第12話 体育①
激動の一週間が明け、翌週の火曜日。中間テストがいよいよ始まる前日。
うっすらと緊張感が漂う教室内は、土曜日から続く雨模様も相まってどこか陰鬱な空気が漂っていた。
「はー、憂鬱だぜ」
「おぉ……橋本が勉強してる」
「俺を何だと思ってんだよ……」
珍しく休み時間に教科書を開いていた橋本に声を掛けると、随分と覇気のない声が返ってきた。
テスト前とは言えこの様子はどうしたことか。
「なんか元気ないな。彼女さんにフラれでもしたか?」
「縁起でもねぇこと言うなよ!! ……マジで言うなよ」
「すまん」
かつてないガチのトーンに素直に謝った。
橋本は重い溜め息を吐いて、
「今日の三時間目、体育があるだろ?」
「あるな」
「予定だと今回からサッカーの授業だったはずだろ?」
「だったな」
「でも……今日雨だろ?」
「あぁ……」
いきなりカッと目を見開いた橋本が、俺の肩をガシッと掴んだ。
そしてなんとも情けない顔で、
「柳田先生……サッカーがしたいです」
「そうか……」
俺は先生でもないしバスケ部でもねーよ、と言って腕を引き剝がすと、そのまま机の上に突っ伏してしまった。
「土曜日からずっと降ってるせいでもうずっとサッカーできてねぇんだよ……。もう限界だ、このままだとマジでおかしくなっちまう……!」
「重症だな」
サッカーを求めて蠢くゾンビのような有様に呆れると同時に、それほどまでにサッカーを愛する橋本に尊敬の念を覚えそうになる。
そのタイミングで、体育の教科連絡係の生徒が教室に入ってきた。
「今日の体育は体育館にシューズ履いて集合だってよ!」
「はーい」「うーい」
ついに身動ぎすらしなくなった橋本の肩を、俺はポンと叩いた。
§
我が校の体育館は、バスケのコートを横に並べて二つ作れる程度のごく平均的な大きさの建物だ。
今日の体育は、体育館を中央で仕切り、演壇側にバスケットボールのコート、入り口側にバドミントンのコートを三面設置。それぞれが好きな競技を、好きなだけ楽しめる自由時間となった。
コートの設置を終えて準備運動を済ませてから各々希望する種目のコートに分かれていく。
……やはりと言うべきか、バドミントンは女子の割合がかなり多く、数少ない男子も運動が苦手な面子が仲間内で集まってしまっている。
まぁ壁際で壁打ちでもして時間を潰すか……と考えていると、
「あら、柳田くんもバドミントンを選んだのね」
ラケットを軽く素振りする俺を見て、高宮さんが意外そうに声を掛けてきた。
親友三人組でバドミントンを選択したのは高宮さんだけらしい。
「陽華は美樹に引き摺られてバスケに行ったわ。美樹は女バスだし、陽華も動ける方だしね」
「向井さんってバスケ部だったのか……」
「小学生の頃からずっとバスケ一筋ね。柳田くんは部活とかやってなかったの?」
「あぁ、俺は「柳田くんは中学でバドミントンやってたんだよね!」うん……?」
唐突に割り込んできた声に視線を向ければ、バスケットボールを抱えてドヤ顔の明瀬さんの姿があった。
そこに向井さんもやってきて、
「陽華ー、そろそろ女子の試合始まるよー! あっ、佳凛と……柳田くんもバドなんだ!」
「今行くよ! 柳田くん! 私頑張るから、ちゃんと見ててね?」
それだけ言い残して、二人は凄い勢いで去って行った。
残された俺たちは思わず顔を見合わせる。
「……何だったのかしら、今の」
「さぁ……」
俺たちが困惑している間にも、周囲のクラスメイトたちは思い思いに遊び始めていた。
全くの初心者だと言う高宮さんに、まずはラケットの持ち方から簡単にレクチャーしようと、邪魔にならないようコート脇に移動する。
「一番打ちやすい持ち方としては、こういう風にラケットの面と床を垂直にして……そう、握り方はグリップと握手をするみたいに、そんな感じ。で、ラケットを振る時は手首だけじゃなくて、腕ごと振りかぶる。向かってくるシャトルに対して半身になって、体ごと動かすようにするのが理想だけど、まぁそれは慣れてきてからで」
「こう、かしら。難しいわね……」
「最初はそんなものだよ。ちょっと打ってみようか」
少し距離を取って、プラスチックのシャトルを軽く放ってみる。
やや……大分不安定な体勢で振り抜かれたラケットは、カツンと硬質な音を立ててシャトルをあらぬ方向へと弾き飛ばしてしまう。
「あっ。ごめんなさい、上手く当てられなかったわ……」
「最初の一回目でラケットに当てられただけ凄いよ。次はラケットの面を意識して……」
正しい打ち方を実演してみせた上で何度か繰り返し、ちゃんと当てられるようになってきたところで実際に打ち合ってみる。
俺も実際にラケットを握るのは久しぶりだし、競技用のラケットでもないから加減が難しいが……まぁクリアで打ち合うだけなら何とかなるだろう。
「はぁ……はぁ……」
「ちょっと休もうか」
……数分ほどラリーを続けてみてわかったこととして、高宮さんは決して運動神経が悪いわけではない。むしろ、数回打ち合っただけで感覚を理解して真っ直ぐ飛ばせるようになっていた。
ただし、致命的に体力がない。十分にも満たない短時間シャトルを追いかけ、ラケットを振り回していただけで既に疲労困憊である。
壁に寄り掛かって肩で息をする高宮さんの横で、体育館の演壇側で行われている女子のバスケの試合に目を向ける。
するとちょうど明瀬さんがボールを持って相手チームのゴールに攻め込んでいるところだった。
……上手いな。素直に感心する。
明瀬さんも帰宅部のはずだが、体力もあるし体の使い方も上手い。流石にボール捌きでぎこちないところはあるが、バスケ部以外の他のクラスメイトと比べればその実力差は歴然だ。
今も二人掛かりで守備に入った相手を鋭い切り返しで躱し、チームメイトが他の守備を抑えている中、大きく飛び上がってレイアップシュートを決め……。
あ、外れた。
「あぁ~~~っ!?」
「ドンマイ陽華ー!」
「惜しい惜しい」
頭を抱えて悲鳴を上げる明瀬さんを、向井さんたち同じチームの面々が励ましている。
気を取り直して守備に入ろうとした明瀬さんの視線が、観戦するこちらを捉えて、
「や、柳田くん……こんな私を見ないで……っ!!」
見てほしいのかほしくないのかどっちなんだ……。
攻守交替して更に白熱していく試合を眺めていると、誰かに肩を叩かれた。目を向ければ、バスケットボールを手に持った橋本の姿。
「橋本か、どうした?」
「バスケやろうぜ!」
爽やかに言い放つ橋本。……一応話を聞いてやろう。
「俺バドやってるんだが……」
「別にどっちかしかできないとは言われてないだろ? 今も休んでるみたいだし。男子で五人チーム三つ作ろうとしたら、俺のチームが一人足りなくてさ。お前に入ってほしいんだよ」
「……バスケの経験なんてないぞ」
「んなもんバスケ部以外全員一緒だし、俺だって素人だよ」
それもそうか。
……数合わせに必要と言うのなら、仕方ない。
「下手でも文句言うなよ。……ごめん、高宮さん。ちょっと行ってくる」
「私のことは、気にしなくて、いいわよ……。まだ動けそうに、ないし……はぁ……」
未だに蹲ったままの高宮さんに声を掛ける。流石にもう少し体力付けた方がいいと思うぞ。
橋本に連れられてバスケのコートの方に行き、チームメイトに挨拶をする。橋本と同じサッカー部二人と陸上部、バレー部という内訳でバスケの経験者はゼロ。
……全員見事にカースト上位の陽キャ集団で腰が引けてしまっていたが、意外と快く迎え入れてくれた。むしろ陽キャだからか。
「おー、柳田か。俺サッカー部の赤坂、よろしくな」
「俺は須藤だ。話したことなかったっけ? 近くで見るとマジででっけぇな……身長どんぐらいなん?」
「柳田だ、よろしく。……四月の身体測定だと、183だったな」
「マジ!? なぁ柳田、バレーに興味ない? お前ならレギュラー入りも夢じゃないと思うぞ。あ、俺は南ね」
「遠慮しとく……」
サッカー部の赤坂、須藤、バレー部の南、と。
ほぼ初対面だと言うのに気さくに話しかけてくれる、気のいいやつらだと思う。橋本と仲良くしているのも頷ける。
……その一方で。
「…………」
「あー、と……」
先程から黙ったまま、滅茶苦茶睨んできてるやつが一人。
確か陸上部の、名前は……岡だったか?
背は俺よりも低いが強面気味の風貌で、怨念を込めて睨みつけられると中々の威圧感がある。
話したことはなかったはずだが……何かしてしまっただろうか、と首を傾げていると、南が彼の肩に手を置いて、
「コイツ明瀬さんのこと好きだったんだよ。だから明瀬さんと仲良くしてるお前に嫉妬全開ってワケ」
「…………なるほど」
バリバリにしてたわ。
わけもわからず睨まれて不快に思っていた気持ちが、申し訳なさに塗り潰されていく。
何が申し訳ないって、俺と明瀬さんは明確な交際関係ではないことだ。かと言って、ではどういう関係なのだと説明することも難しい……。
ぶっちゃけ俺自身よくわかっていないので。
「あれ? 柳田くんも次の試合に出るの?」
そんな会話をしている内に女子の試合も終わったようで、コートから出た明瀬さんたちがこちらへと向かってきた。
激しい運動で火照った肌がいやに艶めかしく、視線を逸らしてしまう。その先には鼻息を荒くした岡がいた。……少し冷静になった。
「橋本に誘われて、数合わせでやることになった」
「んな冷たい言い方すんなよ、頼りにしてんだぜー」
「やめろ暑苦しい」
肩を組もうとする橋本を引き剥がす。実際この湿気の中で引っ付かれるとかなり鬱陶しいのだ。
そんな俺たちのやり取りに楽し気な笑みを浮かべた明瀬さんは、
「私、応援してるから! 頑張って!」
そう言って俺の手をぎゅっと握ってきた。
その様子を見ていた向井さんたち女子がキャーキャーと沸き上がり、男子勢から敵意が吹き荒れる。
岡に至っては今にも噛み付いてきそうな勢いで、赤坂達に取り押さえられていた。橋本は苦笑しながら、
「試合開始前から、チームの分断を煽るような真似は控えてほしいんだけどなー」
なんかすまん。
想定していたより長くなってしまったので分割します。
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