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第10話 惚れさせ屋③

「……また、考えてた」


白雪綾は、自分の胸の内にそっと問いかけた。


週明け月曜の朝。通学路の途中、交差点で信号待ちをしているときだった。

青になった横断歩道を渡りながら、ふと気づけば、また“あの人”の顔が浮かんでいた。


朝倉律――あの爽やかな笑顔。万年筆を手渡された時のさりげない気遣い。

階段で支えられたときの、あの距離感。


(……名前もよく知らないのに)


自分でも理解できない。この感情は“恋”なのか、“好意”なのか、それともただの錯覚なのか。

わからない。けれど確かに、ふと思い出す瞬間が、増えていた。


* * *


昼休み。教室ではクラスメイトたちがざわざわと騒いでいた。


「神城くん、この前探索行ったダンジョン、アイテムドロップすごかったらしいよ!」


「白雪さんと如月さんも一緒だったんでしょ?なんか最近セットだよね〜」


そんな言葉が遠くで聞こえる。綾は自分の席で昼食を取りながら、軽くため息をついていた。


(別に……そういうつもりじゃ)


けれど、たしかに最近は、玲や穂花と一緒に過ごす時間が増えた。ダンジョンでの探索、ギルドでの情報収集――

自然と“チーム”になりつつある感覚があった。


そんな中、廊下側の窓辺にいた玲がふとギルドの資料を閉じて立ち上がった。


「じゃ、先に戻る」


穂花と軽く言葉を交わし、教室を出て行く玲。


***


その日の放課後。綾は教室を出て、昇降口の下で穂花と偶然合流した。


「白雪さん、帰るの? よかったら、途中まで一緒にどう?」


「うん……いいよ」


まだ空気の冷たい夕暮れ時。2人は並んで駅までの坂道を歩く。


その道すがら、穂花は何かを感じ取ったように、やわらかい声で尋ねた。


「……最近、元気ない?」


「えっ?」


「なんとなくだけど、ちょっとだけ。白雪さん、いつもより考え事してる感じがするから」


綾は少しだけ迷った末、視線を前に戻して小さく笑った。


「……恋って、どう始まるんだろうね」


その言葉に、穂花の足が一瞬だけ止まりかけた。


「……え?」


綾は、まるで自分に言い聞かせるように、ぽつりとつぶやいた。


「なんでか分からないけど……つい考えちゃう相手って、いるよね。

 特に何かされたわけじゃないのに、なんとなく、ふとしたときに思い出すの。おかしいよね」


穂花は笑わなかった。ただ、まっすぐに綾を見た。


「それって……白雪さんが、誰かのこと“ちゃんと”考えてるってことだよ」


「…………」


綾は答えなかった。ただ、自分の中の感情が、確かに何かを求めて動き始めているのを感じていた。


「白雪さん、どこか寄ってく?」


穂花が何気なくそう言ったのは、駅前のロータリーに差しかかったときだった。


「甘いものでも食べて、ちょっと話さない?疲れてるときは糖分補給って言うし」


「……うん」


2人は歩道橋を渡って、小さなカフェに入った。駅近くの落ち着いた店。放課後の時間帯にしては空いていて、隅の窓際席がぽっかり空いていた。


オーダーを済ませてからしばらく、テーブルには温かいカフェオレとスフレパンケーキの香りだけが満ちていた。


「……白雪さん」


穂花が、静かに口を開く。


「さっき、“つい考えちゃう相手”って言ってたけど……それ、神城くん?」


綾は目を伏せ、小さく首を横に振った。


「ううん。……違う」


「そっか。じゃあ、最近知り合った人?」


「……そうかも。たまたま何度か会って……親切にしてもらって……」


曖昧な返答。それでも、穂花は真剣な表情を崩さずにうなずいた。


「誰かのことを“気にする”って、たぶん、理由なんてないのかもしれない。

 でも、白雪さんがそれを“おかしい”って言ったのは……自分の気持ちにまだ納得できてないからだよね?」


「……うん。私は、恋愛とか、していいのかなって。考えちゃって」


綾は、自分の手の中にあるフォークを見つめながらぽつぽつと語った。


「告白したら……相手はスキルを得るかもしれない。

 でも、反対に私はスキル枠を1つ失う……私が恋をすること自体が、自分を不幸にするかもしれないって……そう思ってる」


穂花は一瞬目を見開き、そしてゆっくりと首を振った。


「それって……ちょっと、自分を縛りすぎてない?」


「でも――」


「でも、誰かに“告白される”ってことは、その人にとって白雪さんの存在が価値になるってこと。

 もし白雪さんが誰かを好きになっても、それって“誰かの力になれる存在”になったってことだよ?」


綾は顔を上げた。


「……そういう風に、考えたことなかった」


「うん。私もね、最初は“誰かに好かれる”のが怖かった。

 でも、それってすごく誇らしいことだなって、最近は思えるようになった」


綾の口元が、ほんのわずかに動いた。

何かが、少しだけ緩んだような、そんな表情だった。


そのとき、綾のスマホにメッセージが届いた。


ディスプレイにはこう表示されていた。


《明後日の放課後、少しだけ時間くれるかな?話したいことがあるんだ》

──朝倉 律


穂花はそれを横目に見て、何も言わなかった。


ただ、綾の瞳の奥に、また新しい“揺らぎ”が生まれ始めているのを、確かに感じ取っていた。


綾は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。


その指先が、返事を打つべきか否かで迷っているのが、穂花には伝わってきた。


「白雪さん」


「……うん」


「もし、ほんとに行くなら――ちゃんと、自分の気持ちを守ってね」


「……ありがとう。如月さん」


微笑んだ綾の横顔は、少しだけ寂しげで、けれどどこか決意を帯びていた。


***


その夜。穂花はベッドに横になったまま、綾の言葉を何度も反芻していた。


(“ときどき思い出す”……か。

 あの白雪さんが、あんな顔をするなんて)


どこか胸の奥がざわついていた。


綾にとっては“偶然の好意”かもしれない。

でも、そこに何か“違う匂い”が混じっているような気がしてならなかった。


──それが“罠”かもしれないなんて、まだ誰も知らなかった。


***


夜の静けさが降りる中、白雪綾は机に向かっていた。


いつもなら宿題かダンジョン関連の調査資料を広げている時間。けれど今夜は何も手につかず、開いたままのノートにペン先が止まっている。


(……明後日、どうするか)


ディスプレイに表示されたままのメッセージ。

「少しだけ話がしたい」――その言葉自体に何の違和感もないはずなのに、心の奥がざわついている。


(たぶん、嬉しいって思ってる。……けど、それって本物なの?)


繰り返し浮かぶ朝倉律の顔。

最初に会った時の優しさ。落とし物を拾ってくれたときの自然さ。

何気ない会話の中に垣間見えた、穏やかで安心感のある笑顔。


(私は、誰かに好意を向けられたら、それだけで嬉しいって思ってしまうのかな)


そして――自分がその気持ちに応えようとしていること。


(もし、私が……告白したら)


その瞬間、脳裏に走る“システムの警告”。

スキルリソースの消失――一度減った枠は戻らない。

どんなに後悔しても、やり直しはきかない。


(私の枠は、あといくつ残ってるんだっけ)


誰にも言ったことはない。潜在スキル数は、最初の検査のときに本人だけに知らされる極秘情報。


綾は、指先で机の縁をそっとなぞりながら、思い出す。


──4。私は、4つ。


そのうち、もう2つは顕在化している。

《氷魔法》と《詠唱短縮》。

あと2つ。それが、レベルアップを除けば私の未来で使えるリソースの“上限”だ。


(簡単に減らしたくない。けど、もし“本当に”好きになったら……私は、告白するんだろうか)


その問いに、答えは出なかった。


窓の外で風が揺れ、カーテンが静かに膨らむ。


綾は、そっと立ち上がって窓を閉め、深く息をついた。


その夜、彼女は久しぶりに夢を見た。


曖昧な光景の中で、誰かが笑っていた。

最初は律のように思えた。でも――

最後に顔が滲んで、なぜか“玲”の後ろ姿が、ゆっくりと振り返ったところで目が覚めた。


「……なに、それ」


自分でも意味がわからなかった。


けれど、心のどこかに、“何か”が引っかかったままだった。


***


翌朝。登校の支度を整えながらも、綾の動作はどこかぎこちなく、指先が少し震えていた。


制服のリボンを締める手元が止まり、鏡に映る自分と目が合う。


(……どういう顔をして、会えばいいのかな)


もしかしたら、何気ない雑談かもしれない。

でも、綾の心は“話すこと”そのものに意味がある気がしてならなかった。


もし、律が自分に好意を向けていたら――

もし、自分がその気持ちに揺れたら――


(……私は、どうするの?)


自分の未来のスキルを削ってでも、向き合う価値がある相手なのか。

それとも、これは一時の感情にすぎないのか。


わからない。


ただ一つだけ確かだったのは――

その答えを知るには、もう“会って話す”しかなかった。


カバンを肩に掛けて玄関を出た綾の背中には、かすかに決意の色が滲んでいた。


***


その日の放課後。


神城玲はギルドのサブカウンターで依頼報告を済ませた後、隣にいた穂花と並んで歩いていた。

特別な会話があるわけではない。けれど、玲の頭にはつい先ほどの藤堂の言葉がずっと引っかかっていた。


『白雪さん、最近ちょっと雰囲気変わったわね――』


ただの雑談のような一言だったが、玲にとっては無視できない観察だった。


「……白雪さん、今日来てないの?」


「うん。なんか、予定あるって言ってた」


穂花の返答も、ごく自然なものだった。


だが玲は、ふと違和感を覚える。

白雪綾はスケジュール管理に几帳面なタイプだ。

ギルドに行かない日は、事前にきちんと伝えてくる。だが、今日は「予定がある」としか言われていない。


(言い回しが曖昧だった)


それは、彼女の性格からすればやや珍しいことだった。


「如月さん。……白雪さん、何かあった?」


何気ない声のトーン。だが、穂花は一瞬だけ歩みを止めた。


「……あった、って言うほどじゃないけど。

 もしかしたら……誰かのこと、気にしてるかもしれない」


「誰か?」


「クラス外の人。名前は――まだ聞いてないけど」


玲の目がわずかに細まる。


それは、感情というより“分析”だった。

何かが起きつつある。そう直感して、情報を整理し始める目。


穂花はそんな玲の様子を横目に見ながら、心の奥で小さな不安を膨らませていた。


* * *


ギルドからの帰り道、玲と穂花は歩道沿いの並木道を歩いていた。


「如月さん」


「うん?」


「……白雪さんは、誰かに告白したことある?」


ふいの問いに、穂花は少し驚いた表情を見せた。


「……ううん、聞いたことない。白雪さん、ああ見えてすごく慎重だから。

 それに、簡単に心を開くタイプじゃないよ。だから、誰かを“意識する”ってこと自体、すごく特別なことだと思う」


玲はうなずいた。そして、ポケットの中で手を握った。


(それだけの価値がある人間に……誰かが仕掛けてる可能性がある)


感情ではなく、思考。

玲は己の頭の中で、既に小さな警鐘が鳴り始めていることを感じていた。


一方の穂花は、綾の笑顔を思い出していた。


(私、ちゃんと守れるかな)


まだ“何か”とははっきりわからない。

けれど、あの綾の揺れる眼差しが、ただの初恋のそれではない気がしてならなかった。


「神城くん」


「なんですか」


「白雪さんが、もし困ったことに巻き込まれたら――ちゃんと助けてくれる?」


玲は、それには即答した。


「もちろん」


穂花にはその言葉の温度が伝わった気がした。


***


その頃、街の裏通り。


朝倉律は携帯をいじりながら、ほくそ笑んでいた。


《明日の放課後、大丈夫です》

白雪綾から届いたメッセージを、何度も見返しては画面を閉じる。


「これで……“次”に進める」


スマホのスケジュールアプリには、

【DAY5:感情浸透→演出準備】

と記されていた。


誰も知らない舞台の幕が、静かに上がろうとしていた。


──そして、翌日。

白雪綾は、約束の場所に向かっていた。


何が待ち受けているのかも知らずに。


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