第9話:なら、試してみる?
中学生編開始。隼人と彩花の平野中学校バドミントン部での活躍ぶりを描いていきます。
あと六花の勤務時間なんですけど、8時~17時から9時~18時に変更しました。
2023年4月3日。春休みが終わり今日から中学3年生となった隼人の、残り1年となった新しい中学生活が始まる。
清々しい青空の暖かい朝陽を全身に浴びながら、制服姿の隼人がとても穏やかな笑顔で、真新しい純白のクロスバイクを走らせていたのだった。
これまではママチャリを使っていたのだが、去年の全国大会に優勝したご褒美を兼ねて、美奈子が隼人の誕生日プレゼントとして、前カゴやサイクルコンピューターとセットで購入してくれたのだ。
決して安い買い物では無かっただろうに。だからこそ大切に乗らないといけない。
一般的に自転車の寿命は平均10年程度だと言われているが、隼人は美奈子の想いが存分に詰まったこのクロスバイクを、少しでも長く乗り続けようと…そう心に決めていた。
隼人が右手側のハンドルの変速ギアをカチカチと回す度に、チェーンがガシャガシャと軽快な音を立て、ペダルが重くなる代わりにクロスバイクの走行速度が上昇する。
クロスバイクはロードバイク程の速度は出ないし、ママチャリと違って重い荷物を運べる訳でも無い。マウンテンバイクみたいに荒れた地面を走れる訳でも無い。
だがそれでもママチャリより安定して速度が出るし、ロードバイクと違ってそれなりに荷物を運べるという利点もある。街中を走るのには凄く便利な自転車だ。
言わば、全対応型のオールラウンダー…美奈子から受け継がれた、隼人のバドミントンでのプレースタイルと一緒だ。
そして隼人の残り1年となった中学生活に訪れた、もう1つの新しい変化。
そう…今日から隼人には、一緒に学校に通う事になった大切な人がいるのだ。
「おはよ、ハヤト君。」
「おはよう、彩花ちゃん。」
彩花と六花が住んでいるアパートまで、彩花の出迎えに来た隼人。
真新しいセーラー服を身に纏った彩花が、既に満面の笑顔で隼人を外で出迎えていた。
「またこうして彩花ちゃんと一緒に学校に通える日が来るなんて、僕は正直思ってなかったよ。」
「そうだね、私もだよ。」
「六花さんは?」
「今日からお仕事だって。ついさっき家を出て行ったばかりだよ。」
「そっか。入れ違いになっちゃったかな。」
9時から18時までの勤務だと、先日隼人が六花と彩花のアパートまで遊びに行った時に、六花が隼人に語っていたのだが。
一応車は購入したのだが、JRセントラルタワーズの駐車場が有料だという事と、朝と夕方の名古屋駅周辺の交通ラッシュを考慮した結果、最寄り駅である名鉄勝幡駅までママチャリで向かい、名鉄名古屋駅まで電車通勤する事にしたらしい。
何でママチャリを購入したのかと言うと、仕事帰りにスーパーやホームセンターまで食材や日用品などの買い物をした際に、荷物を運ぶのに便利だからなのだそうだ。
「それじゃあ彩花ちゃん、行こうか。」
「うんっ!!」
ママチャリに乗った彩花と並走し、彩花と他愛無い雑談をしながらクロスバイクを走らせる隼人。
そうこうしている内に、あっという間に目的地の平野中学校へと到着したのだった。
クロスバイクとママチャリを駐輪場に停め、互いに優しく手を繋ぎ合いながらグラウンドへと向かう隼人と彩花。
グラウンドには今年のクラス表がでかでかと展示されており、多くの生徒たちでごった返している。
隼人は自分の名前が書かれていた場所を、すぐに見つけたのだが。
「さてと…僕はB組だな…彩花ちゃんは…。」
「あ、私も同じB組だ。」
「本当だ。」
何しろつい最近までスイスに住んでいた彩花には、隼人以外の同年代の友達が、この平野中学校に1人もいないのだ。
残り1年となった中学生活を、彩花が寂しい想いをせずに楽しく過ごせるようにと、教師たちが気を配って幼馴染の隼人と同じクラスにしてくれたのだろう。
「今日から1年間よろしくね。ハヤト君。」
「うん。こちらこそ。彩花ちゃん。」
手を繋ぎ合いながら、互いに笑顔を見せ合う隼人と彩花だったのだが…その時だ。
「おはよう須藤君。また同じクラスになったね。今年もよろしくね。」
1人の少女が、隼人にフレンドリーに話しかけてきたのだった。
とても穏やかな笑顔で、少女は隼人を見つめている。
「ああ、おはよう里崎さん。そうか、君も僕と同じクラスなのか。」
隼人も穏やかな笑顔で、その少女に軽く手を振ったのだが。
隼人の隣にいた彩花の存在に、思わず少女が怪訝な表情になってしまう。
「…須藤君。その子、誰?」
「以前君に話したよね?僕のスイスでの幼馴染の藤崎彩花ちゃん。」
「…ああ、この間テレビでやってた、あの藤崎六花さんの…。」
「うん。娘さんだよ。テロ組織のせいで4年間も離れ離れになってたんだけどさ。こうしてまた日本で一緒に学校に通えるようになったんだ。」
随分と隼人と親しげにくっついているのだが…幾ら幼馴染だからって、ちょっと距離が近過ぎなのではないのか。
そんな敵意を込めた不満そうな厳しい視線を、少女は彩花にぶつけている。
「紹介するよ、彩花ちゃん。彼女は里崎楓さん。バドミントン部の部長で、僕と一緒に去年の全国大会に出場した事があるんだ。」
そうとも知らずに隼人は、とても穏やかな笑顔で、彩花に楓を紹介したのだった。
同じバドミントン部、しかも共に全国大会に出場した仲という事もあって、隼人にとって楓は「それなりに」親しい相手なのだろう。
だが楓にとっての隼人は…どうやらそうでも無いみたいで…。
「そうだ里崎さん、丁度良かったよ。彩花ちゃんもバドミントン部に入部する事になったからさ。夏の大会までの短い間だけど面倒を見てあげてよ。ほら、彩花ちゃんも里崎さんに挨拶して。」
「うん。藤崎彩花だよ。よろしくね、里崎さん。」
とても穏やかな笑顔で、楓に握手を求める彩花。
だがそんな彩花に楓が向けたのは、紛れも無い明確な「敵意」。
何だろう。こうして隼人と仲良くする彩花の姿を見てると、チクチク、チクチクと、楓の胸の中が凄く痛む。
「…藤崎さん。これだけは、はっきりと言っておくわ。」
あの伝説のバドミントンプレイヤー・藤崎六花の1人娘だか何だか知らないが。
バドミントンの本場・スイスのバドミントンスクールで、隼人と一緒にプレーしていたらしいのだが、だから何だと言うのだ。
楓だって毎日のように厳しい練習に明け暮れ、部長としてチームを引っ張り、県大会を勝ち上がって全国大会に出場してみせたのだ。
残念ながら圧倒的な強さで優勝した隼人と違い、全国大会は1回戦で敗れてしまったのだが…それでも「全国大会に出場した」という経験と実績は、今の楓にとって大きな自信と誇り、そして武器となっているのだ。
そんな楓にとって、彩花は…。
「私たちはね。真剣に全国を目指して毎日必死に練習しているの。暇つぶし程度のつもりで、うちの部に来るつもりなら…はっきり言って邪魔になるだけよ。」
そう、彩花の存在は邪魔だ。楓は彩花にそう断言してみせた。
彩花との握手を拒否し、とても厳しい表情で彩花を睨みつけている。
家庭の事情とはいえ中学3年の、こんな半端な時期に転入してきたせいで、彩花の平野中学校のバドミントン部での活動期間は、夏の大会が終わるまでの僅かな期間でしかない。
その僅かな期間に暇つぶしのつもりで部活動に参加されても、全国を目指して真剣に練習に励む他の部員たちの邪魔になるだけだと、楓は彩花に言っているのだ。
だがしかし、確かに楓が言っている事に関しては筋が通っているのだが…楓にとっての「彩花が邪魔だ」という言葉に関しては、その本心は、どうもニュアンスが違っているようにも見えるのだが…。
だから幼馴染だからって、何でそんな両腕で隼人の右腕をぎゅっと抱き締める必要があるのか。彩花の胸が隼人の右腕に当たってるじゃないか。
隼人も隼人で、何でそんな彩花に対して全く抵抗しようともしないのか。何でそんな優しい瞳で彩花の事を見つめているのか。
そんな不満を訴えるような厳しい視線を、楓は彩花に向けていたのだった。
「おいおい里崎さん、何もそんな言い方…。」
流石にそれは言い過ぎだと、楓に抗議しようとした隼人だったのだが、その時だ。
「いいよ。なら、試してみる?」
自信に満ち溢れた笑顔で、彩花は楓に食って掛かって来た。
隼人の右腕を両腕でぎゅっと抱き締めながら、彩花は真っすぐに楓を見据えている。
「里崎さん。さっきハヤト君から聞いたんだけどさ。今日は始業式が終わったら、昼から新入生に対しての部活の勧誘活動だよね?」
「え、ええ、そうだけど…それが何よ?」
「その時に新入生たちへのパフォーマンスと言ったら何だけどさ。皆が見てる前で試合形式で私と打とうよ。」
「んなっ…!?」
まさかの彩花からの宣戦布告に、唖然とした表情になってしまう楓。
確かに彩花と楓の、実力者同士による試合形式でのぶつかり合いを見せつけられるのは、新入生…特にバドミントンの未経験者にとっては貴重な経験になるはずだが。
それにこんな事を彩花が言い出したのは、彩花自身も興味があったからだ。
隼人と共に全国大会に出場したという楓の実力が、今の日本のバドミントンの中学トップクラスのレベルが、最近まで自分が六花と過ごしていたスイスの中学のレベルと比較して、果たしてどれ程の物なのかという事を。
「君が言うように私が部にとって邪魔な存在かどうか、君自身がその目で確かめてみてよって言ってるの。」
「ちょお、彩花ちゃん!?」
いきなりの彩花の爆弾発言に、戸惑いを隠せない隼人。
これから2人はバドミントン部のチームメイトになるんだから、仲良くなって貰いたいと…そんな想いから、隼人は楓に彩花を紹介したというのに。
それが何故、一体全体何がどうしてこうなった。
「…いいわよ。」
「いいの(泣)!?」
さらに楓がその宣戦布告を受けちゃったもんだから、隼人はなんかもう泣きそうな表情になってしまう。
もうこうなってしまった以上、楓もまた一歩も引く訳にはいかなくなってしまったのだ。
「貴女がスイスでどれだけ活躍したのか知らないけれど…あの藤崎六花の娘だか何だか知らないけれど…所詮は井の中の蛙だって事を思い知らせてあげるわ。」
こんな奴に、須藤君は絶対に渡すもんですか。
須藤君の隣に立つのは、この私よ。
そんな凄まじい闘志を胸に秘めながら、楓は彩花の事を睨みつけていたのだった…。
次回、彩花VS楓。
久しぶりの試合描写となります。