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バドミントン ~2人の神童~  作者: ルーファス
第3章:高校生編
25/135

第25話:気持ち、心遣い、一人一芸

 美奈子監督、本格始動です。

 いや、確かに隼人は昨日、竜一にいじめられていた2年生の女子生徒から聞かされていた。

 今年の1月から産休で長期休暇を取っている小林先生に代わって、今日から新監督がバドミントン部の監督として赴任する事が決まったのだと。

 その新監督とやらが誰なのかは知らないが、なんかJABS名古屋支部からの紹介を受けて採用が決まった人だとの事らしいので、まあ経験豊富な信用出来る人なんだろうなと。

 この時の隼人は、そんな程度にしか考えていなかったというのに。

 それなのに…一体全体、何がどうしてこうなった。

 

 「今日から産休の小林先生に代わって、六花ちゃんに頼まれて、この稲北高校バドミントン部の監督を務めることになった、須藤美奈子よ。」


 なんか隼人の目の前に、物凄く顔見知りのお母さんがいたのである…。


 「皆、よろしくね?…うふっ(笑)。」

 「…はああああああああああああああああああああ(汗)!?」


 笑顔で自分にウインクする美奈子を、隼人が口をポカーン( ゜д゜)とさせながら、唖然とした表情で見つめていたのだった。

 いつも休日に自分に対して指導をする時と同じ、見慣れたジャージ姿の美奈子。

 とても穏やかな笑顔で、美奈子は隼人たちを見つめている。


 いや、確かに美奈子は、経験豊富な信用出来る人なんだけれども。

 経験豊富というか、スイスで17年間もプロとしてプレーした経験があるんだけれども。

 隼人はそんな美奈子から、いつも適切な指導を受ける事が出来ているんだけれども。

 周囲から『神童』と呼ばれる程までに隼人が成長する事が出来たのは、間違いなく美奈子の隼人への愛情が込められた指導のお陰なんだけれども。

 だけど美奈子が今日から自分たちの監督を務める事になるなんて、聞いてないんだけれども。


 「…ったく、母さんめ…。なんか今日はやけに朝からニヤニヤしてると思ったら、そういう事かよ。」

 「そういう事よ?てぺぺろっ(笑)。」


 呆れたような表情で、深く溜め息をついた隼人。

 美奈子の事だ。今日、隼人の事をびっくりさせてやろうかと思って、監督就任が決まってから今までずっと黙っていたのだろう。

 六花からも今日まで何も言われていなかったので、六花も美奈子と結託でもしていたに違いない。

 2人のしょーもない意地悪っぷりに呆れる隼人だったが、とはいえ美奈子が監督を務める事自体に関しては、隼人は「最強の指導者が来てくれた」と心から安堵していた。


 何せ他でもない隼人自身が、いつも休日に美奈子からの指導を受けており、その結果『神童』と周囲から呼ばれる程のバドミントンプレイヤーへと成長を遂げたのだから。

 だからこそ美奈子が、母親としても指導者としても心から信頼出来る人だというのは、隼人自身が誰よりも身に染みて理解しているつもりだ。

 美奈子が隼人に課す練習メニューはいつも過酷で、隼人は正直いつもヘロヘロになってしまっている。

 だがそれでも美奈子は絶対にオーバーワークにだけはならないように常に気を配ってくれているし、何よりも美奈子の指導には隼人への愛情がたっぷりと込められている。

 だから隼人は美奈子が課す練習を『辛い』と思う事はあっても、『もう嫌だ』と思った事など今まで一度も無いのだ。


 その美奈子が、隼人が心から信頼を寄せている美奈子が、これから隼人たちの指導をしてくれるのである。

 ウンコより存在価値が無いとまで言われている稲北高校バドミントン部にとって、間違いなく無くてはならない…いいや、それどころか救世主にさえなるはずだ。

 とはいえ、この稲北高校バドミントン部においては、隼人は選手、美奈子は監督という立場だ。

 だからこそ公私の区別だけは、しっかりと付けなければならない。

 そんな事を考えていた隼人だったのだが。


 「よろしくお願いします。『須藤監督』。」

 「うわああああああああああああああああん(泣)!!」

 「えええええええええええええええええええ(汗)!?」


 何故か美奈子が目をうるうるさせながら、大声で泣き出してしまったのだった…。

 まさかの事態に、隼人は戸惑いを隠せない。


 「酷い!!酷いわ隼人君!!何でそんな酷い事を言うの!?私は貴方をそんな子に育てた覚えは無いわよ(泣)!?」

 「え!?いや、ちょ、ま(泣)!!」


 慌てふためく隼人、そして泣きじゃくる美奈子を、他の部員たちが呆気に取られた表情で見つめてしまっている。

 

 「…隼人。お前、お母さんを泣かせるとか、本当に最低な奴だな(笑)。」

 「何で僕、君に叱られてるの(泣)!?」


 何故か隼人は、駆に説教をされてしまったのだった…。

 いや、というか公私混同したらいけないと思ったから、美奈子の事を『監督』と呼んだというのに。

 それなのに…一体全体、何がどうしてこうなった。


 「ぶえええええええええええええええええ(泣)!!」

 「分かった!!分かったから!!だからもう泣くなよ!!『母さん』(泣)!!」

 「…でへっ(笑)。」


 いつものように隼人に『母さん』と呼んで貰えた事で、やっと機嫌を直した美奈子なのであった…。

 

 (((((ほ、本当に大丈夫なんだろうか、この人…。)))))


 頭の中で一斉に、美奈子に対してツッコミを入れる部員たち。

 いやまあ、確かに美奈子はスイスで17年間プレーした実績を誇る超ベテランなのは、他の部員たちも頭の中では理解しているのだが。

 目の前で隼人の事をからかっている美奈子の姿に、何となく不安を覚えてしまった部員たちなのであった…。


 「コホン…さてと、練習を始める前に、私から皆に1つ言っておく事があるわ。」


 そんな部員たちのしょーもない不安を払拭しようと、美奈子が穏やかな笑顔で隼人たちを見据える。

 部員たちが美奈子に傾注する中、美奈子は鞄から何やら3枚のA3サイズの用紙を取り出し、壁紙用の貼って剥がせる両面テープを使って体育館の壁に貼り付けたのだった。

 そこに書かれていたのは…。


 「私が六花ちゃんにお願いされて、バドミントン部の監督に就任する事になった際にね。皆に心掛けて欲しいと思った事があるの。それがこの3つよ。」


 『気持ち』

 『心遣い』

 『一人一芸』


 美奈子による丁寧な手書きで、マジックで紙全体に大きく書かれた3つの訓示だった。

 部員たちの誰もが神妙な表情で、美奈子が貼った用紙を見つめている。

 ただ1人…今も不貞腐ふてくされた態度を取り続けている竜一を除いて。


 「まずは『気持ち』。私はどれだけ実力のある選手だろうと、練習やプレーの1つ1つに『気持ち』が込もっていないようなチャランポランな子は、試合には一切出さないつもりよ。公式試合にも、練習試合にもね。」


 とても穏やかな笑顔で、美奈子が隼人たちに語りかける。

 バドミントンに限らず、どんな競技でもそうなのだが、選手の態度や心情、やる気というのは、プレーの質に大きな影響が出てしまう物なのだ。

 また普段の練習においても、その練習内容に込められた「意味」をまるで考えようともせず、「練習の為の練習」になってしまうような選手は、どれだけ練習しようが身につく訳が無い。上手くなれる訳が無い。

 だからこそ、練習やプレーの1つ1つに『気持ち』をしっかりと込めるのが大事なのだと…美奈子はそう語っているのである。


 「隼人君。例え貴方でも決して例外ではないわよ?覚えておいてね?」

 「ん?ああ、それは勿論…。」

 「そして『心遣い』。バドミントンは紳士のスポーツよ。どんな対戦相手にも常に敬意を払い、周囲への気配りが出来るような選手になりなさい。」


 ラグビーにおいては、試合終了後に審判が例外なく「ノーサイド」のコールを行う。

 試合中は互いに敵同士としてぶつかり合う関係だったとしても、試合後は一転して互いにラグビーを楽しむ仲間同士となり、「お前、凄ぇな」などと互いに握手をして称え合う。

 「ノーサイド」とはそういう意味合いを持つ言葉であり、ラグビーの最大の特徴とも言える代物で、美奈子も割と気に入っているのだ。

 その「ノーサイド」の精神を、隼人たちにも持って欲しいと…ただバドミントンが強いだけではなく、人間としても立派に成長した選手になって欲しいと…美奈子はそんな事を考えているのである。


 「最後に『一人一芸』。他にどれだけ短所があってもいい。パワーでもスピードでもフィジカルでも戦術眼でも、得意技でも必殺技でも何でもいいわ。これだけは誰にも負けないって周囲に自慢出来る『自分だけの武器』を見つけて、私にアピールして御覧なさい。」


 これもバドミントンに限った話では無いのだが、プロの世界においては平均点の選手よりも、多少の欠点はあっても何か1つだけでも特別に優れた部分がある選手の方が、スカウトや監督の目に留まりやすかったりするのだ。

 例えばプロ野球ならば、コントロールに難があっても150km/hの豪速球をコンスタントに投げられる投手とか、バッティングに難があっても守備力が滅茶苦茶高くて、どこでも守れる野手とか。

 そういう「誰にも負けない自分だけの武器」を見出し、アピールしてみせろと。

 一番分かりやすい例が、楓のクレセントドライブだろう。

 まあ隼人のように「何をやらせても凄いオールラウンダー」という選手も、いるにはいるのだが…。


 「以上、3つの訓示を皆に提示した訳だけど…ここまでで何か質問はあるかしら?」

 「母さん、1ついいかな?これは質問じゃなくて、監督としての母さんに報告すべき事なんだけど。」

 「あら、何かしら?隼人君。」


 突然真剣な表情になった隼人に、思わずきょとんとなってしまった美奈子だったのだが。


 「実は昨日、佐久間先輩がさ。かくかくしかじか…。」


 隼人は昨日起こった事件の詳細を、全くの誇張表現無しに嘘偽りなく馬鹿正直に語ったのだった。

 竜一がスマッシュの練習という名目で、2年生の女子生徒に対する悪質ないじめ行為を行っていたという事を。

 隼人の報告を耳にした他の2、3年生の部員たちが、これまでの竜一の横暴な行為を思い出し、一斉に暗い表情になってしまったのだが。


 「…佐久間君。それは本当なのかしら?」


 そんな2、3年生の部員たちを守るかのように、美奈子が先程までの穏やかな笑顔から一転して、とても厳しい表情で竜一に迫ったのだった。

 美奈子の鋭い視線に、思わずたじろいてしまう竜一だったのだが。


 「な、何だよ!?ただの須藤の言いがかりだ!!俺がやったっていう確かな証拠でもあるってのかよ!?ああっ!?」

 「…そうね。確かに証拠は無いわね。」

 「だろ!?もし俺を退部にでもしてみろ!!教育委員会に訴えるぞコラァっ!!」


 昨日あれだけ隼人にコテンパンにされたにも関わらず、竜一は自分が犯した罪を認めようともせず、苦し紛れに「証拠はあるのか」などと美奈子に反論したのだった。

 確かに竜一の言う通り、確固たる物的証拠があるわけでもないのだが。

 だからといって美奈子も監督としての立場上、隼人からの報告を無視して竜一に何もしないという訳にもいかない。

 睨み合う美奈子と竜一だったのだが…やがて美奈子は呆れたように深く溜め息をついたのだった。


 「…まあいいわ。直接いじめの現場を見た訳ではない私が、隼人君の証言だけで佐久間君に処分を下すというのは無理があるから、今回だけは大目に見る事にするわね。だけど今日からはしっかりと心を入れ替えて、『心遣い』を大切にしなさい。いいわね?」

 「…けっ。」


 美奈子からの忠告に対しても、不貞腐れた態度を止めようとしない竜一。

 隼人は真面目な子だから、竜一が気に入らないから起こってもいない事件をでっち上げて、竜一を部から追い出そうとか、そんな馬鹿な事を考えるような子ではないだろう。

 それに他の2、3年生の、竜一を見る目…明らかに侮蔑と恐怖に満ち溢れていた。

 だからこそ、明らかに隼人の報告は事実だという確信を美奈子は持っているのだが。

 それでも証拠が無い以上は、今ここで竜一を処罰する訳にはいかない。


 だから美奈子は取り敢えずは、今この場においては竜一に苦言を呈するだけに留めておいたのだ。

 逆に言えば美奈子からの竜一への苦言は「最後通告」を意味しており、


 「次に騒ぎを起こしたら容赦はしないわよ?」


 という意味合いも含まれているのだが。

 竜一を睨み付ける美奈子の鋭い眼光が、竜一に対して無言でそれを訴えていたのだった。

 こうして部員たちを悪質ないじめから守り、誰もが安心してバドミントンに取り組める環境を作ってあげる事も、美奈子の監督としての大切な仕事なのだから。

 美奈子としても、竜一がバドミントン部の活動の中で心を入れ替え、改心してくれる事を願っての最後通告だったのだが…。


 「それじゃあ話も済んだ事だし、早速練習に入るわよ?まずは準備運動と柔軟体操から。皆、準備はいいかしら?」

 「「「「「はい!!」」」」」

 「皆をビシバシしごいて強くしてあげるから、覚悟してね?うふふっ。」


 いつも隼人に見せている穏やかな笑顔に戻った美奈子からの言葉に、隼人たちは元気よく返事をする。

 与えられた練習時間は限られている。まして前任の顧問の先生から聞かされた話だと、部活が終わった後にバイトや塾に通ったり、親から門限を厳しく言い渡されている生徒さえもいるらしいのだ。


 だから証拠も無い以上は、いつまでも竜一を責めてばかりもいられない。

 部員たちだけでなく自身の気持ちも切り替える意味合いも含めて、美奈子は早速隼人たちに練習をさせる事にしたのだった。

 まずは準備運動と柔軟体操から。どんな競技でもそうなのだが、練習や試合での怪我を防ぐ為にも絶対に馬鹿に出来ない代物だ。


 美奈子が校長先生に告げたように、勝負の世界に絶対は無い。

 だからこそ美奈子は部員たちに…それこそ隼人にさえも


 「必ず全国に連れて行くからね」


 とは言わなかったのだ。

 だがそれでも部員たちを選手として、人間として成長させ、強くしてやる事なら出来る。

 六花から監督就任を頼まれた時は、正直驚きと戸惑いを隠せなかったのだが…それでも自分の経験を少しでも指導者として活かす事が出来たらと。皆に伝える事が出来たらと。

 美奈子は今、心の底からそう思っていた。

 

 必死に準備体操をする可愛い教え子たちの光景を、美奈子が慈愛に満ちた穏やかな笑顔で見つめていたのだった…。

 次回、竜一が…。

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