第24話:もう1人、気になる子がいるんです
類稀な素質を持ちながらも中学時代は指導者に恵まれず、その優れた素質を持て余してしまっており、彩花や六花から「可哀想」とまで言われてしまっていた楓。
ではその楓が、優秀な指導者に巡り合う事が出来たら…。
スポーツとは、一体何なんだろう。
部活動とは、一体何なんだろう。
ネット越しに目の前の竜一を見据えて左打ちの変則モーションの構えを取りながら、隼人は頭の中でそんなような事を考えていたのだった。
先程、隼人の目の前で見せつけられた、練習という名目の、竜一による後輩の女子生徒に対する悪質ないじめ行為。
そして今この場にいる部員たちの誰もが、竜一に怯えて女子生徒を助けようともしない。
竜一に逆らえば自分たちも同じ目に遭わされる…そんな所なのだろうか。
こんな物、断じてスポーツとは認められない。部活動とは認められない。
彩花と一緒に通っていたスイスのバドミントンスクールでは、こんな事は絶対に有り得なかったというのに。
あの場所では確かに練習は過酷だったが、それでも上級生も下級生も、上級者も素人も、誰もが分け隔てなく生き生きと、笑顔で仲良く競技に取り組める環境だったというのに。
それなのに何故、この稲北高校のバドミントン部では、こんな事になってしまっているのか。
だからこそ自分たちが、このクソッタレな環境を変えてやろうと…学年も実力も関係無く、全員が伸び伸びと平等にバドミントンを楽しめる場所に変えてやろうと…今の隼人はその決意に燃えていた。
その手始めとして、まずは自分の目の前で妖艶な笑顔を浮かべている竜一を叩きのめし、彼がいじめていた女子生徒に誠心誠意の謝罪をさせる事で。
「行くぞ!!」
隼人から竜一に向けて繰り出された、渾身のサーブ。
「結構いいサーブ持ってるじゃねえか!!」
それを竜一は、いとも簡単にラケットに当てて見せる。
「けどな!!所詮は中学レベルだ!!この俺様には通用し…っ!?」
だが竜一がラケットに当てたシャトルには、凄まじい回転が掛かっており…。
「なあああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいいっっ!?」
物凄い勢いで天高く弾かれたシャトルに目掛けて、既に隼人がスマッシュの体勢に入っていたのだった。
まるでシャトルがこの位置に飛んでくる事が、最初から分かっていたかのように。
そして凄まじい威力と速度で放たれた隼人のスマッシュが、竜一の足元に情け容赦なく突き刺さった。
「1-0!!」
審判の女子生徒のコールと同時に、体育館が凄まじい歓声に包まれる。
このワンプレーだけで、今この場にいた者たちの全員が、隼人の圧倒的なまでの実力を思い知らされてしまったのだった。
「里崎さんや片桐さん程じゃないが、僕にも多少はドライブショットを操れる。」
「ふ、ふざけやがって!!今のはどうせ、まぐれだろ!?」
竜一からポーンとラケットで高々と飛ばされたシャトルを、隼人が右手で威風堂々と受け止める。
そして再び左打ちの変則モーションの構えから、強烈な威力のサーブを放つ。
それをまたしても竜一は容易くラケットに当ててみせるが、先程と同じように強烈なドライブ回転と威力に圧し負け、今度は隼人のコートまで届かずに力無くネットに当たってしまう。
「2-0!!」
「何だよこれ…!?何なんだよこれ!?こいつ、まさか狙ってやってるのかよ!?まぐれじゃねえのかよぉっ!?」
今の竜一の表情からは、先程までの余裕の笑みは全く消え失せてしまっていた。
あるのはただ、自分の目の前にいる隼人の圧倒的な実力に対しての、焦りと苛立ち。
「あの子、『多少は』ドライブショットを操れるって言ってたけど、全然多少どころじゃないわよ!?一体何なのよ、あの子は!?」
先程竜一にいじめられていた2年生の女子生徒は、あまりの隼人の実力に驚きを隠せずにいたのだった。
そして女子生徒は一瞬で理解した。隼人が竜一に何をしたのかという事を。
そう、隼人がドライブショットによってシャトルに強烈な回転を掛けて放ったサーブは、竜一がラケットにシャトルを当てる直前に弾道が変化し、ラケットに当てた際に芯を完全に外していたのだ。
そして強烈なドライブ回転が掛かったシャトルの威力に圧し負け、竜一はシャトルを力無く弾かれてしまったという訳だ。
こんなの、女子生徒が言っていたように、『多少は』どころのレベルではない。
相当なドライブショットの練度が無ければ、到底出来ない芸当だ。
「ふざけやがって!!調子こいてんじゃねえぞコラァ!!俺様は稲北高校バドミントン部シングルス部門のレギュラー!!佐久間様だぞぉっ!!」
今度は竜一が、渾身のサーブを隼人に放ったのだが。
「だから知りませんよ、そんなの。」
それを隼人は軽々と打ち返したのだった。
「3-0!!」
「くそがぁっ!!」
いつの間にか体育館は、多くの生徒たちで溢れ返ってしまっていた。
先程、一部の生徒がスマホで隼人の画像を撮り、SNSで拡散した事がきっかけで集まって来たのだ。
そう…誰もが隼人の試合を観戦する為に。
「6-0!!」
圧倒的だった。まさしく圧倒的なまでの一方的な試合…いいや、最早試合にすらなっていなかった。
これはもう試合とは呼べない。隼人による竜一の「公開処刑」だ。
サーブも、スマッシュも、ロブも、ドロップも、竜一が何をやっても通用しない。
どこに打っても、何度打っても、何をやっても、隼人は涼しい顔で返してくる。
「9-0!!」
いよいよ隼人のマッチポイントとなり、生徒たちのボルテージは最高潮に達する。
隼人が涼しい表情で息1つ乱していないのとは対象的に、竜一は怒りの形相で完全に取り乱してしまっている。
以前、六花が隼人に言っていた。
稲北高校のバドミントン部には、「特に目立った選手は1人もいなかった」と。
つまりは…そういう事なのだ。
「くそが…くそが…くそが…くそが…くそがああああああああああっ!!」
「…はっ!!」
そして隼人の渾身のロブが、竜一のコートのラインギリギリに突き刺さった。
最早竜一には、それを追いかける気力すら残されていなかったのだが。
「ゲームセット!!ウォンバイ…!!」
「アウトだあっ!!」
それを竜一が焦りに満ちた笑顔で、高々とアウトだと宣言したのだった。
まさかの竜一の行動に、周囲の生徒たちは戸惑いを隠せない。
「いやいやいやいやいや、今のは確かに際どかったけど入ってただろ!?」
「うるせえぞリーゼント野郎!!俺がアウトだって言ってんだからアウトなんだよぉっ!!」
「はあ!?何だそりゃあ!?」
駆の反論に対して、ドヤ顔で返す竜一。
何という無様な醜態なのか。多くの生徒たちが竜一に対して罵声を浴びせていた。
バドミントンは紳士のスポーツだ。だからこそ、このような卑劣な行為は絶対に許されないというのに。
「おい橋本!!ゲームセットじゃねえぞ!!9-1だぞ!!ちゃんとコールしろや!!」
「ナ…9-1!!」
「そうだ!!そのまま試合続行だオラぁっ!!」
今度は隼人の渾身のスマッシュが正確無比の精度で、またしてもラインギリギリに突き刺さったものの。
「ゲームセット!!ウォンバイ…!!」
「今の打球もアウトだあ!!」
「ナ…9-2!!」
「ぎゃはははははははは!!」
竜一の無様な醜態に対し、生徒たちから凄まじいまでのブーイングが飛ぶ。
こんな白昼堂々と、平然と繰り出される八百長行為…これでは最早スポーツですら無いではないか。
「…先輩。貴方にはプライドって物が無いんですか?」
「うるせえ!!どんな手を使おうが勝てばいいんだよ!!勝てば!!」
「はぁ…やれやれ。」
ドヤ顔で反論する竜一に対し、呆れた表情で溜め息をつく隼人。
こんな事を公式戦でやろう物なら、竜一は一発で失格、退場処分となるだろうに。
やはりこのウンコは徹底的に…いいや、絶望的に叩きのめさなければならないようだ。
「仕方が無いな。ほら、先輩のサーブですよ。さっさとして下さいよ。」
「言われなくても…やってやらぁ!!」
竜一のサーブを、隼人は竜一の正面に向けて打ち返す。
やはり竜一の八百長行為のせいで、流石の隼人も際どいコースを狙えなくなってしまったのだろうか。
「ひゃはははははは!!」
それを容易く打ち返す竜一。さらにそれを竜一の正面に打ち返す隼人。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も、な ん ど で も 、竜一の正面に凄まじい威力の無数のスマッシュの嵐が乱れ飛ぶ。
それを隼人に返す度に、竜一のラケットを持つ右手に「衝撃」が走る。
「…お、おい待てよ…!!お、お前まさか…!!」
何度竜一が隼人のスマッシュを打ち返しても、それを隼人が懲りずに竜一の正面にスマッシュを何度も打ち返してくる。
一撃受け止める度に、竜一の右手に凄まじい負担が掛かる威力のスマッシュを、何度も何度も何度も何度も何度も。
「や、止めろ…!!止めてくれぇっ!!」
もう竜一の右手は、隼人のスマッシュの凄まじい威力のせいで、ビリビリと震えてしまっているというのに。
それなのに隼人は、竜一の正面にスマッシュを撃つのを止めてくれない。
それは竜一が際どいコースの打球を、全てアウトだと言っちゃうもんだから。
だから隼人も、「竜一の正面にスマッシュを撃たざるを得ない」のだ。
この状況に追い込んでしまったのは、他でも無い…竜一自身だ。
「お、俺の右手がああああああああああああああ!!」
そして隼人の凄まじいスマッシュの威力の前に、とうとう竜一の右手が完全に握力を失ってしまい、ラケットを力無くコートに落としてしまう。
完全に丸腰になってしまった竜一に向かって、またしてもスマッシュの体勢に入る隼人。
「い、嫌だあああああああああああああああああ!!」
なんかもう泣きそうな表情で、両手で必死に顔面を守りながら、無様に泣き叫ぶ竜一だったのだが。
「…先輩と一緒にしないで貰えますか?」
今度は隼人は竜一に対して、コツ~ンとドロップショットを放ったのだった。
力無く落下したシャトルが、竜一の目の前のネットギリギリにコロコロと転がり落ちる。
「僕はここに喧嘩をしに来たんじゃない。バドミントンをしに来たんですよ。」
威風堂々と、竜一に向かって断言する隼人。
完全に腰を抜かして、目から大粒の涙を流して震えてしまっている竜一。
その対称的な2人の姿を見せつけられた審判の女子生徒は安堵の表情で、右手を高々と上げて試合終了を宣言したのだった。
「ゲ…ゲームセット!!ウォンバイ、1年4組・須藤隼人!!ワンゲーム!!10-2!!」
その瞬間、大歓声が体育館を包み込む。
何という隼人の圧倒的な実力なのか。これが『神童』の力だと言うのか。
そして…これ程の選手がどうして強豪校ではなく、こんな弱小校に入ってきたのかと。
「そ…そんな馬鹿な…!!この俺が負けただと…!?こんな1年坊主に!?」
「先輩。彼女にちゃんと謝って下さい。」
「うるせえぞ1年坊主!!認めねえ!!こんなの、俺は絶対認めねえぞぉっ!!」
「あ、ちょっと!!」
「くそがああああああああああああああああっ!!」
怒りの形相で、竜一は慌てて体育館から逃げ出してしまったのだった…。
唖然とした表情の隼人に対して、駆が派手に喜びながら肩を組んで祝福する。
まあ誰なのかは知らないが明日から新監督が来るらしいから、その時に新監督に事情を説明して、竜一にちゃんと謝罪させればいいかなと。
駆に肩を組まれながら穏やかな笑顔で、そんなような事を考えていた隼人なのであった。
一方その頃、校長室では校長先生と、明日からバドミントン部の指導を担当する事になった新監督の女性が、互いに向かい合うような形でソファに座っていた。
新監督は今年で40歳になるのだが、とてもそうは思えない程の美しい女性だ。
テーブルの上には事務員の女性が用意した、2人分の緑茶と和菓子が置かれている。
「わざわざ来てくれて済まないね。藤崎六花君に君の事を紹介された時は、私も流石に驚いたのだが…君が我が校のバドミントン部の監督を引き受けてくれた事を、私は本当に感謝しているよ。」
「私もまさか、こんな形で再びここに通う事になるなんて…自分でもびっくりしていますよ。」
「それで、22年振りに訪れた母校の感想はどうかね?」
「ええ、あの頃と全く変わっていませんね。本当にあの頃のまま…。」
「まあ君が卒業した頃とは違って、今は農業だけの学校という訳では無いのだがね。」
少子高齢化が急激に進み、IT化が急激に進む、今の激動の令和の世の中。
その令和の時代を生き残る為に、1人でも多くの生徒を獲得する為に、校長先生は新たに普通科とIT科のクラスを創設したのだ。
古くからの『伝統』を重んじる古参の教師たちからは猛反発を食らってしまったが、それでもいつまでも農業ばかりの学校でいるようでは、冗談抜きで生き残れない世の中になってしまっているのだから。
新監督はここの生徒だった頃、クラスメイトたちと共に作業着を着て地下足袋を履いて、必死に畑を耕して野菜を育てていたのだが。
今思うと確かにあの頃は大変だったが、それでも凄く楽しかった思い出がある。
「さて、本題に入ろうか。今年の我が校には平野中学校から、あの『神童』須藤隼人君が入学してくれた。多くの強豪校からの熱心なスカウトがあったにも関わらず、両親に金銭的な負担を掛けたくないからという殊勝な心掛けでだ。」
「そうですね。ですが私にはもう1人、気になる子がいるんです。」
「ほう、もう1人とは…。」
新監督は鞄から取り出したタブレットの画面に、六花がWordで制作した、楓に関してのデータがまとめられた資料を映し出し、校長先生に提示した。
楓の能力の詳細な分析や、長所、短所、性格、さらには将来プロ入りを希望しているという事まで、グラフ付きでとても分かりやすく記載されている。
「里崎楓さん…動画でプレーを見させて貰いましたが、この子にはまだまだ相当な伸びしろがあります。私が本気で鍛えれば、彼女は今よりも何倍も強くなりますよ。」
「ほう、私にはよく分からないが、まさか君にそこまで言わせる程の生徒とは。」
「この子は今まで、良き指導者に恵まれなかっただけ…その優れた資質を持て余しているだけなんです。私にはこの子の才能を存分に引き出してあげられる自信があります。」
確かに新監督が見抜いた通り、楓は今まで全く指導者に恵まれていなかった。
中学の頃の顧問の先生は、バドミントンに関しては全くの素人で、楓に対してまともな指導が全く出来ず、普段の練習メニューを全て楓が考案していた始末なのだから。
自慢のクレセントドライブも誰かに教わって身に着けたのではなく、六花がシュバルツハーケンでプレーしていた頃の動画を参考にして、独学で編み出した物なのだ。
それこそ彩花や六花に「可哀想」とまで言わせてしまう程までに。
だが明日から楓の指導をする事になる、この新監督は違う。
楓の才能を存分に引き延ばし、クレセントドライブを今よりも何倍も威力のある必殺技へと昇華させ、そのクレセントドライブを最大限に活かす為の戦術も叩き込む自信がある。
それを思うと新監督は、今からワクワクが止まらなかった。
「まあ何にしてもバドミントン部に関しては、監督である君に全ての権限を与える物とする。何しろ我々はバドミントンに関してはズブの素人だからね。君には一切口を挟むなと他の教師たちに伝えておくから、監督として存分にその手腕を振るってくれたまえ。」
「お任せ下さい。勝負の世界に絶対は無いので、必ず全国まで導くという約束は出来ませんが、それでも私が皆を徹底的に鍛えて、強くしてあげますよ。」
「うむ。君の手で、どうか生徒たちを正しく導いてあげて欲しい。」
和菓子を美味しそうに平らげ、お茶を飲み干した新監督は、とても力強い笑顔で校長先生を見据える。
そんな新監督の美しくも凛々しい姿に、校長先生は頼もしさを感じていたのだった。
近年は毎年のように試合に出ても全員が初戦敗退しており、周囲から「ウンコより存在価値が無い」とまで言われ、弱小校として扱われている稲北高校バドミントン部。
さらに追い打ちをかけるかのように、顧問を任せていた若手の女性教師も、今年の1月から出産の為に長期間の産休に入ってしまい、部員たちにはおよそ3カ月近くも間、指導者抜きでの練習をさせる結果となってしまった。
その件に関しては校長先生も生徒たちに対して、今も本当に申し訳なく思っている。
だが明日からはもう、生徒たちにそんな不自由な思いをさせずに済む。
何しろこれだけの実績と経験を有する頼もしい新監督が、皆の指導をしてくれる事になったのだから。
プロ野球には「名選手は名監督にあらず」という諺がある。
現役時代にどれ程のスーパースターだったとしても、監督としても有能とは限らないと言う事なのだが。
それでも校長先生は、彼女になら生徒たちを任せられるという確固たる自信、そして安心感を感じていたのだった。
何故なら今、校長先生の目の前にいる美しい女性こそが、隼人の事を『神童』と呼ばれる程までに鍛え上げた実績を持つ程の、六花にも劣らない程の超優秀な指導者なのだから。
その実績に期待を込めて、校長先生は真剣な表情で真っすぐに新監督を見据え、改めて新監督にお願いしたのだった。
「どうか生徒たちの事を頼んだよ。須藤美奈子君。」
次回、美奈子が監督として本格始動です。