第44話:お母さんとずっと一緒
六花「ただいま~。」
彩花「お帰り~。」
「ただいま~。」
その日の夜7時を過ぎた頃、仕事を終えた六花が穏やかな笑顔で、彩花が待つアパートに帰宅してきた。
六花のモニター一体型のデスクトップパソコンを使い、dアニメストアでアニメを観ていた彩花が、とてとて、とてとて、と、飼い主を見つけた猫みたいに満面の笑顔で駆けつけて六花を出迎える。
「お帰りなさい、お母さん。」
「お腹空いたでしょ?すぐに晩御飯を作ってあげるから、ちょっと待っててね。」
「うんっ!!」
リクルートスーツの上着を脱いでハンガーに掛け、エプロンを身に着ける六花。
そのついでに彩花の何気無い動きの1つ1つを分析してみたのだが、彩花は六花の言いつけをしっかりと守って、今日1日ずっとアパートで身体を休めていたようだ。
以前よりも彩花の身体のダメージは相当回復しているようだが、それでも万全の状態に戻すには、もう少し時間が掛かりそうだ。
その為にも栄養バランスが取れた晩御飯を、しっかりと愛情を込めてたっぷりと作ってあげないといけない。
「はい、お待たせ~。今日はイカとエビと白身魚とアジのフライよ。」
六花の手で物凄く手際良く揚げられた海産物のフライが、六花の手で物凄い勢いで千切りにされたキャベツを添えて山盛りで皿に乗せられ、彩花の下に届けられる。
それに加えて今日の晩御飯は、タコとアサリの炊き込みご飯と、わかめスープだ。
「今日は海鮮三昧だね~。」
「エビとアジの消費期限が迫ってて半額だったから、思わず衝動買いしちゃったわ。うふふ。」
別に半額の食品を買わないと食べていけない程、六花の財政が切迫している訳ではないのだが。
それでもエビとアジがこのまま誰にも買われずに、期限切れで処分されるのは勿体無いからと、そう六花は思ったのだ。
食べ物を粗末に扱うのは絶対に駄目だ。六花のように食品ロスを少しでも減らす事に協力してやらないとな。
「さあ、冷めない内に頂きましょうか。」
「うん、頂きま~す。」
まずはメインのフライの前に、千切りキャベツにシーザードレッシングをかけて口に運ぶ彩花。
食事の際は、まず最初に野菜を食べる事が健康維持の秘訣だと、彩花はスイスにいた頃から何度も六花から言い聞かされている。
理由は作者も知らん。
シャキシャキの千切りキャベツをよく噛んで飲み込んだ後、いよいよメインのエビフライを頂く。
揚げたてのアツアツのエビフライにタルタルソースを添えて、はふはふと熱そうに口の中で噛み砕くと、ぷりぷりのエビの触感と旨味が彩花の口の中に一杯に広がる。
「んんん~~~~~、美味しい~~~~~~~。」
そんな彩花の幸せそうな笑顔を、六花は慈愛に満ちた笑顔で見つめていたのだった。
ちなみに作者はエビフライの尻尾も食べるぞ。
騙されたと思って一度食べてみろって。
「それでね彩花。大事な話があるんだけど、紅茶を飲みながらでいいから聞いてくれる?」
その後、彩花に食後のデザートとレモンティーを提供した六花が、とても穏やかな笑顔で突然そう告げた。
きょとんとした表情で、彩花は反対側の席に座る六花の顔を見つめていたのだが。
「突然どうしたの?お母さん。」
「単刀直入に言うわね。私、明日から彩花専属のコーチ兼任マネージャーとして、彩花を聖ルミナスで指導する事になったわ。」
「…え!?お母さんが!?私専属のコーチになってくれたの!?」
「ええ。JABS名古屋支部からの出向という形でね。」
六花は今日、学園長を脅…打ち合わせをした際に決まった内容を、穏やかな笑顔で彩花に語ったのだった。
まず彩花には明日から聖ルミナス女学園に復学してもらい、直樹のせいで1カ月間まともに受けられなかった授業を、きちんと受けて貰う事になった。
ただし今の彩花にクラスの同級生たちと一緒に授業を受けさせるのは、万が一いじめの被害などに遭った際に黒衣の暴走のリスクが大き過ぎるという事で、六花がマンツーマンで彩花の授業の全科目の面倒を見る事になったのだ。
六花は教員免許は持っていないが、直樹のせいで彩花がまともに授業を受けられなかったのだから、それ位の融通は効かせろと、六花が学園長を脅…説得したのだ。
バドミントン部の練習も同様で、他の部員たちと隔離した上で、六花がマンツーマンで彩花の指導をする事となった。
昨日、直樹の家に行く前にバドミントン部の練習の視察に訪れた際、静香から彩花の現状を熱心に聞かれたのだが、六花は
『事情があって答えられない。』
『だけど大会には必ず出場させるから。』
『彩花も朝比奈さんとの試合を楽しみにしてるから。』
などと、穏やかな笑顔で静香に伝えている。
静香には本当に申し訳ないと思っているが、今の彩花を皆と一緒に練習させる訳にはいかないと思ったからだ。
だからこそ六花が彩花をマンツーマンで指導する事になった件に関しては、静香にも監督の黒メガネにさえも伝えていない。知っているのは支部長と学園長の2人だけだ。
そして聖ルミナス女学園は全寮制だが、彩花だけは特例として自宅からの通学を認めて貰い、六花が毎日車で彩花を送迎する事になった。
今の彩花を電車に乗せるのは、あまりにもリスクが大き過ぎると、そう六花は判断したのだ。
もし痴漢の被害にでも遭って彩花の黒衣が暴走し、とばっちりを受けた運転手の五感が剥奪されるなんて事態になってしまったら…一体どれだけの大惨事が引き起こされてしまうのか。
名鉄はダイヤが複雑である事と、車両の連結や分離が頻繁に行われる事を理由に、女性専用車両の導入は物理的に不可能であると、名鉄が公式発表しているのだ。
「でへへ、嬉しいなあ。」
これら全てを掻い摘んで六花に説明された彩花は、まるで尻尾を立てて喜んでいる猫みたいに、とても嬉しそうな笑顔を見せたのだった。
そんな彩花を六花が、慈愛に満ちた笑顔で見つめている。
「お母さんとずっと一緒。2人でずっと一緒。でへへへへ。」
「それとね、はい。彩花の財布とスマホ。武藤君に返して貰ったわ。」
さらに六花は鞄の中から、直樹から取り返してきた彩花の財布とスマホを取り出し、彩花に差し出したのだった。
あの日、聖ルミナス女学園に足を踏み入れた際に、直樹に無理矢理奪われた財布とスマホ。
六花が取り返してくれたのは素直に嬉しいのだが…聖ルミナス女学園での出来事を思い出した彩花は、複雑そうな表情を見せている。
「これ、私の…。」
「今日、聖ルミナスへの視察ついでに、武藤君の家まで行って来たの。」
「それで、武藤コーチは何て言ってたの?」
「藤崎彩花の件に関しては俺のせいじゃねえ…だ、そうよ。」
「そんな…。」
あれだけの事を自分にしでかしておいた癖に、何故そんな事を平気で言えるのか。
思わず黒衣を発動しそうになってしまった彩花ではあったが、そんな彩花を安心させようと、六花が彩花の両手を優しく両手で包み込んだのだった。
その六花の両手の優しさと温もりが、何だか彩花にはとても安心出来る。
発動しかけた黒衣が、彩花の中に収まっていった。
「大丈夫よ彩花。武藤君なら私がバドミントンで処刑しておいたから。」
「え!?お母さん、武藤コーチを処刑してくれたの!?」
「ええ。もう武藤君が彩花にちょっかいを出す事は無いと思うわ。」
「でへへ、嬉しいなあ。」
傍から見ると、凄い会話である…。
「そういう事だから彩花。明日から私と一緒に聖ルミナスに行きましょうね。」
「うんっ!!」
満面の笑顔で、六花に対して頷く彩花。
身勝手な大人たちの下らないエゴのせいで、大好きな六花と1ヵ月近くも離れ離れにされてしまった彩花ではあるが、それでも明日からはアパートだけでなく聖ルミナス女学園でも、ずっと一緒にいられるのだ。
そう、彩花専属のコーチ兼任マネージャーとして。
それを思うと、何だか彩花は今からワクワクが止まらなかった。
昨日までは聖ルミナス女学園に戻りたくないと思っていたのに、今度は一転して聖ルミナス女学園に行きたいと思えるようになってしまったのである。
聖ルミナス女学園への通学の際も、六花が車で送迎してくれる。
今までまともに受けられなかった授業も、六花が面倒を見てくれる。
そしてバドミントン部の練習も、部活を終えて帰宅する際も、六花と一緒だ。
彩花は、ずっと六花と一緒にいられるのだ。
ずっとずっと…これからも、ずっと。
そしてそれは、六花とて同じ気持ちだ。
身勝手な大人たちの下らないエゴによって、絶望した彩花は黒衣に呑まれてしまった。
だがこれからは、自分がそんな事は絶対にさせないと。
もう彩花を、誰にも傷付けさせはしないと。
これからはずっと、私が彩花の傍にいるんだと。
その想いを胸に秘めながら紅茶を飲む六花ではあったが…この時の六花は想像していなかった。
またしても彩花が周囲の大人たちの身勝手なエゴによって振り回され、彩花の黒衣がさらに暴走してしまうという事を…。
聖ルミナス女学園で彩花の勉強の面倒を見る事になった六花ですが…。




