第5話 アイテムボックス
「最近、頑張ってるって聞くよ。今度一緒に潜らない?」
昼休み、屋上へ向かう途中の階段踊り場で、その声はかけられた。
振り返ると、笑顔の如月さんがいた。
「え?」
「この前、神城くんが1人でダンジョンに通ってるって、ギルドの人が話してて」
「ああ……うん。ちょっとでも慣れようと思って」
「じゃあ、ちょうどいいね。私も白雪さんも、次の予定なかったし。久しぶりに、3人で行こっか?」
彼女のその一言で、自然と緊張がほぐれた。
まさか、向こうから誘ってもらえるとは思わなかったからだ。
「ありがとう。……俺で良ければ、ぜひ」
「よかった。じゃあ、今日の放課後。例のFランクの訓練ダンジョン、空いてるはずだよ」
そう言って、如月さんは軽く手を振って階段を上っていった。
その背中を見送った直後、後ろから白雪さんが静かに現れて、小さく会釈する。
「よろしくね、神城くん。前より、落ち着いて戦えるようになってきてるみたいだし」
「ありがとう。たぶん、少しは慣れてきたと思う」
正直、嬉しかった。
1人で潜っていた間――確かに、自分の中でいろいろ変わっていた。
***
放課後。指定された《東環状緑地帯D-1区画》の入口に集合した俺たちは、いつものように装備の確認を終え、ダンジョンへと足を踏み入れた。
前より足取りは軽い。
天井の低い通路にも、うっすらとした魔力の気配にも、もう怯えはない。
「……じゃあ、気をつけて行こっか」
「うん。何かあったら、すぐ言ってね」
白雪さんと如月さんが左右に立ち、自然な隊列で進み始める。
あの2人と並んで歩いている自分に、以前ほどの場違い感はなかった。
1人で何度も通ったおかげで、マップも頭に入っている。
敵の出現ポイントや、注意すべき段差、滑りやすい床の場所もわかっている。
でも――
「……やっぱり、火力不足なんだよな」
呟きは、誰にも聞かれないように小さく。
スキル《空間魔法》はいまだ明確な使い道を見せていない。
回避や感覚の強化に役立っている気はするが、それだけでは戦局を変える力にはならない。
それでも、こうしてまた2人と一緒に探索に臨めるのは、今の自分にとっては何よりの喜びだった。
なにか、役に立てる“きっかけ”が得られたら――
そんな淡い期待を抱きながら、俺たちはダンジョンの奥へと進んでいった。
***
ダンジョン内部は静かだった。
周囲の魔力濃度は高すぎず、モンスターの出現数も控えめ。
Fランク帯としては安全な部類のエリア。それでも、前回初めて潜ったときと比べれば、自分の動きにも余裕が出ているのがわかった。
「前より動きが軽いね」
如月さんが、横で笑う。
「周囲を見る余裕が出てきてる。動きも読めてるし」
白雪さんも、淡々とだが評価してくれる。
「……ありがとう。1人で何度か潜ってたから」
実際、スライム程度の敵であれば、空間の“たわみ”で軌道を読んで避け、剣で反撃するという基本はできるようになってきている。
ただし、それだけだった。
攻撃スキルはない。魔法を放つ手段もない。
だから戦闘が長引けば長引くほど、如月さんや白雪さんに負担がかかってしまう。
「中規模サイズの反応、一体。奥にいるかも」
白雪さんのスレートが警告を示した。
通路の先、開けた円形空間に入ると、ぬるりと現れたのは《大型スライム》。
通常の3倍はある。動きこそ遅いが、跳躍による衝撃と体当たりは新人には脅威となる。
「正面止めるね!」
白雪さんがすぐに氷魔法で足を凍らせる。
「攻撃、入れるよ!」
如月さんが《光の加護》を自分と白雪さんにかけてから、魔力を集中させて“魔法光矢”を連続で放つ。
玲は攻撃には加わらず、2人の周囲に敵が飛び散った粘液が来ないよう、落下物の処理と視界確保に徹した。
3人の連携は、流れるようだった。
1人での探索では得られない安定感と安心感が、そこにはあった。
そして――
スライムが砕けたあと、淡い光が散って、アイテムが出現した。
「ドロップ……結構あるね」
如月さんが、少し驚いたように言う。
床に転がるのは、魔力核、弾力体組織、回復薬の素材など。
ダンジョン序盤にしては多めの成果だった。
「回収……っと、あれ?」
玲はしゃがみ込んで素材を拾いながら、自分のバッグの口を見て、小さく唸った。
「……もう、いっぱいかも」
白雪さんが顔を上げる。
「バッグ、限界?」
「うん、これ以上は詰めると壊れるかも」
「じゃあ私たちが……」
その瞬間だった。
玲の右手が、アイテムを持った状態でふと浮いた。
次の瞬間――空間が、柔らかく“ゆがんだ”。
そして、アイテムが――“吸い込まれた”。
「え……?」
周囲の空気が一瞬だけざわめいたような感覚とともに、手にしていた素材が目の前から消える。
「今の……」
白雪さんの目がわずかに見開かれ、如月さんが思わず声を上げた。
「ねぇ、それって……」
玲は、呆然と手のひらを見つめながら、確信に近いものを口にした。
「――アイテムボックス……かもしれない」
「すごいよ、神城くん……!」
如月さんが、ぱっと目を輝かせて顔を上げた。
「それ、完全にアイテムボックスでしょ?スキル説明に載ってた?」
「いや……ステータスには“空間魔法”ってだけで、詳細は何も……でも、今の感じだと、間違いないと思う」
「魔力操作で空間を開いてる感覚、あった?」
白雪さんが冷静に尋ねてくる。
「……あった。なんていうか、空間に“袋”みたいな部分があるのを感じて……そこに意識を向けたら、自然と吸い込まれた」
2人は顔を見合わせ、こくりと頷いた。
「やっぱりだ。アイテムボックスって、補助系の中では最上級クラスだよ」
「冒険者でも使える人はすごく限られてる。あれがあるだけで、運搬・収集・補給が全然違ってくるから」
そう言われても、まだ実感が追いつかない。
けれど――たしかに、あの“吸い込まれる”感覚には、確かな手応えがあった。
「それ、空間魔法の派生なんだよね。今はアイテムの出し入れだけかもしれないけど……応用ができれば、戦闘でも使えるかも」
如月さんが嬉しそうに言った。
「出し入れ……そうだ、取り出すのは……」
玲は静かに右手を前に出す。
意識を“内側”に向けて、先ほど収納した感覚を思い出す。
空間がかすかに歪み、掌の上に、光を放つ素材――魔力核が現れた。
如月さんが声を上げた。
「出た!やっぱり!」
「おめでとう、神城くん。これでようやく、“空間魔法が発動した”って言えるわね」
白雪さんの言葉は、素直に嬉しかった。
今まで手応えだけで、明確な結果がなかった自分のスキルに、ようやく“かたち”が生まれた。
「……ありがとう、2人とも。おかげで、ちょっと報われた気がする」
探索の残りは、和やかな空気のまま終了した。
出口に向かう帰り道、如月さんが振り返りながら言った。
「じゃあ、また一緒に潜ろうね!今度は、神城くんのボックスにいっぱい詰めてもらわなきゃ」
「えっ、俺、倉庫扱い……?」
そう言いながらも、悪い気はしなかった。
たとえ“攻撃できないスキル”でも、誰かの役に立てるなら、それはきっと意味がある。
***
帰宅後、俺はすぐに部屋にこもって検証を始めた。
何がどれだけ入るか。
どれくらいの大きさ、重さまで対応するのか。
時間の流れは? 中に入れたものはどうなっているのか?
結果は――
・容量は“トラック一台分”くらい。明確な数字ではないが、感覚でそれと分かる広さ
・出し入れに魔力は必要だが、消費量はごく微小
・中の時間は“止まっている”らしい(温かい飲み物も温度が変化しない)
「……すごい、これ」
思わずつぶやいた。
これは確かに、武器にはならない。
けれど、冒険者として生きていくうえで、間違いなく“戦える力”になる。
そう、強く思った。
***
「アイテムボックス……マジで?」
翌朝、屋上の階段裏。いつもの場所で昼食をとっていた俺は、悠馬の半笑い混じりの声を聞いて、頷いた。
「うん。まだ安定はしてないけど、確かに発動した。モノが吸い込まれて、中に収納された。取り出しもできた」
「すげぇな……スキルとして“目に見える形”になったの、初めてじゃん」
「そうだな。ようやく、って感じ」
悠馬は握っていたパンの包みを開けながら、しみじみと息を吐いた。
「それ、戦闘スキルじゃないけど、冒険者的には超貴重だぞ」
「……やっぱり?」
「ああ。高ランクになって遠征とか長期探索になると、荷物の管理って超重要。補給物資、回復薬、素材類――何でも一人分で積めるのはチートに近い」
「でも、攻撃はできない」
「それはこれからだろ。空間魔法って、派生や応用が命なんだろ? 収納できたってことは、空間の“開閉”ができるわけで、今後何か使えるはず」
そう言われると、確かに希望が湧いてくる。
悠馬はパンをひと口食べてから、にやりと笑った。
「それに、如月さんと白雪さんと一緒に探索して発動したってのが、またいいよな。もしかして、そのうちスキルもう一個発現とか――」
「それは、ない」
「だよなー」
「でも、マジで良かったな、玲。お前、今までずっと何も使えなくて、焦ってただろ?」
「……ああ。正直、不安だった。何の役にも立たないんじゃないかって」
「それでも逃げなかった。だから、今があるんだろ」
悠馬の言葉は、からかいじゃなかった。
まっすぐな目で、俺の努力を見てくれていた。
「ありがとう。……これからだよ、まだ」
空を見上げる。
柔らかい春の光が、雲の切れ間から差し込んでいた。
空間魔法。
それは、何もない場所に“可能性”を生み出す力だ。
俺の中のその小さな箱には、これからきっと、たくさんの未来が詰め込まれていく。