第39話:天才って、何?
彩花と六花の、久しぶりとなる親子水入らずの時間です。
六花が彩花の為に愛情を込めて作った晩御飯は、親子丼と味噌汁と納豆餃子、玉子サラダだった。
母親の愛情が存分に詰まった、素朴ながらも温かい料理。
それを彩花は目から大粒の涙を流しながら、たまにマグロなんかを与えてやるとウニャウニャ言いながら喜んで食べる猫みたいに、美味しい、美味しい、美味しい、と何度も口にしながら、米粒1つ残さず全て綺麗に平らげてしまった。
何しろ彩花は1ヵ月近くもの間、ずっと直樹から完全栄養食と水道水しか与えられてこなかったのだ。
1ヵ月ぶりとなる、大好きな母親の愛情がたっぷりと込められた手料理…彩花が感極まってしまうのも無理もない事だろう。
その後、食後のデザートとミルクティーを堪能し、お風呂に入ってパジャマに着替えた彩花は、テレビのバラエティ番組を六花と一緒に観ながら、久しぶりに親子水入らずでの2人きりの、ゆっくりとした時間を過ごしたのだった。
そして夜11時。彩花は六花と一緒に、六花の部屋のベッドの上に腰かけていた。
六花は自分の隣に座って身を委ねる彩花の肩を優しく抱き寄せながら、六花が何故彩花を聖ルミナス女学園へと入学させたのかを…その真実を全て彩花に語ったのだった。
彩花に秘められた類稀なバドミントンの才能に目が眩んだ支部長が、低迷が続く日本のバドミントン界の救世主とするべく、彩花を最強のバドミントンプレイヤーへと育てなければならないと主張した事。
その為には隼人と六花の存在が、彩花のバドミントンプレイヤーとしての成長を妨げる要因になると支部長が判断した事。
だからこそ彩花を全寮制の女子高でバドミントンの強豪である、聖ルミナス女学園へと入学させなければならないと支部長が考えた事。
六花は当然ながら猛反対したが、断れば玲也が職を失う事になると支部長に脅された事。
「…な、何なのよ、それ…!!酷い!!酷過ぎるよ!!」
その真実を六花の口から告げられた彩花は、全身を震わせて六花の身体にしがみつきながら、怒りと憎しみに満ちた表情になってしまったのだった。
「ハヤト君が腐ったミカンだなんて!!何でそんな事を平気で言えるの!?信じられない!!」
「彩花…。」
「私、支部長の事が絶対に許せないよ!!私の気持ちとか全然考えてないじゃん!!それに何で玲也さんまで、お仕事をクビにされないといけないの!?」
彩花の胸の奥底から沸き起こる、怒りと憎しみさえも超越した『破壊衝動』。
その瞬間、彩花の全身から、またしても黒衣が溢れ出て来たのだが。
「彩花、落ち着いて。今回の件に関しては、私が支部長と話をするから。ね?」
「お母さん…!!」
「もう大丈夫だから。もう彩花をあんな目には絶対に遭わせないから。だからゆっくりと深呼吸して。心を落ち着かせて。」
六花に言われた通り、六花に身体を委ねながら、気持ちを落ち着かせてゆっくりと深呼吸をする彩花。
その六花の身体の感触と温もりが、何だか彩花にはとても安心出来る。
やがて彩花の身体を包み込んでいた黒衣が、ゆっくりと彩花の中へと収まっていったのだった。
その彩花の今の現状に、思わず六花は心を痛めてしまう。
大人たちの身勝手なエゴのせいで黒衣に呑まれてしまった今の彩花は、精神的にとても不安定な状態にある。
今後も彩花はちょっとした怒りや憎しみの感情を抱いてしまっただけで、今のように黒衣が暴走するなんて事になりかねないだろう。
もっと分かりやすく例えるならば、身体の中に爆弾を仕込んでいるような状態だと言うべきだろうか。
六花もまた彩花と同様に、彩花に聖ルミナス女学園で生き地獄を味合わせてしまった事に対する『絶望』がトリガーとなり、黒衣に目覚めてしまった。
だが彩花と違い強靭な精神力と彩花への揺るぎない愛でもって、黒衣に呑まれるどころか逆に自らの力として制御する事が出来ていた。
だが、まだ16歳の子供で、精神的にまだまだ未成熟な彩花では…。
「ご、御免ね、お母さん…!!憎んじゃって本当に御免ね…!!」
そして彩花は身体を震わせ目から大粒の涙を流しながら、事情を知らなかったとはいえ六花の事を一時は本気で憎んでしまった事に関して、自責の念を抱いてしまったのだった。
そんな彩花の肩を優しく抱き寄せ、耳元で優しい声色で呟く六花。
「いいのよ彩花。私は今でも、彩花に憎まれたのは当然の事だと思っているわ。」
「お母さん…。」
「その罪滅ぼしって言う訳じゃないけど、これからはずっと彩花の傍にいるから。ね?」
そう、六花はこれからもずっと、彩花の傍にいる。
彩花が大人になって、大学を卒業して、立派な社会人になってからも…ずっとだ。
「…ねえ、お母さん。」
「ん、なあに?」
「お母さん、私とハヤト君がスイスでバドミントンを始めた時、私とハヤト君の事を天才だって褒めてくれたよね?」
「そうね。私も2人の才能に思わずびっくりしちゃったから。」
六花の身体の温もりと優しさを存分に感じながら、六花に肩を抱き寄せられながら、彩花は悲しみに満ちた表情で、突然そんなような事を六花に語ったのだが。
「小学校の時も中学校の時も、周囲の大人たちは皆、私とハヤト君の事を褒めてくれたよ?天才だって。凄い才能だって。お母さんは猛反対してるけど、私もハヤト君もプロの選手になるべきだって。日本を飛び出して世界を目指すべきだって。」
「彩花…。」
「私がバドミントンの天才だから、お母さんは支部長に脅されたの?私にバドミントンの才能があるから、玲也さんはお仕事をクビにされそうになったの?」
六花の身体にしがみつき、目から大粒の涙を流し身体を震わせながら、彩花は自らの思いの丈を六花にぶつけたのだった。
「ねえ、お母さん…天才って、何?」
それだけ六花に告げて、思わず嗚咽してしまった彩花。
そんな彩花の姿を、六花は彩花の肩を優しく抱き寄せながら、悲しみの表情で見つめていたのだった。
どうして、こんな事になってしまったのだろうか。
隼人も彩花も、確かに類稀なバドミントンの才能を秘めている。間違いなく2人はバドミントンの天才だ。
だが彩花が言うように、2人がバドミントンの天才だったせいで、こんな事になってしまったとでも言うのか。
彩花が言うように、天才とは、才能とは、一体何なのだろうか。
いや、それ以前の問題として、スポーツとは、部活動とは、一体何なのだろうか。
六花は隼人と彩花に、何度も何度も口にしていた。
バドミントンは、楽しく真剣に。
それが許されない事だと言うのか。
彩花は天才だから?才能があるから?
だからこそ支部長が言うように、甘えは一切許されないとでも?
いいや、そんな事は間違っている。六花は即座にそれを否定したのだった。
いくら彩花が天才だからと言って、どうして彩花がこんな酷い目に遭わなければならないのか。
取り敢えず今回の件に関しては、明日にでも支部長に話をしないといけないだろう。
彩花が黒衣に呑まれた件もそうだが、今後の彩花の身の振り方さえも含めてだ。
「取り敢えず彩花、明日は学校を休みなさい。聖ルミナスには私の方から電話をしておくから。ね?」
「…うん。」
何にしても今の黒衣に呑まれた状態の彩花を、このまま聖ルミナス女学園に行かせる訳にはいかない。
今は六花のお陰で収まってはいるが、ふとした事がきっかけとなって、また彩花の黒衣が暴走する事になりかねないからだ。
そもそもの話、あんな事があったのだ。彩花とて今更聖ルミナス女学園に戻るなんて絶対に嫌だろう。
「彩花がお風呂に入ってる間に、私のクレジットカードでdアニメストアに入会しておいたから、私のパソコンで観ればいいわ。月額550円で色んなアニメが観放題の凄いサービスよ。彩花の暇潰しには丁度いいでしょ?うふふ。」
作者も加入してるけど、dアニメストアは素晴らしいぞ。
PS4やPS5でも、パソコンやスマホでも利用出来るぞ。
大抵のアニメが配信されてるからな。全部じゃないけど。
騙されたと思って一度試してみろって。
「だから明日は存分に心と身体を休めなさい。今日まで彩花は色々と辛い目に遭ってきたんだから。休むのもアスリートの大切なお仕事の1つなのよ?」
「…うん。分かった。」
「今の彩花の身体はね、彩花が想像している以上に過度のオーバーワークのせいで、全身がボロボロになってしまっているのよ。今も歩くだけで全身筋肉痛に襲われてるんでしょう?」
「何でそんな事が分かるのよ?私お母さんにそんな事、一言も言ってないのに。」
「そんなの一目見れば分かるわよ。」
彩花の何気ない動きから感じられる『ぎこちなさ』。
それに彩花が六花との試合でシャドウブリンガーを放った時に、彩花が一瞬だけ見せた苦痛の表情。
中学の頃から全く成長していない、それどころか逆に弱くなっていた彩花の無様な姿。
六花は16年間プロとして活躍してきた経験則から、今の彩花の身体の状態を、一目見ただけで瞬時に見抜いてしまったのである。
「軽く外を散歩する程度なら別に構わないわ。だけど私が許可するまで激しい運動はしたら駄目よ?分かった?」
「…うん。分かった。」
「はい、よろしい。それじゃあ今日はもう遅いから、そろそろ寝ましょうか。」
言われてみれば、確かにもう夜遅い。
久しぶりに自宅のアパートに戻ってきて、六花の下に帰って来られて安心したからなのか、彩花の身体に急激な眠気が襲ってきたのだった。
「今日はこのまま私と一緒に寝ましょう?ね?」
下半身を布団の中に入れた六花が、穏やかな笑顔で彩花を布団の中へと誘う。
そんな六花の優しさに、彩花は思わず感極まってしまったのだった。
「お母さん、私の事を慰めてくれるの?」
「勿論それもあるわ。だけどそれ以上に…私が彩花と一緒のお布団で寝たいのよ。」
「…お母さん…。」
六花に誘われるまま、六花と同じ布団の中に入り込んだ彩花が、六花の身体をぎゅっと抱き締める。
その六花の身体の温もりが、今の彩花にはとても安心出来る。
そしてリモコンで部屋の電気を落とした六花が、そんな彩花の身体を優しく抱き寄せた。
こうして一緒の布団の中で寝るなど、一体いつぶりだろうか。
彩花も六花も、よく覚えていなかった。
「ねえ、お母さん。朝比奈静香ちゃんって知ってる?」
「ええ、知ってるわ。私もJABS名古屋支部の職員として、中学時代から注目していた子だから。今は聖ルミナスにいるのよね?」
「うん。静香ちゃんは聖ルミナス女学園で最強の選手なんだって。私、その静香ちゃんと5ポイント制で試合をして、5-0で勝ったんだよ?それでもお母さんは、私が中学の頃より弱くなってるって言いたいの?」
「弱くなってるわ。」
とても穏やかな笑顔で、六花は彩花にはっきりと断言したのだった。
「多分だけど朝比奈さんは私と同じように、今の彩花の身体の状態を一目で見抜いて、わざと彩花に負けたんじゃないかな?彩花に無理をさせて壊してしまわないように。」
「…そっか…やっぱり、そうなんだ…。」
「今の朝比奈さんが本気で彩花を潰すつもりでやっていたら、5-0で負けていたのは彩花の方だったと思うわよ?あの朝比奈さんが、今のボロボロの彩花に負ける訳がないもの。」
彩花とて六花に言われずとも、何となくそんなような気はしていた。
静香が、わざと彩花に負けたのだという事を。
5ポイント制でなければ試合はしないと彩花に対して頑なに押し通したのも、今の彩花のボロボロの身体を気遣い、無理はさせたくないと考えたからなのだろう。
それを六花に断言された事で、改めて彩花はそれを確信したのだった。
あの試合の後、彩花は静香に語った。
ちぇっ、つまんないの、と。
あれは彩花が、静香の弱さに失望して口に出した言葉などではない。
静香に気を遣わせ、手加減をさせてしまった、自分自身への不甲斐なさから口に出してしまった言葉なのだ。
それを彩花は今になって、ようやく自覚したのだった。
もし彩花と静香が互いに万全の状態で、今度は何のしがらみも無く全力で、それも公式の舞台でぶつかり合ったとしたら…。
それを想像した途端、何だか彩花はウズウズしてしまっていた。
地区予選で同じ学校にいる者同士がぶつかり合う事は無いので、彩花と静香が戦うとしたら、県予選になってからになるのだが。
「お母さん。私、大会に出たいよ。ハヤト君と戦いたいのもそうだけど、今度は静香ちゃんとも公式の舞台で全力で戦いたい。」
「そうね。それも含めて、明日にでも支部長と話をしてみるわ。だから今日はもう寝ちゃいなさい。」
「…うん。」
六花の身体の温もりに身を委ねながら、彩花は静かに深い眠りへと落ちていく。
「…こうしてゆっくりと安心して眠れるなんて…何だか随分久しぶりのような気がするなぁ…。」
「私もよ、彩花。だってこうして久しぶりに彩花成分を存分に補充出来たんだもの。くんかくんかくんか。」
「もう、お母さんったら…。」
「はぁ~、癒されるわ~。」
どこまで行っても、六花はやっぱり六花なのであった…。
「何にしても、これから私はずっと彩花の傍にいるからね?だから安心してね?」
「うん…お休みなさい…お母さん…。」
「お休みなさい…彩花…。」
互いの身体を抱き寄せ合い、同じベッドの上で同じ布団の中に包まれながら、彩花と六花はおよそ1ヵ月ぶりとなる、安らかな眠りへと誘われていったのだった。
また、はねバド!をパクっちゃったよ・・・。




