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第16話 明瀬さんの料理教室

 翌日。今日は明瀬さんの料理教室の日だ。昼食として「肉じゃが」と「金平ごぼう」を作ることが決定した。

 明瀬さんが来る前に、彼女の指令を受けた俺は近所のスーパーで必要な材料を一通り買い込む。

 買い物袋を提げて家に戻ると、リビングの方からバタバタと慌ただしい音が聞こえてくる。どうやら明瀬さんの訪問に備えて、優唯が部屋を整えてくれているらしい。


「お帰り、兄さん。ちゃんと全部買えた?」

「まぁ多分。調味料って、あんなに種類があるんだな……」

「一人暮らしなのに塩と醤油しかないのがおかしいんだよ。あ、炊飯器はこっちでセットしておいたから、後は炊くだけだよ」

「おお、助かる。俺も何か手伝うか?」

「じゃあ、そこの洗濯物片付けといて。お客さんに見せるものじゃないでしょ」

「わかった」


 そんなこんなで部屋の片づけがひと段落してから数分後。

 ピンポーン、と鳴り響くチャイムの音に、優唯がビクリと肩を震わせた。バッと立ち上がって辺りを見回し、前髪をちょいちょいと弄る姿は実に落ち着きがない。


「何でお前が慌ててるんだよ」

「慌てるに決まってるでしょ!? こんなことならちゃんとした私服持ってくるんだった……」

「明瀬さんは別にそんなこと気にしないよ。ほら、行くぞ」

「う、うん」


 緊張を顔一面に浮かべた優唯を連れて玄関に向かう。

 ……優唯のそれが伝線したのか、何だか俺まで緊張してきた。思えば前回の訪問はあくまで緊急避難であり、最初から一緒に時間を過ごすために家族以外の他人を招き入れるのは初めてのことだ。

 若干震える手でドアを開け放って……俺は固まった。


「こんにちは、柳田くん!」

「おっ、おぉ……こ、こんにちは」

「? どうしたの、柳田くん……最初に会ったばかりの頃みたい」


 そう言ってくすくすと笑う明瀬さんの仕草は見慣れたものでも、彼女が纏う雰囲気は大きく様変わりしているように思えた。


 服装としては、白いカットソーのシャツの上に同色のビスチェ、そして動きやすさを優先してかブルー系のデニムパンツと言う、ややフェミニンながらもカジュアルな気取らない雰囲気を醸し出しているように思える。

 普段の制服や先日のスカートとは違うパンツスタイルで、綺麗な足のラインが露わになり、彼女のモデル顔負けのスタイルがより強調されていた。


 そのファッションもとても魅力的で素晴らしいものだと思うが……それ以上に俺の目を引いたのは、彼女の髪形だった。


「その、髪形は……」

「あぁ、これ? お料理するからまとめてきたんだけど……」


 そう言って首を傾げた拍子に、明るい色のクリップがきらりと光る。


 いつもは自然に流している亜麻色の髪を軽く編み込み、襟足の少し上の位置でくるりとまとめてシニヨンに。その上からゴムを被せ、ミニクリップで留められている。

 普段は見えない首元やうなじが露わとなり、思わず目を奪われてしまう。

 どこか無防備で、けれど清潔感があって――それに、ちょっとだけ色っぽい。


 呆然と立ち竦む俺を不思議そうに見ていた彼女の視線が、ふと俺の後ろに向けられ、そこでようやく俺も正気を取り戻した。


「こほん。……紹介するよ、妹の優唯だ」

「初めまして、お兄さんの同級生の明瀬陽華です。今日はよろしくね、優唯ちゃん! ……優唯ちゃん?」

「おい、どうした優ぐべぁ!?」


 明瀬さんを一目見てから微動だにせず固まっていた優唯が、急に動き出したかと思えば、物凄い勢いで俺の襟元を掴んで引き寄せてきた。

 何事かと視線で抗議すると、もはや血走った俺を睨み返される。


「兄さん、どういうこと……!? なに、何なのあの超美人さんは……!?」

「昨日そう説明してたはずだが……」

「こんなに可愛すぎる美人とは思わなかったの!」

「そうかよ……。とりあえず、挨拶ぐらいちゃんとしなさい」


 そう咎めるように言えば、優唯はすぐさま俺から手を離して明瀬さんに向き直り、勢い良く頭を下げる。


「初めまして、柳田優唯です! 兄がいつもお世話になってます……! さっきはごめんなさい、つい驚いちゃって……」

「ううん、気にしないで。美人って言ってくれるのは嬉しいし、ふふっ」


 朗らかに笑う明瀬さんの視線が、ふとこちらに向けられて、


「柳田くん、私のこと”美人”って紹介してくれたんだ?」

「……まぁ、客観的に見て」

「んふふ、そっか。そういうことにしておくね」


 色々と見透かされている気がするが……心から嬉しそうな明瀬さんの様子を見ていると、どうでもよくなってしまう。

 ……いつまでも玄関の前で話しているわけにもいくまい。とりあえず明瀬さんに入室を促した。

 お邪魔します、と折り目正しく頭を下げた明瀬さんは、何かを求めるような目を俺に向けてきた。一体何を……あー。


「……いつもと雰囲気が違って驚いたけど、その髪型も、服装も、よく似合ってる。可愛いと、思う」

「……ありがとう。嬉しいな」


 ふにゃりと、ふやけたような笑みを浮かべて、


「今日も褒めてくれると嬉しいな、って……ちょっと期待して、おめかしを頑張ったんだよ?」

「……っ!」


 ……反則だ。

 改めて言われてみると、顔のあちこちに薄らと化粧が施され、彼女本来の美しい造形をより引き立たせているように感じる。

 それはあの日──互いの息がかかるような至近距離で見つめ合った経験があるが故に、気付けたことかもしれない。

 自然と、互いに見つめ合う。どこか茫洋とした、熱っぽい視線は……彼女も俺と同じように、あの日のことを思い出していたのかもしれない。

 蘇った熱に浮かされて、俺の目はやがて、薄いリップで彩られた艶やかな唇に向けられて──……


「わ、わー……あの兄さんが、すっごい美人と甘い雰囲気醸し出してる……」

「「……っ!!」」


 優唯の感心したような、呆れたような声に、俺と明瀬さんは同時に我に返った。

 ……こういう言い方はよくないのかもしれないが。

 昨日自分の気持ちを受け入れて、それを優唯という他人に曝け出したからか。

 明瀬さんが、以前より更に可愛く見えてしまうのだ。


 ……ええい、そのニヤニヤした顔をやめろ優唯。


 リビングに着くと、明瀬さんが紙袋をこちらに差し出してきた。


「これ、柳田くんにお父さんから、この前のお礼にって。私からも本当にありがとう」

「おお、これはどうもご丁寧に……どういたしまして」


 明瀬さんから受け取った紙袋には、地域で有名な和菓子専門店のロゴがデカデカと貼り出されていた。

 彼女の了承を得た上で中身を見てみれば、その店の名物である大福セット。確かな感謝と誠意を感じる一方で、こちらが恐縮しすぎないように高級過ぎないチョイスに思わず感心してしまう。


「せっかくだし、一つずつ頂こうか」


 まだ昼食には早いので、一旦ソファーに座って雑談タイム。

 明瀬さんと優唯のアイスブレイクも兼ねた時間だったが、予想以上に二人の相性はよかったようだ。

 引っ込み思案ながら意外と人懐っこい性格の優唯と、元引っ込み思案で聞き上手な明瀬さん。賑やかではなくとも、穏やかに会話を弾ませる二人の様子は、年の近い姉妹のようにも思えてくる。


「そうなんです、兄さんってばほんとに口下手で。私含めて一家総出で兄さんの面接練習に付き合ってあげてたんです」

「あはは、凄く仲のいい家族なんだね。でもちゃんと合格できたってことは、ちゃんと克服できたの?」

「何とか機械みたいな棒読みを辞めさせて、沢山台本を用意して無言になっちゃう癖だけはどうにかしました……結局根本的な口下手は治せなかったけど」

「んー……たぶんお兄さんは口下手なわけじゃなくて、言葉を凄く大切にする人なんだと思うな。自分の言葉が相手にどんな風に受け止められるのか、深く考えてくれる人。言葉に詰まっちゃうこともあるけど……だからこそ、柳田くんの言葉は、深いところに届くんだ。ねっ?」

「ふぅ~ん……? 兄さん、陽華さんにどんな言葉をかけてあげたの? 教えてよ~」


 ……やっぱいい店のものだけあって、この大福は美味いなぁ! 緑茶がほしくなる!

 露骨にそっぽを向く俺にくすくすと笑い合う二人。まぁ、仲良くなれたようで何よりだ。


 そんなこんながあって、時間は昼前。

 それぞれエプロンを着用し、しっかりと手を洗ったところで、本日のメインイベントである明瀬さんの料理教室のスタートである。

 ちなみに包丁や鍋等の調理器具は全てウチにあったものを使用している。入居直後に義母さんが買い揃えてくれていたのだが、ついぞ今日まで使われることはなかったのだ。もし付喪神とかが宿っていたら間違いなく俺は祟り殺されるだろう……。

 ……炊飯器のスイッチも押しておかねば。忘れるところだった。


「さて、今日は柳田くんに料理の楽しさを知ってもらうための時間と言うことで! おかずの定番である肉じゃがと、柳田くんの大好物の金平ごぼうを作っていきたいと思います! 今回はアシスタントとして優唯ちゃんにも手伝ってもらうので、頑張ろうね二人とも!」

「はーい!」

「……はーい」

「ちょっと兄さん、ノリ悪いよ」

「俺そう言うの苦手だって知ってるだろ……」


 そうして始まった料理教室。


「まずは野菜を洗っていきます。今日の食材の中だと、ジャガイモとにんじん、ごぼうは洗った方がいいかな。玉ねぎは皮を剝いてから、土汚れがついてたりすれば洗う感じで」

「玉ねぎの皮むきはそんなに難しくないし、私がやっちゃうね。切るとこは兄さんにやってもらうけど」

「了解だ。普通に水洗いでいいのか?」

「うん、大丈夫だよ。根菜類は洗う時たわしとか使った方が楽だけど……あ、ごぼうはあまり力を入れすぎないようにしてね。皮の旨味が逃げちゃうから」

「野菜によって違うのか……。むっ、これはかなり頑固な……」


 次に食材のカットに移って、


「包丁の持ち方はわかる?」

「あぁ、猫の手だろ。家庭科の授業でやった記憶がある」

「そうそう、右手で包丁を持って、もう片方の手を猫ちゃんみたいに、にゃん♪ ってして……どうしたの?」

「…………」

「……えっ、陽華さん今のめちゃくちゃ可愛いですね。写真撮るからもう一回やってください」

「も、もうやらないから! ほら、柳田くんも正気に戻って!」

「あっ、あぁ……明瀬さん、後でもう一回やってくれないか?」

「やーりーまーせーん! うぅ、つい調子に乗っちゃった……」

「ぶーぶー!」


 本格的に鍋を使った調理に入って、


「次は食材と調味料を入れて、鍋での調理に入ります。火を使うから十分に気を付けてね? 煮物の肉じゃがから始めよっか」

「了解……うおあぶねっ」

「ちょっと兄さん、勢いよく入れすぎ!」

「水が入ると油は跳ねちゃうから、ちゃんと注意してね」

「すいません……」


 いい感じに炒められたので、


「うん、いい感じだね。じゃあ次はだしとかの調味料を入れて煮込んでいこっか」

「量はどのぐらい入れればいい?」

「適量、って言っても兄さんわかんないよね。このぐらいのお鍋と具材なら……このぐらいでいいですか? 陽華さん」

「んー……ちょうどいい感じだと思うよ。あ、みりんはちょっと多いかも」

「よく何も見ずにわかるな……」

「慣れだよー」「慣れだねー」

「すごいな……」


 ……その後も紆余曲折、七転八倒、波乱万丈の物語の末に。

 肉じゃがと金平ごぼうの完成を持って、第一回明瀬さんの料理教室は幕を閉じたのだった。


 不慣れ故に野菜のサイズがまばらになってしまっていたり、肉が切れていなかったりと、反省点は多々あったが……少なくとも、初めてにしてはかなり上手く行った気がする。

 昼食がてら実食した先生(明瀬さん)アシスタント(優唯)からも及第点を頂けた。以降も気を抜かず精進せよとの仰せだ。

 二人にあれだけ手を尽くしてもらったのだ。頑張ってものにして、これからの一人暮らし生活の質の向上に役立てていく所存である。


「てか、第二回があるのか?」

「え? うん。今回は和食だったし、次は洋食もやって見よっか。オムライスとかもいいよねぇ」

「……そっか」

「嬉しそうだね、兄さん」


 色々と大変だったが、何だかんだ楽しい時間だった。

 明瀬さんが最初に言っていた”料理の楽しさを知ってもらう”という目的は、見事達成である。正直、今から次の教室を楽しみにしている自分もいることは、認めざるを得ないだろう……。

 ……認めるから、そのニヤケ顔を辞めなさい。


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