第6話 交錯する運命
夕陽が傾きかけた空を、黒煙がにじませていた。
第八防衛線の戦場は、静寂と緊迫が同居していた。
俺たち第十三機動部隊は、帝国軍の最前線で陣を張っていた。
周囲に響くのは、砲台の整備音と、兵士たちが交わす短く抑えた会話だけ。
誰もが、次の命令を待っていた。
俺は照準装置の手入れを終えた銃を膝の上に置き、深く息を吐いた。
初めての実戦で感じたもの──恐怖、怒り、そして、迷い。
今もそれらは胸の奥に残っている。
けれど同時に、心のどこかが静かに燃えていた。
守りたいもののために、俺は生き延びなければならない。
「真司、また顔がこわばってる」
カインが隣に腰を下ろし、缶入りの合成栄養飲料を一本投げてよこした。
「ありがとう」
受け取った缶を開けながら、俺は小さく頭を下げる。
「明日の朝までには、本隊が丘陵の東側を制圧する予定だ。俺たちはその前に動く」
カインは空を見ながら言う。
「敵の動きが鈍くなってるって話だが……妙な静けさだな」
「……何か、来るのか?」
「さあな。でも、こういう時は決まって嫌なことが起きる」
カインの口元に浮かんだ笑みは、いつもの軽口ではなかった。
その横顔に、ふと影が差しているように見えた。
夜が来た。
月明かりを頼りに、俺たちは森の斜面を進んでいた。
湿った土の匂い。
枝を踏みしめる微かな音。
カインの先導で、俺たちは敵の補給路を断つための裏道を辿っていた。
周囲には仲間たちの気配がある。
しかし、声を出す者はいない。
みな、呼吸を殺し、気配を消していた。
そして──俺は、胸の奥で、ずっと感じ続けていた気配に気づいていた。
説明できない、何かに引かれるような感覚。
視線の先に、確かな存在を感じるような──そんな、不思議な感覚。
森を抜けた先にあったのは、丘の窪地にひっそりと設けられた精霊連邦の補給所だった。
だがそこに敵の姿はなく、物資だけが整然と並んでいた。
「無人……いや、囮か?」
ソフィアが警戒の声を上げる。
直後、背後の森がざわめいた。
「伏兵──!」
叫ぶ間もなく、空が閃光に包まれた。
精霊の光が迸り、地面が爆ぜる。
俺は反射的に飛び退き、背後の木の陰に身を隠す。
周囲が混乱し、指示の声と悲鳴が交錯する中、俺は銃を構えた。
その時──
視界の端に、金の光をまとった影が見えた。
それは、人だった。
小柄な体格。
淡い金髪。
長衣を翻し、手に光の弓を持つその姿は、まるで神話の中から抜け出してきたかのようだった。
俺は息を呑んだ。
引き寄せられるように、その姿を見つめる。
光が彼女の顔を照らした。
──違う。
優奈じゃない。
だが、どこか似ていた。
目元の雰囲気。
立ち居振る舞い。
それだけで、胸が締め付けられた。
引き金に指をかけたまま、俺は動けなかった。
その瞬間、視線が交錯した。
敵もまた、驚いたようにこちらを見た。
数秒の沈黙。
それは、互いに命を取るべき戦場において、あり得ない“間”だった。
「……退け!」
ソフィアの声が響いた。
弓を構えた相手が、先に動いた。
矢が放たれ、俺の横を掠めて木を砕く。
木の破片が飛び散り、頬に鋭い痛みが走った。
その直後、後方から複数の叫び声が上がる。
振り返ると、少なくとも三人の隊員が倒れていた。
若い隊員のひとり──エルスは膝を抱えてうずくまり、脇腹を深く裂かれていた。
そのすぐ横では、もうひとりの兵士が脚を撃ち抜かれてうめき声を上げている。
さらに少し離れた場所では、背中に矢を受けた隊員が地面にもがきながら、仲間に支えられていた。
矢の一撃は、俺ではなく彼らを狙ったものだった。
エルスの脇腹は深く裂かれ、血が赤黒く染み広がっていた。
隣の兵士は太腿を貫かれ、呻き声と共に地面を転げ回っている。
さらに遠くの一人は背中に矢を受けたまま動かず、意識があるのかさえ不明だった。
仲間たちが次々に駆け寄り、止血や搬送の準備に追われる。
だが、その場にいた全員が理解していた。
──これは“奇襲”だった。
そして、その矢はただの牽制ではなく、確実に命を奪う意志を持った“殺意”だった。
「エルス!」
誰かが駆け寄り、止血布を押し当てる。
エルスは青ざめた顔で歯を食いしばり、言葉にならない呻きを漏らしていた。
ようやく体が動き、俺は伏せて反撃の態勢を取る。
敵影はすでに森へと消えていた。
「大丈夫か、真司!」
カインが駆け寄ってくる。
「……ああ、平気だ」
俺は息を整えながら頷いた。
だが、心は静まっていなかった。
さっきの敵──あの目を、俺は知っている。
優しさと、決意と、悲しみを宿したような目だった。
まるで、優奈のように。
その夜、仮設の野営地で、俺は一人起きていた。
満月が雲間から顔を出し、淡く辺りを照らしていた。
静かな風が草を揺らし、虫の声が遠くで響いている。
俺は胸元の内ポケットから、小さなペンダントを取り出した。
優奈からもらった、ガラス玉のペンダント。
何の力もない、ただの飾り。
でも、今でもこうして、俺を守ってくれている気がした。
「優奈……」
この世界のどこかで、生きていてくれ。
そう願いながら、俺は再びペンダントを握りしめた。
そして、月の光の下、静かに目を閉じた。