第73話:俺は信じて待ってるからな
サボリ魔静香。
あれから静香は、とうとうバドミントン部の練習にも顔を出さなくなってしまった。
自分が何の為にバドミントンをやっているのか、もう分からなくなってしまったからだ。
校長からダブルスへの出場を強要されたものの、肝心のパートナーたちが全員漏れなく静香の足手まといになってばかり。
だから静香1人だけでダブルスをやったのはいいが、今度はそれを問題視した日本学生スポーツ協会から、今後は失格にするとかシングルスで出ろとか言われたり。
さらには静香が強くなり過ぎてしまったせいで、今度は監督のマッチョでさえも静香の練習相手が務まらなくなってしまった始末だ。
今回の日本学生スポーツ協会との一件に関しては、流石に桜花中学校においても大々的に問題視されてしまい、しまいにはバドミントン部の部員たちの保護者たちまで巻き込んで、今後の対応を巡っての臨時の緊急会議が開かれる事態になってしまった。
保護者たちからは
「朝比奈さんをシングルスに出すべきだ!!」
「本人がそれを望んでいるんだろう!?」
「そもそもパートナーが務まる子が誰もいないっていう話じゃないか!!」
などという至極真っ当な意見が多数飛び出したものの、それでも校長はそれを頑なに拒み、静香はあくまでもダブルスに出すという主張を譲らなかった。
理由は明白だ。シングルスには隼人が出るからだ。
静香がダブルスで圧倒的な強さを見せつけて、全国大会2連覇を成し遂げたというのに、わざわざ『県予選で隼人と戦う』という危険を冒してまで、静香を無理にシングルスに出す必要は無いと言うのだ。
じゃあパートナーはどうするんだ、という保護者からの至極真っ当な厳しい追及に対しても、校長は
「増田監督の優れた指導の元、選手たちは着実に成長しています。」
「来年の地区予選までには、朝比奈君のパートナーを立派に務められる女子部員を必ず作り出します。」
「来年の新入生の中には、今年の全国大会で見事優勝を成し遂げた河合麗奈君がいます。彼女ならば朝比奈君のパートナーを必ずや立派に務め上げるでしょう。」
などと投げやりな事を言い出す始末だ。
言っている事は立派だが、やっている事は完全にマッチョへの責任転嫁である。
白熱した緊急会議は平行線を辿ったまま深夜まで続いたものの、結局は校長のゴリ押しによって、静香をこのままダブルスに出場させる事が決まってしまったのである。
静香はただ、純粋にバドミントンをプレーしたいだけなのに。
それなのに周囲の大人たちの身勝手なエゴによって、こうして静香は理不尽に振り回されてしまっている。
静香がバドミントンの『天才』だから、こんな事になってしまったというのか。
だとしたら『天才』とは、『才能』とは…一体何なのだろうか…。
そんな大人たちの騒動など知った事じゃないと言わんばかりに、今日も練習をサボった静香は、放課後に近くのスーパーまで立ち寄ったのだった。
本来なら何日も練習をサボる静香に対し、学校側から何らかの処分が下されてもおかしくないのだが…マッチョが穏やかな笑顔で静香に伝えたのは、こんな一言だ。
『お前はしばらく部活には来なくていい。お前にも自分を見つめ直す時間が必要だろう。たまにはバドミントンを離れてのんびりするのも、悪く無いんじゃないのか?』
『校長には俺の方から上手く言っておくよ。だからいつか必ずバドミントン部に戻って来いよ?俺はお前を信じて待ってるからな?朝比奈。』
『プロテイン飲むか?』
このマッチョからの励ましの言葉に、静香は少しばかり救われたような気がしたのだった。
指導者としては決して優れているとは言えないが、それでもマッチョは不器用ながらも、生徒たちに対して気配りが出来る人物なのだ。
もし直樹や黒メガネのような無能な指導者が、桜花中学校バドミントン部の監督を務めていたら。
今頃は静香の心は、本当の意味で壊れてしまっていたかもしれない…。
スーパーの弁当と惣菜コーナーでは、3割引きのシールが貼られた弁当と惣菜を巡って、作業着を着た屈強な男たちが互いに充実した笑顔を見せ合いながら、もみくちゃになって壮絶な死闘を繰り広げていた。
大金持ちの令嬢である自分がこんな事を言うのも何だが、たかが3割引の弁当の一体何が、彼らをあそこまで突き動かしているのだろうか…。
いや、1人暮らしの場合だと下手に自炊するよりも、割引された弁当や惣菜を買った方が安上がりに済むという話を聞いた事があるし、そもそも作者のように仕事で疲れて自炊する気力すら無いという人たちだって大勢いるのだろう。
そんな事を考えながら、お菓子とペッドボトルを何点か買い物カゴの中に入れた静香は、今日も今日とて大繁盛して行列を作っているレジに並ぼうとしたのだが。
「…なっ!?」
そんな中で静香は、偶然にも目撃してしまったのだ。
特攻服を着た1人のヤンキーの少年が、周囲を伺いながら妖艶な笑みを浮かべて、陳列されていた煙草を特攻服のポケットの中に入れたのを。
店員たちは商品の品出しと前出しで忙しくて手が回らないからなのか、誰もヤンキーの万引きに気が付いていないようなのだが。
ただ1人気付いていた静香は厳しい表情で、ポケットの中の煙草を取り出していたのだった。
「貴方、この煙草、代金を支払っていないですよね!?」
「げっ!?」
「この位置なら防犯カメラに映っています!!もう言い逃れは出来ませんよ!?」
静香からの厳しい追及に、びっくりした表情で静香を見つめるヤンキー。
突然の静香の怒鳴り声に、周囲の店員や客たちが驚いた表情で、静香とヤンキーを見つめていたのだが。
咄嗟に状況を理解した数名の男性店員が、スマホで警察に通報しながら、とても厳しい表情でヤンキーの元に向かっていく。
「んだよ!!バレちまったのかよ!!ひゃはははははははは!!」
だがそんな店員たちに全く臆する事無く、それどころかとても楽しそうな表情でニヤニヤしながら、ヤンキーが物凄い勢いで逃げ出してしまったのだった。
「…っ!!待ちなさい!!」
駆けつけた店員に万引きされた煙草を返し、厳しい表情でヤンキーを追いかける静香。
あ~あ、バレちまった。ゲームオーバー。
そんな全く反省していない妖艶な笑顔を見せながら、ヤンキーは静香から必死に逃げていたのだった。
今も全国各地で万引きの被害が絶えず、特に100円ショップなどの薄利多売で利益を上げている店舗や、個人経営の小規模の店舗などでは、店の経営にまで影響が出てしまう程の深刻な社会問題となっている。
それが原因で潰れてしまった店舗も多いと、静香はネットの記事で読んだ事があるのだ。
例えば1000円の商品を万引きされた場合、その損失を取り戻すのに5000円の利益を出さなければならないとされているらしい。
だからこそ静香は、煙草を万引きしようとしたヤンキーの事を、絶対に許すつもりは無かった。
恐らくこのヤンキーは軽い気持ちで、それもゲーム感覚で煙草を万引きしようとしたのだろうが、このスーパーにとってはどれだけの損害となってしまうのか。
ニヤニヤしながら必死に逃げるヤンキーだったのだが、それでもこの混雑の中では思うように逃げられず、しかも普段からバドミントン部での練習で足腰を鍛えている静香の脚力の前に、あっという間に追い付かれてしまったのだった。
咄嗟にヤンキーの特攻服の首根っこを、右手で掴んだ静香だったのだが。
「オラァ!!」
「がっ…!?」
そんな静香を左腕で羽交い絞めにしたヤンキーが、ニヤニヤしながら静香の頬に右手のナイフを突き付けたのだった。
まさかの事態に、店内が悲痛な悲鳴に包まれてしまう。
「おい!!お前ら!!少しでも妙な真似をしてみろ!!この女の顔面を思い切り掻っ捌いてやるからな!?」
「あ、貴方は…何を馬鹿な事を…っ!?」
「お前みたいな女はマジでむかつくんだよ!!大して喧嘩が強くねえ癖に、いい子ちゃんぶりやがってよぉ!!俺は女が相手でも気に入らねえ奴は、容赦なくぶっ殺すからな!?」
必死にもがく静香だったのだが、それでもヤンキーは相当喧嘩慣れしており、しかも他人を傷つける事に全く何の躊躇も無いからなのか、全くびくともしない。
そもそも幾ら静香がバドミントンで身体を鍛えているとは言っても、所詮はバドミントンだ。喧嘩とバドミントンは全くの別物なのだ。
喧嘩どころか他人を傷付けた経験自体が無い静香では、最早どうする事も出来なかった。
静香を人質に取られ、しかも頬にナイフを突き付けられているからなのか、周囲の店員や客たちも、下手に静香を助けに行く事が出来ずにいるようだったのだが…その時だ。
「警察だ!!全員その場を動くな!!」
そこへ店員からの通報を聞きつけた2人組の警察官が、颯爽とスーパーに駆けつけてきたのである。
1人は若い女性警察官だったのだが…もう1人のイケメンの男性警察官の姿に、思わず静香は仰天してしまう。
そう、彼が腰に身に着けていたのは、警察官の標準装備の警棒ではなく…。
「んなっ!?日本刀を帯刀しているのですか!?一体何なのですか、あの人は!?」
何と日本刀だったのである。
いやいやいやいやいや、日本刀って。
幕末じゃあるまいし、そもそも銃刀法違反ではないのかと、静香は目の前の有り得ない光景に唖然としていたのだが。
「…あ、あいつは…!!あのマッポ(警察官)は…!!」
そんな中でヤンキーは驚愕の表情で、目の前の男性警察官を睨みつけていたのだった。
「この間テレビのニュースで特集が組まれた、渡辺太一郎じゃねえか!!まさかこの地域の担当だったのかよ!?」
「…渡辺…太一郎…!?」
そう言えば静香も、どこかで名前だけは聞いた事があるような気がした。
警棒を構えた女性警察官が、とても厳しい表情で、静香とヤンキーを見据えている。
どうにかして静香を傷付けさせないように、ヤンキーを確保しなければ…そんな事を考えているようなのだが。
「巡査長!!あの少年は桜花中学校の女子中学生を人質に取り、顔に刃物を突き付けています!!下手に刺激せず、くれぐれも慎重な立ち回りを…!!」
「いや、この緊迫した状況が長引けば、興奮した彼が彼女に対して、何をしでかしてくるか分かったもんじゃない。だから一瞬で片を付けるよ。」
「一瞬で片を付けるって…ちょっと、巡査長!?」
部下の女性警察官の制止を振り切り、なんか太一郎は抜刀術の構えを見せたのだった。
いやいやいやいやいや、抜刀術って。
るろうに剣君の主人公の木村剣君じゃあるまいし、この人はいきなり何をやっているのかと、静香は唖然とした表情で太一郎を見つめていたのだが。
「何だお前!?今の状況を分かってるのか!?俺はこの女の事を人質に取ってるんだぜ!?」
そんな中でもヤンキーはニヤニヤ笑いながら、静香を羽交い絞めにする左腕に力を込め、右手に手にするナイフの刃先を静香の頬に、ちょんちょんと当てる。
「少しでも妙な真似をしてみろ!!この女の頬を掻っ捌いて…!!」
太一郎の事を脅しているつもりなのだろうが…それでもヤンキーは知らなかったのだ。
人質を取るなどという愚かな行為は、数多くの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の警察官である太一郎の前では、全く何の意味も成さない代物なのだという事を。
「…夢幻一刀流奥義…!!」
「お、おいてめえ!!俺の話を聞」
「維綱!!」
抜刀。
次の瞬間、太一郎の刀から放たれた、一筋の『閃光』。
そして凄まじい威力の衝撃波が、精密無比の精度でヤンキーに襲い掛かり…静香を傷付ける事無くヤンキーの顔面だけをぶち抜いたのだった。
「ぶぼべらぁっ!?」
派手に吹っ飛ばされて商品棚に叩きつけられてしまったヤンキーを、女性警察官が大慌てで取り押さえて両手に手錠をかける。
「18時10分、恐喝と窃盗未遂、傷害未遂の現行犯で逮捕!!」
「そ、そんな…馬鹿な…っ!?」
目の前の有り得ない光景に、静香は思わずポカン( ゜д゜)としてしまったのだった。
無理も無いだろう。颯爽と駆けつけた警察官が何故か日本刀を持っていて、いきなり抜刀術を繰り出したと思ったら日本刀から衝撃波が飛び出して、ヤンキーを吹っ飛ばしてしまったのだから。
「大丈夫だったかい?どこか怪我してない?エッチな事とか何かされなかった?」
そんな静香の元に刀を鞘に納めた太一郎が駆けつけ、穏やかな笑顔で右手を差し出したのだった。
「い、いえ、私なら全然大丈夫です。助けて頂いて有難うございました。」
「何、それが僕ら警察官の仕事だからさ。君が無事で何よりだよ。」
太一郎の右手を借りて、何とか立ち上がった静香。
同時に静香は、太一郎が繰り出した維綱を間近で見せつけられて、感動のあまり思わず全身に電撃が走ってしまったのだった。
抜刀と同時に衝撃波を放った、今の維綱という技。
一体どんな方法で、あんな常人離れした事をやらかしたのか、そもそも技の原理は一体どうなってるのか、気になる点は幾つかあるのだが。
「…あ、あの、お巡りさん。」
「ん?何だい?」
「今の技、確か夢幻一刀流だとか仰ってましたが…。」
「ああ、古くから伝わる日本の居合剣術だって、僕の師匠が仰ってたよ。僕にはよく分からないんだけどさ。ははは…。」
「日本の…居合剣術…!!」
もし今の技を、バドミントンに応用する事が出来るならば。
サーブやスマッシュを打つ時に、維綱で威力と速度を底上げする事が出来るならば。
それは静香独自のバドミントンのプレースタイルとなり、同時に静香にとって何物にも代えられない、強力な武器に成り得るはずだ。
それを静香は、瞬時に頭の中に思い描いてしまったのである。
静香は太一郎の右手を掴んだまま、決意に満ちた表情で太一郎に迫ったのだった。
「その夢幻一刀流、私も習いたいです!!どこに行けば教えて頂けますか!?」
「え!?」
全く予想外の静香の言葉に、唖然としてしまった太一郎。
「何で!?」
「バドミントンに活かしたいと思ったからです!!」
「はあ!?バドミントン!?」
「お巡りさんのお師匠様に、どうか私の事を紹介して頂けませんか!?」
「き、君!!ちょっと待って…アッー(泣)!!」
これが静香の、太一郎との…そして夢幻一刀流との…運命的な出会いの始まりなのであった…。
次回、静香と沙也加の邂逅。




