第4話 初めてのソロ探索
月曜の朝。教室の扉を開けた瞬間、空気の違和感に気づいた。
ざわ……ざわ……
誰も声には出していない。
けれど、目が合うたびに視線を逸らされ、あるいは小さくヒソヒソと話されているのがわかる。
こういうのは、何も言われなくても伝わってくるものだ。
「如月さんと白雪さんと、一緒にダンジョン行ったらしいよ……」
「え、まじ?神城が?どっちかと付き合ってんの?」
「いやいや、それはないでしょ。たまたまでしょ、たまたま……」
内容は察しがついた。
先週末、如月さんと白雪さんと一緒にFランクダンジョンを探索した。
誰かに見られていたのだろう。もしかするとギルド経由かもしれない。
2人ともすでに登校しており、いつも通り席に座っていた。
如月さんは、俺を見つけると明るく手を振った。
「おはよう、神城くん!」
「……おはよう」
気さくなその一言で、周囲の数人がまた何かを囁き合う。
白雪さんも、静かにこちらを見て、軽く会釈してくれた。
視線は柔らかく、敵意も緊張もない。
ただ、その“自然さ”こそが、周囲にとっては刺激になるらしい。
席に着くとすぐ、木下悠馬が振り向いてきた。
ニヤニヤしている。
「……お前、やったな」
「何が」
「如月さんと白雪さんと、3人でダンジョンって……そりゃ噂にもなるわ。誰だよ、“神城ってモブ枠じゃなかったの?”って言ったやつ」
「言ったのお前だろ」
「まあまあ、それはさておき」
悠馬は腕を組んで、真面目な顔になる。
「次、いつ潜るつもりだ?」
「……まだ決めてない。さすがに毎週お願いするのもアレだし、自分の足でもう少し何かできないかなって」
「おー、いいじゃん。その調子。ところでさ」
「ん?」
「空間魔法、何ができるか、もうちょっと試してみたほうがいいぞ?今のままだと“持ってるだけ”だからな」
図星だった。
あの探索でも、自分だけ何もできなかったという感覚が強く残っていた。
「……そうだな。ありがとう」
俺は軽く返しながら、バッグの中の冒険者証に目を落とした。
そのカードの裏面には、先日潜った“東環状緑地帯D-1区画”の記録が印字されていた。
何かを変えたければ、まずは自分が動かないといけない。
その日の放課後、俺は1人で、再びダンジョンへ向かうことを決めていた。
***
放課後、俺は冒険者組合の支部を訪れた。
目的は、先日の探索記録を正式に提出するため。
ギルド内の訓練ダンジョンでは、登録者のスレートが自動的に行動ログを記録しており、終了後にカウンターへ提出すれば、個人の成績に反映される。
受付にいた女性職員が俺の冒険者証を読み取り、画面を確認して少し驚いたように目を見開いた。
「……同行者に如月穂花さんと白雪綾さん……?」
「え、ああ……はい」
「おふたりとご一緒に探索されたんですね。すごいですね、あの方たちと。記録は自動同期になってますので、今回の同行履歴も他の方のデータとリンクされます」
「他の……って、どういうことですか?」
「簡単に言うと、同行した人のステータス画面に“誰と何日に潜ったか”が残るんですよ。ギルドからの評価や依頼選考にも影響しますから」
俺は、思わず息を呑んだ。
「そんな機能……あったんですね」
「はい、以前までは申告制だったんですけど、今は透明性を高めるために全自動になっていて――」
話の途中で、周囲の視線を感じる。
ロビーにいた数人の若手冒険者が、こちらをちらちらと見ていた。
「空間魔法の新人」「如月と白雪と組んだやつ」――そんな視線だった。
「……ありがとうございました。手続き、大丈夫ですか?」
「はい、完了です。今後も頑張ってくださいね」
軽く頭を下げてカウンターを離れたあと、受付裏で聞こえた男性職員の低い声が耳に残った。
「空間魔法か。初期に引いて調子乗るやつは多いけど、伸び悩むのも早いんだよな、あれ」
「でも、同行者が如月さんと白雪さんなら、本気で見込みあるんじゃない?」
「……だったらいいけどな」
まる聞こえなんですけど。
無理に表情を保ったまま、ギルドの建物を出る。
心の中に、妙な重さが残っていた。
――このままじゃ、まずい。
ただ名前が出て、目立つだけの存在になってしまう。
スキルを持っているだけの“無力な新人”で終わる。
「……行くか」
自分でも驚くほど自然な決断だった。
ギルドを出た足で、そのままD-1区画の初心者ダンジョンへ向かう。
今度は、1人で。
***
ダンジョンの入り口に足を踏み入れた瞬間、肺に入ってきた空気が明らかに違った。
ひんやりとした湿気、静寂の奥にわずかに響く水音――誰もいないダンジョンの中に、俺は一人で立っていた。
「深呼吸。……行ける」
自分に言い聞かせて進む。
周囲を警戒しながら、最初の曲がり角を曲がったところで、
ヌルリとした音とともに、スライムが姿を現した。
距離は約5メートル。
俺は剣を引き抜いた。支給品の簡易ソード。
重量は軽く、刃も研がれてはいるが、攻撃スキルがない今の俺にとっては、これが唯一の武器だった。
スライムが跳ねるように距離を詰めてくる。
その動きが、妙に遅くもあり、速くも感じる。
どこで止まるのか、どこで跳ねるのか――わからない。
だが、その“跳ね”の寸前。空気が――揺れた。
(……今、読めた)
踏み込みの“気配”が、ほんの一瞬だが見えた。
俺は剣を構え、スライムの軌道を外すようにステップで逸れる。
そして、追撃。
力任せに振り下ろした斬撃が、中心部を断ち割った。
「……っし」
蒸気のような魔力が立ち上り、スライムが崩れ落ちる。
そこから先も、同じような戦いが続いた。
スライム2体目、3体目。
どれもギリギリの戦いだったが、空間の“たわみ”を読むことで、なんとか動きを先読みして捌けた。
ただ――それだけだった。
攻撃スキルがない。
剣の技術も、基礎しかない。
スライムだからこそ通じたが、これ以上の相手となれば話は別だ。
通路の先に、異質な気配が広がった。
スライムとは違う、重く、ぬるりとした“魔力の濃さ”。
(……まずいな)
無理をすればいけなくはなさそうだった。
でも、次の一歩を踏み込むだけの自信はなかった。
「……撤退、だな」
誰に言うでもなく呟いて、来た道を戻る。
今の俺にできるのは、ここまでだ。
出口の光が見えたとき、少しだけ息をついた。
が――その瞬間。
「へぇ。君、一人?」
その声に振り向くと、ダンジョン出入口のベンチに、制服姿の男子が座っていた。
どこか人懐っこい目元と、やや乱れた髪。
年は同じくらいか、少し上か。
「……あなたは?」
「羽鳥。羽鳥蓮。Cランク冒険者。一応、先輩になるのかな」
彼は立ち上がり、こちらに歩み寄ってきた。
「神城玲、だよな?空間魔法ってどんなもんなのか、ちょっと見せてくれない?」
「……今は、まだあまりうまく使えないんだけど」
「それでもいい。模擬戦、付き合ってくれよ」
軽く笑うその顔に、敵意はなかった。
けれど、試されている――そんな空気を、確かに感じ取っていた。
***
ダンジョンの裏手にある訓練エリアは、簡易な舗装と障害物が配置された実戦形式の模擬戦スペースだった。
羽鳥は片手に細身の剣を構え、もう一方の手を軽く拳に握る。
拳にほのかに魔力が集まり、空気が歪む。
「スキル名は《衝圧拳》。中距離まで対応できる打撃系。避けられるもんなら、避けてみ?」
構えながらも、内心は張り詰めていた。
相手は格上。スキル発動も自在。
俺には攻撃スキルも剣技もない。ただ、“空間の歪み”を読むことしかできない。
「じゃ、行くよ」
羽鳥が地を蹴った。
一歩目。
二歩目。
その踏み込みの直前、空気が一瞬たわむ。
「――っ!」
反射的に身体を右へとずらす。
直後、羽鳥の拳から放たれた衝撃波が、風を切って俺の肩先をかすめた。
「避けた、か」
羽鳥が目を細める。
次の瞬間、斜め下からの踏み込み。俺はそれをまた先読みして後退。
さらに側面から飛んでくる斬撃を、身をひねって避ける。
完全に翻弄されてはいない――
でも、反撃できない。
「なるほど。動きは悪くない」
羽鳥はさらに前へ出る。
足運びと魔力の動きを一致させながら、踏み込みとともにもう一撃。
(見えた――!)
たわんだ空間の予兆に合わせて、俺はすれすれで身を滑らせる。
だが、そのまま手が届く距離に入っても、俺には撃ち返す手段がなかった。
「……ふぅ。これ以上はやめとこか」
羽鳥がふっと剣を下げた。
「今のままじゃ決着つかないし、お互い消耗するだけだ」
「……うん、俺もそう思う」
呼吸を整えながら頷く。
手応えは――あった。
勝ってはいない。でも、逃げずに踏みとどまれたことが、何より嬉しかった。
「お前、距離感に妙に敏感だな。こっちが踏み込む前の“空気”を読んでるって感じだった」
羽鳥が満足そうに言う。
「……たぶん、それが空間魔法の“片鱗”なんだと思う」
「だったらさ――」
羽鳥は剣を鞘に戻し、にやりと笑った。
「もっと磨けよ。それ、きっとすげぇ武器になる」
「……ありがとう」
その言葉が、思っていた以上に嬉しかった。
帰り際、ステータス画面を開いてみた。
顕在スキル:空間魔法
潜在スキル数:4
表示は何も変わっていなかった。
でも、確かに自分の中で“何か”が形になりつつあると感じていた。
――俺にも、戦える理由がある。
そう思えた帰り道の空は、どこまでも高かった。