第72話:学生スポーツとして全く相応しくない行為だ
それから1年の時が過ぎました。
全国大会が終わってからも、静香の勢いも成長も止まらなかった。
そして皮肉にもそれが原因で、静香の『天才であるが故の孤独』が、より一層深刻さを増してしまったのである。
全国制覇を成し遂げてからというもの、桜花中学校バドミントン部には静香を目当てに練習試合の申し込みが殺到したのだが、その静香は出場したダブルスの全試合において、またしても圧倒的な強さを見せつけて『全勝してしまう』快進撃だ。
それも相変わらずパートナーを後方に下がらせて、自分1人の力だけでダブルスを行うと言う無茶苦茶なプレーでだ。
静香のパートナーを務めていたコギャル先輩が昨年の全国大会終了後、高校受験に備えてバドミントン部を引退したのだが…その肝心のコギャル先輩の後任となるパートナーたちが問題だった。
そう…桜花中学校バドミントン部の誰1人として、パートナーとして静香を支えるどころか、静香の全力プレーに追従出来る者がいないのである。
だものだから、誰も静香のパートナーをやりたがらない。
仕方が無いので練習試合がある度に、マッチョの提案でクジ引きで静香のパートナーを決めていたのだが…その度に毎回毎回、試合において静香の邪魔になってしまうのだ。
それでも静香のあまりの強さに目が眩んだ校長は、静香にダブルスの試合に出る事を強要し続けた。
理由は明快だ。シングルスでは『神童』隼人が圧倒的な強さで全国優勝を果たした事と…静香がダブルスでも圧倒的な強さで『全国優勝を果たしてしてしまった』からだ。
静香をシングルスに出してしまえば、県予選で隼人と潰し合う事になってしまう。
だったら別にダブルスでもいいだろうと、静香が今抱えている悩みや苦しみを全く理解しようともせず、校長は目先の利益の事しか考えていないのである。
だが今現在、静香が抱えている深刻な問題は…それだけではなかった。
普段の実戦形式の練習においても、部員の中に静香の練習相手が務まる者が1人もいないという事で、仕方が無いのでマッチョが静香の練習相手を務めていたのだが。
「どあああああああああああああああああああ!?」
静香が2年生に進級し、6月の地区予選大会が目前に迫った、5月中旬の実戦形式の練習中での出来事だった。
強烈な威力の静香のスマッシュに、何とマッチョは反応するのがやっとだったのである。
唖然とした表情を見せるマッチョだったのだが、静香はもっと唖然としてしまっていたのだった。
「…増田監督…今のスマッシュも取れないのですか?」
「あ、朝比奈、お、お前、俺がしばらく妻の産休で休んでた間に、いつの間にそんなに強くなってたんだよ!?」
そう、静香はあれから更に研鑽を積み重ねた結果、マッチョでさえも練習相手が務まらなくなってしまう程までに『強くなってしまった』のである…。
現役時代は残念ながら日本代表には一度も選抜されなかったものの、それでも選抜会議において毎回のように、最終候補に名前が残り続ける程の優秀な選手だったマッチョでさえもだ。
皮肉にもそれが静香の孤独をさらに深めてしまうという、深刻な事態を引き起こす結果となってしまっていた。
その事実に静香は苦虫を噛み締めたような表情で、思わず歯軋りしてしまったのだった。
今の静香の実力はマッチョすらも凌駕しており、今すぐに欧米諸国でプロになったとしても通用してしまう程の選手に『成り果ててしまった』。
さらに皮肉な事に今の静香には、以前光子が静香の事を『原石』と言っていたように、まだまだ成長の余地が『残されてしまっている』のだ。
そう…今でさえ静香の練習相手が誰も務まらない四面楚歌の状況だというのに、そこから静香は『更に強くなる事が出来てしまう』のだ。
そうなったら静香は、この桜花中学校バドミントン部において…一体どうなってしまうというのか…。
もし、静香の練習相手を務めているのがマッチョではなく、マッチョを遥かに上回る実力の持ち主である、六花や美奈子だったなら。
今の静香のスマッシュに反応し、鼻くそをほじりながら返す事が出来たと言うのに。
静香に対して穏やかな笑顔で、適切な指導を行う事が出来ていたというのに。
そして運命のいたずらなのか、これこそが隼人と静香が置かれている環境の違いなのだ。
隼人と静香。2人の実力は互角。秘められた才能さえも互角。
だが隼人には静香と違い、美奈子という最強の指導者がいつも傍にいてくれて、休みの日にはいつも隼人の練習に笑顔で付き合ってくれている。
そして美奈子は隼人の全力プレーに追従するどころか、逆に隼人をギシギシアンアンする事すら出来ているのだ。
だがそれに対して、静香は…。
「もういいです、増田監督。今後は私1人で練習を行いますので、どうぞお構いなく。」
「…朝比奈…っ!!」
マッチョをほったらかして、1人でシャトルを壁に向かって打ちまくる静香。
その静香の瞳には、うっすらと涙のような物が…。
「…不甲斐ない指導者で、本当に御免な!?」
自分が指導者として未熟だったばかりに、静香をここまで追い込んでしまった。
静香を部内において、完全に孤立させる結果となってしまった。
その残酷な事実に心を痛めながら、マッチョは静香に対して深々と頭を下げたのだった。
そして地区予選でも、県予選でも、全国大会でさえも…静香はダブルスの試合で圧倒的な強さを見せつけて優勝。
それも去年と同様、相変わらずパートナーを後方に下がらせて何もさせず、静香1人だけでダブルスを戦うという、独りよがりなスタンドプレーでだ。
何故なら今大会において、クジ引きで静香のパートナーとなった部員というのが…よりにもよってバドミントンを始めたのが中学に入ってからだという、初心者の1年生の少女だったからだ。
「ゲームセット!!ウォンバイ、愛知県代表・桜花中学校2年、朝比奈静香&1年、水谷陽子ペア!!ツーゲーム!!21-5!!21-4!!」
自分は何もしていないのに、そもそも素人なのに、全国大会で優勝してしまった。それも圧倒的な強さでだ。
表彰台に上がってトロフィーを手にしながら、思わず複雑な笑顔になってしまう後輩ちゃん。
そんな後輩ちゃんとは対照的に、静香は表彰台の上で笑顔1つ見せる事は無かった。
誰も自分と互角に戦ってくれない。
誰も自分の全力について来れない。
静香はスケジュールの都合で観戦出来なかったのだが、先に行われたシングルス部門では、隼人が自分と同様に全国大会を圧倒的な強さで2連覇したらしいのだが。
(平野中学校の須藤君も、私と同じ悩みを抱えているのかな…。)
そんな事を考えながら、静香が後輩ちゃんと一緒に表彰台から降りて、滞在先のホテルに帰る為にベンチ裏の荷物をまとめていた時だ。
「朝比奈君。ちょっといいかな。」
そこへ1人のダンディな男が、秘書の女性を連れてやってきたのである。
全く面識の無い男性にいきなり話しかけられた事で、きょとんとした表情になってしまう静香だったのだが。
「あの、貴方は…?」
「申し遅れた。私は日本学生スポーツ協会の次長を務める山口という者なのだがね。」
「日本学生スポーツ協会って…。」
秘書の女性から手渡された名刺を、静香は戸惑いの表情で受け取ったのだった。
日本学生スポーツ協会。
JABSと同じく政府によって設立された一般社団法人の1つであり、日本における学生スポーツ全般の普及や発展を中心とした、様々な政策を担う組織である。
JABSがバドミントンだけに特化した組織であるのに対し、この日本学生スポーツ協会は学生スポーツ全般を取り扱っているのだが。
「あの、その日本学生スポーツ協会の方が、私に一体どのようなご用件なのでしょうか?」
「うむ。こう見えて私も忙しい身だ。本来ならば君とじっくりと話をしたかったのだが、残念ながらスケジュールが詰まっていてね。なので用件だけを手短に話そう。」
「はぁ…。」
「君のダブルスの試合を、間近で見させて貰ったのだが。」
戸惑いを隠せない静香だったのだが…次の瞬間ダンディな男は、とんでもない事を静香に対して言い出したのである。
「今後は公式試合や練習試合を問わず、あのような独りよがりなプレーを行った場合、弁明の余地を一切与えずに君を失格処分とするので、そのつもりでいたまえ。」
「…はあああああああああああああああああああああああ!?」
この人は何を言っているのかと、静香は唖然とした表情になってしまったのだった。
そりゃあそうだろう。いきなり何を言い出すかと思えば、今後は1人でダブルスを戦えば失格にするなどと。
他のチームメイトたちもマッチョも驚きの表情で、ダンディな男を見つめていたのだが。
それでもダンディな男は、とても厳しい表情で静香を見据えていたのだった。
「君のあの独りよがりなプレーは何だね?パートナーを後ろに下がらせて全く何もさせず、君1人の力だけでダブルスを行うなど、学生スポーツとして全く相応しくない行為だ。」
「そんな!!いきなり何を馬鹿な事を仰っているのですか!?」
「今の君はプロではない。中学生なんだ。学生は学生らしく、胸を張ってチームプレーを行い、正々堂々と戦いなさいと…それが学生スポーツの本来あるべき姿だと、私はそう言っているのだよ。」
確かにプロの選手であれば、『ルールに抵触しない範囲で』という条件は当然付くものの、勝つ為にどんな手段でも使うと言うのは当たり前の話だ。
静香の『たった1人でダブルスを戦う』という戦術にしても、バドミントンにおいては別にルール違反でも何でも無い。
それどころかパートナーが足手まといになるから切り捨てるというのは、勝つ事に徹するのであれば至極当然の行為だとさえ言えるだろう。
ただしそれは…あくまでも『プロの選手であれば』の話だ。
中学生の静香が、そのような独りよがりなスタンドプレーに走るなど、学生スポーツとして全く相応しくない、教育上好ましくない行為だと、ダンディな男は静香に対して主張しているのだが。
「…学生らしくって何ですか…!?」
当然、いきなりそんな事を言われた所で、静香が納得するわけが無かった。
「テニスや卓球ではどうなのかは知りませんが、ダブルスを1人でプレーする事自体は、バドミントンでは別にルール違反でも何でもありませんよね!?」
「確かにルールに抵触はしていないが、それでも学生スポーツというのはスポーツマンシップに則り、正々堂々と戦う事を求められているのだ。だからこそルールに抵触しなければ、どんな卑怯な手を使ってもいいという訳では無いのだよ。」
「卑怯!?どうしてそんな事になるのですか!?私は定められたルールをちゃんと守っているのに!!」
なおも食い下がろうとする静香だったのだが、次のダンディな男の追及によって、静香は言葉に詰まってしまう事になるのである。
「では君のパートナーの彼女が、全く何もしていないのに優勝して表彰台に上がり、トロフィーを手にしてしまった事に関しては、君はどう説明する?」
「…そ…それは…!!」
そう、今回の『桜花中学校のダブルスでの優勝』という最高の結果は、100億%静香の力『だけ』で勝ち得た代物だ。
それに対してパートナーの後輩ちゃんは、ただ後ろにボケーッと突っ立っていただけであって、全く何もしていない。汗の1つも流していないのだ。
それなのに優勝という結果を手にして表彰台に上がり、トロフィーを手にするなど…そんな横暴が許されるのかと。
皆、優勝という結果を手にする為に、死に物狂いで頑張っているというのに。
それなのに後輩ちゃんだけが、何の苦労もせずに優勝という栄光を掴み、トロフィーを手にしてしまっているのだ。
それをダンディな男は、静香に対して『卑怯』だと苦言を呈しているのである。
ルール上認められているとか、そういう次元の話では無いのだ。
いきなり名指しされた後輩ちゃんも、自分が両腕で大事そうに抱き締めているトロフィーを、戸惑いの表情で見つめていたのだが。
「次長、そろそろ…。」
そこへ秘書の女性が深刻な表情で左手の腕時計を指差し、ダンディな男に話を切り上げるよう迫ったのだった。
そんな秘書に対して呆れたように苦笑いしながら、深く溜め息をつくダンディな男。
「やれやれ、君とゆっくり話をする時間も無いな。それでは私は次のスケジュールが控えているのでね。悪いがこれで失礼させて貰うよ。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!山口さん!!」
「今の話は今日の定例会議で決まった決定事項だ。今後は何があろうとも、決して覆る事は無いと思いたまえ。」
「…そ…そんな…っ!!」
「今回は急に決まった話だったので、大目に見て君たちの優勝という事にしておく。だが次からは無いと思いなさい。それが嫌だというのであればシングルスで出るか、ちゃんとしたパートナーを見つけたまえよ。」
それだけ一方的に言い残して、秘書の女性と共に去って行ったダンディな男。
その後ろ姿を静香が、唖然とした表情で見つめていたのだった。
シングルスで出ろと言うが、肝心の校長がシングルスでの出場を許してくれないではないか。
ちゃんとしたパートナーを見つけろというが、肝心の静香の全力に追従出来るパートナーが、どこにもいないではないか。
では今後静香は、一体何をどうすればいいと言うのか。
「…どうして…どうしてこんな事に…っ!!」
「…朝比奈…。」
もう完全に詰んでしまった事で歯軋りする静香に対して、どう声を掛けたらいいのか分からず、ただ戸惑いの表情で静香を見つめる事しか出来ないマッチョ。
静香はただ純粋に、大好きなバドミントンを思い切りプレーしたいだけなのに。
それなのに周囲の大人たちの身勝手なエゴのせいで、こうして理不尽に振り回されてしまっているのだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
周囲の人目もはばからずに、静香は絶叫した。
もうどうしたらいいのか分からず、やり場の無い怒りを吐き出すかのように、ただただ絶叫したのだった。
そんな静香がダブルスの舞台において、決して独りよがりなどではない、信頼出来るパートナーとの全身全霊のプレー…日本学生スポーツ協会の言う所の『学生らしい正々堂々としたプレー』が出来るようになるのは。
静香が中学3年生になる来年の4月に、桜花中学校に颯爽と転入して来る、この桜花中学校バドミントン部において静香の全力プレーに唯一追従可能な、内気な少女。
月村詩織との運命的な出会いを、待たなければならなかったのである…。
今回の話は2013年の甲子園においての、花巻東の千葉翔太の件をモチーフにしています。
ルール上全く問題無い行為なのに、学生スポーツとして相応しくないとかで、今後同じ事をやらしかたらアウトにするって言うね。




