第78話:天国に届けようよ
百合じゃないからな。
桜花中学校に転入する前、これまで詩織とダブルスを組んでいたパートナーの女の子たちは、全員が例外無く何らかの不幸な目に遭ってしまった。
それ故に詩織はチームメイトたちから、『疫病神』だと忌み嫌われる事になってしまった。
だからこそ、父親の仕事の都合で押下中学校への転入が決まった時、もう二度とダブルスはやらないと、詩織は心に決めていたのに。
それなのに詩織は今、静香のゴリ押しによって、静香とダブルスのパートナーを組む事になってしまった。
詩織が事情を全て説明したにも関わらず、それでもなお静香は詩織の事を求めてくれたのだ。
こうして詩織と運命的な出会いを果たした静香だったのだが、静香にとって詩織は、まさに最高のダブルスのパートナーとして相応しい存在だった。
これまでは静香があまりにも強過ぎるせいで、誰1人として…それこそ監督のマッチョでさえも、静香の全力プレーに追従する事が出来なかった。誰も静香の練習相手を務める事が出来なかった。
そんな中で詩織は静香との実戦形式での練習において、持ち前のアナライズによる驚異的な分析能力と、その内気な性格からは想像も付かないような優れた身体能力を駆使して、静香の全力プレーに見事に追従してみせたのだ。
静香は今、ようやく巡り合う事が出来たのだ。
自分の全力プレーに追従出来る、安心して背中を預けられる、信頼出来る最高のダブルスのパートナーを。
これまでは随分とつまんなさそうに練習に臨んでいた静香だったのだが、中学3年生になって、ようやく心からの笑顔で練習に取り組めるようになったのである。
そんな静香の姿を見せつけられたマッチョは、心の底からの安堵の笑顔を見せたのだった。
そして地区予選がいよいよ明日に迫った、6月の夕方。
練習を終えた静香と詩織は、とある寺の墓地にやってきたのだった。
墓に供えた線香にマッチで火を付けた静香は、墓の前にしゃがみこんで両手を合わせ、静かに祈りを捧げている。
その静香の様子を、詩織が神妙な表情で見つめていたのだが。
「朝比奈さん、このお墓は?」
「私の命の恩人と、その家族の皆さんの遺骨が納められているお墓です。」
祈りを終えて立ち上がった静香は、詩織に寄り添われながら、穏やかな笑顔で目の前の墓を見つめていた。
渡辺家之墓。
墓石には大きな文字で、はっきりと刻印されている。
そう、この墓は太一郎と、その家族の遺骨が納骨されている墓なのだ。
「地区予選が始まる前に、太一郎さんに月村さんの事を紹介したかったんです。ようやく巡り会えた、私にとって最高のダブルスのパートナーを。」
静香は詩織に、太一郎の事を詳しく説明したのだった。
去年、静香が自暴自棄になって、マッチョの勧めもあって部活動を休んでいた頃、スーパーでヤンキーに襲われていた所を太一郎に助けて貰った事。
その太一郎が夢幻一刀流という剣術の使い手で、それをバドミントンに活かせればと考えた静香が、太一郎に頼み込んで沙也加の事を紹介して貰った事。
そうして沙也加と出会った静香は、夢幻一刀流の幾つかの技を習得し、それらをバドミントンと融合させる事に成功した事。
その修練の中で静香は太一郎と親しくなったものの、その太一郎が家族揃って岐阜県の下呂市まで旅行に出かけていた際、大型トラックに刎ねられて亡くなってしまった事。
それら全てを静香は何の誇張表現も嘘偽りも無く、100億%馬鹿正直に話したのだった。
まさかの静香の壮絶な過去に、詩織も流石に唖然としてしまったのだが。
「朝比奈さんは…その人の事が好きだったの?」
「いいえ、そんなんじゃありませんよ。そもそも私とは歳が離れ過ぎていますしね。」
「そうなんだ…。」
「ですが、とても信頼出来る男性だというのは確かですよ。」
とても穏やかな笑顔で、目の前の墓を見つめる静香。
静香の朝比奈コンツェルンの令嬢という立場上から、これまで何かしらの理由を付けて静香と親しくなろうとしてきた大人の男性たちは大勢いた。
だがそのいずれもが、表面上は紳士的に静香と接しながらも、内心では静香と結婚する事で労せずして獲得出来る、高い地位と莫大な財産が目当てなのがバレバレな、どうしようもないクズ共ばかりだった。
そんな中で太一郎は地位も財産も関係無く、ただ1人の女の子として静香と接してくれた、数少ない大人の男性の1人だったのだ。
その太一郎は残念ながら、旅行先での交通事故で24歳の若さで亡くなってしまった。
それも太一郎には何の責任も無く、大型トラックの運転手が『仕事の納期に遅れそうだから急いでいた』という理不尽な理由による、信号無視と速度超過、過剰積載が原因でだ。
今、静香は、改めて思う。
今の世の中というのは、どうしてこんなにも理不尽なんだろうかと。
ちゃんと交通ルールを守っていた太一郎が理不尽に殺されて、交通ルールを守らなかった運転手が理不尽に生きているのだから。
まあ生きているとは言っても、先日行われた第1審で死刑判決が出たと、テレビのニュースでやっていたのだが。
弁護団は到底納得が行かない、控訴すると言っていたが…それでも死刑判決が確定するのは、まず間違いないだろう。
「朝比奈さん。天国に届けようよ。私たちの大会での活躍を。」
ふと、詩織は突然、そんな事を静香に言い出した。
「私にはこの人の事はよく分からないけどさ…きっとそれが朝比奈さんの恩人さんにとって、何物にも代えがたい供養になると思うんだ。」
太一郎の事をよく知らない詩織が、太一郎と親しかった静香に対して、これからは前を向いて生きろとか、太一郎の事を忘れろとか、そんな無責任な事を言える訳が無い。
だがそれでも詩織は、静香がバドミントンの選手である以上は、静香がバドミントンで活躍する事こそが、天国にいる太一郎を安心させる事に繋がるのではないかと…そう静香に告げたのである。
「はい、そうですね。」
そんな事は詩織に言われるまでもなく、静香も重々承知のようで、静香は詩織に対して力強い笑顔で頷いたのだった。
以前、沙也加も静香に語っていた。
夢幻一刀流とバドミントンの融合。沙也加にとっても未知数のそれが、果たしてどんな未来を切り開くのかを、是非この目で見届けさせて欲しいと。
そしてそれは太一郎も、きっと望んでいる事だろうから。
だから静香は、詩織とのダブルスで、大会で活躍してみせる。
それこそ六花以来誰も成し得ていない、全国大会3連覇も成し遂げてみせる。
日本学生スポーツ協会からは、学生スポーツとして相応しくないという身勝手な理由から、今後は独りよがりなプレーをすれば即座に失格にすると理不尽に通告されているのだが、もうそんな心配はしなくてもいい。
今の静香には詩織という、静香の全力プレーに追従出来る、最高のパートナーが傍にいてくれているのだから。
「そ、それでね、朝比奈さん。」
そんな決意を秘めた静香の顔を、詩織が何やら顔を赤らめながら見つめていたのだが。
「これからは朝比奈さんの事、『静香ちゃん』って呼んでもいいかな?」
とっても恥ずかしそうに、そんな微笑ましい事を静香に告げたのだった。
まさかの詩織からの提案に、静香は一瞬ポカン( ゜д゜)としてしまったのだが。
「ええ、構いませんよ。」
流石に驚いてしまったが、それでも決して悪い気分ではない。
それどころか、何だかとてもくすぐったいような感覚を、静香は感じていたのだった。
「では私も月村さんの事を、『詩織ちゃん』って呼ばせて貰いますね。」
「うんっ!!」
とても可愛らしい笑顔で、詩織は静香に対して大きく頷いたのだった。
詩織がこんなにも静香に対して仲良く接してくれようとしてくれているのに、静香だけが詩織に対して『月村さん』などと他人行儀な呼び方をするのは、フェアじゃない。
以前、六花がテレビのバラエティ番組に出演した時、こんなような事を語っていた。
バドミントンのダブルスに限らず、どんな団体競技でも当てはまる事なのだが、チームメイトというのはプロにおいてもアマチュアにおいても、決して仲良し集団でも運命共同体でも無いのだと。
勿論仲良くなるのに越したことは無いのだが、それでもチームメイトというのは『チームの勝利』という目的の為に動く『集団』でしかなく、そこに団結や友情を求めるのは筋違いなのだと。団結とチームワークは別物なのだと。
むしろ、いちいち団結しないとチームワークを発揮出来ないようなチームなど、選手に対して団結や友情を求めるような指導者など、所詮は三流でしかないのだと。
例え虫唾が走る程の大嫌いなチームメイトと一緒だろうと、試合の時にチームワークを発揮出来るチームこそが一流なのだと。
そしてこれは何もスポーツに限った話では無く、一般企業でも同じ事が言えるのだと。
16年間も弱肉強食の過酷なスイスのプロの世界で生き残り、そのトップに君臨し続けてきた六花だからこそ言える、説得力のある『重い』言葉だと言えるだろう。
だからこそ詩織とダブルスを組んだからといって、『全国大会3連覇』という目的を果たす『だけ』なら、必要以上に詩織と仲良くなる必要性など微塵も無いのだが。
それでも静香は詩織と、これまで以上に仲を深めたいと、そう心から思ったのだ。
「そ、それでね、静香ちゃん。これからは私に対しては、敬語で話すのを止めて貰ってもいいかな?」
そんな中で詩織が、突然こんな事を静香に対して言い出したのだが。
「だって私たち、こんなに仲良くなれたんだし。それに静香ちゃん、誰に対しても敬語で話すよね?それこそ下級生の皆にさえも。」
「…ああ。」
詩織に指摘されて、静香は思わず苦笑いしてしまったのだった。
確かに詩織の言う通りだ。静香は誰に対しても敬語を使う。
それこそ同級生だけでなく、下級生に対してさえもだ。
これは静香が意識して実行しているのではなく、それこそ様子から命じられているからでもなく、いつの間にか幼少時から無意識の内に敬語で話すようになってしまったのだが。
「これはもう癖になってしまっているのですよ。今更矯正しろと言われた所で無理ですよ。」
「そっか。」
そう、誰に対しても敬語で話すのは、いつの間にか静香の癖になってしまっているのだ。
だからこそ静香が言うように、今更敬語を止めろと言われても、それこそ今日こうして仲を深めた詩織に対してさえも、そんなに簡単に出来るような物ではない。
もっと極端な事を言えば、野球において今までオーバースローで投げていた投手に対して、突然アンダースローで投げろと理不尽な事を言っているような物だ。
そもそも静香は詩織と仲を深めるのに、いちいち敬語で話すのを止める必要性など全く無いと、そう心から思っているのだから。
「うん、分かったよ。静香ちゃん。」
詩織もそれを理解しているようで、静香に対して心からの笑顔で大きく頷いたのだった。
そして静香の右手を両手で優しく包み込み、とても穏やかな笑顔で静香を見据える。
「明日からの地区予選…全力で頑張ろうね。静香ちゃん。」
「はい。私と一緒に高みへと昇り詰めましょう。詩織ちゃん。」
そんな詩織の両手を、左手で優しく包み込む静香。
その詩織の両手の温もりと優しい感触が、何だか静香にはとてもくすぐったくて心地良い。
これまでの大会では静香が強過ぎたせいで、パートナーの誰もが静香の全力プレーについていけず、随分と窮屈な思いをさせられてしまったのだが。
詩織という最高のパートナーと組んで出場する、この中学生最後の大会こそは、充実した気持ちで試合に臨めるのではないかと…。
力強い笑顔で詩織を見据えながら、そんな事を考えていた静香なのであった。
次回は静香と詩織が大会で躍動します。
…が、作者多忙につき、次回こそは掲載が遅れます。間違いなく遅れます。
出来るだけ早く掲載したいと考えてはいますが、どうかご了承くださいませ。




