第35話:それって無責任じゃない?
黒衣に呑まれてしまった彩花に襲い掛かる、さらなる騒動。
彩花によって剥奪されてしまった学園長の五感ではあるが、何も死ぬまで一生奪われたままという訳では無い。
黒衣を纏った彩花に対しての、肉体と精神の過剰な防衛本能。それに伴う一時的な五感の喪失。それが黒衣による五感剥奪の正体なのだ。
もうこれ以上、彩花に関わりたくない。彩花の姿を見るのも、声を聴くのも嫌だ。
その恐怖が黒衣によって過剰に増大させられた事で、彩花の姿を目に映さない為に、彩花の声を聴かせない為に、肉体が精神を本能的に守ろうとした結果、学園長の五感が一時的に遮断されてしまったのである。
だものだから学園長の五感も、ものの5分程度であっさりと回復してしまったのだが。
「…う、ううう…わ、私は一体…。」
だが次の瞬間、取り戻したばかりの視覚によって学園長が目にしたのは…。
「…ねえ。」
目の前でしゃがみ込んで、自分をじぃ~~~~~~~~~~~っと見つめている彩花の姿だった。
先程まで纏っていた黒衣は、もうすっかり収まったようなのだが。
「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい(泣)!!」
慌てて学園長が腰を抜かしたまま後ずさり、背中を派手に机にぶつけてしまう。
その表情は、完全に彩花への恐怖に染められてしまっていた。
「ひぎゃあっ(泣)!!」
「学園長。私お腹空いたんだけど。」
そんな学園長の恐怖など知った事じゃないと言わんばかりに、彩花が盛大に溜め息をつきながら学園長に文句を言い出したのである。
無理も無いだろう。彩花は昼12時に直樹に差し出された完全栄養食を口にしてからというもの、今までずっと何も食べていないのだから。
時計の針は、夜9時15分になろうかといった所だった。
彩花の腹がぐぐぐぐぐ~~~~~~と、今も盛大に空腹を訴えているのだが。
「私、武藤コーチにスマホも財布も取り上げられたままなんだよね。だから私の晩御飯を用意してくれないかな。今すぐに。」
「そ、そうは言われてもだね!!もうこんな時間だろう!?寮の調理師は今日の勤務を終えて帰宅してしまったのだ!!せめて明日まで待って貰う訳には…!!」
ぐわっしゃ~~~~~~~~~ん!!
立ち上がった彩花が、近くにあった花瓶を物凄い勢いで蹴り飛ばしたのだった。
床にぶつかった花瓶が派手な音を立てて、粉々になって砕け散ってしまう。
「ひぎゃあああああああああああああああああああああああ(泣)!!」
「あのさあ、それって無責任じゃない?私を無理矢理こんな所に連れて来たのは学園長だよね?」
怒りと憎しみに満ちた形相で、目の前で腰を抜かしている学園長の胸倉を掴んで睨み付ける彩花。
「それなのに!!私の食事を用意出来ないって!!一体どういう事なのかなあっ!?」
とてもウザそうに、彩花が物凄い剣幕で学園長に対して怒鳴り散らした。
「もう一度言うよ!?私、お な か す い た ぁ っ !!」
「わ、分かった!!今日の所はこれで勘弁してくれ!!頼むからぁっ!!」
このまま彩花の欲求を満たせなければ、彩花が再び黒衣を暴走させ、また五感を奪われる事になりかねない。
もうあんな目に遭うのは御免だと恐怖に震えながら、学園長は全身をガタガタと震わせながら、慌てて財布から1000円札2枚を取り出し、彩花に差し出したのだった。
「い、今の時間は深夜料金で割高だが、取り敢えずこれだけあれば、すぐ近くのワクワクドナルドで食べるには充分だろう!?あそこは24時間営業だから!!な!?」
目から大粒の涙を流しながら自分に懇願する学園長の無様な姿に、彩花は呆れたように溜め息をついてしまう。
確かに学園長が言っていたように、もうこんな時間だ。
寮の調理師が仕事を終えて帰宅してしまったのに、調理師に食事を用意させろというのは確かに無茶な要求かもしれない。
寮の調理室を借りて、適当な食材を貰って自炊する事も考えたのだが…自分があんな目に遭わされたというのに、どうして自炊なんかさせられないといけないのか。
「…ちぇっ。まあいいよ。」
仕方が無いので彩花は、今日の所は外食で妥協してやる事にしたのだった。
学園長から無造作に1000円札2枚を奪い取り、ジャージのポケットの中にしまう彩花。
「それと私が帰るまでに、私が寝泊まりする部屋をちゃんと用意しておいてよね。まさか私をまたあんな所(営倉室)に閉じ込めるつもりじゃないよね?」
「わ、分かった!!寮に空き部屋が無いか、今から管理人に確認しておくから!!」
「ちゃんと用意しといてよ?用意出来なかったら…分かってるよね?」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい(泣)!!」
這う這うの体で身体を引きずりながら、大慌てで電話の受話器を取り出して内線をかける学園長を無視して、歩いて外に出ていく彩花。
もうすっかり暗くなってしまった、夜9時の街並み。
周辺の飲食店が既に今日の営業を終了し閉店作業を行っている中で、唯一24時間営業のワクワクドナルドの店舗だけが、明るいネオンの光に照らし出されていた。
ワクワクドナルド。世界中に店舗が存在する大手チェーンのハンバーガーショップで、お客様を常にワクワクさせる事をモットーとしている。
彩花も平野中学校に居た頃に、隼人や楓と一緒に何回か足を運んだ事があり、その時は店員が気持ちのいい接客をしてくれて、彩花も好感を持てたのだが。
「しゃあせえ。」
店の自動ドアを通り抜けた彩花の目の前にいたのは…全くやる気が感じられない20代前半の男性従業員の姿だった。
ボサボサの髪を派手な金髪で染め上げ、耳元にはピアスが付けられている。そして全身から漂う強烈な香水の匂い。おまけに客である彩花と目を合わせようともせず、とても不貞腐れた態度を取ってしまっている。
「料理」を取り扱う「接客業」である飲食店で働く従業員として、全く相応しくない姿だと言えるだろう。
今の日本は少子高齢化が深刻な社会問題になってしまっており、多くの企業が慢性的な人手不足に悩まされていると、中学時代に六花から聞かされた事があるのだが。
こんな仕事意識も責任感も感じられないような従業員を雇わないと店が回らない程、今のワクワクドナルドは深刻な人手不足に悩まされてしまっているとでも言うのか…。
「店内でお召し上がりっすか~?」
「うん。イートインで。」
「ご注文はいかがっすか~?」
「えーとねぇ…。何にしようかなぁ…。」
テーブルの上に置かれたメニューを指差しながら、彩花が何を食べようかと考えを巡らせる。
そんな彩花の姿に店員がとてもウザそうに舌打ちしながら、早く決めろよクソガキが、などと、とても接客業の従業員とは思えないような暴言を小声で呟いたのだが。
そんな従業員の暴言が聞こえていたのかいないのか、やがてぐぐぐぐぐ~~~~~~と盛大に腹を鳴らした彩花が、折角だから今日は盛大に贅沢をしてやろうかと、意を決して注文をしたのだった。
ここの代金は学園長が出しているのだ。遠慮などする必要は無い。
「じゃあ巨大ワクワクバーガーのバリューセットで、ワクワクフライドポテトをLサイズに変更して、飲み物はコーラで。あとチーズバーガー2個を単品で。」
「只今深夜時間帯につき、代金は20%増額になってますが、よろしかったっすか~?」
「いいよ~。」
「では代金は1400円になりまっす~。2000円お預かりっすね~。600円のお戻しで~す。しばらくお待ち下さ~い。」
女子高生の、しかも小柄な体格の彩花が食べるには、少し多過ぎる量の気がするのだが。
いいや、それ程までに彩花は、盛大にお腹を空かせてしまっているという事なのだろう。
何しろ彩花が聖ルミナス女学園に入学してからというもの、これまでに彩花が1カ月間で食べた食事は、全て直樹が用意した完全栄養食のみだったのだから。
「お待たせっした~。ごゆっくりどうぞ~。」
しばらくして店員が、注文した品が置かれたトレーを彩花に差し出したのだった。
それを受け取った彩花が店内を見渡し、取り敢えず窓際のカウンター席に座る。
もう夜9時を回っているという事もあってか、物凄い人数の客でごった返す昼の時間帯とは打って変わって、店内にいる客は彩花と…あとは何故か先程から彩花の事をニヤニヤしながら見つめている、暴走族なのだろうか…3人組の特攻服を着たガラの悪い少年たちしかいないようだ。
そんな少年たちなど無視した彩花が、もう空腹で我慢ならないと言わんばかりに、ハンバーガーを必死の表情で無造作にがっついた。
六花の自慢の手料理と違い、彩花への愛情など全く込められていない、ただただ機械的に作られただけの代物。
それでも彩花は必死に食べた。自らの飢えを満たす為に。自らの命を繋ぐ為に。
ハンバーガーを、フライドポテトを噛み砕いて飲み込み、コーラでそれらを流し込む。
「…はぁ…。」
そして盛大に溜め息をついた彩花は、出された食事をどうにか完食したのだった。
確かに腹は膨れたし、料理自体は…いいや、最早料理と呼べる代物と言えるのかさえ疑わしい代物だったのだが…それでもハンバーガーもフライドポテトも確かに美味しかった。
だがそれでも彩花は、全く食べた気がしなかったのだ。
それは六花の自慢の手料理と違い、彩花への愛情が全く込められていないから。
それに隼人や楓のような、彩花と一緒に食べてくれる人が隣にいなかったから。
中学時代に隼人や楓と一緒に食べた時は、とても美味しかった記憶があるのに。
自分と一緒に笑顔で食べてくれる人が隣にいないと、食事というのはこんなにも味気なくなってしまう物なのか。
早く家に帰って、お母さんの手料理をお腹一杯食べたいな。
取り敢えず今日はもう夜遅いからゆっくり休んで、明日にでも学園長を脅して車で自宅に送らせればいっか。
ああでも、お母さん明日は仕事だろうから、送らせるのは夕方以降にしないと駄目かな。
その前に聖ルミナス女学園のバドミントン部の皆に、挨拶でもしておこうかな。
「…ふぅ…。」
そんな事を考えながら椅子にどっかりと身体を預けて、窓から外の風景をのんびりと眺めていた彩花だったのだが。
「なあなあ嬢ちゃん。こんな所に1人で一体どうしたんだよ?」
「俺らと一緒に遊ぼうぜ?」
「美味いもん食わせてやっからよ。」
先程からニヤニヤしながら彩花の事を見つめていた3人の少年たちが、いきなり彩花に絡んで来たのだった。
店内には彼らと彩花以外に客がおらず、彩花を助けてくれる人は誰もいない。
少年たちは無造作に近くの椅子を持ってきて、彩花の周囲を取り囲むかのようにどっかりと腰を下ろしたのだが。
「店員さ~ん。私、変な人たちに絡まれてるんですけど~。」
ナンパか…彩花は呆れたように盛大に溜め息をつきながら店員に助けを求めたものの、店員はビクビクしながらその場から一歩も動こうとしない。
いや、もしかして店員は彼1人だけしかいないのだろうか。まさか深夜の時間帯はワンオペで店を回しているとでもいうのか。
そこまでしないと24時間営業が出来ない程までに、今のワクワクドナルドは慢性的な人手不足に陥ってしまっているのだろうか…。
そんな店員など無視した少年たちが、ニヤニヤしながら彩花に話しかけてきた。
「俺らはこの辺り一帯をシメてる、チーム・サルバトーレの者なんだけどよ。」
「そのジャージ、聖ルミナス女学園だよな?こんな所に君みたいな女の子1人だと危ないぜ?」
「今から俺らが嬢ちゃんを護衛してやるよ。だから今日は俺らと目一杯楽しもうぜ?」
サルバトーレ。イタリア語で「救世主」という意味なのだが…こいつらの一体どこが救世主だと言うのか。
気持ち悪い。凄く気持ち悪い。
隼人が自分に向けてくれる優しい笑顔とは全く違う、下心に満ち溢れた邪悪な笑顔。
彼らの顔を一目見ただけで、彩花は盛大に吐き気がしたのだった。
「悪いけど、私もう寮に帰るから。」
こんな連中に、これ以上付き合い切れない…とてもウザそうな表情で、彩花は物凄い勢いで席を立ったのだが。
「そんな堅苦しい事言うなよ。嬢ちゃんだって欲求不満が溜まってるから、こんな時間にこんな所に1人で来たんだろ?」
そうはさせまいと立ち上がった3人の少年が、彩花を逃がさないように一斉に取り囲んだのだった。
店員はすっかり怯えてしまっており、警察に通報しようともしてくれない。
いや、完全にテンパってしまっているせいで、そういう考えにすら至ってくれていないのだろう。所詮はその程度の仕事意識しか持ち合わせていない愚物だという事だ。
「なあ、俺らと一緒に来いよ。そうだ、一緒に俺のバイクに乗らねえか?夜道を盛大にかっ飛ばすと気持ちいいぜ?」
やがて少年の1人がニヤニヤしながら、彩花の左肩を右手で掴んだのだが。
次の瞬間、彩花の全身を駆け巡る、全身の血が沸騰するような不快な感覚。
彩花の頭の中で、怒りや憎しみを超越した『破壊衝動』が…再び湧き起こったのだった。
「…ああもう、本当マジでうざったいなあっ!!」
女性にとって好きでもない男性に身体を触られるというのは、例え胸や局部でなくとも強烈な不快感を抱く物だとされている。
だからこそ少年に肩を触られたのが、余程不愉快だったのだろう。
彩花の全身を、再び漆黒の黒衣が包み込んだのだった。
「ひいっ!?な、何なんだよこいつ!?」
「その薄汚い手で、私に触るなあああああああああああああああああああああっ!!」
「ひぎゃああああああああああああああああああああああああああ(泣)!!」
彩花の異形の姿に恐怖を抱いてしまった少年たちは、彩花に五感を剥奪されて、その場に崩れ落ちてしまう。
そんな少年たちなど無視し、彩花はゆっくりと店の出口に向かって歩き出す。
「…私の身体に触れていい男の人は、ハヤト君と玲也さんだけだよ。馬~鹿。」
呆れたように盛大に溜め息をつきながら店を出た彩花だったのだが…そんな黒衣を纏った彩花の姿に店員はすっかり怯えてしまい、小便を漏らしながら腰を抜かしてしまっていたのだった…。
次回。出会ってしまった彩花と静香。




