第67話:私は16年ですよ
県予選大会編、完結です。
まさかの静香の黒衣発動。
ある意味では自らの不祥事とも取れる現実を、来賓室から目の当たりにさせられてしまった様子は、焦りの表情で静香の姿を睨みつけていたのだった。
「ななななななな何をやっているザマスか静香さん!?あ~たはいずれ私の跡を継ぎ、朝比奈コンツェルンの総帥となるべき娘ザマスよ!?それなのに黒衣を纏うなど…!!」
そう、様子が自らの後継者だと定めていた静香が、よりにもよって黒衣を発動してしまったのだ。
それが何を意味するのか…それを理解出来ない程、様子は馬鹿では無いのだから。
黒衣とは類稀な才能を有する者が、深い『絶望』に堕ちた際に発現するとされている力だ。
それを他でも無い静香が、様子の実の娘である静香が、様子の目の前で纏ってしまったのである。最早スキャンダルとか、そういう次元の話では無いだろう。
最悪の場合、朝比奈コンツェルンの株価にさえも影響する可能性も…。
「彩花ちゃん…あぁん…彩花ちゃん…。」
「くっ…そんなこけおどしでぇっ!!」
それでも彩花は怯む事無く、静香に対してシャドウブリンガーを放ったのだが。
「あはははははははははは!!」
その瞬間、静香のラケットから放たれた、一筋の『閃光』。
カウンターで放たれた維綱が、彩花の足元に突き刺さったのだった。
「1-1!!」
「そんな…馬鹿な…っ!!」
黒衣に呑まれた目の前の静香を、驚愕の表情で睨み付ける彩花。
妖艶な笑顔で、静香は彩花をじっ…と見据えている。
その静香の変貌ぶりを、客席から佐那と沙也加が、驚愕の表情で見つめていたのだった。
「ね、ねえ、お母さん…静香お姉ちゃん、なんか怖いよ…一体どうしちゃったの…?」
「…最悪だ…私は静香の指導者として失格だ…!!」
あれは静香が、まだ中学2年生だった頃。
静香が太一郎に付き添われて道場の門を叩いた、あの時。
あの日の静香とのやり取りを、沙也加は今になって思い出していたのだが。
『うん、分かった。君の入門を認めてあげる。』
『本当ですか!?心から感謝します!!沙也加さん!!』
『ただし条件があるよ。部活には通わなくていいけど学校には必ず出席して、しっかりと勉強して赤点を取らない事。ここに来るのは学校が終わってからと、後は土曜日だけにしておきなさい。日曜日と祝日はしっかりと休んで、お母様との時間を大切にする事。いいね?』
『お母様との時間ですか…あの人との時間なんて、私にとっては苦痛以外の何物でもありませんけどね。』
『こらこらぁ!!君の事を女手1つで育てて下さっているお母様に対して、そんな酷い事を言ったら駄目だよ!?』
あの時の沙也加は、当時まだ中学2年生だった静香が、思春期の子供特有の、親に対しての反抗期的な何かだとばかり思っていたのだが…現実は違っていたのだ。
私にとっては苦痛以外の何物でも無い。
そう…あれはまさしく、『そのままの意味』だったのだ。
その残酷な事実に沙也加が、もっと早くから気付く事が出来てさえいれば…。
「あの子が抱えていた心の闇に、あの子の家庭の事情に、どうして私は正面から向き合ってやらなかったんだ!?」
「…お母さん…。」
「そもそも周囲の大人たちは、今まで一体何をやっていたんだ!?どうして静香の事を、黒衣を顕現させる程までに追い詰めてしまったんだぁっ!?」
悲しみの表情で絶叫する沙也加だったのだが、それでも試合は情け容赦なく進んでいく。
静香が繰り出したロブが精密無比の精度で、彩花の背後のラインギリギリに突き刺さったのだった。
「1-2!!」
今大会において、彩花が初めてリードを奪われた。
その事実が、もしかしたら今度こそジャイアントキリングが有り得るかもしれないと、観客たちを熱狂させたのだが。
「…ったく、おい朝比奈!!黒衣を使うなら地区予選の時から使っとけや!!何を今の今まで勿体ぶってやがったんや!?」
ベンチにふんぞり返っている黒メガネから飛び出た予想外の言葉に、思わず六花は立ち上がって怒りを顕わにしたのである。
「古賀監督!!貴方は朝比奈さんが黒衣に呑まれた事を、最初から知っていらっしゃったのですか!?」
だが次の瞬間、黒メガネが六花に対して妖艶な笑顔で、とんでもない事を言い出したのだった。
「何や藤崎コーチ!!んなもん、あいつが入部してきた時から気付いとったわ!!」
「入部してきた時からって…!!」
そう、あの入部初日に、黒メガネが静香の鏡月でぶち転がされた、あの時からだ。
あの時から黒メガネは、静香が内に秘めていた黒衣の存在に気付いていたのだ。
六花でさえも静香の黒衣の存在に、今まで気付いていなかったというのにだ。
現役時代は日本代表として、伊達に世界の舞台で活躍した経験があるだけの事はある。
どうやら人を見る目に関して『だけ』は、黒メガネは六花を上回っているようなのだが。
それなのに、黒メガネは…。
「それなのに貴方は朝比奈さんに対して、どうしてメンタル面のケアをしてあげなかったのですか!?どうして朝比奈さんにむざむざと黒衣を発動させたのですか!?」
そう、黒メガネは静香が黒衣に呑まれている事に気付いていながら、静香に対して何の心のケアもしてあげる事無く、ずっと今の今まで静香の事を放置していたのだ。
こんなの、指導者としては無能どころの話では無い。完全に指導者失格ではないか。
六花は黒メガネの無責任さに対して、怒りを顕わにしていたのだが。
「貴方は朝比奈さんの事を何だと思っているのですか!?貴方は彩花に勝つ為に、朝比奈さんに身も心もボロボロになれと仰りたいのですか!?」
「当たり前やろが!!」
こいつは一体何を言っとるんだと、黒メガネが六花に対してヒソッヒソッと失笑したのだった。
「英雄だか何だか知らんけどな!!所詮お前はスイスとかいう微温湯の環境で育った甘ちゃんや!!」
「何ですって!?」
「試合に勝つ為に身も心もボロボロになるなんてのはな!!そんな物は当たり前の話やろが!!最近までスイスに居たお前は知らんやろうけどな!!日本には神風精神っちゅー言葉があるんや!!」
「神風精神って…!!」
第2次世界大戦末期。米軍の圧倒的な物量と戦力を前に敗色濃厚となった日本軍は、当時まだ17歳かそこらの少年兵たちに対して、戦闘機で敵艦隊に特攻して自爆し、敵艦隊を道連れにして国の為に死ぬ事を厳命した。
この時の少年兵たちは『神風部隊』と呼ばれ、多くの少年兵たちの命が特攻による自爆によって散っていったのだが…残念ながらこれによって米軍に損害が出たという記録は残されておらず、後に日本政府はアメリカに対して無条件降伏をする事となる。
この少年兵たちの自己犠牲の精神は、日本では今も『神風精神』と呼ばれ、受け継がれているのだ。
スポーツにおいてチームの勝利の為に、自らの身を削るのは素晴らしい事だと。
とはいえ、かつては素晴らしい自己犠牲の精神だと美化されてはいたものの、今では愚かな根性論だという批判の声の方が大きくなっているのが現実なのだが。
とにかくこの『神風精神』を、目の前の黒メガネは大々的に公言したのである。
彩花に勝つ為に静香が黒衣を纏うなんてのは、当たり前の事だと。
その結果、静香が一体どうなってしまうのか…それを全く気に留めようともせずにだ。
何という無能な、そして無責任な指導者なのか。六花は怒りの形相で黒メガネを睨み付けたのだった。
たら、れば、の話になってしまうが、もし六花が支部長の要望に従い、彩花専属とは言わずに静香たち聖ルミナス女学園バドミントン部全員の面倒を、しっかりと見てあげる事が出来ていたら…。
「ハヤト君…楓ちゃん…お母さん…!!」
静香との死闘の最中、チラリと横目で隼人たちに視線を移す彩花。
隼人も楓も真剣な表情で、彩花に対して精一杯の声援を送ってくれている。
そして六花は心配そうな表情で、彩花と静香を見つめていたのだが。
「私とシてる最中に、他の方に目移りするなんて!!」
そこへ静香から放たれた渾身の維綱が、彩花の足元に突き刺さったのだった。
「5-6!!」
なんかもう物凄い形相になった静香が、冷酷な瞳で彩花を睨みつけている。
「ねえ、彩花ちゃん!!今、彩花ちゃんとシてるのは私なんですよぉ!?それなのに私の事をほったらかしにするなんて、一体どういうつもりなんですかぁ!?」
「し、静香ちゃん…!!」
互角に渡り合っていた。あの彩花を相手に、静香は互角に渡り合っているのだ。
これまでの地区予選や県予選では、誰もが黒衣を纏った彩花の前に、セカンドゲームにすら辿り着けずに五感を奪われ、試合続行不可能になってしまったというのにだ。
その彩花を相手に、静香は互角に渡り合っているのである。
まさかの静香の黒衣発動、そしてその静香に自分が苦戦させられているという現実に、彩花は戸惑いを隠せずにいたのだが。
「彩花!!戸惑う気持ちは分かるけど、今は朝比奈さんとの試合に集中しなさい!!」
そこへ六花からの檄が、彩花の下に届けられたのである。
とても力強く、そして彩花への優しさに満ち溢れた、大好きな六花の声が。
「試合前にも言ったけど、朝比奈さんは何かに気を取られて勝てる程、甘い相手じゃ無いわよ!?」
「…う、うん!!分かった!!」
そう、彩花には六花がいてくれる。六花が彩花の事を見守ってくれている。
それが静香に追い詰められている彩花の心に、安心感を与えてくれる。
「そうだよ!!お母さんの言う事は全て正しい!!お母さんに従っていれば何も間違いは無いんだからぁっ!!」
彩花の渾身のクレセントドライブが、静香のラケットを空振り三振させ、ラインギリギリに突き刺さったのだった。
「6-6!!」
「よっしゃあっ!!」
とても真剣な表情で、派手にガッツポーズをする彩花。
そんな彩花を、妖艶な笑顔で見据える静香。
まさに準決勝第2試合に相応しい、『神童』VS『天才』の互角の死闘に、観客たちは大いに熱狂しているのだが。
「…これは…正直あまりよろしく無いな。」
そんな中でダクネスが厳しい表情で、彩花と静香の死闘を冷静に見つめていた。
確かに互角の死闘を演じてはいる。観客たちが熱狂するように、まさに準決勝第2試合に相応しい死闘だ。
だが、それでも。
「今の藤崎彩花と朝比奈静香は、ボクシングで例えるならば、互いにノーガードでストレートを撃ち合っているような物だ。このまま試合を続ければ…。」
そう、このままの状態で試合を続ければ、彩花も静香も一体どうなってしまうのか。それをダクネスは懸念しているのである。
黒衣を纏う事によって襲い掛かる、強烈な破壊衝動。
それが彩花と静香に、一体どのような悪影響を及ぼしてしまうのか。
「お母さん…この試合、一体どっちが勝つと思う?」
「私にも分からないわ。何しろ2人の実力は伯仲しているもの。正直どちらが勝ってもおかしくない程までにね。」
亜弥乃の質問に、とても真剣な表情で応える内香。
彩花と静香。この2人の実力は、ほぼ互角。
秘められた才能さえも、ほぼ互角。
ではこの2人の勝敗を分ける物があるとすれば、それは…。
「…静香ちゃん…どうしてこんな事になってしまったの…!?どうして!?」
黒衣を纏った静香の無様な姿を、詩織が目に大粒の涙を浮かべながら、悲痛の表情で見つめていたのだった。
「ふんだ!!静香ちゃんが一体どんな絶望を味わって、黒衣に目覚めたのか知らないけどさ!!」
彩花の維綱を静香が天照で返すものの、それを予測していた彩花が縮地法を駆使し、彩花の後方に放たれたシャトルに一瞬で追い付いてみせた。
そして隙だらけになった静香の足元に、クレセントドライブが襲い掛かる。
「15-13!!」
突き放す彩花。これまで誰も攻略出来なかった静香の天照を、彩花が遂に攻略してみせたのだ。
「そんな物、私が聖ルミナス女学園で味わった、1ヵ月もの生き地獄に比べたら!!」
「なぁんだ。たったの1カ月ですか。」
だがそこへ静香の維綱が、情け容赦なく彩花の足元に突き刺さる。
「15-14!!」
突き放そうとする彩花を、静香は決して離そうとしない。
何度でも、何度でも、何度だって、静香は彩花に食らいついていく。
だが静香は妖艶な笑顔で、とんでもない事を彩花に語ったのだった。
「彩花ちゃん。そんなに1ヶ月と言うのなら…!!私は16年ですよぉっ!!あはははははははははは!!」
「じゅ…16年!?」
唖然とした表情で、目の前の静香の爆弾発言に仰天する彩花。
そして静香は妖艶な笑顔で彩花を見据えながら、これまでの人生を脳内で振り返ったのだった。
あの朝比奈様子とかいうクソBBAを始めとした、周囲の大人たちの身勝手なエゴのせいで振り回され、大切な友達である詩織とも理不尽な理由で離れ離れにされてしまった、これまでの16年間もの忌まわしい人生を…。
次回は静香の過去回想編。
静香が黒衣に呑まれるきっかけとなってしまった、中学生の頃のお話です。




