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第15話 兄妹の過去

 シリアス成分注意。

「俺、好きな人ができたんだよね」

「へぇー……へっ!?」


 ガタタンッ、とソファーの上から派手に転げ落ちた優唯。

 急な奇行に驚きつつも、倒れ込んだまま動かない優唯に慌てて声を掛けた。


「大丈夫か優唯!? どうしたんだいきなり……」

「それはこっちの台詞なんだけど……?」


 ゾンビみたいなふらふらとした動きで体を起こした優唯の鋭い視線が俺を射抜く。今すぐ洗いざらい話せ、と言葉よりも雄弁に語っていた。


 助け起こした優唯と会話を続行する。

 ドライヤーを動かしながら、ここ数日間で起こったことを、明瀬さんとの出会いから一つずつ、時系列に沿って順番に語っていく。

 当然明瀬さんの過去については暈したが、それでもあまりに印象的な出来事が多すぎて、全て語り終える頃にはとっくに優唯の髪を乾かし終えてしまっていた。


 全てを聞き終えた優唯は……何故か、目頭を押さえて涙を堪えていた。


「どこに泣く要素があったんだよ」

「だって……だって、あのぼっちの兄さんが……! クラスの可愛い女の子と恋人みたいにいちゃいちゃして、友だちも沢山できて……っ! 何だか凄く嬉しくて……っ」

「お前は俺の親かよ……」


 ティッシュを渡せば、ぢーんと色気の欠片もない音を立てて鼻をかみ始めた。ガチで泣いてたのかよ。

 やがて泣き止んだ優唯は、赤くなった目をジト目にして俺を睨んできた。


「ぐすっ……それで、私に話したいことっていうのは何なの? 恋愛相談とか言うつもりじゃないよね……? 恋愛経験なんてないし、ぶっちゃけそれで付き合ってない方が意味わかんないんだけど……え、ていうか兄さんもその……明瀬さんだっけ? その人のこと好きなんだよね? 何でさっさと告白しないの?」

「待て待て落ち着け。恋愛相談ってわけじゃない……相談するまでもなく、俺の気持ちはもう決まってるから」


 俺の気持ちなんてものは、もうとっくに決まっていたのだ。

 ただ、踏み出す勇気が持てなくて、こんな俺がそれを望んでいいのかわからなかっただけで。


「ふーん……兄さんは思い切りはいいのにその前に滅茶苦茶ヘタレるタイプだと思ってたけど……意外と覚悟決めてるんだね。何かあったの?」

「的確な分析をどうも。……明瀬さんのことが好きなクラスの男子に、『不誠実だ』って言われて……優唯が来るまで色々考えてた」

「不誠実、ねぇ。確かに、明らかに好き好きって態度に出してる相手に応えようとせずにスルーし続けてるのは、ちょっとどうかと思っちゃうよね」


 仰る通りだ。こちらとて言い分はあるのだが、傍から見てクズ男に見られるのは致し方ない。


「じゃあすぐに告白するの?」

「いやっ……それは、もう少し待ってほしいというか……まだ時期が悪いというか……」


 ものすごいジト目で見られるが、そう簡単に割り切れはしないのだ。

 ヘタレと笑うがいい。告白どころか初恋すら経験していないコミュ障にとって、告白というのは人生そのものを左右する一大イベントなのだ。

 しかも相手は、スクールカーストのトップ層に位置する完璧美少女の明瀬陽華さんだ。

 心身ともに万全の準備を整えて、少しでも成功率を上げて挑むのは当然のことだろう。


「でももう両思いだってわかってるんだから、後は好きって言うだけじゃん」

「そうかもしれんが……でもまだ勘違いって可能性も」

「ないよ。好きでもない相手に毎日お弁当作ってこようとしたり、家に行ったり、抱きついたりとかするわけないじゃん。これ女子目線の意見ね」

「そっ、そうか」

「照れないでよ……家族のそういう顔見るのちょっとキツい」

「ごめん……」


 割とガチのトーンで苦言を呈されてしまった。両親がやけに甘い雰囲気で惚気てきた時の居た堪れなさを思い出す。

 こほん、と咳払いを挟んで、話を戻した。


「とにかくそういうことで、告白の前準備として……中学の時の”あの事件”について、話しておかなきゃいけないと思って」


 そう言って、そっと優唯の様子を窺うが……意外にも、目立った反応は見せなかった。

 ”あの事件”に当事者として関わっていた優唯は、少しだけ困ったように眉を下げて、


「……別に話さなくてもいいんじゃない?」

「詳しくは話せないんだが、俺は明瀬さんのとても大事な秘密を一方的に知ってる状態なんだ。俺だけ秘密にしておくのは不公平だろう……それに」

「それに?」

「明瀬さんには、俺の本性を知って……その上で、もう一度判断してほしいと思ってる」


 そう話す俺の顔が余程深刻そうに見えたのか、優唯は小さく噴き出すように笑って、


「本性って、ちょっと大袈裟じゃない?」

「そうかな」

「そうだよ。前から思ってたけど、兄さんは真面目過ぎ。もうちょっと肩の力抜いて生きなよ」

「本当に真面目だったら、あんなことはしなかったよ。もっと上手くやれた。俺の行動のせいで、優唯も……」


 優唯は小さく首を振った。その瞳に、一瞬深い憂いが走った。


「兄さんは悪くないよ。悪いのは、深く考えずに、意地を張って誰にも相談しようとしなかった私なんだから……私がもっとうまくやれていれば、兄さんも」

「それは違う!」


 優唯の言葉を遮って大声を上げてしまう。

 そんなことを言わないでほしい。悪意に取り巻かれながら、その優しさから身動きが取れなくなってしまったことは、過失でも何でもないのだから。

 項垂れる優唯の肩に手を置いた俺は、そこで気付く。落ち込んでいるものと思っていた優唯は、小さく肩を震わせていた。


「……おい」

「ご、ごめんごめん。けど……そう思ってるってことは、本当だよ。兄さんが私に負い目を感じてるみたいに、私も兄さんに負い目がある。それでおあいこ、でしょ?」

「……そうだな」


 息を吐いて、気持ちを切り替える。

 ──きっとこの後悔は消えることはない。けれど、俺も優唯も、今は前を向いて歩めている。

 だから、それで十分だ。


「とりあえず、明瀬さんに話すことはもう決めた。だからその前に、優唯の許可が欲しい」

「いいよ」


 まるで何でもないことのように軽く返されて、思わず面食らってしまった。


「何その顔。そもそも私に許可なんて要らないよ。言いふらされるのは困るけど、兄さんが話すべきだと思ったなら話せばいい。あ、私の名前も出していいよ」

「……いいのか」

「いいってば。……あ、でも」


 再度聞き返してしまう俺に、優唯は揶揄うような笑みを浮かべて、


「もしそれでフラれても、私に泣きついてくるの禁止ね。愚痴を聞くぐらいはしたげるけど」

「……縁起でもないことを言わないでくれ」

「あはは!」


 声を上げて朗らかに笑う優唯の笑顔を見ていると、感慨深い気分になってしまう。

 今でこそ、こうして仲のいい兄妹をやれているが……つい数か月前までは、ほとんど会話すらない有り様だったのだ。

 年の近い異性がいきなり家族になったと聞かされて、コミュ障の俺と引っ込み思案だった優唯はお互いに馴染むことができず……同じ屋根の下で生活していながらほぼ没交渉状態。


 それが変わったのは……去年の、ちょうど今頃。ある大雨の日のことだった。




§




 ──あれは、中学三年の梅雨時。高校受験の勉強と並行して、最後の大会に向けて毎日汗を流して練習に励んでいた頃の話だ。

 優唯とはその少し前、親同士の再婚で突然『義妹』として出会ったばかりだった。その頃の優唯は少し引っ込み思案ながら、今の彼女にも通じるどこか大人びた雰囲気を纏っていた。


 その理由はすぐにわかった。

 彼女は、母親と二人きりの家庭で育った。小さい頃に父親を事故で亡くしてから、ずっと母親と二人三脚で生きてきた。優唯の母親──今の俺にとっての義母さん──はかなり優秀な人で、努力と実力で出世を重ね、経済的には不自由のない生活を送っていたそうだ。

 優唯もそんな母親を支えるために、家事の手伝いをして負担を減らせるように頑張ってきたと言う。


 優唯の母親は、自分の仕事が忙しくなるにつれて娘を見てやれる時間が少なくなることを憂い、せめて娘が不自由しないようにとお小遣いを多めに渡していた。

 ──彼女が中学二年に上がってからのことだ。それを同級生に知られてしまったのは。


 ある日、「おごってよ」と言ってくる女子が現れた。優唯は人付き合いに不慣れで、家事に追われて友達付き合いの勘所を学ぶ機会も少なく、ただ「仲良くしてもらえる」と喜んでしまった。

 遊ぶ度に食べ物代や場所代を出している内に、その要求──”集り”はエスカレートしていった。

 いつしかその遊びに、地域で有名な高校生の不良グループが出入りするようになった。


 俺がその事態を知るきっかけになったのは、部活の後輩から相談を受けたことだった。


「柳田先輩の妹さん、最近ちょっとおかしいんです」


 深刻な表情の彼に詳しく聞けば、友達数人と放課後によく一緒に遊んでいるが、その様子がどこか引っかかるという。


 気になって、初めて日常会話以外で優唯に話しかけた。だが、彼女は「大丈夫」と笑うだけだった。

 その表情こそが、何より大丈夫じゃないことを物語っていた。

 仕方なく、優唯の同級生たちにそれとなく聞き込みをして──俺は優唯が置かれている状況を知ったのだ。


 流石に見過ごすことはできず、もう一度優唯に詰め寄った。

 先生や両親に助けを求めるべきだと諭すと、彼女は強く首を横に振って。


「お願い……お母さんにも、お義父さんにも言わないで……! せっかく、やっと幸せになれそうなのに」


 そう言って、泣きそうな目で俺を見た。

 ──あの目は、今も忘れられない。


 だから俺は折衷案を出した。

「次にその友達と遊ぶとき、俺がこっそりついていくから」彼女は渋々頷いてくれた。


 そして迎えた当日……俺が危惧していた、最悪の事態が起きてしまった。

 帰り道。人気のない場所で、不良グループの一人が優唯の手を掴み、どこかに連れ込もうとしていた。

 必死に抵抗する優唯の顔には、強い恐怖が浮かんでいて──……。


 その瞬間、自分でも何が起きたかわからなかった。

 気が付けば俺は駆け出していて、拳を振り抜いていた。

 殴った。止めようとする奴を突き飛ばし、歯を食い縛って、殴った。


 ……その後、通報を受けて駆けつけてきた警察の人たちに取り押さえられ、事情聴取を受けた。

 当然ながら保護者や学校にも連絡が行き、騒ぎはどんどん大きくなっていった。高校生グループがしようとしたことも、俺の暴力も暴行事件として処理されることになった。


 泣きじゃくりながら俺に「ありがとう、ごめんなさい」と縋りつく優唯と、そんな俺たちを抱き締めて涙ながらに謝罪を繰り返す両親を見ていると、俺も涙が止まらず……結局その日は、一家揃って泣き続けた。


 それから両親や学校がどのように事態を収めたのか詳しくは聞いていないが、相手側の高校生たちは多額の示談金を俺たちに支払った上で退学処分を食らい、優唯に集っていた同級生たちも相応の処分を受けたと聞いた。

 そして当然俺にも処分が下った。内容は、一週間の出席停止処分。

 暴行事件を起こし警察沙汰にまで発展したにしては軽い処分だが、優唯や同級生の証言と両親の努力もあって、先生方の協議の末に形だけ罰を与えることになったらしい。


 ……しかし、大事になってしまったことで、目前に迫っていた部活の大会の出場資格を取り消され、顧問の先生、ダブルスや団体でチームを組むはずだった仲間たちに迷惑をかけてしまった。

 事情を知った彼らは仕方ない、気にしないでいい、謝らなくていいと言ってくれたが……。


 あの事件以降、それまで俺のことを名前で呼んでいた優唯は「兄さん」と呼ぶようになり、まるで本当の兄妹のように接してくれるようになった。





§





「あの頃は”辰巳さん”なんて呼ばれて、どう接したらいいかわからず悩んでたもんだ……」

「やめてよあの頃のこと掘り返すの……それを言ったら、兄さんこそ目つき悪いし背は高いしで、正直怖かったんだからね」

「マジかよ……」


 今明かされた衝撃の真実に打ちひしがれる俺の耳に、LAINの着信音が届いた。

 優唯に目を向けるとふるふると首を横に振る。どうやら俺のスマホに来たらしい。

 スマホを取り出して通知を確認して……思わず目を見開いてしまう。


「誰からだったの? ……あ、もしかして」

「……明瀬さんからだな」

「へぇ~!」


 いつものクールで大人びた印象はどこに行ったんだと言いたくなるほど、キラキラと目を輝かせて詰め寄ってくる優唯。

 向井さんを彷彿とさせる好奇心に満ちた視線を受けながら、LAINを開いて内容を読む。……これは。


「ねぇ、何だった? もしかしてデートのお誘いとか?」

「落ち着け、そういうのじゃなくて……。いや、そういうのか? 明瀬さんから料理を教わる約束をしてたんだが、明日この家でしないか、って」

「ふぅ~ん? 兄さんの家で、二人きりで、お料理かぁ~! 恋人通り越して新婚さんみたいじゃん!」


 お前キャラ変わってないか? と言いたくなるぐらいハイテンションではしゃぎ始めた優唯は、しかしすぐに心配そうな表情になって、


「あ、でもそれなら私ってお邪魔だよね? 明日の朝一で帰った方がいい?」

「……いや」


 その時俺の頭を過ぎったのは、先週末に起こった明瀬さんの父親との突発遭遇イベントだった。

 ……とんでもない心労をかけさせられたんだ。少しぐらいやり返しても罰は当たらないよな?


「優唯。お前がいいなら、明日会ってみるか?」

「会う!」


 満面の笑顔で即答だった。


 ……一応明瀬さんに確認は取っておこう。礼儀としてね。

 ブックマーク・コメント等よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
義務教育に停学はないです。かわりにあるのは出席停止。
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