第56話:俺たちは遊びでやってるんじゃねえんだよ
遂に始まった県予選大会。
隼人と彩花が再会を果たしますが…。
そして2024年7月6日の土曜日。
愛知県名古屋市の日本ガイシホールにおいて、清々しい青空に包まれながら、インターハイの愛知県代表を決める為の県予選大会が、遂に始まった。
尾張地区、名古屋地区、東三河地区、西三河地区における地区予選大会を勝ち上がった、シングルス32名とダブルス16組が、インターハイ出場を目指して過酷なトーナメントを繰り広げる。
そして決勝まで生き残ったシングルス2名と、優勝したダブルス1組が愛知県代表として、東京都渋谷区の国立代々木競技場で開催されるインターハイに出場する事になるのだ。
さらに今回の県予選では準々決勝までは日本ガイシホールにて行い、準決勝と3位決定戦、決勝戦は、史上初となるバンテリンドームナゴヤでの開催が決まっている。
それだけでも凄い事なのに、そのバンテリンドームナゴヤでのシングルスの試合が、何と地元テレビ局のエ~テレによる、地上波での完全生中継が行われる事になっているのだ。
たかが高校生のバドミントンの県予選大会としては、まさに異例中の異例…だがそれだけ隼人と彩花の存在が、日本中から注目されているという事なのだろう。
逆に言うと午前中に開催されるダブルスの試合は地上波で放送されないので、完全に隼人と彩花が出場するシングルスの、前座扱いされてしまっている事になるのだが…。
「ハヤト君~。久しぶり~。それに楓ちゃんと天野君も。」
「やあ、彩花ちゃん。それに六花さんもお久しぶりです。」
午前9時から行われた開会式が無事に終わった後、六花に連れられた彩花が隼人に挨拶をしにやってきたのだった。
あの日、3月に勝幡駅で見送って以来、およそ4か月ぶりとなる彩花との再会。
あれから互いに色々バタバタしてしまってて、これまで全く会えていなかったのだが。
互いに約束を果たした、この県予選の舞台となる日本ガイシホールにおいて、ようやく隼人と彩花は再会出来たのだ。
だが隼人は、今の彩花の姿に違和感を感じていた。
彩花から感じられる、このドス黒い威圧感のような物は一体何なのか。
それに今の彩花が隼人に見せている、この笑顔。
何というか、いつものような可憐さよりも、むしろ妖艶さのような物を隼人は感じていたのだった。
身勝手な大人たちのせいで身も心も限界まで追い詰められてしまった彩花が、黒衣に呑まれてしまったという事情を知らない隼人は、戸惑いの表情を隠せずにいたのだが。
「あのさ、彩花ちゃ…。」
「それでは只今より、今大会のトーナメントの組み合わせを決める為の抽選を行います。名前を呼ばれた選手の方から順番に、こちらのノートパソコンのEnterキーを押して下さいますよう、お願い致します。」
そんな隼人が彩花に話しかける暇も無く、大会運営スタッフたちが隼人たちを、テーブルの上に置かれたノートパソコンまで案内したのだった。
そのノートパソコンの画面に映し出されていたのは、トーナメントの組み合わせを決める為にエ~テレのスタッフが即席で作り上げた、簡易的な抽選アプリだ。
Enterキーを押す度にA1からA16、B1からB16までの記号が、ランダムで表示される。
ちょっとしたC言語の知識があれば、割と短時間で簡単に作れてしまう代物なのだが。
「それでは稲北高校1年、須藤隼人選手。お願いします。」
「あ、はい。」
だがこれまでは紙でのくじ引きで抽選を行っていたのに…というか地区予選では紙でのくじ引きだったのに、何故今回の県予選に限って、わざわざこんな手の込んだ方法で抽選を行うのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、隼人はノートパソコンの前に歩み寄ったのだが。
「…あの…ディレクター。抽選結果の遠隔操作なんかして、本当にいいんですか?」
「あのな沢田。俺たちは遊びでやってるんじゃねえんだよ。貴重な放送枠を潰してまでシングルスの生中継をするんだ。だから何としてでも須藤隼人と藤崎彩花には、決勝戦でぶつかって貰わねえと困るんだよ。でないと視聴率が取れねえからな。」
隼人たちに聞こえないように、2人組のエ~テレの男性スタッフたちが、何やら物陰でヒソヒソ話をしていたのだった…。
「しかし選手たちにとっては一生の思い出に残る、神聖な大会なんですよ?それをこんな不正行為をやらかすなんて…。」
「あんなガキ共の大会なんぞに神聖もクソもあるかよ。俺たちはあいつらと違って『仕事』としてやってるんだからな?視聴率を取れねえと局の利益にならねえだろうが。」
「はぁ…。」
この日本において『神童』だと騒がれ、世間から注目されている存在である隼人と彩花。
だからこそ、この2人が1回戦や2回戦なんぞで戦う事になってしまったら、それ以降の大会の話題性が完全に無くなり、集客も視聴率も全く見込めなくなってしまう。
だから隼人と彩花には、バンテリンドームナゴヤでの決勝戦という、最高の盛り上がりを見せる大舞台で戦って貰わないと困るから、そうなるように抽選結果を遠隔操作しろと…そうディレクターは言っているのである。
選手たちの事を考えると心底酷い話ではあるのだが、これもある意味では仕方が無い事だと言えるだろう。
何故ならディレクターが言っているように、彼らは道楽や慈善事業などではなく、『仕事』として大会の運営に関わっているのだから。
何としてでも大会を盛り上げて視聴率を稼がないと、エ~テレに利益が入らない。そうなるとエ~テレの今後の運営にまで影響を及ぼす事になりかねないのだ。
彼らも『仕事』としてやっている以上は、タダ働きをする訳にはいかない。会社として利益にならない事をする訳にはいかないのである。
この辺の事情は、社会人の読者の皆さんなら理解してくれるとは思うが…。
「おい、一体何を躊躇してるんだ。早くアプリを遠隔操作しろ。まずは須藤隼人はA1だ。」
「わ、分かりました…。」
ディレクターに命令された男性スタッフが、なんかもう隼人たちに対して申し訳無さそうな表情で、スマホでアプリを遠隔操作したのだった。
その結果。
「稲北高校1年、須藤隼人選手。A1です。」
ノートパソコンにでかでかと表示された記号は、A1。
それを確認した大会運営スタッフが、トーナメント表のA1の位置に隼人の名札を取り付けたのだった。
「続きまして、聖ルミナス女学園1年、藤崎彩花選手。お願いします。」
「は~い。」
とてとて、とてとて、と、彩花がノートパソコンの前に歩み寄る。
そして会場に詰めかけた大勢の観客たちに見守られながら、前足で猫じゃらしを踏んずける猫みたいに、えいっ!!とEnterキーを押したのだった。
(神様!!お願いします!!どうか彩花にA2を引かせてあげて下さい!!そうすれば彩花は隼人君と、1回戦でぶつかる事が出来るから!!)
必死の表情で両手を組みながら、ガラにもなく神に祈りを捧げる六花。
彩花が心から待ち望んでいる、隼人や静香との公式戦での真剣勝負。
それを果たす事こそが、彩花を蝕んでいる黒衣を浄化する為の最大の鍵になるかもしれないのだ。
だからこそ六花は彩花がA2を引けるようにと、涙目になりながら必死に祈っていたのだが…。
「聖ルミナス女学園1年、藤崎彩花選手。B1です。」
「…B…1…!?そんな…!!」
そんな六花の必死の願いなど知った事では無いと言わんばかりに、エ~テレの男性スタッフがスマホでアプリを遠隔操作したのだった。
B1。隼人に割り当てられたA1とは反対側に位置する記号だ。
それはつまり隼人と彩花がぶつかり合うのは、決勝戦だという事を意味する。
その残酷な現実に、思わず六花は歯軋りしてしまったのだった。
「ちぇっ、ハヤト君と戦えるのは決勝かぁ~。」
エ~テレの男性スタッフたちに抽選結果を遠隔操作されているとも知らずに、心の底から残念そうな表情を見せる彩花。
それとは対照的に、隼人と彩花が順調に勝ち進めば決勝で戦う事になるという事で、盛り上がった観客たちは大歓声を挙げたのだった。
そう…まさしくディレクターの思惑通りに。
「あの…ディレクターの指示通り、須藤君と藤崎さんが決勝でぶつかるようにしましたけど…後はどうするんです?」
「そうだな…準決勝は同じチーム同士のガキ共がぶつかり合うっていうのも、ドラマになって面白ぇよな。」
隼人と彩花が戦う決勝戦だけでなく、その前座となる準決勝においても、大いに観客を盛り上げて貰わなければならない。
その為には隼人と彩花には、それに相応しい相手と戦って貰う必要があるのだが。
「よし、須藤隼人と里崎楓、藤崎彩花と朝比奈静香を、それぞれ準決勝でぶつけろ。」
「わ、分かりました。」
そう、稲北高校にも聖ルミナス女学園にも、確かに存在するのだ。
隼人や彩花と同じ高校に在籍しているという『話題性』があり、それでいて2人を相手に充分に渡り合える程の『実力』を有し、さらに2人の『生贄』となって貰うのに相応しい選手が。
「稲北高校1年、里崎楓選手。A16です。」
「聖ルミナス女学園1年、朝比奈静香選手。B16です。」
かくしてディレクターの思惑通り、隼人と楓が準決勝第1試合で、彩花と静香が準決勝第2試合で、それぞれぶつかり合う事になったのである。
「須藤君と戦えるのは、準決勝か…!!」
「彩花ちゃんとは準決勝での試合ですか。」
そんなディレクターの思惑など知らず、互いに決意に満ちた表情でトーナメントの組み合わせ表を見つめる楓と静香。
「後はどうするんです?」
「もうどうでもええわ。サイコロ振って適当に決めとけ。」
「はぁ…。」
「じゃ、俺は今から外で煙草吸ってくるわ。すぐに戻るからよ。後はよろしくな。」
その後も選手たちがノートパソコンのEnterキーを押す度に、トーナメント表が次々と埋まっていき、観客たちが大歓声を上げる。
「B2!!B2!!B2!!B2!!B2!!俺は藤崎に対して中学時代のリベンジを果たしてえんだああああああああああああああああああああ!!」
「稲北高校1年、天野駆選手。B15です。」
「あはははははははははははははは(泣)!!」
そんな必死の願いも虚しく、1回戦で静香とぶつかる事になった駆。
「畜生!!藤崎と戦えるのは準決勝かよぉっ!!だが逆に燃えるぜ!!俺は朝比奈には絶対に負けねえからなぁっ!!」
「続いて聖ルミナス女学園3年、川中愛美選手。お願いします。」
「はい。」
静香たちに固唾を飲んで見守られながら、愛美がEnterキーを押した結果…表示された記号はA2。
「聖ルミナス女学園3年、川中愛美選手。A2です。」
「第1試合から、いきなり須藤君と…!?」
まさか高校生活最後の大会で、よりにもよって隼人といきなり戦う事になるとは。
聖ルミナス女学園の部員たちが落胆の叫びを上げる最中、何だかとても寂しそうな笑顔を見せた愛美だったのだが。
「…私の最後の対戦相手が須藤君か…これもまた私に課せられた運命なのかな…。」
「部長?どうされたのですか?」
「う、ううん、何でも無いの。気にしないでね、朝比奈さん。」
「はぁ…。」
何だろう。静香は愛美から、言いようのない悲壮感のような物を感じていたのだった。
確かに1回戦でいきなり隼人と戦う事になるとは、愛美にとっては不運だとしか言えないのかもしれないが。
だからと言って、まだ隼人と戦ってさえいないのに、そんなに簡単に諦めるなど…愛美らしくないではないか。
「部長、私は負けませんよ。準決勝で必ず彩花ちゃんを倒します。決勝戦という最高の舞台で部長と戦う為に。」
「朝比奈さん…。」
「だから部長も最後まで諦めないで下さい。というか戦う前から負けを覚悟なんかしてたら駄目ですよ。」
確かに愛美の実力では、隼人には勝てないかもしれない。
だがそれでも勝負の世界において、『絶対』は無いのだ。
互いに全力でコート上でぶつかり合えば、何が起こるか分からないのだから。
それこそ隼人が試合中に負傷して、試合続行が不可能になって棄権するなんて事も充分に有り得るのだ。
それを静香は、愛美に諭しているのだが。
「…うん、そうだね。朝比奈さんの言う通りだよ。」
「部長…。」
「私、最後の最後まで足掻いてみるね。私の力が須藤君を相手にどこまで通じるか分からないけど…。」
「……。」
何だか覚悟を決めたような愛美の悲しげな笑顔に、静香は言いようのない胸騒ぎがしたのだった…。
こうして組み合わせ抽選会はダブルスも含めて、無事に全選手が終了。
場内アナウンスによって、組み合わせ結果が次々と読み上げられる事となった。
「Aブロック1回戦第1試合、稲北高校1年・須藤隼人 VS 聖ルミナス女学園3年・川中愛美!!」
「Aブロック1回戦第8試合、聖ルミナス女学園2年・篠塚智香 VS 稲北高校1年・里崎楓!!」
「Bブロック1回戦第1試合、聖ルミナス女学園1年・藤崎彩花 VS 矢野高校1年・二階堂力也!!」
「Bブロック1回戦第8試合、稲北高校1年・天野駆 VS 聖ルミナス女学園1年・朝比奈静香!!」
名前が読み上げられる度に、客席から大歓声が沸き起こる。
この後、午前10時から早速ダブルスの試合が開始され、隼人たちが出場するシングルスの試合は、昼休憩を挟んで午後1時から行われる事となる。
いよいよだ。隼人たちの運命の戦いが、この日本ガイシホールにおいて遂に始まるのだ。
この県予選まで勝ち残ったシングルス32名、ダブルス16組のうち、愛知県代表としてインターハイに出場出来るのは、シングルス2名、ダブルス1組のみ。
負けたらその時点で終わりの、まさに一発勝負の過酷なサバイバルレースだ。
「ハヤト君。決勝まで負けたら駄目だからね?」
妖艶な笑顔を見せながら、隼人に対して右拳を突き出す彩花。
「ああ、君も決勝まで負けるなよ。」
その彩花の右拳に、穏やかな笑顔でコツンと右拳を当てる隼人。
だが彩花が隼人に見せる妖艶な笑顔に、何だか言いようのない不安のような物を、隼人は感じていたのだった…。
またしても周囲の大人たちの身勝手なエゴに振り回され、六花の願いも虚しく決勝でぶつかる事になってしまった隼人と彩花。
次回は隼人VS愛美です。




