第47話:ごめんね、静香ちゃん
遂に始まった地区予選大会。
仕事の都合とはいえ、お待たせしてしまった本当に御免なさい(泣)。
そして2024年6月1日の土曜日。
インターハイの代表メンバーを決めるための地区予選大会が、全国各地で遂に始まった。
この愛知県では中学の頃の全日本中学生バドミントン大会の時と同様、尾張地区、名古屋地区、東三河地区、西三河地区の4ブロックに分かれて地区予選を行い、各高校のシングルス4名、ダブルス2組が出場。
そしてシングルス8ブロック、ダブルス4ブロックに分かれて予選を行い、各ブロック優勝者のシングルス8名、ダブルス4組が各地区の代表として選抜され、県予選に出場する事になるのだ。
隼人たちが在籍している稲北高校は稲沢市平野町に存在しているので、尾張地区の佐織体育館が試合会場となる。
なお原則として地区予選では、同じ高校に在籍している者同士が戦う事は無い。
なので隼人と楓、駆がぶつかり合う事になるのは、県予選になってからになる。
「皆、変に気負う必要なんか無いわ。最高の舞台を存分に楽しんでいらっしゃい!!」
「「「「「「「「「「はい!!」」」」」」」」」」
美奈子が穏やかな笑顔で部員たちに呼びかけ、部員たち全員が力強い返事をしたのだった。
試合に出場する隼人たち8名が各ブロックのコートに向かい、残念ながら代表に選ばれなかった部員たちも背一杯の笑顔で声援を送る。
今年の隼人たちの暑い…いいや、『熱い』夏の戦いが、今ここに始まりの時を迎えたのである。
尾張地区の地区予選は特に何のトラブルもなく順調に進み、隼人、楓、駆の3人は圧倒的な強さを見せつけ、次々と勝ち星を重ねていった。
「ゲームセット!!ウォンバイ、稲北高校1年・須藤隼人!!ツーゲーム!!21-0!!21-0!!」
特に隼人の強さが前評判通りの圧倒的な代物であり、1回戦において最早対戦相手の女子生徒が可哀想になってしまう程までの完封劇を見せつけた隼人に、取材に訪れた記者たちからの無数のフラッシュが盛大に浴びせられる。
「お互いに、礼!!」
「ありがとうございました。」
「ううっ…ぐすっ…。」
目から大粒の涙を流しながら、対戦相手の隼人と握手をする女子生徒。
いかに学校の部活動の大会といえども、勝負の世界というのは残酷な代物だ。
勝負の世界である以上、勝者が生まれれば必ず敗者も生まれてしまう。
そして勝った者が先に進み、負けた者はその時点で全てが終わってしまう。
そう、隼人に負けた時点で、この女子生徒の夏は終わりを迎えてしまったのだ。
出場者全員が平等に幸せになる方法など、存在する訳がないのである。
チームメイトの女子生徒に慰められながら、顔にタオルを被せられて会場を後にする女子生徒。
そんな女子生徒に隼人は慰めの言葉を一切掛けず、ただ黙って真摯な態度で、彼女の後ろ姿を見送ったのだった。
ここで悔し涙を流している彼女に下手な慰めの言葉など掛けた所で、かえって彼女の悔しさを逆撫でする事になるだけだろうし、何よりも彼女の負けが無かった事には決してならないのだから。
だから今の隼人が彼女に出来るのは、ただ敬意をもって彼女の後ろ姿を見送る事だけだ。
そして彼女が会場を去った後、審判に促されて渡された書類に、自分が勝った事を証明するサインをフルネームで記したのだった。
そして、2024年6月22日の土曜日…地区予選最終日。
「ゲームセット!!ウォンバイ、稲北高校1年・里崎楓!!ツーゲーム!!21-3!!21-4!!」
「ゲームセット!!ウォンバイ、稲北高校1年・天野駆!!ツーゲーム!!21-8!!21-6!!」
楓と駆が順当に県予選への進出を決めて、互いに笑顔でハイタッチを交わすものの、決勝戦がまだ残っている隼人以外の稲北高校の出場選手全員が、残念ながら地区予選敗退が決まってしまったのだった。
確かに美奈子の指導によって、稲北高校の部員たち全員が、『ウンコより存在価値が無い』と言われ続けていたのが信じられない程の、凄まじいまでの急成長を成し遂げた。
だがそれでも勝負の世界である以上は、すぐに試合に勝てるようになるなどという甘い世界では決して無いのだ。
勝負の世界に絶対は無いのだし、何よりも優れた指導者によって急成長を遂げる者は、何も稲北高校の選手たちだけとは限らないのだから。
試合に負けて悔し涙を流す愛しの教え子たちを、美奈子が
「よく頑張ったね。偉いね。」
などと、慈愛に満ちた笑顔で慰める。
そんな中で隼人もまた、県予選進出を掛けた決勝戦へと臨もうとしていた。
これは個人戦なのだが、隼人は試合に負けたチームメイトたちから、県予選への出場を託されてしまった。
そう、まるで団体戦のように。
既に他のブロックでは全試合が滞りなく終了しており、残っているのは隼人の試合だけだ。
この試合に勝った方が県予選へと駒を進め、負けた方が今年の夏を終える事になってしまうのだ。
その隼人の決勝戦の対戦相手となったのが…。
「それでは只今より第3コートにおいて、稲北高校1年、須藤隼人選手 VS 犬川高校1年、月村詩織選手による、Cブロック決勝戦を行います。」
以前から様子の口から度々『あの忌々しい』などと名前が出ていた、月村詩織だった。
様子の口振りから察するに、何やら静香とは中学時代に深い関係があった少女のようなのだが…。
とても緊張した表情で、詩織は自身の対戦相手である目の前の隼人を見つめている。
対照的に隼人は決勝戦という大舞台においても、周囲の客席からの大声援にも、記者たちからの無数のカメラのフラッシュにも全く動じる事無く、とても落ち着いた表情で目の前の詩織を見据えていたのだが。
「お互いに、礼!!」
「よろしくお願いします。」
「よ、よろしくお願いしましゅっ(泣)!!」
噛んだ。
「だ、大丈夫かい?月村さん(汗)。」
「ご、ごめんなさい須藤君。わ、私まさか、こんな決勝戦の大舞台で須藤君と戦う事になるなんて、ゆ、夢にも思わなかったから、おおおお思わず緊張しちゃって…(泣)。」
「と、取り敢えず落ち着こうよ。君にとって一生の思い出に残るかもしれない試合なんだ。君も全力を出せずに試合を終えて、後で後悔なんかしたくないだろ(汗)?」
「そ、そもそも、私みたいなクソ虫なんかが決勝戦まで勝ち進むっていうだけでも恐れ多いのに、よりにもよって須藤君みたいな凄い人と試合をするだなんて…あわわわわ(泣)。」
左手の掌に『漢』という字を右手の人差し指で何度も書いて、必死になって飲み込む詩織。
それを「人だよ(笑)」などと苦笑いしながら隼人に指摘され、あわわわわ言う詩織。
なんかもう見ていられない程の内気で弱気な性格の少女のようだが、それでも隼人は油断も慢心も一切するつもりは無かった。
何故なら幼少期にスイスのバドミントンスクールでの試合で、自身の油断と慢心によって格下の選手に負けたあの時から、隼人は美奈子と六花に心からの誓いを立てたのだから。
今後は例え相手がどのような格下の選手だろうと、それこそ
「え?バドミントンのサーブって、打つ時の高さに制限なんてあるの?」
などと言うような超初心者が相手だろうと、絶対に油断も慢心もせずに、全身全霊の力でもって対戦相手を徹底的に叩きのめすのだと。
だから隼人は詩織に対して、絶対に油断も慢心もしない。
例えどれだけ点差が開こうとも、審判がゲームセットのコールをするまでは、絶対に気を抜かずに全身全霊でもって詩織を叩きのめす。
そもそも詩織はこんなにも内気で弱気な性格ながらも、今こうして決勝戦の舞台に立っているのだから。
それは間違いなく、詩織自身の実力によって成し得た事だ。
元から隼人は油断するつもりは毛頭無いが、それでも決して油断していい相手では無い。
(ごめんね、静香ちゃん…私、県予選に進む事は出来そうにないよ…だって相手はあの『神童』の異名を持つ須藤君なんだもん。私みたいなクソ虫なんかが勝てるような相手じゃないよ…。)
審判にシャトルを手渡された隼人を見つめながら、そんな弱気な事を考える詩織。
やはり詩織は静香との間に、中学時代に何らかの深い繋がりがあったのだ。
様子は詩織の事を『悪い虫』などと呼んでいたようなのだが…。
(ううん、しっかりしろ、私。相手があの須藤君だからって、最後まで諦めたら駄目だよ。)
それでも詩織は自らの頬を両手でバチンと叩き、気を引き締めて真っすぐに目の前の隼人を見据える。
(中学の頃は静香ちゃんと、あんな理不尽な別れ方をさせられちゃったけど…。)
ラケットを持つ左手に力を込め、目の前の隼人に全神経を集中させる詩織。
詩織は隼人や六花と同様に、日本人では珍しい左打ちの選手のようだ。
(私は須藤君に勝って県予選に進んで、胸を張って堂々と静香ちゃんと再会するんだ!!そして県予選で静香ちゃんと正々堂々と戦うんだ!!)
意識を隼人だけに集中させ、試合モードに入った今の詩織からは、先程までのような弱気や内気さは一切感じられない。
ただ目の前の隼人だけに全神経を集中し、観客やチームメイトからの声援も耳に入らない。
今の詩織はスポーツにおける「ゾーン」の状態に入ったのだ。
そんな詩織を真っすぐに見据えながら、左打ちの変則モーションの構えに入る隼人。
隼人もまた、こんな所で負ける訳にはいかない。
何故なら隼人は勝幡駅で見送ったあの日(第21話)以降会えていないのだが、彩花と約束を交わしたのだ。
必ず地区予選を勝ち進み、県予選で彩花と戦うと。
その誓いを破らない為にも、県予選で彩花と戦う為にも、隼人はこんな所で負ける訳にはいかないのだ。
だから隼人は、全身全霊の力でもって、目の前の詩織を徹底的に叩きのめす。
それによって詩織の県予選にかける想いを、自らの手で打ち砕く結果になってしまったとしてもだ。
「スリーセットマッチ、ファーストゲーム、ラブオール!!稲北高校1年、須藤隼人、ツーサーブ!!」
「さあ、油断せずに行こう!!」
審判に促された隼人が審判に大きく頷き、詩織に対して強烈なサーブを放ったのだった。
隼人VS詩織。
互いに譲れない想いを胸に秘めた者同士の、壮絶な戦いの結末は…。




