第17話 これからは二人で
いつも誤字報告をしていただける皆様、本当にありがとうございます!
食後のまったりとした団欒の時間。
ソファーに並んで座る俺たちと、リビングの椅子を引っ張ってきてそちらに腰掛ける優唯で、他愛もない談笑に興じる。
優唯が無理矢理隣り合って座るよう促してきたのだが……まぁ、最近は昼休みにいつも同じベンチで過ごしているし今更か、と思って素直に受け入れた。
朗らかに笑い合う女性陣の声をBGMに、ぼーっと脱力していた時。
──ピロリン♪
と、LAINの通知音が静かに響いた。
どうやら俺のスマホのようだ。つい一週間前まで聞き慣れなかった音も、最近では寝る前の明瀬さんとのおしゃべりで耳に馴染んできた気がする。
さて今度は一体誰からだ、と通知を確認して……んん?
「どうしたの?」
「いや、送り主が誰なのかわからなくて……アルファベットで”Rino”って名前なんだけど。スパムか何かか?」
俺が口にした名前を聞いて、明瀬さんの表情が少し強張った。
「それ……もしかしたら、真壁さんかも」
「……!」
真壁……印象深い名前だ。
いじめの過去を使って明瀬さんを脅迫しようとして、それを邪魔された腹いせか俺と明瀬さんが付き合っているという噂を流した人物。
……正直に言ってしまえば、俺から真壁に向ける感情はほぼ無に近い。
複数人で一人を取り囲み、一方的に優位な状態で甚振って悦に浸り、邪魔をされた腹いせに根も葉もないデマを流すようなちんけな連中だ。
そんな奴らにかかずらっている暇などない……というのは、あくまで俺視点の話で。
実際に被害を受けそうになり、学校生活をめちゃくちゃにされるところだった明瀬さんとしては、心中穏やかでいられないだろう。
……と、思ったのだが。
「LAINの内容はなんて? わざわざ君に直接送ってきたってことは、また何か企んでるのかも」
「あ、あぁ……今見てみる」
明瀬さんの様子は平静そのもので、怒りや恐怖と言った悪感情は見られない。
意外な反応に首を傾げながらも、推定真壁さんと思しき相手からのLAINを開いて……俺は息を呑んだ。
『あんたが中学で起こした暴力事件について知ってる』
『バラされたくなかったら月曜日』
『4階の公民科準備室にきて』
『誰にも言うなよ』
……噂をすれば影、と言うべきか。いやちょっと違うか?
ともあれ、昨夜明瀬さんに話す決意をした矢先にこんなものが送られてくるとは。
……でもまぁ、話を切り出すきっかけとしては、ちょうどよかったのかもしれないな。
心配そうにこちらを見る明瀬さんと優唯に、スマホの画面をそのまま見せつける。途端に表情を強張らせる明瀬さん。
気遣わしそうに俺を見つめる優唯に一つ頷いて、改めて明瀬さんに向き直った。
「明瀬さん、君に話したいことがある。不快な思いをさせるかもしれないけど、聞いてくれるかな」
「……うん、わかった。ちゃんと聞くね」
聡明な彼女なら、”暴力事件”という単語からある程度推察はできただろう。
その上で、覚悟を決めたように居住まいを正した明瀬さんは、真っ直ぐ俺を見つめ返してくる。
……彼女の視線に込められた信頼に、目を逸らしてしまいそうになる。
グッと拳を握り締め、背筋に力を込める。逃げるな、俺。
「始まりは、優唯が中学二年生に上がってからのことで──……」
そうして俺は、約一年前に起こった事件について語り出した。
途中で優唯の補足をもらいながら、できる限る客観的に、淡々と事実を並べていく。
できる限り私情を交えないようにと思っていたが、優唯が襲われかける場面について口にするときには、声が震えてしまっていた。
「──それが、LAINにあった”暴力事件”の全てだ」
そう言って話を締める。
語っている内に、いつしか俯きながら話していたようで、視界に映るフローリングに思わず驚いてしまう。
……リビングに、沈黙が落ちる。俺も、優唯も、明瀬さんも身動ぎすらなく、言葉を発することもない。
顔を上げられない。この話を聞いて、明瀬さんはどう思っただろう。いま彼女の目に浮かんでいるのは、同情か、嫌悪か、失望か?
明瀬さんの顔を見るのが、怖い。昨日あれだけ威勢のいいことを言ったくせに、いざ直面するとこうだ。図体ばかりデカくなったくせに、まるで成長していない。
目を背けるな、自分の行動の結果だ。きちんと受け止めろ。
もしこれで明瀬さんに見放されたとしても、俺は──……
「柳田くん」
「っ!?」
……握り締めていた拳に触れる、暖かな感触。
明瀬さんの両手が、俺の拳を包み込むようにして握ってくれていた。
驚いて顔を上げて、目が合う。その瞳には、俺が想像していたような嫌悪や失望はなく……揺るがぬ信頼と慈愛だけがあった。
明瀬さんの口元がそっと綻び、俺を労わるような笑みが浮かぶ。
「まず……ありがとう、話してくれて」
「……礼を言われることじゃない。俺は、ただ」
「自分だけ私の秘密を知っているのは不公平だと思った?」
「っ! ……うん」
「でも、きっとそれだけじゃないよね。……隠し続けるのが、辛くなっちゃった?」
そう口にする明瀬さんの表情と声音に、責めるような色はなく。
まるで俺の全てを引き出そうとするかのように、泣きたくなるほどに優しい響きだけがあった。
「そうかもしれない。……知ってほしかったんだ、明瀬さんに。俺の、本性を」
「本性って?」
「俺は、弱い人間だ。深く考えず、後のことを考えもせずに、他人に手を出せるやつなんだ。それがどんな結果を招くかも、どれだけの人に迷惑をかけるかも、考えられなくて……」
「うん」
「……何より俺は、色んな人に迷惑をかけたことを反省していても、後悔はしてないんだ。あの時、あの連中を殴って、本当に……よかったと、そう思ってしまってる」
その想いは、あの時から今まで、ずっと変わらない。
だから、
「きっと俺は、また繰り返す。優唯や……明瀬さんに何かあったら、俺はきっと、また何も考えずに飛び出していってしまう。俺は、そういう人間なんだよ」
体格のよさとか、腕っぷしの強さとか、そんなものに意味はない。
自制しようとしても結局我慢できず、何も考えず気ままに振舞って、他人を害することに躊躇せず、大切な人たちに迷惑をかけて、それを悔やみもしない。
それが、柳田辰巳という弱い人間の本性なんだ。
ふと、右手に感じていた暖かい感触が消え失せた。酷い喪失感と共に、納得感もこみ上げてくる。
見限られた──それも仕方ない。かつていじめの被害に遭っていた明瀬さんからしてみれば、俺もまた彼女に危害を加えていた連中と変わらな──……、
ぎゅむっ。
「ぶぇっ。……あ、あにょ、あきしぇさん?」
離れて行った両手が、何故か俺の頬を挟み込んで、そのままぐにぐにと弄ばれる。
突然のことに、先程までの懊悩も忘れて目を白黒させる俺に、明瀬さんはくすりと笑って。
「なんか変なこと考えてるなー、って思って。まず断言しておきたいのは、その話を聞いたところで、私は君を嫌いになったりしないよ」
「……!」
「自分じゃない誰かのために怒って、助けようと動けるのは、間違いなく君の美点だと思う。それに君は、見ず知らずの私のことも助けてくれた。君の根底にあるのが優しさだってこと、私はよく知ってるから」
「あきせ、しゃん……」
「でも、これだけじゃ君は納得しないだろうから……」
呆然と見つめる俺を見て、明瀬さんはにっこりと……思わず見とれてしまうような、満開の花が咲き誇るような、美しい笑顔を浮かべて、
「だから、私が君の傍に居るよ」
「……!」
「これから先、もし同じようなことが起こったら……私が君を止めてあげる。そして、どうすればいいか、二人で一緒に考えるの。これで安心でしょ?」
「…………」
……それは、
「……それって。これから先、ずっと一緒に居てくれるってことになると思うんだけど」
「──うん。私は、ずっと君の傍に居たいと思ってるよ」
そう言って、少しだけ照れたようにはにかむ明瀬さんに、なんだか叫び出したい気持ちになった。
「柳田くんは? 君は、そう思ってくれないの?」
「……俺も。俺も、そうしたい。明瀬さんと、ずっと一緒に居たいよ」
「……ん、よかった」
安心したような笑みを見て、思わずこちらも笑みが漏れる。
そうして、明瀬さんに頬を挟まれたまま微笑み合う不思議な構図のまま……同時に横から聞こえてくる嗚咽に気付いた。
「うぐっ、ふぐぅ、ふぇぇぇ……」
「……何でお前がそんなに泣いてるんだよ、優唯」
「だって、だってぇ……! わたっ、私のせいで兄さんが苦しんでたのに、何にもできなくてぇ……っ、でもっ、兄さんのことわかってくれる人がいてっ、うれしくてぇ……!」
「そうだよね、優唯ちゃんも辛かったよね。よく頑張ったね」
「うぇぇぇぇん……! 陽華ざぁん……!」
優しく抱き締めてくれた明瀬さんにひしっと抱きついて、更に泣き始める優唯。もはやとても人様に見せられないような有り様だ。
……こんなに泣き喚く優唯を見たのは、あの日以来か。今までずっと溜め込んでいたのかもしれない。兄として少し情けない。
暫く号泣する優唯を二人掛かりで宥めて、話を発端であるLAINに戻す。
ちなみに優唯はソファーに座る明瀬さんにべったりと抱きついている。……少し羨まいや何でもない。
「ぐすっ。それで、結局どうするの?」
「うーん……俺としてはぶっちゃけバラされてもいいんだよな。元々友達なんてほとんどいなかったし、明瀬さんとの関係で疎まれてるし」
「でも最近は結構打ち解けてたと思うよ? ほら、何日か前のバスケで活躍してたし!」
「……その後のあれで大荒れだったんだが」
「あはは……ごめんね、嫌だった?」
「……別に嫌ってわけじゃない」
好きな女子に抱きつかれて喜ばない男子などいるはずもない。
そんな俺たちを優唯はジト目で見て、
「ちょっと、いきなりいちゃつかないでよ」
「おっほん! ……とはいえ、無視するわけにもいかない。俺のことだけならどうでもいいんだが、向こうは明瀬さんの秘密も知ってるんだ」
「陽華さんの秘密か……それって私が聞いてもいいやつなの?」
「後で優唯ちゃんにも教えてあげるね。あ、そうだ。LAINも交換しとこっか?」
「えっ、いいんですか? しますします!」
きゃっきゃと楽しそうにスマホを取り出す女子二人。
口を挟むこともできずやり取りが終わるのを待って、話し合いを再開する。
あーでもないこーでもないと言い合っていたのだが……そのうち、何だか色々と面倒臭くなってきた。
「……思ったんだが、これって別に俺たちが解決しないといけない問題でもないよな」
「そうだね。……ここは素直に、大人の力に頼ろっか。私たちに落ち度はないわけだし。じゃあ週明けに先生に話をしに行くってことで……担任の吾妻先生でいいかな」
「吾妻先生は俺の事情も知ってて、何かと気にかけてくれてたから、相談すれば力になってくれると思う」
「それは心強いね!」
そういうことになった。
少し軽く考えすぎているかもしれないが……別にあいつらに対して因縁があるわけでもなければ、こちらに落ち度があるわけでもない。
生憎と、俺には真壁たちのような連中を、正面から構ってやる義理などないのだ。
あんなやつらに脳のリソースを使うよりも、目下最大の難題をどう攻略するかについて考えていきたい。
即ち……いつ、どうやって明瀬さんに告白するか、という問題だ。
正直先程の「ずっと一緒に居たい」旨のやり取りで、お互いの感情の確認はとっくに済んだ気はするが……なあなあにしていいものでもないだろう。
済んでるよな? 流石にあそこまで言ってくれたのに「実はそんなつもりじゃなかった」とかないよな?
……思い返してみれば、ある意味告白よりもとんでもないことを言ってないか? あれはもはやプロポ──やめよう。それはまだ俺たちには早い。しかしずっと傍に居るということは必然的に結こ──だからやめろって!
「あの……陽華さんのこと、”姉さん”って呼んでも、いいですか……?」
「え、えぇっ? で、でもそれだと、何か……!」
「お願いします! 私、ずっとお姉ちゃんが欲しくて……それに、兄さんとずっと一緒に居てくれるんですよね? それなら結局、早いか遅いかの違いでしかないと思うんです」
「う、うぅぅ……で、でも確かにそうなっちゃうのかな。うわぁ、私ったら凄いこと口走っちゃったかも!? でも嘘ってわけでもなくて…………よ、よし! 今日から私は優唯ちゃんのお姉さんだよ!」
「ありがとう、陽華姉さん!」
……やめろって言ってんだろうが!!
ちなみにこの後、明瀬さんの口から過去のいじめについて聞いた優唯はまた泣いた。号泣だった。
べしょべしょに泣いて、その後はずっと明瀬さんに張り付いていた。
明瀬さんが帰る時間になっても、引っ付き虫の如く離れようとしない優唯を引き剥がすのに随分苦労させられた。……まぁ、仲良くなれたのはいいことだ。明瀬さんも満更ではなさそうだったし。
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