第1話 俺と彼女の出会い
素晴らしいラブコメ小説をたくさん読ませていただき、自分でも書いてみたくなったので書きました。
楽しんでいただければ幸いです。
「皆も知っての通り、来週に迫った中間テストに向けて、今日から部活停止期間に入ります。大会が近い一部の部活を除いて期間中は部活の練習ができないから、寄り道せずに家に帰って勉強に励むように。高校生活最初の定期テスト、いわば第一関門とも言える試験だ。ここで躓いたら大変だぞ~」
一日を締め括るSHRで、教壇に立った吾妻先生がにやりと口の端を上げる。
その脅すような物言いにあちこちから呻き声が上がるが、偏差値高めの進学校だけあってほとんどの生徒は真面目な表情で頷いていた。
どちらかと言えば不真面目側の生徒に分類される俺としても、流石に最初の定期テストで失敗したくはない。一人暮らしを許してくれた父と義母にも申し訳が立たないし。
「みんなやる気があるようで大変結構。4月の新入生テストと違って今回は総合点と各教科ごとに順位も出るから、現時点での自分の実力を知るいい機会になるからな。先生も頑張って問題を作るから楽しみにしててくれ」
今日の伝達事項はそれで最後だったようで、日直の号令を最後にSHRが締められた。
我先にと教室を飛び出していく生徒もいれば、友達と集まってスマホ片手にテスト勉強の予定を相談する生徒もいる。
「ねぇ陽華ー! 勉強教えてー! ス〇バ奢るからぁー!」
「もーまたー? まだ前の小テストの分返してもらってないんだけどー?」
「ぐわーそうだった! じゃあじゃあこの後ス〇バ行こ! 今回の分も一緒に奢るから、ついでに勉強しよう!」
「陽華ちゃん、私もいいかな? 数学が不安で……」
「もちろんOKだよ! でもごめんね、今日はちょっと予定があるから、明日でもいいかな? あと美樹、ついでとか言わないの。いい加減普段から勉強する癖をつけなきゃ……」
「おっ勉強会すんの? 俺も行きてぇ!」「俺も教えてほしい!」「明瀬さんマジ神!」
「コラ男子ども! あんたたちどうせ陽華目当てでしょ! 真面目にやれぇー!」
「美樹が言えることじゃないでしょ! まったくもう……」
亜麻色の髪の女子生徒を中心とした、クラスで最も活気のあるグループが教室を離れたことで、教室内は一気に静かになった。
ここ西川高校では部活停止期間中は十八時まで教室を自習室として使用できるので、早速教科書とノートを広げる生徒も数人いた。
斯く言う俺もその一人だ。一人暮らしの家で勉強しようとすると、どうしても怠けてしまう気がする。
机から数学の教科書を取り出して開いたところで、吾妻先生から声を掛けられた。
「柳田ー。ちょっといいか?」
「俺ですか? ……わかりました」
教壇へ向かうと、そこには学校支給のタブレットを収めたケースが積み重なっていた。それもクラス全員分。
今日の放課後に機器のメンテナンスを行うとのことで集められていたが……もしかして。
「悪いんだが、これを職員室に運ぶのを手伝ってくれないか? 流石に一人じゃきつくてなぁ」
「いいですけど……四十人分は二人でも難しくないですか?」
「一応台車を持ってきてるんだが、全部は乗せ切らんかった。八割方は先生がこいつに乗せて運ぶから、残りを頼むよ」
「……了解っす」
それでも約十個分は重いが……まぁ元運動部として、今でも筋トレは欠かしてない。何とかなるだろう。
積み重ねたタブレットを担ぎ、台車を押す先生と一緒に廊下を歩く。
ほとんど人のいない廊下を歩く中で、先生が軽い口調で話しかけてきた。
「最近どうだ、柳田。勉強のことでも、普段の学校生活のことでも」
「まぁぼちぼちって感じですかね。……なんか親みたいですね」
「一人暮らしなんだろ? 保護者の目の届かない所に気を配るのも教師の仕事の一つさ」
そう言って快活に笑う吾妻先生の声音からは、生徒に対する確かな配慮と気遣いが感じられた。
一人暮らしを始めるに当たって、先生には入学直後にある程度の”事情”を話していた。俺の保護者や出身中学の先生とも連絡を取りつつ、こうして何くれとなく目をかけてくれている。
頭が上がらない。いい先生だと本心から思う。
「部活は本当にいいのか? まだ五月だし今からでも遅くないだろ」
「迷いはしましたけど、やめときます。こんな半端な気持ちで入っても迷惑をかけるだろうし」
「部活動なんだからそんなに重く考える必要はないと思うがなぁ。入部すれば友達だってできると思うぞ」
「……そうですかね」
間違いなく、クラスにおける今の俺の現状を心配してのものであろう先生の言葉に、少し申し訳なくなる。
高校に進学して早一か月。俺──柳田辰巳は未だに、友達の一人も作れていなかった。
所謂ぼっちというやつだ。一年A組というクラスにおける俺は”陰キャ”としてカテゴライズされており、実際そのレッテルに違わない態度で学校生活を送っている。
別に特別ハブられたり、嫌厭されているわけではない。グループ活動の時は普通に話せるし、伝達事項があればちゃんと伝えてくれる。
しかし、そういった用事がなくても俺に話しかけてくる人間は、いない。皆無だ。
何が悪かったかと言えば、俺の積極性の欠如と人付き合いの下手さだろう。
入学式からこっち、俺は自分からクラスメイトに話しかけるということをしてこなかった。
色々と”事情”があって、わざわざ地元から離れた場所にあるこの高校に引っ越してきたために、当然このクラスどころか学年に知り合いはゼロ。
同じ中学出身の生徒もいることはいるらしいが、生憎俺の知ってる人間はいないようだった。
他にも似たような境遇のやつはいたが、そういうやつらは入学式の日から周囲の生徒に積極的に話しかけて、そいつを通してコミュニティに参加する柔軟さを以て集団に溶け込んでいた。俺には到底不可能な芸当だ。
同年代の男子より一回り近く大きい体格と、鋭い目つきのせいで小学生の頃から友達作りに苦労していた俺は、結局それを克服できないまま今に至っている。
俺と同じように人付き合いが苦手そうなやつらも、アニメやゲームという同じ趣味を持つ仲間同士でつるんだりしてるし……生憎俺はそういったジャンルには疎いので、そこに混ぜてもらうのも難しい。
中学時代は部活に所属していたので、少ないながらも友人と呼べる人間がいたのだが……そういった切っ掛けがなければこのざまだ。
あまり孤独に弱い性分でもなかったつもりだが、昼休みの度にこそこそと人目のない場所へ行って食事をとる日々は、なかなかに空しいものがあった。
「おいおい、いきなり暗い顔して大丈夫か? 本当に辛かったらちゃんと言ってくれよ」
「すんません、大丈夫です。ありがとうございます……」
先生の優しさが心に沁みる。目から汗が零れそうだ。
そんな話をしている内に職員室に到着していた。先生の後について職員室に入り、所定の場所に荷物を置く。
小型とはいえ電子機器をまとめて運ぶのは少し堪える。
若干痺れた腕を擦りながら、「これが最新の薄型のやつならなぁ」と益体もないことを考えていると、吾妻先生から缶コーヒーを手渡された。
「ほれ、運搬代だ。ブラックだが飲めるか?」
「ありがとうございます、大丈夫です……いいんすか、生徒にこういうのあげても」
「金銭を直接渡したりとかじゃなきゃ特に問題はないよ。部活の顧問が試合後に飯奢ったりするだろ? まぁ気になるんなら、できるだけ人目につかない所で飲んでくれ」
「言われてみればそうっすね。それじゃありがたく」
「おう。手伝ってくれて助かったよ。ありがとな。先生は完全下校時刻まではいるから、何かあったら職員室に来てくれ」
教師も定時は十七時だったはずだが……完全下校時刻は十九時。教師という職業の過酷さと世知辛さを感じてしまう。
深々と頭を下げて職員室を退室。さて、人目につかない所と言えば……いつも昼飯を食ってるところでいいか。
冷蔵庫に入っていたのであろう、冷えた缶コーヒーを掌中で弄びながら歩き始めた。
「……お」
階下へ行こうとして、ふと視界に入った亜麻色に、足を止める。
上の階から階段を下りてくるその少女に、俺は見覚えがあった。なにせ彼女はこの学校における有名人で、特に一年生で知らない者はいないだろう。
その女生徒──明瀬陽華は、正しく美少女だった。
さらさらとした亜麻色のセミロングに、スッと通った鼻梁に整った顔立ちは、まるで雑誌から抜け出してきたかのような完成度を誇っている。
ぱっちりとした瞳はどこか挑戦的で、それでいて人懐っこい笑みを浮かべれば、男女問わず目を奪われずにはいられない。
スレンダーな体つきでありながら、メリハリのある女性的なラインは制服越しにも隠しきれず、すらりと伸びた手足の動き一つひとつにさえ自然と目が惹かれる。
彼女──明瀬さんは俺と同じクラスに所属する一年生の生徒であり、俺たちの学年のアイドル的存在だった。
先述の容姿の端麗さに加え、勉学に秀で──噂によれば入学試験で満点に近い点数を叩き出したらしい──運動も人並み以上にこなし、それでいて人当たりがよくコミュニケーション能力に長けている。
運動部のエースや上級生の男子から何度となく告白やアプローチを受けているとか。今のところ彼女が誰かと交際を開始したという噂は聞かないので、全て玉砕しているようだが。
ギャルっぽい雰囲気ながら、生徒からは勿論教師陣からの信頼も厚く、うちのクラスでは学級委員長を務めている。
クラスの中心的人物として確固たる地位を築き上げた彼女は、クラスカーストにおける不動の最上位に位置する、俺のような人間からすればまさに殿上人。伏して仰ぎ見るべき存在だ。
誰に対しても分け隔てなく接し、こんな俺にすら笑顔で挨拶をしてくれる彼女だが……何やら今は、随分と思い詰めた顔をしている。
つい先ほど、友人たちと共に教室を出て行った時はいつも通りニコニコと愛嬌を振り撒いていたように見えたが……。
今だって、確かに俺が視界に入っているはずなのに見向きもしない。
……いや、決して俺が自信過剰なわけではなく、普段なら偶然廊下で通りかかった時ですら笑顔で挨拶をしてくれるのだ。その度に無愛想に会釈することしかできない自分のコミュ力にうんざりしていたのだが……。
そんな風に自分に言い訳している間にも、明瀬さんは何かに急き立てられているような忙しない足取りで階下へと消えていった。
「……」
その後ろ姿を見送って、俺はその場に立ち尽くしてしまう。
……今の明瀬さんが浮かべる表情に見覚えがあった気がした。
あれはいつのことだ、思い浮かべているのは誰の顔だ。──中三の夏、出会ったばかりの頃の義妹の顔だ。
どうしようもない問題を抱えて、誰かに相談することもできずに抱え込んでしまっている人間の、追い詰められた顔。
「……くそっ」
毒づいて、明瀬さんの後を追うように階段を二段飛ばしで駆け降りる。
俺と明瀬さんは赤の他人だ。友達どころか知人と呼べるかすら疑わしい、ただのクラスメイト。
全部俺の思い込みで、ただの杞憂なのかもしれない。
当然彼女の抱える事情なんて知る由もない。知ったところで、他人でしかない俺に何かができるわけでもないし、むしろ迷惑になってしまうかもしれない。
そんなことを考えている間にも、体は勝手に動いていた。
一階の昇降口の近くまで来たものの、明瀬さんの姿は見えない。
靴箱を確認してみるか……いや流石にそれは気持ち悪いか……と葛藤している俺の耳に、金切り声に近い女子の声が届いた。
『──……って言ってんだろ!!』
「……あっちか」
その声はとても微かなものだったが、運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏の音すら聞こえない、ほとんど無人の校舎ではよく響く。
声の発生源は校舎裏、奇しくも俺が今から向かおうとしていたところだ。
校舎の非常口と何かの倉庫、校外と隔てるフェンスに囲まれたその場所は、普段全くと言っていいほど人気がなく、構造的に他者の目が届きにくい場所だ。
そんな場所から聞こえてくる怒声と、思い詰めた表情の明瀬さん……いやな想像ばかりが働いてしまう。
慌てて靴を履き替え、校舎裏へと急ぐ。
「……あんま調子乗んなって言ってんの、わかる? 優等生気取って周りの男子に媚び売ってさぁ?」
「そんなことしてないよ。私は別に……」
「ふぅん……ま、いいけどさ。でも――噂って、すぐ広がるもんだしね。あたしたち、ちょっと気になる話を聞いちゃってさ」
「気になる話、って……?」
校舎裏に辿り着くと、そこでは倉庫を背にした明瀬さんと、それを取り囲むようにして詰め寄る三人の女子生徒の姿があった。
その女子生徒たちの姿には見覚えがある。同じクラスの陽キャ女子で、典型的な高慢ギャルといった風情の集団だ。確かリーダーが真壁さんで、その取り巻きの森田さんと伊藤さんだったはず。
彼女たちもカースト上位のグループではあるが、やはり明瀬さんには及ばない。
男子人気の高い明瀬さんの存在が気に入らないようで、明瀬さんに皮肉のような物言いをしては軽く受け流される、という光景を何度か目にしていた。
……見たところ、まだ暴力を振るわれたりしているような様子は見られない。
囲まれている明瀬さんは気丈に振舞ってはいるが、やはりその表情は強張っている。恐怖や怯えが見えるが……どうにも、この状況に対する危機感とは違う気がする。
介入すべきか悩んでいると、取り巻きの森田さんがスマホを取り出して、明瀬さんに見せつける。
すると……明瀬さんの様子が一気に豹変した。
表情がさっと青褪め、そのスマホの画面を穴が開くほどに凝視している。その唇は何かを紡ごうとするも言葉にならず、体が小さく震え始めていた。
その尋常ではない様子に驚いていた俺は、続く真壁さんの言葉を聞いて、さらなる衝撃に見舞われることになった。
「森田の彼氏が牧中出身でさ。その彼氏から聞いたんだけど、あんたさぁ……中学の頃、いじめられて不登校だったんだって?」
「……っ!!」
「これ、中学ん時の写真だけど……今と全然違うじゃん、高校デビューってやつ? ……ひっどい顔! そんな怯えなくてもいいじゃん。ただ……ね? ちょっとあたしらのお願い聞いてくれれば──……」
「おい、そこで何してんだ」
「っ!?」
……気が付いたら、俺の足は勝手に前へ踏み出していた。
さっきから自分の体が言うことを聞かない、ポルターガイストか? なんて軽口を心中で叩けるぐらいには、頭の中は冷静で。
けれど内心では、一周回って冷静になってしまうぐらいに怒りを覚えている自分がいた。
「誰よあんた……」
「あいつ、確か同じクラスの……」
無言のままスタスタと歩み寄っていくと、真壁……たちが一歩後退る。
こういう時は、自分の体格と鋭い目つきに感謝する。きっと今の俺はさぞ怖い顔をしていることだろう。
取り巻きの伊藤に教えられて、カースト底辺の俺如きに気圧されたことを自覚した真壁は、怒りの形相で口を開いたが……俺の手の中にあるスマホを見て、悔しげに口を噤んだ。
別に録音とかしてたわけでもなかったんだが、どうやら勝手に誤解してくれたようだ。
「……ちっ。行くよ」
「う、うん……」
三人がかりでも俺の体格ではどうしようもないと判断したのか、真壁たちは退却を選んだらしい。
肩を怒らせて歩く真壁が、すれ違いざまに凄まじい形相で睨みつけてきたので、こちらも負けじと睨み返すと、すぐに怯えたように視線を逸らされた。
少しだけ、腹の底の怒りが収まった気がした。
「……さて、と」
「…………」
真壁たちが立ち去って……その場には、俺と彼女だけが残された。
どう話しかけたものか、と内心困り果てていると、ガシャン! と大きな金属音が響いた。
慌てて振り返れば、明瀬さんが倉庫の扉に寄りかかっていた。黒のニーソックスに包まれた足が震え、ずるずると膝を抱えて座り込んでしまう。
「あー……」
「…………」
一人にしてあげた方がいいのだろうか。……いや、こんな状態の女子を人気のない場所に置いていくのはよくないだろう。
膝に顔を埋めるようにして、小刻みに震える彼女の肩を見て……こみあげてきた溜め息を呑み込む。
ちらりとスマホを見る。時刻は十七時半。下校時刻までにはまだ時間はある。
俺はできるだけ音を立てないように動いて、彼女から二人分ほど間を開けた位置に座り込んだ。
腰を下ろすときにポケットから感じた感触に、先生からもらった缶コーヒーの存在を思い出した。
少しぬるくなってしまっている。明瀬さんに差し入れるべきかとも一瞬思ったが、見知らぬ男子から飲み物をもらっても怖いだけだろう。
タブを開け、一気に呷る。何度か飲んだことのある銘柄だったが……何だか、前よりも苦い味のように思えた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
1章完結までは毎日登校していきたいと思います。