第89話:君のその心意気や良し
わん!!
結局、3位決定戦と決勝戦の扱いについては、支部長と様子、ディレクター、審判、それと美奈子と六花、大会運営スタッフの上層部数名を交えて、バンテリンドームナゴヤの会議室での臨時の緊急会議によって決められる事となった。
美奈子は稲北高校の、六花は聖ルミナス女学園の部員たちに、取り敢えず詳細が決まるまでは待機を指示。
バンテリンドームナゴヤは、様子のせいで理不尽に取り残されてしまった観客たちからの怒号と…そして身勝手な支部長によって冤罪をふっかけられた六花への、情け容赦の無い罵声に包まれてしまったのである…。
その騒動の中において彩花は、静香が搬送された医務室において、猫みたいに背中を丸めながら椅子に座り、目の前のベッドで規則正しい寝息を立てながら眠っている静香を、じっ…と見つめていたのだった。
準決勝で死闘を繰り広げた対戦相手として、何か思う所があるのだろうか。
そんな彩花の事を、侮蔑に満ちた表情で睨みつける様子。
「そこまで静香さんの傍に居たいというのであれば、好きにするといいザマス!!ですが静香さんに変な事をしたら絶対に許さないザマスからね!?」
彩花に怒鳴り散らした様子は、連れて来たドーベルマンに厳命した。
「カイザー!!」
「わん!!(ポチです。)」
「この子をしっかりと見張っているザマス!!もしこの子が静香さんに変な事をしようとしたら、あ〜たが止めるザマスよ!?分かったザマスね!?」
「わん!!(了解した。これより任務を遂行する。)」
「カイザーは軍用犬として訓練された、我が家の自慢のドーベルマンザマス!!あ~たが静香さんに変な事をするのは不可能だと思うザマスよ!!」
「わん!!(ポチです。)」
それだけ彩花に言い残し、顔を赤くしながら安藤と共に会議室へと向かう様子。
そして六花もまた心配そうな表情で、椅子に座る彩花を背後から優しく抱き締め、様子とは真逆に優しい声で呼びかけた。
「彩花。私は今から緊急会議に出ないといけないから、取り敢えずここで待っててね。喉が渇いたら冷蔵庫の水やジュースを好きに飲んでいいらしいから。それとトイレに行きたくなったら、すぐ隣にあるから。ね?」
「…うん、分かった。」
短時間とはいえ彩花と離れ離れになってしまうのは、一体いつぶりだろうか。
何しろ六花はここ数カ月もの間、24時間ずっと彩花の傍にいたのだから。
周囲の身勝手な大人たちのせいで、彩花に対して強く依存してしまっている六花にとって、『彩花と離れる』という行為が一体どれ程の苦痛とストレスを伴う代物なのか。
だがそれでも六花は、聖ルミナス女学園バドミントン部の監督代行として、今回の緊急会議に出席しなければならないのだ。
「それじゃあ私、しばらく居なくなるけど…いい子にしてて待っててね?」
名残惜しそうに彩花を離した六花は、大慌てで会議室へと向かっていく。
ポチと共に医務室に取り残された彩花は、相変わらず猫みたいに背中を丸めながら、じっ…と静香を見つめ続けていたのだった。
そんな彩花を、尻尾を振りながら黙って見守り続けているポチ。
一体どうしてこんな事になってしまったんだろうかと…彩花は何だかよく分からない感情を抱きながら、何だかよく分からない表情になってしまっていた。
静香との壮絶な死闘を制して決勝戦まで進んで、ようやく心から待ち望んでいた隼人との決勝戦に進む事が出来たというのに、様子の身勝手なエゴによって一方的に失格を言い渡され、さらに大好きな六花までもが支部長から不当に冤罪を吹っ掛けられ、人々から一方的に悪者にされてしまった。
一体何故こんな事になってしまったのか。彩花と六花が一体何をしたというのか。
どうして彩花も六花も、こんなにも苦しめ続けられなければならないのか。
周囲の大人たちは、口を揃えて言う。
彩花は隼人と同じ『神童』なのだと。世界の舞台において苦戦を強いられている日本のバドミントンの、救世主となるべき存在なのだと。
いずれは日本を飛び出して、世界を目指すべきなのだと。
そんな事は、彩花は望んでなんかいないというのに。
世界の舞台になんか、これっぽっちも興味など無いと言うのに。
彩花はただ、隼人や六花と一緒に、大好きなバドミントンを…。
「彩花、やっぱりここにいたんだ。」
そんな事を考えていた彩花の元に、今度は楓がやってきたのだった。
とても心配そうな表情で、猫みたいに背中を丸めながら椅子に座る彩花を見つめている。
彩花はそんな楓に対して振り向きもせずに、無言で静香の寝顔を見つめ続けていた。
「その…聖ルミナス女学園の子たちと、少し話をしてきたんだけど…さっき様子さんが言っていたように、彩花が練習に一度も顔を出していないって言われたわ。」
楓には事情はよく分からないのだが、聖ルミナス女学園バドミントン部の部員たちから聞かされた話の内容に、楓は戸惑いを隠せずにいたのだった。
スポーツ推薦で聖ルミナス女学園に進学しておきながら、一度もバドミントン部の練習に顔を出さないとか、幾ら何でも異常にも程があるからだ。
「ねえ彩花。聖ルミナス女学園で一体何があったの?彩花をバドミントン漬けにするとか、授業を受けさせないとか、私には六花さんがそんな酷い事をするような人には、とても…。」
「ねえ、楓ちゃん。」
その楓の質問に答える事無く、彩花は鞄の中からスマホを取り出したのだった。
「支部長さんが言ってた事はね、全部事実無根なんだよ。お母さんは被害者なのに。私がこんな事になったのは全部あいつらのせいなのに。それなのに…!!」
そしてSNSのアプリを起動して「#バドミントン」のハッシュタグを開き、表示されたタイムラインを楓に見せつけて怒鳴り散らした。
SNSに満ち溢れた、六花への不当な悪口の数々を。
「みんなみんな、お母さんの教育が悪いんだって!!」
「彩花…!!」
「ねえ楓ちゃん!!お母さんが一体何をしたって言うの!?何でお母さんがこんな目に遭わなきゃいけないの!?」
「彩花ぁっ!!」
「お母さんは私なんかの為に、今までずっと頑張ってくれたのに!!シュバルツハーケンで毎日ボロボロになってまで必死になって戦って!!JABSでも一生懸命働いて!!全部全部!!私の為なのに!!それなのに何でお母さんがぁっ!!」
「もう止めてぇっ!!」
もう見ていられなくなって、楓は椅子に座る彩花を抱き締めたのだった。
そして彩花の顔を、豊満な胸で優しく包み込む。
楓とて隼人と同じだ。六花が何かしらの冤罪を吹っ掛けられているのだという事は、ちゃんと理解しているのだ。
だがそれで彩花がこんな状態になってしまった事に、楓はどうにも我慢がならなくなってしまっていた。
一体全体、どうしてこんな事になってしまったのかと。
「ねえ、彩花!!平野中学校にいた頃、私や隼人と一緒に稲北高校に行きたいって言ってくれたよね!?苦手な英語の勉強を、あんなに必死になって頑張ってさ!!絶対に受験に受かってやるんだって意気込んでたよね!?」
今でも楓は、昨日の事のように鮮明に思い出す事が出来る。
彩花との中学生活を。バドミントン部での練習の日々を。稲北高校への受験に向けた図書館での勉強の日々を。
そう、あの時の彩花は、確かに言ってくれたのだ。
ハヤト君や楓ちゃんと一緒に、稲北高校に行きたいと。
また同じチームで、一緒にバドミントンをやりたいと。
それなのに。
「それなのに!!何で貴女は聖ルミナス女学園なんかにいるのよ!?何で黒衣なんかに呑まれてしまったのよぉっ!?」
目から大粒の涙を流しながら、椅子に座る彩花をぎゅっと抱き締める楓。
そんな楓に対して、されるがままになってしまっている彩花だったのだが。
「わん!!(藤崎彩花。テレビを観ろ。)」
もう見ていられなくなって彩花に呼びかけたポチが、右前足でリモコンのボタンを器用に押して、テレビを付けてチャンネルをエ〜テレに切り替える。
果たしてそこに映っていたのは、今回の県予選の生中継…駆と一緒に軽くシャトルを打ち合い、来たるべき決勝戦に備えてウォーミングアップをしている隼人の姿だった。
「わん!!(お前の気持ちは痛い程分かるが、今お前がするべきなのは、この須藤隼人と同様に決勝戦に備えておく事ではないのか?)」
だが同時に流れたのは実況と解説による、またしても六花への不当な悪口。
それが彩花の神経を、さらに逆撫でしてしまう。
「ねえ、何で!?何でお母さんがこんなにも悪口を言われないといけないの!?」
「わん!!(待て藤崎彩花!!落ち着け!!)」
「もうやだよ!!こんなのやだよぉっ!!」
「わん…。(何て事だ…。)」
目から大粒の涙を流しながら楓をぎゅっと抱き締める彩花を、ポチが悲しみに満ちた表情で見つめていたのだった…。
その一方でコート上では、隼人が駆と共にシャトルを軽く打ち合っていた。
バンテリンドームナゴヤ全体が、3位決定戦と決勝戦が突然中断されてしまった事への不平不満と、六花への不当な罵声で包まれている最中。
その異様な雰囲気にも決して呑まれる事無く、隼人は来たるべき決勝戦に向けてコンディションを整えていたのだった。
やがてウォーミングアップを終えた隼人が、ぽ~んと自分に向かって飛んできたシャトルを右手で受け止める。
「ありがとな、駆。僕のウォーミングアップに付き合ってくれて。」
「これ位、どうって事ねえよ。俺とお前の仲じゃねえかよ。今更水臭え事言うなよな。」
バンテリンドームナゴヤのバックスクリーンに映し出されているのは、決勝戦と3位決定戦の組み合わせ。
3位決定戦が楓VS静香、決勝戦が隼人VS彩花と表示されているのだが。
いきなり乱入してきた様子が余計な事をしたせいで、3位決定戦も決勝戦も今後どうなってしまうのか、全く分からない状況になってしまっているのだ。
「…なあ、隼人。決勝戦、一体どうなると思う?藤崎と朝比奈の、一体どっちがお前の対戦相手になるんだろうな?」
「分からない。だけど…。」
様子の思惑通りに彩花が失格となり、静香が隼人の対戦相手となるのか。
それとも当初の組み合わせ通り、彩花が隼人の対戦相手になるのか。
どちらに転ぶのかは、隼人にはまだ分からないのだが。
「彩花ちゃんと朝比奈さん…どっちが僕の対戦相手になったとしても、僕にとっては全身全霊の力で挑まなければならない、壮絶な『死闘』になる…それだけは間違いなく言えるよ。」
「…だな。」
両方と戦った経験があるからこそ、駆には分かるのだ。
彩花も静香も、隼人にとっては一瞬の油断も慢心も許されない、相当な苦戦を強いられる相手だと言う事を。
まあ元から隼人は誰が相手だろうと、油断せずに行くクソ真面目な奴なのだが。
「だからどっちと戦う事になったとしても、2人に対して失礼の無いように、せめて僕は万全の状態で試合に臨める状態にしておかないとな。」
決意に満ちた表情でバックスクリーンを見つめる隼人だったのだが、その時だ。
「うむ。君のその心意気や良し。」
そんな隼人に対してリクルートスーツを纏った1人の初老の男性が、秘書の若い女性を引き連れてやってきた。
突然見知らぬ男性に声を掛けられた事で、思わずきょとんとしてしまった隼人だったのだが。
「あの、貴方は…?」
「自己紹介が遅れたね。私はこういう者だ。」
「…はあああああああああああああああ!?」
秘書の若い女性に名刺を手渡された隼人は、そこに記載された予想外の人物の名前に、思わず仰天してしまったのだった。
「いやいやいやいやいやいや!!何で貴方がこんな所にいるんですか!?」
「事態は急を要するが故に、今は詳しい事情は割愛させて貰うが、今から我々と共に会議室まで同行して貰えないだろうか?大会を無事に進行させる為に。そして藤崎六花君を救う為に。」
「六花さんを救うって…!!」
「君にも分かっているのだろう?朝比奈様子さんと支部長が主張している一連の騒動に関して、藤崎六花君が不当に冤罪をふっかけっられているのだという事をね。」
隼人の両肩にポン、と両手を置き、とても真剣な表情で隼人を見据える男性。
「藤崎六花君を救う為に、どうか君の力を貸してくれ。須藤隼人君。」
この男性とは初対面なのだが、それでも男性の力強くも優しさに満ち溢れた瞳に、何だか隼人はとても信頼出来る人なんじゃないかと感じていたのだった。
次回、ブチ切れ隼人。




