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バドミントン ~2人の神童~  作者: ルーファス
第1章:幼年期編
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第4話:私は愛の無い育児はしたくない

 優勝したものの自らの手で美奈子の選手生命を奪ってしまった事に、絶望する六花。

 そんな六花を称える美奈子ですが…。

 観客からの凄まじい大声援を全身に浴びせられた六花だったのだが、そんな物は今の六花の耳には全く届いてはいなかった。

 今、六花の目に映っているのは、美奈子だけ。

 目から大粒の涙を浮かべながら、目の前で崩れ落ちている美奈子に六花は全力で駆け寄り、右手を差し出した。

 美奈子は先程までとは一転した、いつものような穏やかな笑顔で、差し出された右手を右手で掴んで立ち上がる。

 互いに優しく手を握り合ったまま、見つめ合う六花と美奈子。


 「ありがとね、六花ちゃん。手加減せずに私と全力で戦ってくれて。」

 「当たり前じゃないですか!!美奈子さんに手加減するだなんて…!!そんなの、美奈子さんに対する最大の侮辱ですよぉっ!!」


 そう、例えどんな理由があったとしても、真剣勝負の場で対戦相手に手加減をするなど絶対に許されない。

 それは六花が言うように、全身全霊の力でもって六花に挑んだ美奈子に対しての、最大限の侮辱なのだから。

 だから六花は美奈子に対して、一切合切手を抜く訳にはいかなかったのだ。

 例えそれによって敬愛する美奈子の選手生命に、自らの手で引導を渡す事になってしまったとしてもだ。


 「…ねえ、美奈子さん!!」 


 だがそれでも、六花はまだ諦めない。

 まだ、美奈子の選手生命が完全に潰えたと決まった訳では無い。

 そう…まだ美奈子には、最後の「可能性」が残されているのだ。

 戦力外通告を受けた選手に対しての、現役続行の道しるべとなるかもしれない、プロリーグから与えられた最後の救済措置が。

 

 「どうか辞めないで下さい!!トライアウトを受けて下さい!!」


 そう、日本のプロ野球でも実施されている、16チーム合同トライアウトだ。

 スイスのプロリーグにおいて2005年から実施されている、戦力外通告を受けたものの現役続行を諦め切れない選手たちが一斉に集まり、戦力外通告を受けた選手同士による試合形式によって、16チーム合同で入団テストを行うという代物だ。

 これまでは戦力外通告を受けた選手が現役を続けたいのであれば、選手が各チームの本拠地に独自に赴いて個別に入団テストを受ける必要があった。

 だがそれでは滞在費や交通費などといった選手側の負担が大きくなってしまう事と、入団テストを受けたくても既に来季の編成が終了していてテストすら受けられないなどの問題点もあったので、それを何とか改善出来ればと選手会がリーグに要望したのである。


 勿論、最後の救済措置と言っても、現実はそんなに甘くは無い。

 毎年100人近くもの選手が最後の希望を胸にトライアウトに参加するものの、実際にトライアウトを受けて他チームとの選手契約を勝ち取る事が出来た者など、毎年ほんの数名しか存在しないのだから。

 だがそれでも、美奈子ならば。


 「美奈子さんのようなベテランのオールラウンダーを欲しがるチームは、きっとありますから!!」


 そう、美奈子ならば、まだ可能性があるかもしれない。六花はそれを信じているのだ。

 どんな状況でも対応出来る、攻撃でも守備でも安定した実力を発揮出来る、弱点らしい弱点が存在しないオールラウンダーは、プロの世界においても希少な存在なのだから。

 そして経験豊富で実力も充分持ち合わせている美奈子なら、欲しがるチームが出てくるかもしれないのだ。

 勿論そうなってしまえば、六花は美奈子とは今後、敵同士になってしまうのだが。


 「例え敵同士になってしまったとしても、私はまた美奈子さんと一緒にバドミントンを…!!」


 敬愛する美奈子と、例え敵同士になってしまったとしても。

 これからも一緒にバドミントンが出来るのであれば、六花は…。


 「…辞めるわ。」


 だがそんな六花の心情を察した美奈子は、穏やかな笑顔で六花の肩にポン、と優しく左手を乗せて首を横に振り、自ら引退を宣言したのだった。

 

 「どうしてですか!?まだ美奈子さんなら、きっと…!!」

 「今まで家族に…隼人君と玲也さんに、ずっと迷惑を掛けてしまっていたもの。だからこれからは普通の専業主婦として、残された時間を隼人君と玲也さんの為に…家族の為に使っていくつもりよ。」

 「…ずるいですよ…美奈子さん…!!そんな事を言われたら、私は…!!」


 家族の為に…それを言われてしまったら、最早六花には美奈子を説得する事など出来はしなかった。

 何故なら六花もまた、家族の為に…彩花の為にプロの世界に身を置き、弱肉強食の過酷な競争社会の中で戦い続けているのだから。

 同じ母親として、美奈子の気持ちは六花も充分に理解しているつもりだ。

 だからこそ、最早今の六花には、美奈子を説得する事など不可能だった。 


 「美奈子さん…!!私はこれからも1分でも1秒でも長く…美奈子さんと一緒にバドミントンをやっていたかった…!!」

 「私も、六花ちゃんがシュバルツハーケンに来てくれて、今までずっと同じチームでバドミントンをやれて、凄く嬉しかったわ。」

 「…っ!!美奈子さぁん!!」


 感極まった六花は身体を震わせながら、美奈子の身体をぎゅっと抱き締めたのだった。 

 そんな六花の身体を、美奈子もまたぎゅっと優しく抱き締め返す。

 観客からの大声援が六花に浴びせられ、大勢の記者からの盛大なフラッシュが浴びせられるが、最早そんな物は六花の耳には入らない。六花の目には映らない。

 今の六花が感じているのは、ただ美奈子の温もりだけだ。


 「…美奈子さん。私、周りから私自身の身勝手なエゴだって言われるかもしれませんけど…!!2人の人生を勝手に決めるなって言われるかもしれないですけど…!!やっぱり隼人君と彩花のプロ入りには反対です!!」


 やがて体を震わせながら、六花は自らの思いの丈を美奈子にぶつけたのだった。

 

 「私はあの2人にまで、こんな辛い思いはさせたくはない!!」


 弱肉強食のプロの世界の厳しさ、過酷さ。

 それを身を持って思い知っている、六花だからこその言葉だ。

 そう…時にはこうして大切な人でさえも、敵となった以上は全力で潰さなければならないのだから。

 今日、六花が、こうして美奈子を潰してしまったように。

 そんな過酷な世界に隼人と彩花を送り込むなど。隼人と彩花が敵同士になって全力で潰し合う光景など。

 それを想像しただけで、六花は思わず悪寒が走ってしまったのだった。

 それに。


 「私は愛の無い育児はしたくない!!あの2人がどれだけ凄まじいバドミントンの才能を持っていたとしても、あの2人を厳しく指導するだなんて、そんな事は私には到底出来ない!!」

 「分かっているわ、六花ちゃん。貴女が言いたい事は、私は充分に分かっているから。」

 「私は…あの2人には…いつまでもバドミントンを…何よりも私の事を好きでいて欲しいから…っ!!」


 そう、隼人と彩花が本気でプロを目指して練習するとなれば、六花も母親としてではなく指導者として、2人に対して物凄い剣幕で怒鳴り散らし、2人を突き放すような厳しい指導をしなければならなくなる時が、いずれ必ずやってくるはずだから。

 そんな物は、今の六花には到底耐えられなかった。

 彩花は六花にとっての大切な宝物…そして隼人もまた彩花と同じ位、六花にとって大切な存在なのだから。


 「…六花さん…。」


 そんな六花の姿を客席から見せつけられた隼人は、子供ながら悟ったのだった。

 あの六花が。自分が心から敬愛する六花が。自らの手で美奈子に引導を渡し、選手生命を奪ってしまったのだという事を。

 そして勝負の世界である以上、それで六花を憎むというのは筋違いなのだという事を。


 六花は以前から隼人と彩花に何度も言っていた。2人がプロを目指すのは反対だと。

 隼人は今日の試合を見せつけられるまでは、「ふ~ん」としか思わなかったのだが。

 今日、六花の言葉の意味を、六花の隼人と彩花への想いを、隼人は身を持って思い知らされたのだった。

 今なら分かる気がする。何故六花が自分たちのプロ入りに反対していたのかを。


 だからこそ、今の隼人がすべきなのは、六花を憎む事などではない。

 決して手を抜かずに正々堂々と全力で美奈子と戦い抜き、7年連続優勝という偉業を成し遂げた六花に対して、精一杯の声援を送る事だ。

 

 「私なんかの事より、ほ~ら。」

 「きゃあっ!?」


 そんな隼人の声援に応えさせるべく、美奈子は穏やかな笑顔で六花の身体を離して、無理矢理客席へと向けさせた。

 いきなりの美奈子の行為にびっくりしてしまった六花だったが、すぐに美奈子の行動の意味を思い知らされる事となる。


 「六花さん!!優勝おめでとう!!本当に凄い試合でしたよ!!」

 「お母さん!!お母さ~~~~~ん!!」

 「…隼人君…彩花…。」


 六花が目にしたのは、自分に対して懸命に笑顔で声援を送る隼人と彩花の姿。

 その2人の健気な姿に、六花は思わず感極まって目から涙が溢れてきたのだった。

 隼人は勘が良くて頭がいい子だから、既に気付いている事だろう。

 六花が美奈子の選手生命に引導を渡してしまったのだという事を。その残酷な現実を。

 だがそれでも隼人はこうして現実を受け入れた上で、笑顔で六花の優勝を称え、声援を送ってくれているのだ。


 本来なら六花は隼人に憎まれ、罵声を浴びせられてもおかしくないはずなのに。

 それでも隼人は六花の事を決して憎まず、それどころか美奈子との死闘を演じた六花の事を心から称え、優勝した六花の事を精一杯祝福してくれているのだ。

 そんな隼人と彩花に対して六花が見せたのは、いつものような慈愛に満ち溢れた優しい笑顔。

 右手で軽く2人に手を振った六花に、隼人もまた精一杯両手を振って笑顔で応える。

 そんな六花に観客もまた、凄まじいまでの大声援を浴びせたのだった。

 

 こうしてスイスのプロリーグの2019年度のシーズンは、無事に全日程が終了。六花の7年連続7度目の優勝という形で幕を閉じた。

 そして六花の優勝記念パーティーが近くのホテルで盛大に行われた後の、午後11時。

 監督にホテルのロビーまで呼び出された美奈子は監督と2人きりで、互いに向かい合うような形でソファに座っていたのだが。

 どんな用事で呼び出されたのか、美奈子はもう既に理解しているようだった。

 とても穏やかな笑顔で、美奈子は監督の顔をじっ…と見据えている。


 「…藤崎君が優勝した記念すべき日に、こんな事を君に告げるのも何だが…。」


 監督は意を決した表情で、美奈子に非情の宣告を下したのだった。


 「もう既に君も分かっているようだが、単刀直入に言おう。」

 「はい。」

 「残念だが君は今日限りで戦力外だ。他のチームで現役を続ける為にトライアウトを受けるか、それとも引退するかを選んでくれ。」

 「今までお世話になりました。引退します。」


 その非情の宣告に対して何の迷いも無く、力強い笑顔で即答した美奈子。

 そんな美奈子の揺るぎない姿に、監督は深く溜め息をつく。


 「…そうか。一切の迷い無しか。もう既に心に決めていたのだな。」

 「はい。これからは専業主婦として、息子と夫を支えていきます。」

 「須藤君。私は君の事は来季も絶対に必要な選手だと、そう首脳陣に訴えていたのだが…それでも説得する事は叶わなかったよ。どうしてもチームの若返りを図りたいのだと。年齢的にも君の今の成績では、選手契約は難しいとね。」


 これが美奈子が入団したばかりの新人や若手選手だというのであれば、たかが2つ負け越した位でクビを切られる事など無かっただろうが。

 今後選手としての衰えが隠せなくなっていく、35歳という今の美奈子の年齢。

 そして美奈子の現在の年俸を考えれば、もう費用対効果が合わないからクビにするべきだと首脳陣に判断されても仕方が無い事だろう。

 何よりも美奈子は日本人だ。外国人枠の問題だってあるだろうから。

 監督は美奈子の実力と豊富な経験を高く評価し、必死に首脳陣を説得していたようだが…残念ながらそれは叶わなかったようだ。

 だが、それでも。

 

 「それでも君は入団してからずっと、我らシュバルツハーケンをよくぞここまで支えてくれた。今まで17年間ご苦労だったね。本当に感謝しているよ。」

 「私もまさか、17年間もプロでやれるなんて思ってなかったので、今更ですけどびっくりしていますよ。ふふふっ。」


 そう、美奈子が自分でもびっくりしているように、弱肉強食の過酷なプロの世界において、1年や2年で戦力外通告を受けて引退を余儀なくされる選手も物凄く多い中で、17年間も現役を続けていられたというのは、もうそれだけでも凄まじい「偉業」なのだ。

 確かに美奈子は17年間ものプロ生活において、六花のような圧倒的な成績を残す事は出来なかった。

 毎年のように勝率5割よりも、少し上を維持するので精一杯といった感じだった。

 だがそれは六花が異常なだけであって、美奈子が17年間もの間に積み重ねた生涯成績も、充分に誇っていい代物なのだ。

 

 「せめて今はゆっくりと休んで、英気を養ってくれたまえ。」

 「そうですね、遠慮なくそうさせて頂きます。」


 そんな美奈子に対して、精一杯のねぎらいの言葉を送る監督。

 どうかこれからは選手としてではなく普通のお母さんとして、隼人と玲也の事を…そして今後も激しい戦いの中に放り込まれる六花の事も支えてあげて欲しいと…監督は心の底からそう思っていた。


 「では元気でな、須藤君。」

 「はい、今までお世話になりました。それでは失礼します。」


 立ち上がって深々と監督に頭を下げ、愛する家族の下へと帰宅する美奈子。

 そんな愛する教え子の後ろ姿を、監督は感極まった表情で見つめていたのだった。

 次回…急転直下。

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