第70話:ダブルスという訳にはいかんのか
ブチ切れた静香が…。
翌日の練習開始前のミーティングにおいて、マッチョは静香たちに事情を説明した。
今後3年間、静香をダブルスの試合に必ず出場させる事が決まったと。
シングルスではなくダブルスなのは、『神童』隼人のシングルスでの出場が決まったからであり、静香と隼人が潰し合う事態を避けたいという校長の意向からだと。
それでも静香をダブルスに出場させなければ、自分が監督をクビになるという事だけは隠しながらも…マッチョは静香たちに対して深々と頭を下げたのだった。
当たり前の話だが、部員たちは戸惑いの表情で一斉に顔を見合わせながら、ざわついてしまったのだが…。
「ちょっと待って下さいよ増田監督!!どうして朝比奈だけが特別扱いされなきゃいけないんですか!?」
男子部員の1人が不服そうな表情で、マッチョに食って掛かったのだった。
そりゃあそうだろう。本来なら5月のゴールデンウィークから始まる部内対抗トーナメントによって、全員が公平にレギュラーを決めるはずだったのに、よりにもよって静香だけが無条件でダブルスの試合に出られるというのだから。
「俺たちは皆、レギュラーを目指して必死になってるのに!!どうして朝比奈だけが無条件で試合に出られるんですか!?そんなのおかしいですよね!?」
そうだそうだ!!と、他の部員たちの何人かも、それを契機に一斉にマッチョに対して文句を言い始めた。
確かに静香は強い…いや、『強過ぎる』。
間違いなく桜花中学校のバドミントン部において、ぶっちぎりの最強の実力者だ。
そんな事は、皆も充分承知しているのだが。
だが、だからと言って、どうして静香だけが特別扱いされなければならないのか。
確かにコギャル先輩のように、高校入試の内申で有利になるからという『だけ』でバドミントン部に入ったような、全くやる気が無い部員たちも大勢いるのだが。
それでも静香のように真剣に全国大会出場を目指し、全力でバドミントンに取り組んでいる部員たちも、確かに存在しているのだ。
多くのやる気の無い部員たちが一斉にざわざわしている最中、その真剣な部員たちが不服そうな表情で、一斉にマッチョに対して食って掛かったのだが。
「済まない、皆!!どうか分かってくれ!!」
それでもマッチョはとても辛そうな表情で、部員たちに対して必死に深々と頭を下げ続けたのだった。
こんな時、最強の指導者である美奈子や六花ならば、もっと上手く立ち回る事が出来たのだろうが。
不器用なマッチョには、ただただ部員たちに対して深々と頭を下げる事しか出来ずにいたのだった。
「…何ですかそれ…!!何なんですかそれ!!確かに朝比奈は強いですよ!!それは俺たちだって分かってますよ!!だからって何でこいつだけが!!」
部員たちの多くが怪訝な表情で、一斉に静香を睨みつけてしまっていた。
そんなチームメイトたちの悪意に満ちた視線に、戸惑いの表情を隠せない静香。
頭を上げたマッチョは、そんな最悪の光景を目の当たりにさせられてしまい、思わず狼狽えてしまったのだった。
マッチョが想定していた最悪の状況が、早くも現実の物になってしまっているのだ。
このままでは静香が部内で完全に孤立してしまうだけでなく、最悪いじめの被害に遭ってしまう可能性さえも…。
「なあ、朝比奈!!どうしてもシングルスじゃなきゃ嫌か!?ダブルスという訳にはいかんのか!?」
なんかもう泣きそうな表情で静香の両肩を優しく両手で掴み、必死に静香に懇願するマッチョだったのだが。
「…こんなの、皆さんが怒るのは当たり前ですよ!!増田監督は一体何を仰られているのですかぁっ!?」
「朝比奈…!!」
マッチョに優しく両肩を掴まれたまま、とても真剣な表情で、静香もまたマッチョを怒鳴り散らしたのだった。
そんな静香に、マッチョは戸惑いを隠せない。
「そもそも私が一番納得出来ませんよ!!先日、私は増田監督に言いましたよね!?どうか私を特別扱いしないで欲しいと!!」
「分かってる!!お前の言いたい事は俺が一番よく分かってる!!けどな!!俺の権限じゃ、もうどうにもならないんだよ!!」
「そんな…!!」
校長から監督として、バドミントン部の指導を一任されているマッチョではあるが、それでも書類上の立場としては、校長に雇用された桜花中学校の職員でしかないのだ。
だからこそ、いかに監督といえども、雇用主である校長の意向には逆らえないのである。
それをマッチョは不器用ながらも、静香たちにどうにか説明したのだが。
それでも部員たちの怒りは収まらず、逆に大騒ぎになってしまったのだった。
無理も無いだろう。マッチョが言っている事は、所詮は大人たちの身勝手な都合でしか無いのだから。
「…分かりました!!ならば私が今から校長先生に直談判しに行ってきます!!」
「ちょ、おい朝比奈!!」
「こんなの、皆さんも到底納得が行かないでしょう!?」
そして騒ぎの元凶となってしまった静香が、怒りの形相でマッチョを振りほどき、ズケズケと校長室に向かって行ってしまう。
「待て朝比奈!!お前らは取り敢えず自主練しといてくれ!!俺は今から朝比奈を追いかけに行ってくる!!」
果たしてマッチョに付き添われながら、ノックもせずに勢いよく、バァン!!と校長室の扉を開け放った静香の目の前にいたのは…優雅にコーヒーを飲みながら威風堂々と椅子にどっかりと腰を下ろし、書類に目を通している校長の姿だった。
そんな校長の前にズケズケと歩み寄り、静香は怒りの形相で睨み付ける。
「無礼だぞ朝比奈君。部屋に入る時はノック位しなさい。」
「無礼なのは一体どちらですか!?」
「何だと?」
「私を特別扱いしろと増田監督に言った事、今すぐに撤回して下さい!!」
怒りの形相で校長を怒鳴り散らす静香だったが、それでも決して怯む事無く、鋭い視線で静香を睨み返す校長。
いや、というか校長にとって静香など、所詮は中学1年生の子供でしかないのだ。
バドミントンの天才だか何だか知らないが、たかが12歳か13歳かそこらの子供が目の前でぎゃあぎゃあと騒いだ所で、校長にとっては別に蚊に刺された程度の代物でしかない。
「何が不満なのだね?君を必ず大会に出すと言っているのだぞ?」
「他の部員の皆さんが納得していないと言っているんです!!皆さん相当怒っていらっしゃってますよ!?どうして朝比奈だけを特別扱いするんだと!!」
「…何を言い出すかと思えば、下らんな。」
「んなっ…!?」
呆れたような表情で、深く溜め息をついた校長。
そんな校長の姿に、静香は戸惑いを隠せずにいたのだが。
「君はもう少し、自分が置かれている立場という物を考えたまえ。私はバドミントンに関しては詳しく無いのだがね。君はバドミントンの『天才』だと、周囲から騒がれているらしいじゃないか。」
「だから何だと言うのですか!?」
「小学生だった頃は出場した全ての大会で、ぶっちぎりの強さで優勝。それ程の逸材を特別扱いしない理由がどこにある?」
「だから!!それを!!他の部員の皆さんが!!納得していないと!!」
だが次の瞬間、校長は静香とマッチョに対して、とんでもない事を言い出したのである。
「そうか。ならば納得していない他の部員たちを全員退部にするまでだ。」
「…はあああああああああああああああああああああああああ!?」
全く予想もしていなかった校長の無茶苦茶な言葉に、思わず仰天してしまう静香。
そんな静香の事を校長は、相変わらず鋭い眼光で睨み返している。
「私の言っている事が理不尽だと思うかね?だが君もいつか大人になって社会に出れば、嫌でも思い知らされる事だ。一般企業において上司に反抗的な態度を取る社員など、即座にクビを言い渡されて当たり前だ。」
「そ…そんな…!!横暴じゃないですか!!」
「今回の件でも同じ事だ。そもそも私は他の部員たちに対して、バドミントンをするなと無茶な事を言っている訳では無い。君を必ずダブルスの試合に出せと言っている『だけ』なのだよ?それのどこが横暴なのかね?」
校長の言葉に、なんかもう泣きそうな表情で言葉に詰まってしまった静香。
無理も無いだろう。校長に直談判しに行ったはずが、逆に他の部員たちの退部までちらつかされてしまったのだから。
このまま静香が校長に対して反論し続ければ、最悪本当に他の部員たちが退部処分になってしまう可能性さえも…。
かと言って所詮は一介の女子中学生でしかない静香如きの権力では、これ以上は最早どうする事も出来なかった。
もう今の静香には、校長の要求を呑む以外に、選択肢は残されていないのである。
静香はただ大好きなバドミントンを、純粋に全力でプレーしていたいだけなのに。
それなのに身勝手な大人たちの下らないエゴのせいで、こうして静香は振り回され、追い詰められてしまっている。
静香がバドミントンの類稀な才能を『持ってしまった』せいで。
「話は以上だ。これ以上の反論は許さんぞ。分かったのなら増田監督と一緒に、さっさと練習に戻りなさい。分かったね?」
「…分かり…ました…。」
マッチョに付き添われながら、とても悔しそうな表情で、歯軋りしながら校長室を後にする静香。
(…フン、所詮はクソガキか。)
そんな静香の後ろ姿を、校長が侮蔑の表情で睨み付けていたのだった。
静香の周囲の大人たちは、皆が口を揃えて言う。
静香は過去に前例が無い程の、バドミントンの『天才』だと。
天才だから、才能があるから、静香はこんな事になってしまったと言うのか。
「おい朝比奈、どうだった!?校長先生は何て言ってた!?」
体育館に戻ってきた静香に対して、部員たちが一斉に駆け寄ってきたのだが。
先程までの威風堂々とした姿は、一体どこへやら。
マッチョに付き添われながらトボトボと力無く体育館に戻ってきた今の静香には…先程までの力強さは微塵も感じられなかったのだった。
そりゃあそうだろう。これはもう静香1人だけの問題では無くなってしまったのだから。
「…私がダブルスの試合に出なければ…反論する皆さんを退部にすると…校長が…。」
「…何だよそれ…!?一体何なんだよそれぇっ!?」
憔悴し切った静香の両肩を、思わず乱暴に掴んでしまった男子部員。
そんな男子部員に全く抵抗も反論も出来ず、ただ俯きながら、されるがままになってしまっている静香。
「どうしてお前だけが特別扱いされなきゃならないんだよ!?俺たちは真剣にレギュラーを目指して必死に頑張ってるのに!!どうしてお前だけが!!」
「…ごめんなさい…工藤先輩…ごめん…なさい…っ!!」
「くそがぁっ!!」
静香の両肩を離した男子生徒は、怒りの形相でシャトルを床に叩きつけた。
勿論、今この場で静香やマッチョを責めた所で何もならないという事は、この男子生徒も分かっている。
かと言って自分が校長に抗議すれば、自分だけでなく他の部員たちまで退部処分になってしまう恐れも…。
あまりの理不尽さ、そして校長の横暴さに、男子生徒は絶叫したのだった。
こうして渋々ながらも、静香が特別扱いされる事を『納得させられた』部員たちだったのだが…もう1つ問題が残されていた。
それは静香のダブルスのパートナーを、誰にするのかという話だ。
そもそもの話、今の静香の全力プレーに追従出来る部員自体が、今の桜花中学校バドミントン部には1人も存在しないのだ。
そう、下手に静香のパートナーとして試合に出た所で、かえって静香の足手まといになってしまうだけなのである。
「誰か、朝比奈のパートナーになりたい奴はいないか?」
それを分かっているからこそ、他の部員たちの誰もが、マッチョからの呼びかけに対して挙手しなかったのだが。
「あの~、増田監督。だったら私が出てもいいですか?」
ただ1人、コギャル先輩だけは、ヘラヘラ笑いながら挙手したのである。
「朝比奈さんと組むのなら、部内対抗トーナメントに出なくてもいいんですよね?」
「あ、ああ、そうだな。校長からも言われている事だ。」
「ラッキーwwwwこれで高校受験の時の内申で、ますます有利になるわwwww」
「そ、そうか…よろしく頼んだぞ、佐々木。」
コギャル先輩が静香に対して『怖いから二度と打つな』と厳命した、あの凄まじい威力のスマッシュ。
それが大会で一転して、味方のスマッシュとして武器になってくれるのであれば、これ程心強い事は無い。
それどころか静香がパートナーになってくれる『だけ』で、楽に大会を勝ち進めてしまう可能性さえも…。
だからこそコギャル先輩は、静香のパートナーに立候補したのである。
あの時とは態度を180度変えたコギャル先輩は、静香に対してとってもフレンドリーに接してきたのだった。
「一緒に頑張ろうね、朝比奈さん!!」
「え、ええ…佐々木先輩…。」
ヘラヘラ笑いながら自分の右手を両手で掴んでブンブンするコギャル先輩を、複雑な表情で見つめる静香。
かくして6月から開始される地区予選大会のダブルスには、静香とコギャル先輩のペアが出場する事になった。
だが、それが更に静香の孤立を深めてしまう最大の要因になってしまうのだという事を…この時の誰もが思いもしていなかったのだった…。
いよいよ静香のダブルスでの地区予選大会が開始です。
しかしまさかのトラブルが…。




