第43話:俺は必死に努力しても届かなかったのに
皆、スカッとする準備は出来ているかぁ!?
直樹の自宅のすぐ近くにある大きな市民公園には、屋外でバドミントンをプレー出来るコートが幾つか設置されている。
元々ここは何も置かれていない更地だったのだが、六花が名古屋の川森市長に対して
「折角土地が空いているのだから、市民の為に有効活用しないと勿体無い。」
「近隣住民の皆さんに、もっと気軽にバドミントンを楽しめる場所を作って欲しい。」
「我々JABSとしても、コートを利用したイベントや大会には全面的に協力する。」
などといった熱心な営業活動を行った結果、こうして更地へのコートの設置に協力して貰う事が出来たのだ。
既に幾つかのコートでは母親たちに見守られながら、子供たちが笑顔でバドミントンに興じている。
自らの営業活動や普及活動によって、生み出された光景…この中から世界を舞台に戦える程の選手が、果たして現れてくれるのかどうか。
六花は何だか感慨めいた物を感じていたのだが、今はその余韻に浸っていられる場合ではない。
「試合は1セット5ポイント制でいいかしら?残業すると国から色々と口煩く言われてしまうから、早く終わらせて会社に戻らないといけないのよ。」
「ああ、いいぜ!!アンタみてえなBBAには5ポイント制で丁度いいだろ!?」
妖艶な笑顔で自分を睨み付ける直樹を、真剣な表情で見据える六花。
JABSはバドミントンの普及や発展を目的として、国によって設立された非営利の一般社団法人であり、その社員の給料やボーナスは国費によって賄われている。
それ故に従業員に残業されると余計な経費が掛かるとして、国から色々と文句を言われてしまうのだ。羨ましい。
六花が右腕の腕時計を確認すると、時刻は17時20分。
定時は18時なのだが、幸いな事にここから職場のJABS名古屋支部までは、車なら10分程度で行ける距離だ。
5ポイント制なら目の前の馬鹿をバドミントンで殺すのに、5分もあれば充分だろう。
リクルートスーツの上着を脱いで、綺麗に畳んで鞄と一緒にベンチの上に置く六花。
そしてラケットを左手に持ち、威風堂々とコート上へと向かって行った。
その六花の姿を目撃した公園の利用者たちが、一体何事なのかと続々と集まり、興味深そうにスマホのカメラを向けている。
JABS名古屋支部において懸命な営業活動や広報活動に尽力しているお陰で、今の六花の知名度や人気は、まさにうなぎ登りに上がっているのだ。
そんな六花と直樹の姿を、直樹の母親がコートの外から不安そうな表情で見つめている。
「それじゃあ、始めましょうか。」
「最後にもう一度確認しておくけどな!!俺がアンタに勝ったら藤崎彩花の件について、本当に不問にして貰えるんだろうなあ!?」
「ええ、約束は守るわ。ただし『勝てたら』の話だけど。」
「だったらアンタに思い知らせてやるよ!!この俺様のパワーバドミントンの恐ろしさをよぉ!!」
妖艶な笑顔で放たれた直樹のサーブを、六花が直樹のコートに向けて打ち直す。
それを打ち返す直樹。さらに打ち返す六花。
一流のプレイヤー同士による目にも止まらないラリーの応酬に、周囲の観客たちは思わず見とれてしまう。
こうして実際に打ち合ってみたからこそ、六花には分かる。
直樹は間違いなく一流のバドミントンプレイヤーだと。それに関して『だけ』は疑いの余地は全く無いと。
パワー、スピード、テクニック、戦術眼。そのいずれもが高いレベルに達している。
落選したとはいえ、伊達にパリオリンピックの代表選抜の最終候補に残っただけの事はあるようだ。
だが、それでも。
確かに六花は彩花の面倒を見る為という事情があったが故に、世界の舞台では一度も戦った経験が無い、世界ランキングはランク外の選手なのだが。
六花は弱肉強食のプロの世界において16年間も生き抜き、10年連続優勝という前人未踏の記録までも打ち立てたのだ。それも圧倒的な強さを見せつけてだ。
スイスでバドミントンをやる者なら誰もが憧れる、名門シュバルツハーケンのエースナンバーである背番号1を10年間も背負い続けてきたのだ。
そんな六花にとって直樹など、パワーバドミントンだか何だか知らないが、所詮は自分の実力に酔っているだけの井の中の蛙でしか無かった。
やがて高々と直樹が打ち上げたシャトルに向かって、六花が高々と飛翔したのだが。
「シャドウブリンガーかよ!!面白ぇ!!止めてやる…」
次の瞬間、六花の左腕から放たれた渾身のシャドウブリンガーが、情け容赦なく直樹の足元に突き刺さっていたのだった。
「…ぜ…!?」
漆黒の光に包まれたシャトルが、コロコロと直樹の足元に転がり落ちる。
あまりの凄まじい威力のスマッシュに、周囲の観客たちから六花に対して、どよめきと声援が送られたのだが。
「以前、スイスのバラエティ番組で特集が組まれていた事があったのだけれど…。」
バドミントンは『世界最速の競技』だと言われている。
例えば野球においては、投手が150km/hのストレートを投げられれば、プロの一軍でもレギュラーを任せられる程であり、160km/hともなれば『化け物』だとされている。
そしてアイスホッケーにおいては、トッププロが放つシュートは200km/hにまで到達するとされている。
そんな中でバドミントンは、トッププロが放つスマッシュの初速は、何と400km/hにまで到達するとされているのだ。
それこそがバドミントンが『世界最速の競技』だと呼ばれている所以であり、その目にも止まらない圧倒的な速度で展開されるプレーの応酬こそが、他の競技では味わえない醍醐味だとされているのだが…。
「私のシャドウブリンガーは500km/hだそうよ。」
冷酷な瞳で直樹を見下しながら、六花は直樹に断言してみせたのだった。
「…じ…時速…ご、ごひゃ…く…!?」
今の直樹からは、先程までの妖艶な笑顔は完全に消え失せてしまっていた。
焦り、敗北感、絶望。それらが今の直樹の心を支配してしまっている。
六花は引退して2年も経ってるBBAだ。だからこそ直樹にとっては楽勝で勝てる相手だと思っていたのに。
「これで0-1よ。さあ、時間が惜しいから、さっさとサーブを打ちなさい。」
「ふ、ふざけやがって!!500km/hのスマッシュだと!?そんなのが実際に有り得る訳ねえ!!どうせ機械の故障だろ!?そうだ!!そうに決まってる!!」
六花に急かされた直樹が、焦りの表情でサーブを放つ。
確かに六花のシャドウブリンガーは、威力も速度も凄まじい。
だがそれでも直樹とて、全く反応出来なかった訳では無いのだ。
「次こそは止めてやる!!そしてアンタの鼻っ柱をへし折ってやる…」
またしても直樹に向けて放たれた、六花の強烈なスマッシュ。
だが懸命にラケットを伸ばした直樹を嘲笑うかのように、六花のスマッシュが突然大きく曲がり落ちたのだった。
「…よ…!?」
「0-2。」
放たれたのはシャドウブリンガーではなく、楓が動画を参考にして独学で編み出してくれたという、六花のもう1つの必殺技。
シャドウブリンガーと違い六花は特に名前を付けておらず、思い入れなど別に無かった技だったのだが。
「楓ちゃんは、クレセントドライブっていう素敵な名前を付けてくれたけど…まあ折角だから私もそう呼ぶ事にするわ。」
六花は左手のラケットを直樹に突き付けながら、 威風堂々と断言してみせたのだった。
「オリジナルは、この私よ。」
そんな六花の姿に、大歓声を浴びせる周囲の観客。
そして、とても悔しそうに歯軋りする直樹。
そう、幾ら凄まじい威力のシャドウブリンガーを打てるからと言って、実戦において六花がシャドウブリンガーばかり打つ訳が無い。
今の直樹のようにシャドウブリンガーを警戒してくるような相手には、当然今のような搦め手でフェイントをかけてくるのだ。
「それじゃ、今度は私のサーブね。」
「ふ、ふざけるな!!去年の県予選で準優勝した、この俺様が!!」
放たれた六花のサーブを迎撃しようと、シャトルに向かって懸命に走る直樹だったのだが。
「てめえみてえなBBAに!!負けるわけが…!!」
「ああそうそう、言い忘れてたけど…。」
「ねえええええええええええええええええええ!?」
六花が放ったクレセントドライブが、今度は先程とは逆方向に曲がったのだった。
直樹が伸ばしたラケットが、無情にもシャトルの目前で空振り三振してしまう。
「私のクレセントドライブは5枚刃よ?」
「…ば…馬鹿な…!?」
「これで0-3よ。」
そして再び放たれた六花のクレセントドライブが、今度は野球で言う所のシュートのように、直樹の胸元を抉るかのような鋭い弾道で放たれたのだった。
何とかそれを六花のコートに向けて打ち返す直樹だったが、そこへ六花のシャドウブリンガーが情け容赦なく直樹の足元に突き刺さる。
「0-4。」
「…ひ、ひっぐ…えっぐ…えぐ…!!」
「これで私のマッチポイントだけど…どうする?まだやる?」
完全に腰を抜かしてしまい、絶望と敗北感のあまり涙を流してしまった直樹。
僅か2分足らずではあったが、直樹は六花と打ち合った事で、充分に思い知らされてしまったのだった。
目の前の六花は間違いなく、彩花の完全上位互換とも言うべき選手なのだと。
そして自分なんかの実力では、六花の足元にも及ばないのだと。
直樹が完全に戦意を喪失したと判断した六花は、そんな直樹の無様な姿に思わず溜め息を漏らしてしまったのだった。
「なら今回の勝負は私の勝ちね。彩花の件については後で弁護士に相談して、慰謝料を請求するから覚悟しておきなさい。それじゃ。」
「ま、待てよ!!俺はアンタの動画をネットで観た事があるから分かるんだ!!アンタ、明らかに引退する前より強くなってるじゃねえかよ!!」
駆けつけてきた直樹の母親に寄り添われながら、直樹は不服そうな態度で六花に迫ったのだが。
「今のアンタならスイスのプロリーグで、まだまだ充分に戦えるはずだろ!?それに何で世界選手権やオリンピックにも出なかったんだよ!?アンタなら金メダルだって決して夢じゃなかったはずだ!!それなのに!!」
「彩花の為よ。」
何の迷いもない力強い瞳で、六花は直樹に断言してみせたのだった。
確かに直樹の抗議に関しては、六花も同じスポーツ選手として分からなくもない。
まだまだ戦える実力を持っている者が、怪我や病気をしたわけでもないのに、何故わざわざ自分から引退という道を選んだのかと。
それに世界選手権やオリンピックに出たくても出られない者たちが大勢いる中で、出場選手に選抜されたというのに、何故わざわざ出場辞退という道を選んだのかと。
だが、それでも。
チームから強く慰留されたのにシュバルツハーケンを退団して引退したのは、高校受験を控えた彩花を母親として支えてやらないといけないと思ったからだ。
そして世界選手権やオリンピックに出場しなかったのも、彩花の面倒を見なければならなかったからだ。
そう、全ては『彩花の為』。
今も、そしてこれからも、六花の行動理念は、ただそれだけだ。
「…そ、そんな…下らない事なんかの為に…!!」
「そうね、確かに下らないと思われても仕方が無いわね。だけど貴方も結婚して子供が出来れば、いつか私が言っている事の意味が分かる時が来るわ。」
「分からねえよ!!分かる訳がねえよ!!そんなの!!」
目から大粒の涙を流しながら、必死に六花に抗議をする直樹だったのだが。
「アンタだって俺と同じように、バドミントンに人生の全てを捧げ続けてきたんだろ!?日の丸を背負う事に憧れとかねえのかよ!?」
「無いわよ。だって彩花の方が大事だもの。」
「ふざけるなぁっ!!俺は必死に努力しても届かなかったのに!!それなのに何でアンタは、そんな簡単に世界の舞台を捨てられるんだよぉっ!?」
そんな直樹の罵声など無視した六花がリクルートスーツの上着を身に纏い、公園の駐車場に駐車していたJABSの車へと威風堂々と向かっていったのだった。
そろそろJABS名古屋支部に戻らないと、冗談抜きで残業になってしまう。
「俺は…必死に努力したのに…!!あんなに憧れてたのに…!!オリンピックに出れなかったんだよぉ…!!なのにアンタは…何で…っ!!」
周囲の観客たちから大声援を受けながら、六花が運転する車がJABS名古屋支部へと走り抜けていく。
それとは対称的に、無様な醜態を晒した直樹に声を掛けようとする者は、母親以外に誰もいなかったのだった…。
次回、今後の事について六花が彩花に語った事とは…。




