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第14話 義妹

「終~わったぁ~!!」

「おつかれー。なぁあそこの問題さ……」

「今日これで終わりっしょ? 帰りどっか行かん?」

「やべぇ全然わからんかった……赤点かも……」


 一学期の中間テスト最終日。三日間に亘って続いた苦行の時間から解放され、クラスでは久しく見られなかった活気に溢れていた。

 中学の頃とは科目数もテスト範囲も格段に上がったテスト、特に最終日である今日は一気に四科目のテストがあったため、心身ともに疲労が溜まっているのを実感する。


 テストの問題用紙をカバンに収めていると、前の橋本の席に男子生徒たちがぞろぞろとやって来るのが見えた。先日の体育で一緒にチームを組んだ面々だ。

 当然岡も居るが……やはりまだ睨まれている。せっかく最後に打ち解けた気がしたのに……。


「いや~キツかったぜ……。どうだったよ橋本、柳田」

「何とか赤点は回避できた……と思うけどどうかなー。数学がやべぇかも」

「……ん、あぁ。まぁ、ケアレスミスがなければそこそこいい感じだったと思う」


 こっちにも話しかけてくると思わず返答が遅れてしまった。つい先日まで友達がいなかったぼっち故の悲しい習性だ。

 俺の返しに須藤達は意外そうな視線を向けてきた。


「へぇ、柳田って意外と勉強できる方なんだな」

「意外ってほどよく知らねぇけどな。でも確かにあんまそういうイメージないかも」


 そんな風に言う南と赤坂に、橋本は冗談っぽく笑いながら、


「何言ってんだよ、柳田にはあの明瀬さんがついてんだぜ? どうせ先週の休日も明瀬さん二人きりで手取り足取り勉強見てもらったりしてたんだろー?」

「…………」

「おい、冗談だったんだけど」

「手取り足取りってわけじゃない、わからないところを聞いてただけで……」

「休日に二人きりでって部分は?」

「…………」

「こいつマジでさぁ……」


 心底呆れ果てたというように大きな溜め息を吐いた橋本に、須藤たちは苦笑を浮かべた。


「もう何て言うか、意外とすら思わないけどなぁ。あんだけイチャついてんだし」

「んだな。むしろあれで付き合ってないって方が驚きだわ。ちなみにまだ付き合ってないの?」

「……ないよ」


 なんでだよ、と一斉にツッコミを入れてくる橋本たち。

 答えに窮して黙り込む俺に……明瀬さんの話題だと言うのに騒ぎもせず、先程からむっつりと黙りこくっていた岡が静かに口を開いた。


「柳田、俺は正直言ってお前が気に入らんが……お前のその態度は、よくないと思う」


 岡が俺を見据える視線には、嫉妬の感情以上に、憤りの色があった。


「明瀬さんがお前に見せる表情を見ればわかる。業腹だが……非常に業腹だが、明瀬さんはお前に強い好意を抱いてる」

「……!」


 まさか岡にそう断言されるとは思わず、息を呑んでしまう。

 それを聞いていた橋本達も同意の声を上げた。


「まぁわかりやすいわなぁ」

「明らかに表情とか雰囲気とか違うもんな」

 

 ──そんなことは、言われずともわかっている。

 俺はラブコメ漫画に出てくるような、何も気づかない鈍感な主人公じゃない。

 明瀬さんが俺に向ける視線も、声の調子も、ちょっとした仕草も……他の男子に向けるそれとは明らかに違っている。

 感謝とか恩義だとか、そういう言葉で片づけられる範囲を、とうに超えている。


「なのにお前は、明瀬さんの気持ちに応えようとせずに、なぁなぁにしてる。明瀬さんがあんなにアプローチしてるのにまだ交際してないってことは、お前が不誠実に──」

「岡、ストップ。そこまでだ」


 徐々にヒートアップしていた岡の言葉を、橋本が遮った。

 自分でも踏み込みすぎたと思ったのか、気まずげに視線を逸らして軽く頭を下げてくる。


「……すまん。部外者なのに、好き勝手言って」

「……いや。むしろ部外者から見れば、そういう風に見えるのも無理ない。俺がはぐらかしてるってのも……まぁ、事実だしな」


 気にするなと手を振って笑顔を浮かべようとしたが、あまり上手く行かなかった。

 気を遣った橋本が殊更明るく声を上げて空気を切り替えようとして、南たちもそれを察して話に乗っていく。


 俺はそれを聞きながら思いを馳せるのは、明瀬さんとの関係と……今夜迎える予定の客人について。

 ……そろそろ、覚悟を決めるべきなんだろうな。




§




 その日の夜。

 帰宅して制服を着替えた俺は、ソファーに寝そべった体勢で物思いに耽っていた。


 考えるのはもちろん、明瀬さんのことだ。

 正確には彼女についてではなく、彼女に向ける俺自身の感情についてと言うべきか。

 俺は明瀬さんのことをどう思っているのか、どうなりたいのか。

 その答えは意外とあっさり出た……と言うか、もはや考えるまでもなかった。


 明瀬さんから俺に向けられる感情……それもはっきりとしている。

 未だに信じ難い気持ちはあるが、あれだけ直球に好意を示されて、周囲からも散々指摘された上で、勘違いでしたと逃げられるほど俺の神経は図太くない。

 結論を出すのを避けていただけで、ずっと前からわかっていた。


 その上で、俺は甘えていたのだ。

 彼女と過ごす日々の心地よさに浸って。激しく移り変わる環境に着いて行くのが精一杯だと、だから仕方ないと、自分に言い訳して。


「……情けねぇ」


 本当に情けなく、みっともない。

 自己嫌悪に際限なく沈み込もうとする心を無理矢理奮い立たせる。考えるべきなのは、これからどうするべきかだ。


 ……正直に言って、俺は自分に自信がない。

 容姿は普通、成績も普通、社会性は最低、これまで数えるほどしか友だちがいたことがない、生粋の陰キャでぼっち。

 こんな俺が……いや。こんな俺だとわかった上で、彼女は変わらず接してくれている。

 ならばそれらも、俺が楽な方向に逃げようとする方便に過ぎないのだろう。言い訳ばかりで嫌になる。


 ……それを理解して、俺はまだ躊躇している。何故?


「……怖いよなぁ」


 そう。怖いのだ、俺は。

 未だ彼女に告げられていない俺の過去。

 柳田辰巳と言う男の過去を、本性を、明瀬さんに知られて……彼女が俺に向けてくれる優しい視線が、嫌悪と失望に変わったらと思うと、堪らなく恐ろしいのだ。


 彼女から向けられる感情に答えを出してしまえば、俺が抱く感情に名前を付けてしまえば、俺はそれを話さなければならなくなる。

 もしかしたら、何も告げることなく素知らぬ顔で彼女の隣に立つ道もあるのかもしれない。

 しかし俺は……そんなことができるほど強くはないのだ。


 現時点でさえ、一方的に彼女の過去について知ってしまっていることに後ろめたさを覚えている臆病者なのだ。

 いつかは話さなければならない。そのいつかは……きっとすぐに訪れる。


「言いたくない、マジで言いたくない……けど、言わないとなぁ」


 顔を覆って呟く俺。漏れ出る声は情けなく震えていた。

 けれどそのためには、もう一つ足りないものがある。

 俺があの件の当事者であることは確かだが……実は、中心になっていたのは俺だけじゃない。もう一人、別にいるのだ。

 その人物の同意を得ずに勝手に話すことはできない。だからまずは──……。


 ──ピンポーン


「っと、来たか」


 鳴り響くインターホンのチャイムに、思考を一旦中断して立ち上がった。

 リビングのモニターから尋ね人が予想通りの人物であることを確認し、玄関へ向かう。

 ドアを開ければ、そこに立っていた少女が軽く手を上げて、


「久しぶり、兄さん」

「いらっしゃい、優唯(ゆい)


 その少女の名は柳田優唯。俺の義妹である。


 外に跳ねた黒髪のショートカットに小柄な体格。あどけない童顔の中にどこか達観したような、年齢以上の落ち着きを感じさせる表情。

 身に纏っているセーラー服は少しだけ袖が長く、所謂萌え袖のように指先だけが見え隠れしている。

 そして彼女のトレードマークとも言えるヘッドホンが、今日も首元に掛けられていた。背にはお泊り用の着替えなどが入っているであろう、大きめのボストンバッグ。


「……少し背が伸びたか?」

「先月も同じこと言ってたよ。そんなすぐ伸びるわけないでしょ?」


 俺の下手な冗談に、優唯はふっと小さく笑みを浮かべた。

 一見冷たいように見える仕草の中に、確かな親しみが感じられる笑顔だった。


「とりあえず入ってくれ。お茶でも用意するよ」

「わかった。お邪魔します」


 ぺこりと頭を下げてから部屋に足を踏み入れる優唯。ここは父さんの名義で借りている部屋なので、実質的に優唯の部屋でもあるのだが、律儀なことだ。

 冷蔵庫から麦茶を用意して、ソファーに腰掛ける優唯に手渡す。


「ありがと、兄さん。……今日まで中間テストだったんでしょ? お疲れ様。どうだった?」

「結構いい感じ。苦手な数学も今回はかなりできた手応えがあるな」

「へぇ、すごいじゃん。前に『俺はやればできるんだ~』とか言ってたけどほんとだったんだ」

「まぁ、俺一人の実力かって言われるとそれも違うんだが……」


 歯切れの悪い俺の言葉に、こてんと首を傾げる優唯。


「もしかして……カンニング?」

「なわけないだろ。……あー、勉強を教えてもらったんだよ。その、友達に」


 友達、と鸚鵡返しに呟いた優唯は、カッと目を見開いて、


「兄さん友達ができたの!? ほんとに?」

「お、おう。何でお前がそんな驚くんだよ」

「驚くに決まってるじゃん。先月来た時は友達どころかクラスメイトと碌に話も出来てないって言ってたのに」

「ぐっ」


 さぁ詳しく聞かせろ、と言わんばかりに顔を寄せてくる優唯を優しく押し返す。

 義理の妹に学校での出来事を詳しく報告するのは、何だか兄の威厳が損なわれる気がするが……両親との伝言役兼監視役という立場の優唯を無碍にすることもできない。


 俺が一人暮らしを始めた今年の三月から、月に二度ほど優唯はこの部屋に泊まりに来る習慣ができていた。

 本来なら在宅業務で比較的時間に余裕がある父さんが前述の役目を担うはずだったのだが、本人たっての希望により優唯が抜擢されたのである。

 ここで優唯に話したことは両親にも伝わるのだ。俺の我が儘で一人暮らしを許してもらっている以上は、しっかり生活態度を報告するのが責務だろう。

 とは言え、長い話になる。まずは諸々を終わらせて、ゆっくり話す時間を作ってからにしなければ。


「その話は後にして、飯にしよう……俺も、お前に話しておきたいことがあったんだ」

「ふーん……? いいけど、私もうご飯食べてきたから。先にお風呂もらうね。タオルはいつものとこのやつ使っていい?」

「好きに使ってくれ」


 バッグから着替えと化粧用品を持って脱衣場へ向かう優唯を見送って、夕飯の準備を始める。と言っても、パックのご飯と冷蔵庫に収められた総菜だけだが。

 ご飯を温めている間にスマホでニュースを確認する。……連日の雨も、明日で一旦止んでくれるらしい。

 雨天でサッカーができず禁断症状を起こしていた橋本も、これで救われることだろう。


「……ごちそうさま」


 食事を終えて片付けを終えても、優唯が風呂から上がる様子はない。女性の風呂と買い物は長いものだと父さんから教わったものだ。

 日課の筋トレをして暇を潰していると、ようやく優唯が風呂から上がってきた。上に実家に置いてきた俺のシャツを着て、下はハーフパンツというラフな格好で、濡れた髪をタオルで軽く拭きながらこちらに歩いてくる。

 ……つい数日前にうちに訪れた明瀬さんの姿と、”事故”の記憶を思い出し、若干そわそわしてしまった。


「兄さん、お願い」

「ん、あぁ」


 差し出してきたドライヤーを受け取り、ソファーに座る優唯の背後に回る。


 ”例の事件”が無事に解決して、優唯と家族として打ち解けてから毎日のように行っていた日課だ。

 手入れを欠かしていないのだろう、綺麗な黒髪を傷つけないように、ゆっくりと温風を当てていく。


 そうしながら、他愛もない雑談を始めるかのように、軽い口調で口火を切った。


「俺、好きな人ができたんだよな」

「へぇー……へっ!?」

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「義妹」 修羅場か?
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