き合ってるって噂を流したのもお前か?」
「んなもんムカつくから以外にある? いじめられっ子の猫被りのくせに”私は優秀です”みたいなツラして偉そうに……。あの噂? 森田が何かいい感じの写真撮ってたから、LAINに載せたらってアドバイスしてやっただけ。あの優等生サマの明瀬があんたみたいな陰キャと付き合ってるとか笑えるっしょ?」
……何と言うか、こいつは俺が思っていた数倍バカなのかもしれない。
いくら目の前の相手の弱みを握っていると思い込んでいるとはいえ、こうも明け透けに事情を語ってくれるとは思わなかった。何かの罠かと疑ってしまうような有様だ。
脱力しそうになる体と精神を叱咤して、どうにか立て直して、
「もし俺が断れば?」
「そん時はあんたの”暴力事件”を学校中に流す。ついでにあたしとあんたのツーショを明瀬に送りつけてやれば、あいつもショック受けんじゃない?」
俺の過去を暴露することで俺のイメージダウンを図り、それによって間接的に明瀬さんの評判を下げようと画策しているのだろう。ついでにこの状況を利用して俺を二股の浮気野郎に仕立て上げるつもりか。
醜悪な笑みを浮かべたままにじり寄ってくる真壁に、つい本能的な忌避感を覚えて思い切り後退ってしまった。
見るからに不機嫌そうに顔で舌打ちをする真壁。少し胸のすく思いだ。
「……言っとくけど、この部屋のことはもう撮影してっから。あんたがどんだけ抵抗しようが、引っ付いてる写真でも撮れればそれで十分だし。……それとも、また”暴力”に頼るの? そんなことしてもこっちには映像が──」
「もういい」
威勢のいいことを言いながら腰が引けている。実に滑稽だ。
溜め息を吐いて踵を返せば、怒声を上げて追いかけようとしてくる。悪いが、もう俺から話すことは何もない。
──これから先のことは、大人に任せるとしよう。
「……話は聞かせてもらったよ、真壁」
「なっ、吾妻、先生……!?」
開け放たれたままのドアから入ってきた人影を見て、真壁が慄いたような声を上げる。
そこには、険しい顔で真壁を睥睨する吾妻先生の姿があった。
……その時、積み重ねられた荷物の向こう側で、ガタリと何かが動く物音が聞こえた。
視線を向ければ、一人の女子生徒──森田が、慌てて先生が居る方と逆側のドアに向けて駆け出していた。
荷物が邪魔で俺たちでは追いつけない、安心しきった顔でドアを開け放ち──……
「おっと、悪いがここは通行止めだぜ」
「は、橋本!? あんた、何で……!」
ドアの前で仁王立ちする橋本に逃げ道を阻まれて、その場にへたり込んでしまう森田。彼女の体格では、サッカーで鍛えられた橋本を強引に突破するのは不可能だろう。
森田の手から零れ落ちたスマホを拾い上げた橋本が、こちらに画面を見せてくる。予想通り、カメラアプリが起動されている。
……そして、真壁グループを構成する人間は、もう一人。
「くそっ、離せよ……!」
「大人しくしなさい。どちらにしろもう終わりなんだから」
背中でがっちりと腕を極められて、引っ立てられるようにして入ってきたのは伊藤だった。
極めているのはなんと高宮さん。後から聞いた話だと以前合気道を習っていたことがあったらしい。ならばあの体力のなさは一体……?
その後ろから、後詰め兼録音役として待機してもらっていた明瀬さんと向井さんも入室してくる。
橋本たちには事前に事情を説明し、今回の作戦に協力してもらえるよう俺と明瀬さんで頼んでいた。
誠意として俺の過去を明かし、頭を下げる俺たちへの返答は、二つ返事の了承のみ。俺への非難どころか一片の悪感情すら向けられることはなかった。
むしろ俺たち以上に真壁たちに対して深く怒りを露わにして、ノリノリで計画に協力してくれたのだ。
……本当に、いい友人を持ったものだと思う。
進退窮まった真壁が明瀬さんを睨みつけるが、毅然とした態度で跳ね返されてすぐに視線を逸らしてしまった。
俺と橋本で両方のドアを封鎖して逃げられないようにして、真壁たちは部屋の中心に集め、吾妻先生を中心にして取り囲むように立つ。
……関係者が全員揃ったことを確認して、吾妻先生がゆっくりと口を開いた。
「真壁、森田、伊藤。お前たちが明瀬と柳田にしていたこと、しようとしていたこと、全て聞かせてもらった」
その口調は静かながら、腹の底にずしんと来るような重い威圧感があった。
「他人の過去──しかも、本人にとって深く傷つくような出来事を無断で探り、捏造し、あまつさえそれを言い触らすと脅して従わせようとした。これは風説の流布、名誉毀損、そして明確な脅迫行為に該当する。お前たちは、れっきとした加害者だ」
「っ!」
我妻先生が口にした単語の硬質な響きに、真壁たちはピクリと肩を震わせる。森田がへらりと引き攣った笑みを浮かべて、
「そんな、大袈裟な……」
「大袈裟だと?」
ピリ、と空気が張り詰めたのが肌で感じられた。
橋本が居心地悪そうに身動ぎして、向井さんが隣の明瀬さんに縋りつく。
そんな向井さんの肩にそっと手を置きながら、明瀬さんは真っ直ぐに真壁たちを見据えていた。
「お前たちがやろうとしていたことは、明確な”違法”行為だ。お前たちは他人の過去を勝手に暴き、それを道具のように扱った。しかも、それを口止めの材料として、彼らを思い通りに操ろうとした。それがどれだけ卑劣な行為かわかっているのか? たとえ未遂であっても、その悪質さは言い逃れできん!」
吾妻先生の言葉は、最後はほとんど怒号のようだった。
気圧され彫像のように固まってしまった真壁たちを見て、少しばつの悪そうな顔で咳払いを一つ。
「この件は、学校として正式に処分する。保護者も交えて話をする必要があるだろう。しっかりと自分たちの行動の”責任”を取ってもらう」
「…………」
すっかりと意気消沈して項垂れる加害者たちに、遣る瀬無さからか重い溜め息を吐いた吾妻先生は、ふと俺たちに視線をやって、
「明瀬と柳田に感謝しておくことだ。二人がことが起こる前に対処しようと動いてくれたおかげで、お前たちは超えてはならない一線を越えずに済んだんだ」
その言葉に緩慢とした動きで顔を上げる真壁たち。彼女たちの目に宿った意外そうな色に、思わず顔を顰めてしまう。
「実害が出る前に解決したいと思うのは当然だろ。それに……」
言葉を切って、明瀬さんの方に視線を向けると……彼女もこちらを見て、にこりと微笑んでくれる。
……それだけでさっきまでの憂鬱な気持ちが、解けて消えていくのを実感する。我ながら単純なやつだ、と笑みが漏れた。
「こっちは今まさに青春の真っ最中でな。くだらないことに構ってやる時間はないんだ」
はっきりと言い切ってやると、黙って聞いていた橋本がぶはっと噴き出した。
……似合わないことを言った自覚はあるが、笑わなくてもいいだろ。ジト目で見やると、慌てて首を横に振るが顔はニヤけたままだ。後で覚えとけよ……。
そんな俺たちのやり取りにくすりと微笑んだ明瀬さんは、真壁たちに向き直って、
「あなたたちがやろうとしたことは許せないと思うし、あの時は本当に怖くて、もうダメかと思ったけど……一つだけ、感謝していることがあるんだ」
不思議そうに見上げてくる真壁たちに、明瀬さんは晴れ晴れとした笑顔で高らかに言い放った。
「あなたたちがあの日呼び出してくれたおかげで、私は本当に大切な出会いを経験できたの。だから、柳田くんと私を出会わせてくれて、ありがとう!」
「……っ、あぁ……!」
……その言葉に、今度こそ本当に心が折れてしまったらしい。
頭を抱えて蹲る真壁を見て高宮さんは満足げに息を吐き、向井さんも興奮して明瀬さんに抱きついている。
俺も橋本に脇を肘で小突かれた。うるせぇわかってるよ、という意味を込めてやり返してやる。
そんな俺たちを見て、吾妻先生はどこか安心したように笑った。
「真壁たちは俺がこのまま生徒指導に連れて行く。そろそろ昼休みも終わるし、お前たちは教室に帰りなさい。話は通してあるから、もしキツかったら保健室で休んでいても構わないが」
「……いえ、大丈夫です」
俺と明瀬さんは顔を見合わせて、笑みを交わす。
確か次の授業は国語のテスト返しがあったはずだ。
「俺たち、テストの点数で勝負してるんですよ。早く結果が知りたくてうずうずしてるんで……」
「私が勝ったら名前で呼んでもらうことになってるんです! もちろんこれからずっと!」
「……もはや出来レースだと思うのだけど。それとも柳田くんって意外と勉強ができる方だったりするの?」
「意外とはしつれーじゃない!? でもいいなぁ男の子と名前呼び! 青春って感じする!」
「おいおい、俺との勝負は忘れてねぇだろうな、柳田! 俺が勝ったらお前にはサッカー部に入ってもらう……!」
「了承した覚えはないし、部活には入らないって言ってただろ」
和気藹々と騒ぎ始める俺たちに、目を丸くした吾妻先生は、心底嬉しそうに笑い声を上げた。
「ははっ、仲がいいなぁ。……お前たちの苦しみに気付いてやれなかったバカな先生で申し訳ないが、言わせてくれ。……よかったな」
「……はい」
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