第94話:私は隼人君を信じているわ
彩花に一方的にボコられる隼人…。
波乱の中で始まったファイナルゲームは、最早バドミントンにすらなっていなかった。
五感を全て剥奪されながらも必死に立ち向かう隼人を、彩花が一方的に蹂躙する展開。
「アウト!!0-7!!」
隼人の渾身のスマッシュが彩花のコートのラインギリギリに突き刺さるものの、審判から下されたのは無情にもアウトの宣告だ。
これが隼人の視覚が無事だったなら、ちゃんと彩花のコート内に入っていたというのに。
とても辛そうな表情で激しく息を切らしながら、隼人は触覚を失いながらも必死に左手のラケットを握り締めている。
「す、須藤の奴…藤崎に五感を奪われてるのに、何であそこまで動けるんだ…!?何で試合として成立してるんだよ…!?」
雄二は驚いていた。五感を奪われた隼人がバドミントンをやっているという、目の前の有り得ない光景に。
何で目が見えないのに、あそこまでラインギリギリの位置にスマッシュを放てるのか。
何で耳が聞こえないのに、審判のコールに反応出来ているのか。
こんなの、普通の人間なら有り得ない事のはずなのだが。
「恐らくだが…第六感を駆使してプレーしているのだろうな。」
「だ、第六感って…!!」
ダクネスの言葉に、雄二は唖然とした表情になってしまったのだった。
第六感。それは一般的に直感や勘、時には霊感とも呼ばれている代物で、五感の他に人間がその身に宿す6番目の感覚だ。
つまり隼人は五感を全て失いながらも、その直感や霊感を駆使して彩花と戦っているのである。
先程、聴覚を失った隼人が美奈子の呼びかけに応える事が出来たのも、彩花に対して油断するなと忠告出来たのも、美奈子や彩花の言葉を霊感で感じ取ったからだ。
それに加えて、これまでに幾重にも積み重ねてきた『経験』も駆使して、隼人は彩花と戦っているのだ。
美奈子の指導の下で何度も何度も何度も な ん ど で も 血の滲むような練習を積み重ねて、自身の身体の奥底にまで刻み込んだフォームを駆使して。
それはそれで凄まじい事であり、とても並の人間に出来るような代物では無いのだが…。
「0-11!!」
それでも相手は、あの『神童』彩花だ。
万全の状態でさえも苦戦を強いられる相手だというのに、そんなボロボロの状態で勝てるような生易しい相手では無いのだ。
「0-15!!」
「もう…もう止めて隼人…これ以上は…!!」
隼人の痛々しい姿に、医務室のテレビで試合を観戦していた楓が、もう見ていられないと言わんばかりに大粒の涙を流し、両手で顔を覆ったのだった。
平野中学校で一緒にプレーしていた頃は、あれだけ仲が良かった隼人と彩花が…どうしてこんな事になってしまったのか。
どうして彩花が隼人の事を、ここまで徹底的に痛めつける事になってしまったのか。
隼人の五感を奪った挙句、それでも戦う事を諦めない隼人に対して、どうしてここまで。
号泣する楓の傍らでベッドに横たわる静香が、相変わらず規則正しい寝息を立てて眠っている。
「わん!!(最後まで試合を観届けろ。まだ須藤隼人は諦めてはいないぞ。)」
「もう嫌だ!!こんなの嫌よぉっ!!」
「わんわんわん!!(こら抱き着くな!!くすぐったい!!)」
ポチをぎゅっと抱き締める楓だったが、それでも試合は情け容赦なく進んでいく。
「0-18!!」
彩花のロケットサーブが、隼人のコートのネットギリギリに突き刺さる。
だが隼人は今のロケットサーブに…とうとう反応すら出来なかった。
愕然とした表情で、ただボケーッとその場に立ち尽くすのみだ。
そう…準決勝第2試合の静香の時と同じように。
それをモニター越しに見せつけられた直樹が、とても厳しい表情になってしまう。
「須藤隼人…第六感までも剥奪されたのかよ…!!」
隼人の左手から、ラケットがポトリと落ちる。
それを拾う事も出来ず、ただ愕然と立ち尽くす事しか出来ない隼人。
彩花の黒衣に蝕まれ、第六感までも奪われた隼人は、直感や霊感さえも失われ、とうとう生きる屍も同然になってしまったのだ。
バンテリンドームナゴヤが、凄まじいまでの悲鳴と絶叫に包まれる。
それを見せつけられた六花が我慢し切れなくなり、目から大粒の涙を流しながらベンチから立ち上がった。
「お願い隼人君!!もう彩花に負けを認めて棄権してぇっ!!」
もうこれ以上は見ていられなくなってしまった六花が、隼人に禁じられていた隼人への声掛けを、とうとう行ってしまったのである。
唖然とした表情で、六花の事を見つめる愛美たちだったのだが。
「隼人君は私が想像していた以上に、今の彩花を相手に本当によく戦ってくれたわ!!ここで棄権したって誰も貴方の事を責めたりなんかしないから!!」
必死に呼びかける六花だったが、それでも六花の声は今の隼人には届かない。
ただ愕然とした表情で、その場に立ち尽くすのみだ。
それでも六花は必死に呼びかけた。どうか彩花に負けを認めて欲しいと。
「だからお願いよ隼人君!!もう私はこれ以上、貴方が彩花に痛めつけられるのを見たくは無いの!!トラウマなのよ私はぁっ!!」
隼人も彩花も六花にとって、とても大切な存在、大切な宝物だ。
だからこそ六花は、これ以上隼人が彩花に傷付けられるのを、もうこれ以上見たくは無いのだ。
一体全体、どうしてこんな事になってしまったのか。
どうして彩花が隼人の事を、こんなにも苦しめる事になってしまったのか。
どうして隼人が五感だけでは飽き足らず、第六感まで失う羽目になってしまったのか。
そもそもどうして彩花の黒衣が、ここまで暴走する事態になってしまったのか。
それもこれも…!!全 部 あ い つ ら の せ い ダ ァ ッ!!
「がああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
支部長、学園長、直樹、様子、エ~テレのディレクター。
自分たちの身勝手なエゴによって、彩花をここまで追い込んでしまった愚かな大人たち。
彼らへの怒りと憎しみの心が遂に抑えられなくなってしまった六花までもが、これまで制御出来ていた黒衣を、とうとう暴走させてしまったのである。
「あいつらのせいで!!あいつらのせいで!!隼人君と彩花がああああああっ!!」
黒衣の暴走が止まらない。怒りと憎しみの感情が収まらない。
「死ね!!死ね死ね!!死ね死ね死ね!!死ね死ね死ね死ね死ね!!隼人君と彩花を苦しめる連中は!!どいつもこいつも死ねばいいんだああああああああああああああっ!!」
全身を駆け巡る黒衣に身も心も苦しめられて、絶叫する六花だったのだが、その時だ。
「しっかりしなさい!!六花ちゃん!!」
慌てて駆けつけてきた美奈子が、六花をぎゅっと抱き締めた。
強く、そして優しく、その慈愛の心でもって六花の身も心も包み込む。
「み、美奈子さぁん!!」
「貴女は聖ルミナス女学園の監督なんでしょう!?この子たちを導かなければならない立場の貴女までもが、黒衣に呑まれてしまってどうするの!?」
「だ、だけど!!だけどぉっ!!隼人君がぁっ!!彩花にぃっ!!」
「私は隼人君を信じているわ!!」
何の迷いも無い力強い瞳で、美奈子は六花に断言したのだった。
五感を奪われてもなお、あれだけの闘志を美奈子に見せつけた隼人が。
『気持ち』を失う事無く、あそこまで彩花と戦い抜いた隼人が。
こんな所で終わる訳が無いと…そう美奈子は信じているのだ。
「だって私の…!!いいえ!!『私たちの』子ですもの!!」
「み、美奈子さぁんっ!!うわああああああああああああああああ!!」
目から大粒の涙を流して号泣しながら、ぎゅっと美奈子の身体を抱き締める六花。
黒衣の暴走に身も心も苦しめられる中で、それでも六花は美奈子の身体の温もりと感触に縋りながら、必死に自我を保とうと黒衣に耐え続けていた。
「ふざけるな藤崎六花!!そもそもお前のせいで、こんな事になったんだろうが!!」
「一体娘に対して、今までどんな教育をしてきたんや!?」
「お前もうスイスに帰れぇっ!!」
そんな六花に対して、理不尽な罵声と怒号を浴びせる観客たち。
六花は何も悪く無いのに。支部長に冤罪を着せられただけだというのに。
それなのにどうして六花が、ここまで言われなければならないのか。
「…ちっ、真実を何も知らない連中が、偉そうにグダグダと。お母さんが私なんかの為に、今までどれだけ頑張ってくれたと思ってるんだ。クソ共が。」
もう見ていられなくなった彩花が、とても真剣な表情で、遂に審判に呼びかけたのだった。
「ねえ審判。もう私の勝ちは確定だよね?早く試合終了のコールをしてよ。」
「え!?」
早く試合を終わらせて、ハヤト君もお母さんも楽にしてあげようと。
審判もいきなり彩花にそんな事を言われたもんだから、思わずびっくりしてしまう。
確かに隼人は、もうこれ以上試合が出来る状態では無さそうだが…。
「いや、し、しかし…!!」
「しかしもかかしも無いよね?どう考えてもハヤト君はもう戦えないじゃん。」
それでも県予選決勝戦という大舞台、それもバンテリンドームナゴヤという、愛知県民の誰もが憧れる聖地での試合だ。
それをこんな形で終わらせてしまっては、隼人にとっても不本意だろうし、一生後悔する事になるかもしれない。
それに審判だって、今まで高台から見せつけられたのだ。
隼人が五感を奪われてもなお、ファイナルゲームで彩花を相手に、あそこまで戦い抜いたのを。
「…取り敢えず今から運営と協議する。俺は須藤選手なら、まだ何かやってくれるのではないかと信じているんだ。」
だからこそ、何の迷いも無い力強い瞳で、審判は彩花に告げたのだった。
「俺とて絶対中立の立場の審判だ。だから君を長く待たせるつもりは無いが、それでもしばらく待ちたまえ。」
「ちぇっ、まあいいよ。」
不貞腐れる彩花だったが、それでも隼人の試合続行不可能による自分の勝利は、もう絶対に揺らぐ事は無いだろう。
愕然と立ち尽くす隼人を彩花が妖艶な笑顔で見つめる光景を、亜弥乃が内香に肩を抱かれながら、悲しみに満ちた表情で見つめていたのだった。
「…同じだ…私の時と…あの時と…!!この国のスポーツは一体どこまで腐ってるの!?私が日本にいた時と何も変わってないじゃん!!」
「亜弥乃…!!」
「隼人君!!彩花ちゃん!!君たちはやっぱり日本なんかに居てはいけない!!私たちと一緒にデンマークに来るべきだよ!!この国のスポーツの愚かさのせいで、君たちはこんな事になってしまったんだよ!?」
やがて審判と運営による協議が行われた結果、取り敢えず隼人が目覚めるまで2分間の猶予を与え、それまでに隼人の試合続行が不可能になったと判断した場合は、彩花の勝利とするという事になった。
審判からのアナウンスで説明を受けた観客たちは一斉にどよめき、バンテリンドームナゴヤが異様な雰囲気に包まれる。
2分間の猶予を与えると言うが、たったの2分間で本当に隼人が再び試合が出来るようになるのか。
そんな中で隼人の意識は、漆黒の闇の中に包まれていた。
何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。
常人なら発狂してしまいかねない、どこまでも深い闇の中で、それでも隼人は静香と同じように強靭な精神力でもって平常心を失う事無く、これまでの彩花との戦いを振り返っていたのだが。
あれだけ黒衣を暴走させた彩花を相手に、よくもまぁ自分みたいなクソ虫なんかが、あそこまで戦えたもんだなぁと…隼人はそんな呑気な事を考えていたのだった。
美奈子が隼人に託してくれた黒衣対策も、残念ながら上手くは行かなかった。
ファーストゲームの時は通用したが、それでもファーストゲームの終盤辺りから、隼人は自覚してしまったのだ。
自分が心の奥底では、それこそ自分でも気付かない程の無意識の内に、彩花を相手に劣等感を抱いていたという事に。
その心の隙を彩花に突かれた事で、隼人は彩花からファーストゲームを奪った直後に、無様に味覚を奪われてしまった。
それに気付いたのは駆に差し出された麦茶を飲んだ時だったのだが、それで動揺した隼人は心を乱され、嗅覚、触覚、聴覚、さらには視覚に至るまで、次々と彩花に剥奪されてしまった。
それでもなおも第六感を駆使してまで、懸命に彩花に挑んではみたものの、結果は御覧の有様だ。
0-18まで追い込まれて彩花の勝利は最早濃厚、さらに自分はこんな状況にまで追い込まれてしまっている。
なんか審判が2分間の猶予を与えるとかアナウンスしているのは、彩花に奪われた聴覚の中でも、辛うじてだが僅かに聞き取れたのだが。
それでもたったの2分間で、ふははははは復活!!バドミントンやろうぜ!!彩花ちゃん!!という状態に戻せる自信が、今の隼人には無かった。
よしんば立ち直れたとしても、黒衣が暴走した今の彩花を相手に、自分なんかが勝てるのかどうか…。
「…ま、僕みたいな『天才の成り損ない』が、彩花ちゃんみたいな『本物の天才』に勝とうだなんて、最初から分不相応だったって事なのかな。ははっw」
先程、支部長に言われた侮辱の言葉を使って、思わず自虐してしまった隼人。
そもそも五感剥奪自体、一時的な物だと…そう六花が言っていたじゃあないか。
それに彩花の黒衣を浄化する方法だって、まだ他にあるかもしれない。
だったら別に今ここで、彩花に勝つ事にこだわる必要は無いんじゃないかと。
そんな事を隼人は考えてしまっていたのだが…その時だ。
「んなっ!?」
隼人の目の前に、突然神々しい光が放たれた。
それは決して眩し過ぎる事のない、とても安らぎに満ちた温かい光。
その光の中から、隼人の目の前に姿を現したのは…。
「こうして君と面を向かって話すのは、これが初めてだね。隼人君。」
とても穏やかな笑顔で自分を見つめる、1人のイケメンの20代の男性だった。
何だろう。この男性が言う通り、隼人にとっては初対面の人物のはずなのだが。
何故か隼人はこの男性に対して、胸の内から響く懐かしさと親しみを感じているのだ。
「貴方は…!?」
一体全体、この男性は誰なのか。
知らない人のはずなのに、何故かとてもよく知っている人物のような気がする。
そんな戸惑う隼人に対して、この男性は穏やかな笑顔で、とんでもない事を隼人に断言したのだった。
「俺は藤崎涼太。六花の夫にして、彩花の父親だよ。」
次回。トランザム。




