第3話 美女二人とのダンジョン
「え、ダンジョン? 一緒に?」
昼休み、教室の窓際で弁当を食べながら、俺は思い切って2人に声をかけてみた。
相手は――如月穂花さんと白雪綾さん。
言わずと知れた、我がクラスの二大ヒロイン。
普通なら、わざわざ話しかけるのもためらうような相手だ。
でも、俺の中で何かが変わった気がしていた。
スキルが顕在化して、冒険者として一歩踏み出した今、
せめてその“はじめの一歩”くらいは、自分で選びたいと思った。
「特に予定はないから、いいよ!」
如月さんは、ほんの少し驚いた顔を見せたあと、いつもの笑顔でそう答えてくれた。
「神城くんは、初めてのダンジョンなんだっけ?私も行くよ」
白雪さんも、静かに、でも柔らかい声でそう言ってくれた。
あまりにあっさり快諾されて、逆に戸惑う。
「……あ、ありがとう。ほんとにいいの?」
「もちろん。せっかくスキル持ちなんだし、使わなきゃもったいないよ」
「無理のない範囲なら、全然。こっちもそんなに潜れてるわけじゃないし」
2人は落ち着いた口調でそう返してくれる。
よく考えてみれば、彼女たちはたしかにスキル持ちだけど、日常的に冒険者として活動してるわけではない。
話を聞く限り、まだ数回潜った程度の“登録済み初心者”という立場らしい。
でも、そんな2人と一緒に潜れるだけで、俺にとっては十分すぎるくらいだ。
***
放課後。
3人で待ち合わせをして、Fランク指定の初心者用ダンジョンへ向かう。
今日選んだのは、組合が安全帯として開放している《東環状緑地帯D-1区画》。
市の外れにある地下型で、地形が比較的単純な訓練向けルートだ。
俺は昨夜、寝る前にネットで情報を集め、地図をスマホにメモしておいた。
内部構造、出現傾向、魔力濃度の分布……できることは全部やった。
受付で冒険者証を提示し、確認を終えたあと、俺たちはダンジョンの入り口へと向かう。
無意識のうちに手のひらに汗が滲んでいた。
でも、それを見透かしたように、如月さんがにっこり笑って言った。
「緊張してる? 最初はみんなそうだよ。私も、初めてのときすごく怖かったもん」
「うん。でも、ちゃんと装備してるし、調べてきてるんだね。偉いと思う」
白雪さんもそう言って、俺の持っていた地図メモをちらりと覗いた。
それだけで、少しだけ気持ちが和らいだ気がした。
「じゃあ、行こっか」
如月さんの声で、俺たちはゆっくりと、ダンジョンの入口に足を踏み入れた。
ダンジョンに入って数分。
気温は地上よりも数度低く、ひんやりとした空気が身体を包む。
薄暗い通路の壁には、かすかに魔力に反応する苔のような発光体が点在していて、あたりに淡い緑色の光を放っていた。
「さすが、訓練ルートって感じだね。敵の気配、全然ない」
如月さんが前を歩きながら、リラックスした声でそう言う。
「でも、あの先の部屋には魔力反応があったはず。たしか、スライムが1体出るって記録されてた」
白雪さんが、俺の地図メモを見ながら指を指す。
そう、このルートには戦闘訓練用に設計されたモンスターが数体だけ配置されている。
「……うん、たぶんこの先だと思う」
俺が頷いたその直後、
ぐにゃ、とした気配が通路の先に広がった。
「来たね。じゃ、私が出るよ」
白雪さんが一歩前に出る。手をすっと前にかざすと、その掌に薄い冷気が集まり始めた。
「《フリーズ・スパイク》」
その声と同時に、先の通路に氷の針が走り、現れかけていたスライムを瞬時に凍結させた。
硬直したままスライムは床に転がり、氷が弾けるような音と共に砕け散る。
「……すごい」
思わず漏れた言葉は、本音だった。
「まあ、これくらいは慣れてるしね」
白雪さんが照れくさそうに微笑む。
「白雪さんの氷魔法、制御がすごくきれいだよね~。私、ああいう正確な制御は無理だなぁ」
如月さんが笑いながら、ふわりと手をかざす。彼女の掌に光が集まり、淡いバフが白雪さんの身体を包む。
《光の加護》――攻撃力と精神集中を高める支援魔法。補助としては極めて優秀だ。
「如月さんも、支援魔法があると安心感が違うよ……俺は何もできないけど」
「ううん、さっきの地図、すごく役立ってるよ。知らないままだったら、もっと不安だったかも」
如月さんがふっと笑う。あたたかくて、自然な笑顔だった。
「そうだね。初めての人で、ここまで準備してきた人、私は初めて見たかも」
白雪さんの言葉にも、変な気取りはなかった。ただ純粋に、驚いているような声だった。
通路を進みながら、少しだけ話す余裕も出てくる。
「そういえば、2人って……なんで冒険者登録しようと思ったの?」
俺の問いに、しばらくの間があった。
「私は……人の役に立てたらって思って。もともと支援系のスキルがあったし、誰かを助ける力になるなら、って」
如月さんは、少し恥ずかしそうに目をそらしながら言った。
「……私は、父がダンジョン対策官で、小さい頃から訓練とかを見てたの。自分も何かできたらって、そんな気持ち」
白雪さんの声は静かだけど、芯があった。
「でも、実際にはそんなに頻繁に潜ってるわけじゃないよ。やっぱり、危険もあるし」
「うん。一緒に行ける人もなかなかいなかったしね」
2人がそう言って目を合わせる。
――だから、今日こうして一緒に潜ってくれているのかもしれない。
俺は、少しだけ、背筋が伸びる気がした。
通路の奥、やや広めの空間に出た瞬間、空気が変わった。
「……次の部屋、反応あるよ」
白雪さんが警戒した声で告げる。
マップでは、この先に“Fランク個体における小型ボス”とされるモンスターが配置されている。
危険度は低いが、初心者にはやや手強い相手とされる相手――
それが、現れた。
金属のような外殻を持つ、節の多い虫型モンスター。
全長は1メートルほどの《オオムカデ型魔獣》。
蛇行しながら床を這い、音もなく迫ってくるその姿は、視覚的な威圧感が強い。
「動きが早い……」
俺が思わず一歩下がる。
「大丈夫、まず止める」
白雪さんがすぐに詠唱に入る。
「《フロスト・ネット》」
薄い霜が地面を這い、オオムカデの脚に絡みつく。
動きが鈍ったのを見計らって、如月さんが魔力の光を放つ。
「《光の加護》」
白雪さんの魔力が一瞬高まり、追撃の《フリーズ・スパイク》が正確に胴体へ命中。
砕けた甲殻の隙間から、魔力の煙が立ち昇り――オオムカデは、動かなくなった。
「……終わった?」
「うん、無事撃破」
如月さんが笑いながら親指を立てた。
「ありがとう、2人とも。すごいな……俺、何もできなかった」
「最初はそれでいいって。立ってるだけでも十分だよ」
「見て覚えるのも大事だしね」
白雪さんと如月さんが、揃ってそんな言葉をくれる。少しだけ胸が熱くなる。
そのとき、足元に淡い光が灯った。
「あ、素材ドロップだ」
オオムカデの残骸の脇に、光る結晶と銀色の鱗片が出現していた。
訓練ダンジョンとはいえ、確率で報酬アイテムが落ちるようになっているらしい。
「これ、回収して帰ろう。ギルドで換金できるかも」
如月さんが手早くポーチに詰めていく。俺もいくつか拾い上げるが――途中で、気づいた。
「……あ、もう入らないかも」
初期装備のバッグは小さく、拾った素材で既に容量はいっぱいだった。
「んー、どうしよ……」
そのときだった。
俺の手元、具体的には右手の掌の先。
空間が、ふっと“揺れた”。
「……?」
指先に、何かが引っかかるような違和感。
空気の層が一瞬だけ“たわんだ”ような、そんな感覚。
もう一度、素材に手を伸ばす。
今度は――素材が、その“ゆらぎ”の中へ吸い込まれそうになる。
「……今、なにか……」
空間魔法。
いや、もっと正確には――“収納”のような作用。
「……気のせい、じゃないな」
確信はない。でも、たしかに反応した。
それが何なのかは、まだわからない。
だけど――“空間”は、俺の中で確かに動き始めていた。
***
ダンジョンの出口をくぐると、外はもう薄暗くなりかけていた。
夕焼けが地平線に滲み、冷たい空気が肌を撫でる。
入口近くのベンチに腰を下ろし、3人で水分補給をしていると、自然と会話がほどけていく。
「おつかれさま~。神城くん、どうだった?初ダンジョン」
如月さんが笑顔で水のボトルを振ってみせた。
「うん……すごく、刺激的だった。何もできなかったけど、勉強にはなったよ。2人がすごすぎて、ちょっと圧倒された」
「ふふ。でも、立って冷静に状況を見てたじゃん。それって意外と難しいんだよ?」
「そうそう。最初って緊張しすぎて、パニックになる人も多いし」
如月さんと白雪さんが、穏やかにフォローしてくれる。
2人とも、戦闘のときはとても頼もしかったけれど、こうして話していると、どこか親しみやすくて柔らかい。
“ただの高嶺の花”だと思っていたのは、きっと俺の勝手な思い込みだったんだ。
「ねえ、ところでさ。さっき、アイテム拾ったとき……」
俺が手を開きかけたところで、ふと口をつぐんだ。
“空間がたわんだ”あの感覚。
あれをどう伝えればいいのか、まだ自分の中でも整理がついていなかった。
「……いや、何でもない。ちょっと変な気配を感じただけ」
「へえ? もしかして、空間魔法が反応したとか?」
如月さんが軽く冗談めかして笑う。
俺は曖昧に苦笑してごまかした。
たぶん、今はまだ言うべきタイミングじゃない。
でも――あの手応えは、間違いなく“始まりの合図”だった。
「それにしても、神城くんって、思ってたより真面目で丁寧な人だったんだね」
如月さんが、不意にそんなことを言った。
「え?」
「地図とか、ちゃんと調べてたでしょ?ああいうの、すごく助かるよ」
「……あ、ありがとう。そう言ってもらえると、ちょっと救われる」
「うん。次にまた何か手伝ってほしいことがあったら、言ってね」
如月さんのその一言に、白雪さんも静かにうなずいた。
「今日、楽しかった。ありがとう、神城くん」
「……こちらこそ。ほんとに、ありがとう」
2人の笑顔を見ながら、俺は心の奥でひとつの実感を噛みしめていた。
――ああ、自分は今、ちょっとだけ“輪の中”に入れたんだなって。
まだ何者でもない俺だけど、
きっとこれから、少しずつ何かを掴んでいける。
そんな気がしていた。