第37話:彩花の為に、今の私に出来る事を
遂に再会した彩花と六花。
そして六花が…。
彩花が聖ルミナス女学園に入学し、寮生活を送るようになってから、もうすぐ1ヶ月になろうとしていた。
だが土日は必ず家に帰ると六花と約束を交わしていたにも関わらず、この1ヶ月もの間に彩花は一度も帰宅していない。
六花は毎日のように彩花にLINEを送り、帰ってくるように催促しているものの、それでも彩花は何かしらの理由をつけて帰宅を拒否し続けているのだ。
それにバドミントン部への視察を兼ねて彩花の様子を見に行きたいと、聖ルミナス女学園の広報部に何回か電話を掛けているのだが、こちらも今の所は良い返事を貰えていない。
だからと言って、いかに彩花の実の母親だからとはいえ、聖ルミナス女学園に対しアポ無し訪問をする訳にもいかない。
そんな事をしようものなら今度は逆に聖ルミナス女学園の方から、JABS名古屋支部に対し公式の抗議文が送付されるなんて事になりかねないからだ。
何しろ六花はJABSのイメージキャラクターを務めているのだ。下手な事をすれば会社のイメージを失墜させたとして、逆にJABSから訴訟を起こされるなんて事にもなりかねないのだから。
イメージキャラクターというのは、その企業の『顔』ともいうべき存在…それ程までに今の六花は『重い』立場に置かれているのである。
それでも六花は彩花の事が、心配で心配で仕方が無かった。
自分が毎日送っているLINEに欠かさず返信はしてくれているものの、土日は必ず家に帰ると言っていたにも関わらず、もう1ヵ月も全く会えていないのだから。
毎日ご飯をちゃんと食べているのだろうか。
ダイエットとか言い出して食事を抜いたりしてないだろうか。
ちゃんと友達を作って仲良く出来ているのだろうか。
いじめの被害に遭っていないだろうか。
バドミントン部の練習の厳しさに音を上げていないだろうか。
そんな事を考えながら、いつものように仕事を終えてアパートに帰宅した六花は、ママチャリから降りて駐輪場に停めて2重ロックを掛け、財布からアパートの鍵を取り出す。
だが六花がアパートの扉に鍵を差し込み、解錠した次の瞬間。
突然物凄い勢いで走ってきた車が、六花の目の前で急停止。
そして勢いよく開け放たれた後部座席の扉から、姿を現したのは…。
「こ、これでいいのだろう!?約束通り君をこうして自宅まで送ったから!!だからこれ以上はもう勘弁してくれぇっ!!」
「うん。学園長にもう用は無いから、もう帰っていいよ~。」
「う、うわあああああああああああああああああああああああああ!!」
聖ルミナス女学園に入学し、土日には帰ってくると六花に約束していたものの、この1ヵ月もの間全く帰って来なかった…ジャージ姿の懐かしの彩花の姿だったのだ。
まさかの突然の彩花の帰宅に、六花は驚きを隠せない。
そんな彩花の事などもう知らない、もうこれ以上関わりたくないと言わんばかりに、学園長が運転する車が物凄い勢いで走り去って行ったのだった…。
「あ、彩花!?」
「御免ねお母さん。連絡も無しに突然帰ってきて。私、武藤コーチにスマホも財布も取り上げられちゃったから、お母さんに連絡したくても出来なかったんだよ。」
まさかの予想もしなかった彩花の突然の帰宅に、六花は驚きを隠せない。
いや、そんな事よりもだ。
今、彩花は…何て言った?
「…ちょっと待って彩花。武藤コーチにスマホも財布も取り上げられたって、一体どういう事なの!?だって私が送ったLINEに毎日返信してくれてたじゃない!?」
「あれは武藤コーチが、私のスマホから勝手に送ったんだよ。」
「勝手に送ったって、そんな…!!」
「そんな事よりもさ。」
妖艶な笑顔を六花に見せながら、突然彩花は右手のラケットを六花に突き付け、六花が予想もしなかった事を言い出したのだった。
「ねえ、お母さん。今から私と打ってよ。」
「あ…彩花…!?」
「今の私の力を、お母さんに見て欲しいんだ。」
突然の彩花の誘いに、戸惑いを隠せない六花だったのだが。
そんな事よりも今の彩花からピリピリと感じられる、このドス黒い圧力は一体何なのか。
そう言えば彩花をここまで車で送迎した学園長が、何故か物凄く怯えていたのが六花は気になってはいたのだが。
「私ね、聖ルミナス女学園で最強の実力者の静香ちゃんに勝ったんだよ?今の私ならお母さんにも簡単に負けないと思うんだ。」
「…彩花…貴女…一体どうしたって言うの…!?」
「ねえ、いいでしょ?お母さん。今から私と打とうよ。」
「…彩花…。」
かくして彩花の強い希望により、六花は自宅のアパートのすぐ目の前にある公園で、1セット5ポイント制で彩花と試合を行う事になったのだった。
取り敢えずリクルートスーツの上着を自宅のハンガーに掛けてきた六花は、ワイシャツとネクタイ姿で彩花と向き合う。
シュバルツハーケンを退団し引退してから既に2年が経っている六花ではあるが、それでも仕事の合間を見てチョコチャップに通って鍛練を続けているし、たまに美奈子からも誘われて公園で打っている。
それ故に引退してもなお、六花の実力は全く衰えてなどいないのだ。
「それじゃあ彩花。始めるわよ?まずは私のサーブからね?」
「うん。いいよ~。」
左手にラケットを手にして威風堂々と自分を見据える六花を、相変わらず妖艶な笑顔で見つめる彩花。
本当に彩花に一体何があったのかと…六花は言いようのない不安を感じてしまう。
その不安を胸に秘めながら、六花はシャドウブリンガーを彩花に向けて放ったのだった。
六花の左腕から放たれた、強烈な威力のサーブ。
「あははははははははははははははははははははは!!」
だがそれを彩花は、いとも簡単にシャドウブリンガーで打ち返してみせたのだった。
物凄い速度で放たれた彩花の漆黒のスマッシュが、六花の足元に突き刺さる。
驚愕の表情の六花を見つめる彩花の全身から、禍々しい漆黒の黒衣が溢れ出ている。
その彩花の姿を見せつけられた六花は…驚愕の表情で呟いたのだった。
「…こ…黒衣…!?」
類稀な才能を有する者が、深い深い絶望の底に堕ちた際に顕現するとされている、漆黒の闘気…黒衣。
その存在については六花もスイスにいた頃に、図書館で読んだ文献の記事から知ってはいたのだが。
それを、よりにもよって…他でも無い『彩花が』身に纏ってしまったのである。
それが一体何を意味するのかという事を…六花は瞬時に思い知らされてしまったのだった。
詳しくは彩花に聞いてみないと分からないが…彩花が聖ルミナス女学園において、自分の目の届かない間に、何かしらの地獄を味わったのだという事を。
「ねえ!!お母さん!!どうかな!?私、強くなったよね!?」
そんな六花の悲しみと絶望など知らずに、彩花が興奮しながら物凄い笑顔で六花に迫る。
「私の身体から、なんか黒いのが沢山出てるよ!?よく分かんないけど、これってトランザムだよね!?トランザムだよね、これ!?」
そんな彩花を、悲しみに満ちた瞳で見つめる六花。
「ねえ!!お母さん!!私、強くなったでしょ!?お母さんのシャドウブリンガーを簡単に返して見せたよ!?」
そして今の彩花の現状を、成長ぶりを…六花は彩花のシャドウブリンガーを一発食らっただけで、瞬時に見抜いてしまったのである。
「…まるで成長していない…!!」
「…え?」
彩花は、強くなってなどいない。
それどころか彩花は、中学時代よりも明らかに弱くなってしまっていたのである。
彩花は六花のシャドウブリンガーを返したと興奮しながら語っているが、あんなのは鼻クソをほじりながら放ったような、今の彩花の力量を測る為の小手調べの一撃に過ぎない。
本来の六花のシャドウブリンガーの、20%程度の威力でしかないのだ。
「彩花、貴女には聖ルミナスで武藤コーチが専任で付くって支部長から聞かされてたけど、この1ヵ月もの間に武藤コーチから一体何を教わってきたの!?」
六花は直樹とは全く面識は無いのだが、そんな直樹に対して六花は怒りを爆発させていたのだった。
何故なら六花は、今の彩花の身体がどんな状態になっているのかという事を…直樹がどんな怠慢な指導をしてきたのかという事を、一目見ただけで見抜いてしまったのだから。
「今の彩花の身体、明らかに過度のオーバーワークでボロボロじゃない!!今も激痛で思うように身体を動かせていないんじゃないの!?」
そう…今の彩花は、全身がボロボロに傷ついてしまっている状態なのだ。
直樹が課した、彩花の体調をまるで考慮しない、滅茶苦茶なメニューによって。
「彩花貴女、一体聖ルミナスで何があったの!?武藤コーチに何をされたの!?」
それに彩花の全身を纏う、禍々しい漆黒の黒衣。
それが何を意味するのかを思い知らされた六花が、目から大粒の涙を浮かべながら彩花を見つめていたのだが。
「なら教えてあげるよ、お母さん…私が聖ルミナス女学園で味わった生き地獄をさぁっ!!」
そんな六花に対して、彩花は全てを語ったのだった。
聖ルミナス女学園に入学したのはいいが、直樹によってスマホも財布も取り上げられ、さらに営倉室に閉じ込められた挙句に、毎日の食事も完全栄養食と水道水しか与えられなかった事。
六花が毎日送ってきたLINEに返信していたのは、彩花ではなく直樹だったという事。
休日を1日たりとも与えられず、食事と寝る時以外は全てバドミントンという、ブラック企業真っ青の過酷な日々を送らされていた事。
さらに練習内容も彩花の体調をまるで考慮しない代物で、過酷な基礎トレーニングばかりをやらされていた事。
六花のような技術的な指導など、全く何もしてくれなかった事。
それらに嫌気が差して一瞬の隙を突いて聖ルミナス女学園を脱走し、自宅までの約20kmもの道のりを何とか『歩いて』帰宅したものの、そこへ待ち伏せていた学園長に拉致され、聖ルミナス女学園に連れ戻されてしまった事。
そして…学園長が証拠隠滅の為に、彩花を殺すとか言い出した事も。
「そ、そんな…馬鹿な事って…!!」
それらの残酷な真実を彩花から聞かされた六花は、絶望の表情で後ずさってしまう。
そして左手のラケットを地面に落とし、思わず尻もちをついてしまったのだった。
まさか彩花が聖ルミナス女学園において、そのような酷い目に遭っていたなど…流石の六花も全く想像していなかったのだ。
そりゃそうだろう。まさか高校において…しかも聖ルミナス女学園という名門校において、指導者が生徒に対して虐待行為に及ぶなど。
一体何をどうしたら、そんな無茶苦茶な事を想像出来るというのだろうか。
「そうだよ。お母さんが私をあんな所に送り込んだせいで、私はこんな事になったんだよ?」
だがそんな六花に彩花が妖艶な笑顔で迫り、鋭い眼光で睨み付けたのだった。
自分をこんな目に遭わせた六花への、怒りと憎しみの感情が秘められた眼光を。
それが六花の絶望を、さらに深める結果となってしまう。
「ねえ、お母さん、どうして私をあんな所に入学させたの?」
「そ、それは…!!」
「お母さん言ってたよね?聖ルミナス女学園に『視察に行った』って。つまりお母さんは聖ルミナス女学園が、あんな地獄のような場所だって事を最初から分かってた訳だよね?」
「ち、違う!!聞いて彩花!!私は…!!」
「それなのにお母さんは、私を無理矢理あんな所に入学させたんだよね?…私がハヤト君と一緒に、稲北高校に行きたいって言ってたのにさあっ!!」
全身に黒衣を纏った彩花に怒鳴り散らされて、顔面蒼白となってしまった六花。
勿論六花は、直樹がコーチとして無能な人物だったという事も、学園長が保身の為に彩花への虐待の事実を隠蔽したり殺そうとまで考えるような、最低最悪なクズな男だったという事も知る訳が無い。
というか知っていたら尚更の事、彩花を聖ルミナス女学園なんかに行かせなかったはずだ。
だがそれでも六花はそんな事も知らずに、支部長に脅されるまま、彩花をむざむざと聖ルミナス女学園へと行かせてしまった。
そしてそれが原因となって、彩花の黒衣を顕現させる結果となってしまったのだ。
その罪の意識が、情け容赦なく六花の心を追い詰めてしまう。
「…あああ…あああああ…!!」
そして愛する者に対する想いが深ければ深い程、愛する者に怒りと憎しみの眼光を向けられた際に心に突き刺さる『絶望』もまた、より深くなるのだ。
「あ、彩花!!彩花ぁっ!!」
自分に怒りと憎しみの眼光を向ける彩花を、立ち上がった六花がまるで縋るように、目から大粒の涙を浮かべながら、ぎゅっと強く優しく抱き締める。
そして。
「あああああああああああああああああああああああ!!あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
六花が絶望の形相で絶叫したその瞬間…六花の全身を禍々しい漆黒の黒衣が包み込んだのだった。
自分が彩花を聖ルミナス女学園に入学させたせいで、生き地獄を味合わされた彩花が黒衣に呑まれ、闇へと堕ちてしまった。
自分が母親として、何もかも間違っていた。
自分が彩花に対して、取り返しの付かない事をしてしまった。
その残酷な事実と罪の意識が六花を絶望の底に突き落とし、その『絶望』がトリガーとなって、六花までもが黒衣を顕現させてしまったのである。
類稀な才能を有する者が、深い絶望の底に堕ちた際に顕現するとされている、過去の歴史上においても50年から100年に1人の割合で発動の記録が残されている、禍々しい漆黒の闘気を。
「がああああああああああああああ!!がああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
六花の全身を駆け巡る、怒りと憎しみを超越した『破壊衝動』。
憎い。憎い憎い憎い。憎い憎い憎い憎い憎い。
彩花をこんな目に遭わせた支部長も学園長も、武藤直樹とかいうゴミコーチも。
今すぐにこの手で3人を殴って蹴って袋叩きにして、全身をナイフでめった刺しにしてぶっ殺してやりたい位、物凄く憎い。
そして彩花を聖ルミナス女学園に送り込んでしまった、六花自身さえも。
「彩花ああああああああああああああああああっ!!彩花あああああああああああああああああああああっ!!」
とても辛そうな表情で絶叫しながら、彩花にしがみつくかのように、彩花をぎゅっと抱き締め続ける六花。
その六花の絶叫を耳にした近隣住民たちが、一体何があったのかとゾロゾロと外に出てきたのだが。
「…ぬああああああああああああああああああああああああああっ!!」
彩花の身体を優しく離した六花が歯を食いしばり、突然自分自身の頬を右拳で全力でぶん殴ったのだった。
いきなりの六花の自傷行為に、彩花も近隣住民たちも驚きを隠せない。
「ちょお、お母さん!?」
「…はぁっ…はぁっ…はぁっ…!!」
自分自身の右拳に殴られた頬が、ジンジンと痛む。
だがこの痛みは、六花が下した自分自身への罰だ。
そしてこの痛みは黒衣に呑まれかけた六花を正気に戻し、目を覚まさせるには充分だった。
黒衣を宿した際に沸き起こる、怒りと憎しみを超越した『破壊衝動』。
それを六花は強靭な精神力と彩花への揺るぎない愛でもって無理矢理抑え込み、彩花と違って正気を保ったまま…いいや、それどころか黒衣を自らの力として完全に制御してみせたのである。
こんな事はこれまでの歴史上において黒衣を発動させてしまった者たちの中でも、過去に前例が無かった事だ。
「…お、お母さん…!?」
戸惑いの表情で自分を見つめる彩花の頬を両手で優しく包み込み、じっ…と悲しみの瞳で見つめる六花。
後悔など、後で幾らでもすればいい。今はそんな事をしていられる場合ではない。
自分のせいで彩花がこんな事になってしまったという残酷な事実は、今更どう足掻こうが変える事など出来やしないのだから。
それよりも今の六花には、やらなければならない事があるのだ。
「彩花の為に、今の私に出来る事を!!」
「お、お母さん、ちょっと待って、お母さん!?」
黒衣を解除した六花は自分のラケットとシャトルを芝生の上に置きっぱなしにしたまま、彩花の右手首をぎゅっと優しく左手で掴み、彩花を自宅のアパートへと無理矢理連れて行ったのだった…。
自分のせいで黒衣に呑まれてしまった彩花に対して、六花が取った行動とは…。




