第62話:お母様の事をゴミクズのように捨ててやる
静香が可哀想。
結局、駆の必死の奮闘も虚しく、試合は静香の圧勝という結果に終わった。
特にセカンドゲームでの静香の戦いぶりは圧倒的であり、駆に先制点を奪われた事で気合を入れ直した静香は、一切の油断も慢心も捨て去り、駆を完膚なきまでに叩きのめしたのである。
そう、まるで隼人のように。
「お互いに、礼!!」
「「ありがとうございました!!」」
大歓声に包まれながら、互いに握手をして穏やかな笑顔で見つめ合う駆と静香。
「あ~あ、畜生、負けちまったわ。朝比奈、お前マジで凄ぇな。」
「いえ、天野君こそ素晴らしかったですよ。」
本心からの言葉を、静香は駆に送ったのだった。
結果だけを見れば確かに静香の圧勝だったが、それでも駆は強かった。
伊達に県予選大会まで勝ち上がっただけの事はある。静香にとって決して油断出来るような相手では無かったのである。
間違いなく駆は全国レベルの実力者…今回は静香に敗れた事で1回戦で姿を消す事になってしまったが、それでも愛知県代表としてインターハイに勝ち進んでも決しておかしくない程の実力を有しているのだ。
そして地区予選大会で決勝戦以外の全試合を完封し、名古屋地区の地区予選大会の大会MVPに選ばれてしまった事で、いつの間にか自らの心の中に僅かに芽生えてしまっていた油断と慢心を、駆は『静香から先制点を奪う』という形で戒めてくれたのだ。
その事に関して静香は、心の底から駆に対して感謝していた。
そして静香を相手に惨敗を喫してしまった駆ではあるが、今回の敗戦はこれからの駆の人生において何物にも代えられない、最高の思い出と経験となったはずだ。
何故なら県予選大会という最高の舞台で、静香という最強の相手と、こうして正々堂々と全力でぶつかり合う事が出来たのだから。
そして静香もまた駆を相手に、正々堂々と全力でぶつかってくれた。その結果として駆は静香に負けたのだ。
だから今の駆には静香を相手に負けた悔しさはあれど、後悔など微塵も無かった。
まるで達観したかのような、とても清々しい笑顔で、駆は朝比奈を見つめている。
「朝比奈。お前は真面目な奴だから分かってると思うけどよ。藤崎ばかりに目を奪われて、来週の2回戦と準々決勝で足元を掬われないようにな。」
「はい。天野君に言われずとも、重々承知していますよ。」
とても力強い笑顔で、駆に頷く静香。
そう、駆に言われずとも、そんな事は静香は重々承知の上だ。
いいや、駆との試合の中で『思い知らされた』と言うべきか。
駆と試合をする前の、心の中に僅かに油断と慢心を抱いてしまっていた静香は、確かに駆に言われたように彩花の事しか見えていなかったような気がする。
2回戦と準々決勝の事を正直甘く見ていた事は、静香は否定しなかった。
だがそんな愚かな油断も慢心も、今日で終わりだ。
今後は静香は例え相手が誰だろうと、もう決して油断も慢心もしない。全身全霊の力でもって対戦相手を徹底的に、情け容赦なく叩きのめすつもりだ。
そう、まるで隼人のように。
「…顔、大丈夫か?痛くないか?」
ふと、駆が、とても心配そうな表情で静香の右頬を見つめたのだった。
あの試合で自らを戒める為に、自分の顔を自分で殴るという、とんでもない自傷行為を行った静香。
その時の静香の殴打の跡が、今も静香の右頬にくっきりと残っているのだが。
「問題ありませんよ。私の事を心配して下さった天野君に心からの感謝を。」
そんな駆に静香は、とても穏やかな笑顔を向けたのだった。
今も少しだけ痛みが残っているが、別に大した怪我ではない。
「そうか、なら良かったけどよ。もうあんな馬鹿な真似はするんじゃねえぞ?」
「はい。」
とても安堵の表情で、静香を見つめる駆。
今回の大会で静香と敵同士としてぶつかり合った駆ではあったが、それでも試合が終わってしまえばノーサイドだ。
今の駆にとって静香は、自分と同じく全力でバドミントンに取り組む仲間同士なのだ。
そんな静香の怪我を心配するのは、駆にとって当然の事だった。
「準決勝、多分藤崎が上がってくると思うけどよ。俺の分まで頑張ってくれよな。」
「勿論です。天野君の想いも背負って、全力で彩花ちゃんと戦いますよ。それでは。」
駆に対して穏やかな笑顔で右手を振り、コートを後にする静香。
そんな静香を愛美たち聖ルミナス女学園のチームメイトたちが、大喜びしながら出迎えてくれた。
皆、静香の勝利を、心の底から喜んでくれている。
そのあまりの強さと才能故に、中学時代は嫉妬したチームメイトたちから理不尽に疎まれ、天才であるが故の孤独を味合わされてしまっていた静香。
だが、この聖ルミナス女学園では違う。誰もが静香の事を互いに切磋琢磨する仲間同士として、とても大切に扱ってくれている。
この聖ルミナス女学園に来て本当に良かったと…そんな可憐な笑顔を愛美たちに見せた静香ではあったのだが。
「静香さん!!」
その和やかな雰囲気をぶち壊すかのように、先程から試合を観戦していた様子が塚本を引き連れ、顔を赤くしながら怒りの形相で乱入してきたのだった。
予想外の人物の登場に、愛美たちは驚きを隠せない。
「お母様、塚本さん…!!」
「何という無様な試合ザマスか!?あんな格下の選手を相手に10点も奪われるなど!!」
駆との死闘を制した静香に対して様子が浴びせたのは、称賛ではなく叱責。
『格下の選手』などと様子が侮蔑する駆を相手に、静香は10点も取られた。しかもセカンドゲームに至っては先制点すら許してしまった。
それを様子は、静香に対して激怒しているのだ。
そんな様子の静香に対しての理不尽な叱責に、愛美たちは驚きと戸惑いを隠せない。
地区予選大会を勝ち進んだ32名の猛者たちが集う、県予選のシングルス部門。
その2回戦まで勝ち進んだ自分の娘に対して、どうしてそんな事を平気で言えてしまうのか。
いや、そんな事よりも。
様子は先程の試合で、静香が気合を入れ直す為に自傷行為を行った事を、全く心配する素振りを見せていないのだ。
それはつまり様子が静香の事を母親として全く愛していない、朝比奈コンツェルンの跡取り娘としてしか見ていないという、確固たる証明とも言っていいだろう。
恐らく様子は静香の自傷行為に関してさえも、『朝比奈家の令嬢ならば当たり前の事』だとさえ思っているに違いない。
「うるせえよBBA。そこまで言うなら、てめえが天野君と戦ってみせろってんだ(ボソッ)。」
そんな様子に対して、苛立ちと絶望の感情が湧き出す静香。
「何か言ったザマスか?静香さん。」
「いえ、何でもありませんよ。」
それでも決して表情には出さず、静香はあくまでも平静を装ったのだった。
まあ、様子のこんな理不尽な叱責は、いつもの事なのだが。
美奈子に慰められている駆を遠くから見つめながら、静香は隼人の事が羨ましいと心の底から思ったのだった。
だって、あんなにも美人で素敵で、おっぱいが大きい母親が、いつも隼人の傍にいてくれているのだから。
(いいなぁ…須藤君には須藤監督がいてくれて…いいなぁ…。)
「あの、様子さん。ちょっといいですか?」
ふと、愛美がとても真剣な表情で、静香を庇うように様子に食って掛かってきた。
「貴女は実の娘がこれだけ頑張っているのに、天野君を倒して2回戦に進出したのに、どうしてそれを褒めてあげようとしないんですか!?よく頑張ったね、偉いねって、どうして朝比奈さんに言ってあげないんですか!?」
「何ザマスか?貴女は。」
「貴女にとって朝比奈さんは、一体何なんですか!?」
愛美は許せなかったのだ。様子が静香に対して理不尽な叱責を行った事が。
しかも様子は駆との試合を、実際に客席から観戦していたというのにだ。
あれだけ静香が頑張ったというのに、その静香の頑張りをどうして褒めようとしないのか。どうして『10点も取られた』などと叱責出来てしまうのか。
一体様子は、静香の事を何だと思っているのか。
「いいんですよ、部長。」
そんな愛美を庇うかのように、静香が様子の前に立ちはだかったのだった。
もう、この人には何を言っても無駄だと…そう言わんばかりの諦めの笑顔で。
「…朝比奈さん…。」
「まあいいザマス。来週からの2回戦と準々決勝、今日のような無様な試合をしたら、ただではおかないザマスからね?」
朝比奈コンツェルンの総帥としての胆力に満ち溢れた眼力で、静香を睨み付ける様子。
駆を相手に圧勝したというのに、無様な試合って。
聖ルミナス女学園のバドミントン部の部員たちの誰もが、怪訝な表情で様子の事を見つめている。
「ええ、心得ていますよ。」
そんな様子を前に全く怯む事無く、真っすぐに様子を見据える静香。
とても親子の会話とは思えない緊迫した空気が、2人の間に流れていたのだった。
親子とは、一体何なのだろうか。
いや、この2人は本当に実の親子なのだろうか。
様子の静香への理不尽な叱責を前に、思わずそんな疑問を抱いてしまった愛美たちなのであった。
「恐らく準決勝には藤崎さんが上がってくるザマスが、あ~たには藤崎さんを徹底的に叩きのめして、ギシギシアンアンする責務があるザマスからね?」
それだけ静香に告げた様子が、威風堂々と静香たちに背中を向けて去って行く。
「では私はこの後、取引先との商談があるので戻るザマス。行くザマスよセバス。」
「塚本です。」
そんな様子の後ろ姿を、唖然とした表情で見送る愛美たちだったのだが。
(今はまだ、その時じゃない…今の収入の無い子供の私が家を出た所で、行く当ても無く路頭に迷ってしまうだけ…だから今はお母様に何を言われても耐えなければ…。)
ただ1人、静香だけは、怒りと憎しみに満ちた冷酷な瞳で、様子と塚本の後ろ姿を睨みつけていた。
(だけど、晴れて私が大人になって、立派な社会人になって、独立した暁には…。)
様子からは朝比奈コンツェルンを継げと、総帥となるのに相応しい女になれと、散々口酸っぱく言われているのだが。
あんなクズみたいな母親の跡を継ぐなど、冗談ではない。
まして静香にはバドミントンのプロ選手になるという、誰にも譲れない大きな夢があるのだから。
ああ、そうだ。様子のお望み通り彩花は必ず倒してみせよう。
そして決勝戦には隼人か楓のどちらかが上がってくるだろうが、どちらが上がっても必ず倒して県予選大会を優勝してみせる。インターハイでも活躍してみせる。
それで愛美が先程言っていたようにプロのスカウトたちに猛アピールして、必ずバドミントンのプロ選手になってみせる。そうすれば、まとまった額の契約金と年俸を手にする事が出来る。
勿論弱肉強食の世界なので、一般企業と違い安定した収入が補償されている訳では無い。
それどころか活躍出来ずに、1年持たずにクビになる恐れさえもある。そういう選手を美奈子も六花もスイスで数え切れない程見てきた。
それが美奈子と六花が、隼人と彩花のプロ入りに猛反対する理由の1つなのだが、それでもひとまずは静香1人だけで食べていけるだけの金銭は得られる事だろう。
それを果たす事が出来た、その暁には…。
(お母様の事をゴミクズのように捨ててやる…!!)
その決意を胸に秘め、静香は様子と塚本の後ろ姿を睨みつけていたのだった。
次回はいよいよバンテリンドームナゴヤでの準決勝。
…なのですが、前回も述べたように作者多忙につき、申し訳ありませんがしばらくの間、執筆活動をお休みさせて頂きます。
次回、第63話「俺が前に進む為にも」の掲載は、12月28日(土)とさせて頂きます。
本当に御免なさい(泣)!!




