第60話:一体彩花ちゃんに何があったんですか
彩花と六花が…。
「彩花ちゃん!!六花さん!!ちょっと待って下さい!!」
彩花と六花の下に慌てて駆けつけてきた隼人は、とても真剣な表情で目の前の彩花を見据えたのだった。
あの時、久しぶりに再会した彩花から、隼人が感じた違和感と威圧感。
それがまさか、よりにもよって黒衣による物だったとは。隼人は驚きを隠せずにいたのだった。
「彩花ちゃん、一体全体どうしてしまったんだ!?どうして君が黒衣なんかに目覚めてしまったんだ!?」
黒衣。類稀な才能を持つ者が深い『絶望』に堕ちてしまった際に顕現するとされている、漆黒の闘気。その存在は隼人も美奈子から聞かされていた。
歴史上においても世界中において、50年から100年に1人の割合で発動した記録が残されていると。
それをよりにもよって、他でも無い彩花が身に纏ってしまったのだ。
それが一体何を意味するのかという事を、どんな残酷な事実を表わしているのかという事を、隼人は持ち前の聡明さで即座に見抜いてしまったのである。
彩花が隼人としばらく会わない間に、何らかの『絶望』を味わったのだという事を。
最近ではドルフィンズアリーナで去年開催された世界選手権において、デンマーク代表として出場した亜弥乃が試合中に黒衣を発動した事が、その試合を美奈子と一緒に生で観戦していた隼人の脳裏に、今も鮮明に焼き付いているのだが。
まあ隼人は別に亜弥乃と面識がある訳ではないし、そんな事は今はどうでもいい。
「それに彩花ちゃん、どうして二階堂をあそこまで痛めつけるような真似をしたんだ!?あんな弱者をいたぶるような真似、彩花ちゃんらしくないじゃないか!!」
「ハヤト君。もしかして二階堂君が五感を奪われた事を言ってるの?」
「ああ、そうだよ!!」
そう、隼人が問題視しているのは、彩花との試合中に力也が五感を剥奪され、担架で医務室に運ばれて棄権に追い込まれてしまった事だ。
バドミントンは紳士のスポーツだというのに、何故あそこまでする必要があったのか。
隼人が知っている彩花はスポーツマンシップに溢れ、あそこまで対戦相手を痛めつけるような子じゃ無かったのに。
それに黒衣を纏った彩花が力也に対して見せつけた、あの冷酷な瞳に妖艶な笑顔。
「ハヤト君。君は何か勘違いしてるみたいだけどさ。」
だがそんな隼人の正論に対して、彩花がとても不服そうに、マンボウみたいに頬を膨らませながら反論したのだった。
「あれは私が二階堂君の五感を奪ったんじゃなくて、二階堂君が自分から勝手に五感を奪われたの。」
「…な…何だって…!?」
予想外の彩花の言葉に、戸惑いを隠せない隼人。
二階堂が自分から勝手に五感を奪われたって。一体彩花は何を言い出すのか。
「安心しなさい隼人君。五感を奪うと言っても所詮は一時的な物だから。現に地区予選大会で彩花に五感を奪われた子たちは、全員が5分足らずで無事に回復したそうよ。」
そんな隼人に対して六花が、悲しみに満ちた笑顔で五感剥奪の正体を説明したのだった。
彩花の黒衣による五感剥奪は、対戦相手が彩花に対しての恐怖心を黒衣によって増大させられた事で、
「もうこれ以上、彩花と関わりたくない。」
「声も聞きたくない。姿を見たくもない。」
という恐怖心から、肉体と精神が対戦相手を守る為に過度の防衛機能を発動させ、彩花の姿も声も対戦相手に感じさせないようにさせる為に、一時的に生じさせる代物なのだと。
その元凶である彩花が対戦相手の前から去った事で、肉体と精神が安全だと判断して過度の防衛機能を解除した事で、全員がものの5分足らずで回復したというカラクリなのだ。
だから彩花は、隼人に対して反論したのだ。
二階堂君が自分から、勝手に五感を奪われたのだと。
それを六花から分かりやすく説明されてもなお、隼人は納得が行かずにいるようなのだが。
「最も地区予選で彩花と戦った子たちは、全員が彩花に対してトラウマを植え付けられちゃったみたいだけどね…。」
「六花さん!!どうして彩花ちゃんが黒衣に目覚めてるんですか!?この4カ月の間に、一体彩花ちゃんに何があったんですか!?」
次の瞬間、六花までもが黒衣を纏ったのを見せつけられた隼人が、驚愕の表情になってしまう。
「…は…!?」
「隼人君。実は私もなの。最も彩花と違って完全に制御出来てるけど…。」
「そ…そんな…!!六花さんまで!?」
「色々あったのよ…。隼人君としばらく会えない間に、彩花の才能に目が眩んだ周囲のクソ野郎共のせいで、色々とね…。」
「…六花さん…!!」
悲しみに満ちた笑顔を見せる六花を、驚愕の表情で見つめる隼人。
「一体全体、マジで何があったんですか!?誰が六花さんと彩花ちゃんをそこまで追い込んだんですか!?黒衣に目覚めさせてしまう程までの『絶望』を!!」
「そのうち話すわ。隼人君と美奈子さんには、そのうち…ね。」
「…っ!!」
誰が彩花と六花に黒衣を纏わせる程までに、絶望の底まで追い込んだのか。
六花は言っていた。彩花の才能に目が眩んだ周囲のクソ野郎共のせいだと。
それがどこの誰なのかは知らないが、何にしても隼人は、この2人をここまで追い込んで苦しめたクソ野郎共を絶対に許さないと、心の底から本気で怒りを覚えたのだった。
恐らくは先日彩花に対しての拉致未遂事件をやらかしたオッサンも、その中の1人に入るのだろうが。
「一体何なんですか!?たかがスポーツですよね!?どうして彩花ちゃんと六花さんが!!たかがバドミントンなんかの為に!!ここまで追い込まれなければならないんですかぁっ!?」
怒りと悲しみに満ちた表情で、隼人は目から大粒の涙を浮かべながら、やり場の無い怒りを六花にぶつけたのだった。
「僕たちはただ!!バドミントンがしたいだけなのに!!それなのに!!」
「隼人君…。」
「この国においてのスポーツって一体何なんですか!?部活動って一体何なんですか!?大会に勝つって一体どういう事なんですかぁっ!?」
こんな事、六花に八つ当たりしたって仕方が無い事なのに。
それでも隼人は六花に対して、自らの思いの丈を全力でぶつけるしかなかったのだ。
そんな隼人の事を決して責める事無く、黒衣を解除して優しく抱き寄せる六花。
「お願い隼人君。どうか貴方まで黒衣に呑み込まれないでね。そんな事になってしまったら、私はもう…。」
「僕たちがスイスにいた頃は…!!決してこんな事には…っ!!」
「分かってるから。隼人君が言いたい事は、私はよく分かってるから。」
「…ううっ…ぐすっ…!!」
何かに縋るかのように、六花の身体にしがみつく隼人。
その六花の身体の温もりと匂いが、隼人の心を落ち着かせていく。
どうしてこんな事になってしまったのか。
どうして彩花と六花が、黒衣に目覚めてしまう程までに追い込まれてしまったというのか。
スイスにいた頃は、こんな事は絶対に有り得なかったというのに。
あの頃は確かに練習は過酷だったが、それでも誰もが充実した笑顔で、練習や試合に取り組んでいたというのに。
ふと、隼人は頭の中で、こんな事を考えてしまったのだった。
スイスに帰りたいと。
何のしがらみも無く、ただ純粋にバドミントンに取り組む事が出来ていた、あの頃に戻りたいと。
そんな事は今更無理な願いだというのは、隼人も頭の中では分かってはいるのだが。
一体どれ位の時間を、隼人と六花はそうしていただろうか。
互いに抱き締め合っていた隼人と六花だったのだが、やがて六花が隼人の身体を離し、穏やかな笑顔で隼人を見据えたのだった。
「隼人君。勝負の世界に『絶対』は無いけれど…どうか決勝まで負けないでね?彩花は隼人君や朝比奈さんとの真剣勝負を、心の底から望んでいるから。」
そう、彩花が心の底から望んでいる、隼人や静香との公式の舞台での真剣勝負。
それこそが彩花の黒衣を浄化する鍵になるかもしれないと、そう六花は信じているのだ。
「言われなくても、僕は最初からそのつもりですよ。彩花ちゃんと約束しましたからね。県予選で彩花ちゃんと全力で戦うと。」
六花の身体を優しく離し、右腕で涙を拭った隼人が、真剣な表情で六花を見据える。
「だけど、そう簡単にはいかないと思いますよ?恐らく準決勝には里崎さんが上がってくるでしょうからね。」
「ええ、そうね。」
「僕にとって里崎さんとの試合は、想像を絶する程の『死闘』になると思いますから。だから決勝まで必ず生き残るとか、そんな無責任な約束は六花さんに出来ませんよ。」
何しろ隼人は、ずっと目の前で見て来たのだ。
楓が美奈子という最強の指導者と巡り合い存分に鍛えられた事で、これまで眠っていた才能を瞬く間に開花させ、中学時代よりも遥かに強くなっているのを。
いかに隼人と言えども少しでも油断しよう物なら、あっという間に楓に対して無様な敗北を喫してしまう事だろう。それ程までに今の楓は強くなっているのだ。
今の楓に勝とうと思ったら、それこそ隼人は全身全霊の力でもって、全力で楓に挑まなければならないだろう。
だからこそ六花は、出来れば隼人と彩花には1回戦で当たって欲しかったのに。
六花は抽選結果がエ~テレのスタッフに遠隔操作されていた事は知らないのだが、それでも隼人と彩花がぶつかり合うのが決勝戦になってしまった事を、心の底から残念に思っていたのだった。
彩花が隼人と1回戦から戦う事が出来ていれば、念願の隼人との真剣勝負を果たせた事で彩花の心は救われ、今頃は彩花の黒衣を浄化出来ていたかもしれなかったのだから。
だが、今更それを悔やんだ所で仕方が無い。
こうなってしまった以上は、隼人には何としてでも決勝まで勝ち上がり、彩花と戦って貰わなければならなくなってしまったのだ。
「ちょっと須藤君!!いつまで彩花や六花さんと話し込んでるのよ!?天野君の事を応援してあげないと!!」
その話題になっていた張本人の楓が、慌てて隼人を呼びにやってきたのだった。
「…って、一体何があったの?須藤君、もしかして泣いてた?」
「ああ、いや、何でも無いんだ。そんな事より里崎さん、駆の試合はどうなってる?」
「たった今、ファーストゲームが終わった所よ。6-21で朝比奈さんが先取したわ。」
「そうか…駆をそこまで圧倒するなんて、やっぱり朝比奈さんは強いな。」
だからこそ隼人が、駆の事をしっかりと応援してやらないといけないのだ。
こういう時に与えられる隼人の応援こそが、静香に追い詰められた駆に力を与えてくれるだろうから。
「行ってきなさい。隼人君。私と彩花なら大丈夫だから。」
そんな楓の心情を察した六花が穏やかな笑顔で、隼人の後押しをしたのだった。
そんな六花を、決意に満ちた表情で見据える隼人。
今は彩花や六花と話したい事が色々あるが、それでも今はチームメイトの、友人の駆が、静香を相手に必死になって戦っているのだ。静香を相手に追い詰められているのだ。
その駆の応援を隼人がしてやらないで、一体誰がするというのか。
「六花さん…彩花ちゃん…行ってきます。」
「はい、行ってらっしゃい。」
六花に力強く頷き、楓に連れられて会場へと戻っていく隼人。
そんな隼人の後ろ姿を、六花が穏やかな笑顔で見送ったのだった。
次回、駆VS静香、決着です。




