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バドミントン ~2人の神童~  作者: ルーファス
第1章:幼年期編
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第2話:寝る子は育つって言うけれど

 それから4年の時が過ぎました。

 六花と美奈子は同じチームの日本人選手同士、しかも自宅のアパートが近所という事もあって仲が良く、家族ぐるみの付き合いがあった。

 六花が彩花を連れて美奈子の住むアパートまで遊びに行ったり、美奈子が隼人を連れて六花の住むアパートまで遊びに行ったり。

 だものだから隼人も彩花も幼馴染として瞬く間に仲良くなり、常日頃から一緒に遊ぶ仲になっていたのだった。

 隼人も彩花も、美奈子と六花からの愛を存分に注がれ、すくすくと元気に育っていった。


 そして西暦2012年11月。隼人と彩花が4歳になった頃。

 スイスのプロリーグのシーズン最終戦を終えてオフシーズンに入った六花と美奈子は、シュバルツハーケンとの契約更改も無事に終了。

 多くの選手が戦力外通告や引退、他チームへの移籍によってチームを去る中、六花も美奈子も取り敢えず年俸増額を勝ち取った上で、来季も選手として無事に契約して貰える事となり、久しぶりにバドミントンから離れてのんびりとした日々を過ごしていたのだが。


 「隼人君、そろそろ…。」

 「美奈子さん、し~~~~っ。」


 隼人を連れて六花のアパートまで遊びに来ていた美奈子だったのだが、すっかり遊び疲れて眠ってしまった隼人と彩花を一緒に膝枕で寝かせていた六花が、穏やかな笑顔で口元に右手の人差し指を当てて美奈子を制したのだった。


 「あらあらまあまあ、寝る子は育つって言うけれど…。」


 とても穏やかな表情で寝息を立てて、六花に髪を撫でられている隼人と彩花を、美奈子は慈愛に満ちた笑顔で見つめている。

 自分が六花に隼人を任せて、用事があって留守にしていた間、彩花と一緒に余程派手に遊んでいたのだろう。

 このアパートのすぐ近くには大きな公園があり、子供たちが遊ぶのにはうってつけだ。

 だがそれにしても、こんな夕食間近の時間からぐっすりと眠るなど、一体隼人と彩花は何に夢中になって遊んでいたのだろうか。

 

 「美奈子さん。私、美奈子さんが出かけている間、さっきまでこの子たちにバドミントンを教えていたんですけど…。」


 その美奈子の疑問の答えを、他でも無い六花が回答してみせたのだった。


 「この子たち、とんでもないバドミントンの才能を持ってますよ。私はこれまで24年間生きてきて、ここまで凄まじい才能を秘めた子たちを今まで見た事がありません。それこそ過去に前例が無い程までに。」

 「あらまあ、そうなの?」

 「ええ、私が本気で鍛えれば、この子たちは間違いなく世界を震撼させる程の選手になれると思います。」


 バドミントンの本場・スイスのプロリーグにおいて、バドミントン後進国とまで呼ばれている日本人でありながら、名門シュバルツハーケンの主力選手として活躍している六花と美奈子。

 その2人の母親が秘めた素質や才能が、隼人と彩花にも無事に引き継がれていたのだ。

 それはバドミントンの世界で生きる六花と美奈子にとっては、本来であればとても喜ばしい事のはずなのだが。


 「…ですが…。」


 だが六花は、素直に喜べなかった。

 プロの舞台で活躍するバドミントンプレイヤーでありながら、この2人が秘めたバドミントンの凄まじいまでの才能を。


 「私は本当はこの子たちには、プロを…世界を目指して欲しくはないというのが正直な気持ちです。」


 この子たちには才能がある。

 自分が本気で鍛えれば間違いなく、世界を相手に戦える程の選手になれる。

 そう言っていたはずの六花自身が悲しみの笑顔で、隼人と彩花のプロ入りを否定したのである。

 それはプロの世界に身を置く六花自身が、プロの厳しさ、過酷さという物を、その身を持って思い知っているのだから。


 「この子たちはさっきまで、本当に楽しそうにバドミントンをやっていたんです。だから私はこの2人にはバドミントンを、いつまでも『楽しい』ままでいて欲しいから…。」


 隼人と彩花の頭を優しく撫でてあげながら、六花は自身の膝の上に頭を乗せて、穏やかな寝息を立てている2人を見つめていたのだった。


 プロというのは一見華やかに見えるが、その実態は弱肉強食の過酷な競争社会だ。

 六花も美奈子もシュバルツハーケンの主力選手として活躍してはいるものの、当然ながらこの2人のように連勝に連勝を重ねる者が現れてしまえば、その分他の誰かが連敗に連敗を重ね、割を食らう形となってしまう。

 そういう選手に待ち受けるのは、非情の戦力外通告…チームを追い出されて無職になってしまうのだ。


 しかもスイスのプロリーグには日本のプロ野球と違い、戦力外通告に関するルールが定められていない。

 日本のプロ野球には選手が路頭に迷ってしまわないようにする為に、戦力外通告が出来る期間という物が選手会とNPBとの間で取り決めがされているのだが、スイスのプロリーグにはそんな甘ったれた代物は存在しないのだ。

 シーズン途中だろうと入団したばかりだろうと何だろうと、今後はプロの舞台で活躍出来る見込みが無いとチームの上層部から判断されれば、その時点で情け容赦なく戦力外通告を受けて、チームを去る事になってしまうのである。

 

 おまけに1チーム毎に支配下登録出来る選手の数には上限があり、その上で毎年のドラフト会議における国内の新人選手の獲得に加え、六花や美奈子のような外国人選手を獲得する事だってある。日本のプロ野球の育成選手制度のような救済措置も存在しない。

 そうなれば当然、獲得した新入団選手の人数分だけ、今いる他の誰かには辞めて貰わなければならないのだ。


 そんな環境下で勝ち続ける、生き残り続けるとなると、当然の話だが最早バドミントンを「楽しむ」どころでは無くなってしまう。

 もし隼人と彩花が本気でプロを、世界を目指して練習するとなると、六花も美奈子も母親としてではなく指導者として、時にはこの2人を物凄い剣幕で怒鳴り散らしながら、突き放すような厳しい指導をしなければならなくなる時が、いつか必ずやってくる事だろう。

 六花や美奈子だって練習でヘマをした時、試合に負けた時などに、監督やコーチから物凄い剣幕で怒鳴られた事など一度や二度では無いのだから。


 そんな事は、とてもじゃないが六花には到底耐えられなかった。

 六花は彩花の事を「かけがえの無い大切な宝物」だと思っているし、隼人の事も彩花と同じ位、とても大切な存在だと思っているから。

 六花は彩花にも隼人にも、自分の事を嫌いになって欲しくは無いのだ。

 

 さらに六花が隼人と彩花のプロ入りに反対する理由は、それだけではない。

 プロというのは一般の会社員と違い「個人事業主」であり、何らかの理由で退団する事になってもチームから退職金が出る訳では無いし、失業保険の給付対象にもならない。

 その上でチームとの間に何らかのトラブルが発生したとしても、労働基準監督署からの救済対象にもなれないのだ。

  

 そしてこれは勘違いしている人が意外と多いのだが、ラケットやシューズ、ユニフォームなどの用具の大半は、チームから支給されるのではなく選手による自腹だ。支払われた年俸から捻出して自分で購入しなければならないのである。

 大手スポンサーとの間にマネジメント契約を勝ち取り、タダで道具を提供して貰える選手もいるにはいるが、そういうスター選手など極僅かしか存在しないのだ。


 さらに何よりも六花が最も危惧している事…それは


「一般企業と比較して、勤続年数が遥かに短い」


 という点だ。

 過酷な競争社会であるプロの世界において、30代、40代になっても現役を続けていられるようなスター選手など僅かでしかない。

 はっきり言って、20代まで現役を続けていられるだけでも御の字。

 それどころか高校卒業後に念願叶ってプロ入りしたものの、連敗に連敗を重ねて数か月で戦力外通告を受けて、引退を余儀なくされる10代の選手だってとても多い。

 さらにプロの舞台でも活躍していた主力選手が、突然の不運な怪我や病気に見舞われてプレー出来なくなり、理不尽に引退を余儀なくされるケースだって決して珍しくないのだ。

 六花も美奈子もプロの世界に身を置く中で、そういう選手を数え切れない程見て来た。

 

 だから六花は、隼人と彩花にはプロなんか目指して欲しく無いと…出来れば普通の世界で平穏無事な生活を送って欲しいと…普通に学校に行って普通に恋愛をして、普通に就職して普通に結婚して普通に子供を作って、温かい家庭を築いて欲しいと…そんな事を考えているのである。

 例え隼人と彩花が、どれだけ凄まじいバドミントンの才能を持っていたとしても。

 六花が本気で鍛える事で、世界最強のバドミントン選手になれるだけの資質を持っていたとしても。


 「そうね。六花ちゃんの言いたい事は私もよく分かるわ。プロとしてプレーしている私たちがこんな事を言うのも何だけど、ろくな物じゃないものね、プロというのは。本当に辛くて大変な事ばかりだものね。」

 「私は…愛の無い育児はしたくないですから…。」

 「私だってそうよ。」


 いつからだろうか。いつの間にか六花は、あれだけ夢中になっていたバドミントンを「楽しい」とは思えなくなってしまっていた。

 それは六花が戦力外通告を受けてしまえば無職となって収入を失い、彩花を路頭に迷わせかねないという重圧と責任感による物が大きいのだろうが。

 何よりも弱肉強食、潰すか潰されるかの過酷なプロの環境に身を置き続けた事で、六花から「バドミントンが楽しい」という感情が失われてしまったのかもしれない。

 いずれにしても六花は隼人と彩花にまで、そんな辛い想いをして欲しくは無いのだ。

 隼人と彩花には、バドミントンをいつまでも「楽しい」ままでいて欲しいから。

 

 そんな2人の会話を聞いていたのかいないのか、隼人と彩花がう~んと背伸びをしながら、六花の膝枕の上から起き上がったのだった。


 「あらあら、隼人君も彩花ちゃんも、よく寝たわねえ。」

 「お母さん、僕、寝ちゃってたの?」

 「そうね。もうすぐ晩御飯の時間だから、そろそろおうちに帰りましょうか。」

 「僕ね、さっきまで彩花ちゃんと一緒に、六花さんにバドミントンを教えて貰ってたんだ。そしたら六花さんに褒められたんだよ。隼人君も彩花も凄いねって。」

 「そうなの、良かったわねえ隼人君。」


 立ち上がってう~んと背伸びをした隼人が、美奈子に連れられて六花のアパートを出ていく。

 そんな隼人を彩花が左手で六花の身体にしがみつきながら、笑顔で右手を振りながら見送ったのだった。


 「ハヤト君、またね~。」

 「うん、またね、彩花ちゃん。」


 美奈子が穏やかな笑顔で六花と彩花に軽く手を振り、隼人を連れて帰宅していく。

 その後ろ姿を穏やかな笑顔で軽く手を振って見送った六花は、う~んと背伸びをして立ち上がり、エプロンを身に着けて夕食の準備を始めたのだった。


 「彩花、そろそろお腹空いたでしょ?今から晩御飯を用意するから、ちょっと待っててね。」

 「うん。お母さんの手料理、私、凄く大好き。」

 「ふふふっ、嬉しい事言ってくれるじゃない。」


 慣れた手つきでまな板に野菜と魚介類を乗せ、包丁で手際よく捌いていく六花。

 そしてフライパンにオリーブオイルを塗布して中火で加熱し、米を乗せて加熱させていく。


 「お母さん、今日の晩御飯は何~?」

 「今日はねえ、パエリアよ。」

 「パエリア、大好き~。」


 こんな穏やかな日々が、これからも永遠に続けばいいのに。

 勿論そんな事は夢物語だという事は、六花自身も重々承知だ。

 今はこうして彩花との穏やかな日々を過ごせてはいるものの、来年の2月から春季キャンプが始まるし、3月からのオープン戦、4月から10月までの半年に渡る長い公式戦と、過酷な練習と戦いの日々が待ち受けているのだから。

 だがそれでも今は、シーズンオフの今だけは、彩花との親子水入らずの安らかな日々を過ごさせて欲しい。

 彩花とのかけがえの無い日々、そして彩花の存在その物が、弱肉強食のプロの過酷な環境の中で戦い続ける天涯孤独の六花にとって、何よりも心の支えになるのだから。

 

 そんな事を考えながら、六花はとても穏やかな笑顔で、彩花への愛情をたっぷりと注ぎながら、フライパンで加熱している米に野菜と魚介類と調味料を豪快に混ぜ込んだのだった。

 彩花のモチーフとなったキャラクターは、「はねバド!」の主人公の羽咲綾乃です。

 彩花も綾乃ちゃん同様、物語中盤に綾乃ちゃんとは別の理由から闇堕ちする事に…。

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[良い点] 六花さんの膝枕で幼子の隼人くんと彩花ちゃんが一緒に寝てるビジュアルがたまらんです♪ ほのぼの〜ですね♪
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