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バドミントン ~2人の神童~  作者: ルーファス
第1章:幼年期編
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第5話:ハヤト君を私たちの家族にしようよ

 戦力外通告を受け、引退した美奈子ですが…まさかの急転直下。

 こうして美奈子は六花の手によって選手生命を断たれ、現役を引退して専業主婦になった。

 だがそれでも隼人も彩花も、このスイスでの幸せな暮らしがずっと続く物だと、そう信じて疑わなかった。

 2人で仲良く中学生になって、高校生になって、大学にまで行くかどうかは分からないけど…美奈子も六花も穏やかな笑顔で、


 「学費なら出してあげるから、大学には行っておいた方がいいよ。」


 とは言ってくれてるけど。

 とにかく2人一緒の時が、これからもずっと続くのだと。

 そう信じていたのに。そう願っていたのに。


 だが運命の神様とやらが本当に実在するのであれば、須藤家と藤崎家を一体どれだけ苦しめれば気が済むのだろうか。

 シーズン最終戦の翌日に行われた、美奈子の引退会見から1週間が過ぎ、スイスのプロリーグのシーズンオフに突入した、ある日の夜。


 「ただいま~。」


 彩花と共に通っている地元のバドミントンスクールでの練習を終えて、汗だくになって帰宅した隼人だったのだが。

 リビングの奥から玲也と美奈子による深刻な話し声が聞こえて来たので、思わず怪訝な表情になってしまう。


 「なあ、何なら俺だけが日本に単身赴任するっていうのはどうかな?そうすれば隼人は彩花ちゃんと別れずに済むし…。」

 「何を馬鹿な事を言ってるんですか!?そうなると一体どれだけの経済的な負担が掛かると思ってるんですか!?それに玲也さんとまた長期間も離れ離れになるなんて…そんなの私には到底耐えられません!!」

 「美奈子…。」

 「折角こうして大好きな玲也さんと結ばれたのに…!!それなのに、またあの時みたいに理不尽に離れ離れになるなんて…!!」


 今にも泣きそうな美奈子の肩を、玲也がとても辛そうな表情で抱き寄せる。

 一体全体、この2人に何があったというのか。ただ事では無い事案が発生したのだという事を、隼人は子供ながらも即座に理解したのだった。

 たまりかねて隼人は、慌てて2人の会話に割って入った。


 「父さん、母さん、一体どうしたの?2人共そんなに怖い顔して、一体何があったの?」

 「あ、隼人君、帰ってたのね。ちょっとお父さんから大事な話があるから、手を洗ってからこっちにいらっしゃい。」

 「え?うん、分かった。」


 慌てて隼人はキッチンまで足を運び、石鹸で丁寧に手を洗ってからリビングに戻る。

 そして美奈子、玲也と向かい合うようにソファに腰掛け、2人をじっ…と見据えた。

 

 「それで父さん、大事な話って何?」

 「いいかい、隼人。落ち着いて父さんの話を聞きなさい。」

 「うん。」


 玲也はとても真剣な表情で、ふうっ…と一度深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、隼人にとって残酷な事実を告げたのだった。


 「実はな…父さん、日本への転勤が決まったんだ。」

 「…え?」


 一瞬、頭の中が真っ白になってしまった隼人。

 日本への転勤…つまりはスイスを離れて日本まで引っ越すという事だ。

 そしてそれが大好きな彩花や六花と離れ離れになってしまうという事を意味するのだと、隼人は即座に理解したのだった。


 玲也は日本に本社があるスイスの支部の貿易会社に勤務しているのだが、玲也が言うには玲也の会社が取り扱っている豊富なレアメタルや金属、鉱物資源などを狙って、かねてより世界中で


 「アッラーこそが、この世界における唯一絶対神である。」


 などと主張しながら無差別テロを繰り返しているイスラム系列のテロ組織が、


 「我々の正義の戦いに協力せよ。」

 「これは唯一絶対神アッラーから、下賤な貴様たちに与えられた天務だと心得よ。」


 などと無茶苦茶な主張をしながら、レアメタルなどを自分たちに無償で譲るように圧力を掛けてきているとの事らしい。

 それらは本来ならば家電や車などの生活用品に使われるべき代物なのだが、やろうと思えば武器や弾薬などの軍事用品にも転用出来てしまう。

 会社としてもテロ組織からの無茶苦茶な要求を何度も突っぱねてきているのだが、テロ組織も一歩も引かず、遂には


 「要求を呑めないならば、唯一絶対神アッラーの名の下に強硬手段に出る。」

 「これは唯一絶対神アッラーより拝命をたまわった、正義の鉄槌である。」


 とまで言い出したのだ。


 これを受けて日本の本社は、これ以上は従業員やその家族にまで危険が及びかねない、下手をしたらテロ組織に人質として拘束されかねない、最悪報復として殺されかねないとして、従業員を守る為にスイスの支社を取り潰し、スイスでの事業からの撤退を決断。

 従業員全員を一旦解雇とした上で、現地で働く27名の日本人を含めた希望者全員に、事態がこれ以上大きくならない内に名古屋にある本社への再雇用を提案した…というのが、一連の顛末の流れらしいのだが。


 「隼人…不甲斐ないお父さんで本当に御免な。」

 「父さん…。」

 「俺がもっとしっかりしていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。隼人を彩花ちゃんと別れさせずに済んだかもしれないのに。」

 「そんな。父さんのせいじゃないよ。だって相手はテロ組織なんだろ?そんなの、もう本当にどうしようもないじゃないか。」


 憔悴した表情の玲也を必死になだめる隼人だったが、何故こんな事になってしまったのかと、隼人自身も動揺を隠せないようだった。

 このスイスでの静かで穏やかな暮らしが、ずっといつまでも続くと思っていたのに。そう信じていたのに。そう願っていたのに。

 それなのにアッラーだか馬っ鹿~だか何だか知らないが、身勝手な大人たちの横暴な振る舞いのせいで、突然こんな事になってしまったのだから。


 そして美奈子からスマホで事情を知らされた六花もまた、とても真剣な表情で彩花に事の詳細を伝えたのだが。


 「やだやだやだやだやだ!!どうしてハヤト君とお別れしないといけないの!?」

 「彩花…。」


 当然ながら彩花は、隼人との別れを断固拒否したのだった。

 だが幾ら彩花が泣いた所で、事情が事情だ。最早六花にもどうする事も出来なかった。

 

 「お母さん!!ハヤト君をうちで引き取ろうよ!!ハヤト君を私たちの家族にしようよ!!ねえ、いいでしょ!?」

 「そんな事を言ってはいけないわ。私たちの勝手な都合で、隼人君をご両親から引き離す訳にはいかないもの。」

 「やだよそんなの!!やだよお!!うわあああああああああああああああああ!!」


 六花の豊満な胸に顔を埋め、彩花は泣いた。

 大好きな隼人との、突然の別れ…その残酷で理不尽な事態を受け入れられず、彩花は六花の胸の中で大粒の涙を流しながら号泣した。

 そんな彩花を六花が悲しみに満ちた表情で、ぎゅっと優しく抱き締めてあげたのだった。

 そして同時に六花は、彩花を理不尽に泣かせて苦しめた身勝手なテロ組織に対して、心の底から怒りを覚えていた。

 

 それからは、もう怒涛の展開だった。

 隼人たちは彩花や六花との間にお別れパーティーを開く暇も、近隣住民に別れの挨拶を済ませる暇さえも、まともに与えられなかった。

 玲也が勤務していたスイス支社が事業を停止し、所有していたレアメタルなどの資産をスイス政府に託した事を国際テロ組織に知られる前に、玲也たちの身の安全の確保の為に、もう1分1秒でも早くスイスを発たなければならなくなってしまったのだから。

 もし国際テロ組織が事の詳細を知ってしまえば、果たしてどのような報復行為に出てくるか想像も付かないのだ。

 

 家具や電化製品、食器などの大きな荷物は、全てアパートの大家に事情を説明した上で無償で譲渡した。後は大家が売るなり自分たちで使うなりしてくれる事だろう。

 日本での新しい住処となるアパートも、既に不動産会社に国際電話で事情を説明して、口頭での仮の賃貸契約を済ませてある。日本に着いたら不動産会社に赴いて、正式に書面での賃貸契約を交わさなければならない。

 日本のセントレア空港行きのチケットも、既にネットで手配した。

 後は必要最小限の荷物だけをまとめて、大急ぎで駆けつけてくれたタクシーで空港へと向かうだけだ。


 これらは隼人が帰宅してから、僅か1時間足らずでの出来事である。

 いつものように隼人が帰宅してから僅か1時間足らずで、彩花や六花との突然の別れをする羽目になってしまったのだ。

 隼人にとって、こんなにも理不尽な出来事は無い。

 今日の出来事は、隼人は一生忘れる事は無いだろう。


 もう既に真っ暗になってしまった、夜8時。

 隼人たちが住んでいたアパートに、六花が隼人たちの見送りにやってきたのだった。

 だが彩花の姿が、どこにも見えない。それが隼人を不安にさせてしまったのだが。

 

 「六花ちゃん。彩花ちゃんはどうしたの?」

 「さっきから部屋から一歩も出て来ないんです。隼人君と別れるのが辛いのか…。」

 「そう…彩花ちゃん、隼人君の事が大好きだったものね。」


 とても深刻な表情の六花に対して、穏やかな笑顔を見せる美奈子。

 隼人との突然の別れという残酷な現実を、彩花は受け入れる事が出来ないのか。

 だがそれでも隼人たちは、一刻も早くスイスを発たなければならないのだ。

 本来なら彩花とは、ちゃんと別れを済ませておきたかったのだが…もうそんな事を言っていられる余裕は無い。

 六花自身も、まさかこんな事になるとは…まさか突然美奈子たちと理不尽に別れなければならなくなるとは、思ってもいなかったようなのだが。


 「六花ちゃん。これ、日本で私たちが新しく暮らす住居の住所よ。」


 その緊迫した状況下においても、美奈子がいつものような穏やかな笑顔を六花に見せながら、LINEを使って六花のスマホに住所を転送したのだった。


 「…愛知県稲沢市…平和町…。」

 「私の生まれ故郷よ。静かで穏やかで緑豊かな、とてもいい所なの。」


 その美奈子たちの新しい住所が、記されたアパートの名前が、これが残酷な現実なのだという事を、情け容赦なく六花に突き付けてしまう。

 美奈子にはこれからも、今後もプロの弱肉強食の過酷な環境下の中で戦い続ける自分の事を、優しく温かく支えて欲しかったのに…六花にはそれが本当に残念でならなかった。

 そんな六花を励ますかのように、ぎゅっと優しく抱き締める美奈子。


 「もし六花ちゃんと彩花ちゃんが、日本に来るような事があったら…その時は遠慮せずに訪ねていらっしゃい。歓迎するわ。」

 「分かりました。機会があれば、是非伺わせて頂きます。」


 六花もまた、美奈子の身体をぎゅっと抱き締め返す。

 だが今の美奈子たちには、もう時間が無い。予約した飛行機のフライトの時間が迫っているのだから。

 タクシーの運転手に促された美奈子と六花が、互いの身体を優しく離して見つめ合う。

 それでも六花も美奈子も、今ここで「さよなら」を言うつもりは無かった。

 またいつか会える日が来ると、六花も美奈子も信じているから。


 「美奈子さんも、どうか3人でお幸せに。」

 「ええ、六花ちゃんも彩花ちゃんと2人で、どうか元気でね。」

 「はい。それではまた、いつか。」


 六花に見送られながら、隼人たちが今まさにタクシーに乗ろうとした…まさにその時だ。


 「ま、待って!!ハヤト君、ちょっと待って!!」


 もう出発直前というこのタイミングで、彩花が大慌てで駆けつけてきたのだった。

 てっきり部屋で塞ぎ込んでいるのかと思っていたのに…六花は驚きを隠せない。


 「彩花!?」

 「よ、良かった、ま、間に合った…!!」


 そんな六花を他所よそに、彩花は息を切らしながらも、タクシーに乗ろうとした隼人を真っすぐに見据える。

 そして目から大粒の涙を流しながら、彩花は驚きの表情の隼人にミサンガを手渡した。


 「ハヤト君!!これ、私がハヤト君の為に作ったミサンガ!!」

 「彩花ちゃん…!!」


 そう…彩花が今までずっと部屋から出て来なかったのは、隼人との別れという残酷な現実が辛くて、受け入れられなかったからではない。

 せめて大好きな隼人に自分の存在を刻み込んで貰いたいからと、大急ぎで手作りのミサンガを編んでいたからなのだ。


 「まさか、さっきまでずっとこれを作ってたの!?僕の為に!?」

 「私、いつか必ずハヤト君に会いに行くから!!どれだけ時間が掛かるか分からないけど、必ず日本までハヤト君を追いかけに行くから!!」


 子供ながらの稚拙な出来で、決して褒められた完成度では無いが…それでも隼人には彩花が編んだミサンガから、彩花の隼人への想いが充分に伝わって来たのだった。

 とても真剣な表情で、大事そうに彩花のミサンガを受け取る隼人。

 このミサンガは隼人にとって、彩花との思い出を繋ぐ大切な宝物だ。


 「有難う、彩花ちゃん!!一生大事にするよ!!」

 「だからハヤト君!!日本に行っても、私の事を絶対に忘れないでね!?」

 「うん!!僕は彩花ちゃんの事を絶対に忘れない!!また会える日を楽しみにしてるから!!」

 「絶対だよハヤト君!!絶対だよ!!」

 「また会おうね!!彩花ちゃん!!きっとだよ!!」


 名残惜しいが、もう本当に時間が無い。

 玲也に促された隼人が、大慌てでタクシーに乗ったのだった。

 そして六花と彩花に見送られながら、物凄い速度で空港へと走るタクシー。

 そのタクシーが見えなくなってしまった後も、彩花は目に涙を浮かべながら、ずっと道路の先を見つめていたのだった。


 「…お母さん。私、本気だから。いつか必ず日本に行って、ハヤト君に会いに行くから。」

 「ええ、そうね。」

 「いつになるか分からないけど…それでも私は…!!」


 その頃には隼人には、もしかしたら素敵な恋人が出来ているかもしれない。

 あるいはもう既に結婚して子供を作って、幸せな家庭を築いているかもしれない。

 だが、それでも彩花は、いつか必ず隼人に会いに行く。

 そんな彩花の決意を理解した六花は、とても穏やかな笑顔で、彩花の肩を優しく抱き寄せたのだった。


 「だけど彩花。貴女1人だけを日本に行かせはしないわ。」


 そう、六花にとって彩花は、何物にも代えられない大切な宝物なのだから。

 例え周りから子離れしろと言われたとしても。彩花を自立させろと言われたとしても。

 

 「もしその時が来たとしても…私はこれからもずっと、彩花と一緒よ。」

 「うん…お母さん。」


 目に大粒の涙を浮かべながら、六花の身体にしがみつく彩花。

 そんな彩花の肩を抱き寄せ、彩花と同じように道路の先を見つめる六花の瞳には。

 彩花に対する「依存」のような…いいや、彩花と離れ離れになってしまう事に対する「恐怖」のような物が浮かんでいたのだった…。


 次回はスイス最強のバドミントンプレイヤーである六花と言えども、決して完璧超人ではないという、そんなお話です。

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