表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/21

第8話 揺れる心、揺れる戦場

──あれは夢じゃなかった。


岩陰に身を潜め、傷の手当てを受けながら、俺は何度もそう自分に言い聞かせていた。


戦場で再会した優奈。


彼女の顔。

その瞳。

その手から放たれた精霊の矢。


全部、現実だった。


「真司、縫合は終わったわ」


リサが包帯を締めながら言う。


「幸い貫通はしていない。筋肉も深くは切れてない。数日で回復するはずよ」


「……ありがとう」


痛みはある。

けど、それよりも胸の奥がずっと痛かった。


リサは何も言わず、俺の横に座った。


「その子が、あんたの“恋人”なんだよね」


「……ああ」


「向こうは、あんたに気づいてたと思う?」


「わからない。でも……あの目を見たら、そうとしか思えなかった」


「なら……なんで撃ったのか、って思ってる?」


「……うん」


リサは少しだけ眉をひそめて、空を見上げた。


「私だったら撃つ。あんたが敵側にいたら」


「……」


「それが戦場。そこに“私情”は、普通持ち込まない。けど……あんたたちにとっては“普通”じゃないのよね」


リサの声は、静かだった。


でもその静けさが、逆に心に響いた。



◇ ◇ ◇



一方──


私は、診療所の裏にある小さな池のほとりに座っていた。


水面に映る月が揺れている。


それを見ながら、私は震える指先を胸元に添えていた。


「真司くん……だったよね」


あの顔を忘れるはずがない。


この世界に来る直前、最後に見たのは、彼の笑顔だった。


私を励ますように、優しく微笑んだ、あの表情。


それが今──敵として目の前に現れた。


あの軍服。

あの銃。


そして、私を見るあの目。


「……なんで、こんなことに」


声が震える。


マリアの言葉が、頭の中で反響していた。


「あなたはもう、“光の巫女”なの。この世界の命を守る者であり、加護の象徴。迷うことなく、導きなさい」


だけど、私は導かれてなどいなかった。


ただ、流されているだけだった。


この世界に来てから、私はずっと他人の言葉に従ってきた。


精霊に救われたからと、精霊連邦に身を預けた。

“光の巫女”に選ばれたと言われれば、断る理由もなく、その役を引き受けた。


人々の前では微笑み、傷を癒やし、祈りを捧げる。

それが自分の役割だと、誰かに言われたからそうしてきた。


でも、それは私の意思ではなかった。


マリアに言われるまま、エレナやリュカスに支えられるまま、私は“誰かの巫女”として動いてきただけだった。


戦争の真実も知らないまま、戦場に送られ、癒やし続ける日々。


心のどこかでは、「これが本当に私のやるべきことなの?」と問いかけていた。


でも、その問いに答える勇気も、自分の道を選び直す強さもなかった。


だから私は流された。


自分で歩くのをやめて、与えられた役目を演じるだけの日々。


“導く者”としてではなく、“導かれるまま”の存在だった。


そんな私が、真司くんと再会した今、何を選べるのか──。


その答えは、まだ出ていなかった。


真司くんが敵にいる。

それが、どういう意味なのか。


それが、私にどういう選択を迫るのか。


私は、何も分かっていなかった。


「……優奈様」


リュカスの声。

振り返ると、彼がそっと膝をついていた。


「体調が優れないのであれば、早めにお休みを」


「……ううん。大丈夫。ただ、ちょっと考えたいことがあって」


リュカスは何も言わず、そばに立ってくれていた。


その沈黙が、ありがたかった。



◇ ◇ ◇



次の日。


俺たちは後退命令を受け、北側の仮設陣地に移動した。


敵の動きが急に鈍くなり、帝国上層部は再編と補給のタイミングと見て、戦線の整理を始めたのだ。


けれど、俺の中では何も整理されていなかった。


混乱していた。


優奈と再会してしまったという現実。

その事実だけが、頭の中で何度もループしていた。


喜びや驚きよりも先にきたのは、困惑だった。


なぜ彼女は精霊連邦にいる?

なぜ、敵として立っていた?

なぜ、あの手から矢を放った?


問いは無数に浮かんでくるのに、答えは一つもない。


思考の中には、再会した彼女の表情が断片的に浮かんでは消えていく。

それが悲しげだったのか、迷っていたのか、冷たかったのか……俺には判断できなかった。


同時に、戦う意味がぼやけていった。


俺は誰と戦っているのか。

この戦いの先に何があるのか。

俺は何のためにこの世界で剣を取っているのか。


戦士として、この帝国に生きることを選んだはずだった。


でも、心の奥にあった“探したい”という想いが、再会した瞬間に現実に突きつけられてしまった。


探したい。会いたい。

けれど、会ったその先は?


戦わなければならない相手になってしまっていた。


そのことが、俺の中の全ての理屈を崩した。


今、自分が何を信じればいいのか分からない。


信じていた仲間たち。

信じてきた帝国。

そして、ずっと心の中で支えだった優奈の存在。


全部が、噛み合わなくなっていた。


頭では理解しようとしても、心が追いついてこない。


だから──何も、整理できていなかった。


「真司、書類書けるか?」


ソフィアが負傷報告の書類を持ってきた。


「……ああ」


手を動かしながらも、心は上の空だった。


戦う意味。

守るべきもの。


そして、再び出会った優奈が、自分をどう見ていたのか。


それを考えるたびに、手の動きが止まりそうになる。


その夜。


俺は一人、見張り塔に登った。


暗い空。

風の音。


そして遠く、精霊連邦の野営地の灯りが、ほのかに見えた。


そのどこかに、優奈がいる。


彼女も、俺のことを考えてくれているだろうか。


あの矢は、彼女の決意だったのか。

それとも、迷いだったのか。


分からない。


だけど、一つだけ確かに感じていることがあった。


あの矢は、俺を殺すつもりのものじゃなかった。


本気でそう思う。


たとえそれが、希望的観測だとしても。


──また会えるなら、次こそ、話をしよう。


たとえ剣を向けられても、俺は、目をそらさない。


そう誓いながら、俺は夜空を見上げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ