第156話-A:問答無用で追い返したわ
やっぱりスイスでも引退を許して貰えない隼人。
それは地区予選大会終了後の翌日の、連休最終日に起きた出来事だった。
アレクシス高校バドミントン部は六花による指導の下、今日も午前中の練習を汗だくになって行っていたのだが。
「邪魔するぜ〜?」
そこへチェスターが3人の取り巻きを引き連れて、ニヤニヤしながら隼人たちの前に姿を現したのである。
「また君か。まだ性懲りもなくノエルちゃんを付け狙ってるのかよ。」
とてもウザそうな表情で、ノエルを庇うようにチェスターの前に立ちはだかった隼人だったのだが。
「そうだな。確かにノエルに用があるのは事実だが、それでも俺達が今日ここに来たのは別件だ。」
「別件?」
「そこの朝比奈静香がアンガーファルゲの上層部にチクりやがったせいで、監督に大目玉を食らっちまったからな。今度同じ事をしたら即クビだってよ。」
その件に関しては、ぶっちゃけチェスターの自業自得ではあるのだが。
バドミントンは紳士のスポーツだ。特にこういったトラブルや不祥事に対しては他のスポーツ以上に厳格な対応を取られ、例えどのような事情があろうとも絶対に許されない物だとされている。
今回、チェスターが監督から大目玉を食らった程度で済まされたのは、はっきり言って監督が思慮深い人物で、ただ運が良かっただけだと言えるだろう。
他のチームだったら今頃チェスターはチームから出場停止処分を食らうか、最悪クビを切られていても決しておかしくは無かったのだ。
それは今回の一件で、チェスターも充分に思い知らされたようだが。
だが次の瞬間チェスターは誰もが予想もしなかった、とんでもない事を口走ってしまうのである。
「ノエル。お前をアンガーファルゲに、選手としてスカウトに来た。」
「…はああああああああああああああああああああああああ!?」
まさかの予想外のチェスターの言葉に、戸惑いを隠せないノエル。
チェスターが言うには先日の地区予選大会でのノエルの奮闘ぶりが、SNSのタイムラインにたまたま流れてきた動画を観た監督の目に止まったのだそうで、急遽来年のドラフト会議での指名を決めたとの事らしい。
とは言え急に決まった話である上に、他の指名予定の選手との兼ね合いもあるので、現状では何位で指名するかは分からないとの事らしいのだが。
それでも実力だけでなく、あの『ダクネスの妹』という事で話題性も充分だというのも、監督の決断を後押ししたとの事だ。
ただし正規のスカウトが現在バーゼルまで出張に行ってしまっているとの事らしいので、チェスターにノエルを説得しろとの指示が出たとの事らしい。
勿論チェスター自身が言っていたように、あの時のようなトラブルをまた起こせば即クビだと、監督から釘を刺されてしまってはいるのだが。
と言うかスカウトが不在だからとはいえ、アンガーファルゲの監督はノエルの説得の人選を間違えていないだろうか…。
「あのねチェスター。私、他のチームのスカウトの人たちにも話したんだけど、プロ入りするつもりは全然無いから。」
それでもノエルはとてもウザそうな表情で、チェスターに断言したのだった。
「何だと!?もう他のチームの連中が、お前に声を掛けてきたのかよ!?」
「そうよ。だけど全員問答無用で追い返したわ。私は大学を出たら実家の農場を継ぐって決めてるもの。」
既に他のチームに先を越されてしまっていた事に、チェスターは舌打ちしたのだった。
インターネットというのは、本当に恐ろしい代物だ。
今の世の中、誰かがSNSで動画をアップしようものなら、それが物凄い速度で全世界に拡散されてしまうのだから。
今回のノエルの試合の動画を観た幾つかのプロチームのスカウトたちが、隼人たちが1回戦で負けた翌日から、大慌てでアレクシス高校まで押し寄せる事態になってしまったのである。
こんな事は弱小校であるアレクシス高校においては前代未聞で、過去に前例が無い事であり、学校関係者たちは予想外の対応に追われて苦慮しているようなのだが。
ノエル自身も戸惑っているようなのだが、それでも今のノエルにはプロ入りの意志は微塵も無いし、別に憧れも興味も湧かなかった。
地元の大学で経営学を学び、将来は祖父母が経営する農場を継ぐと決めているのだから。
それにノエルは確かにバドミントンが大好きだが、だからと言ってダクネスと違ってバドミントンを『仕事』にするつもりは毛頭無い。
ノエルにとっては、あくまでもバドミントンは『趣味』の範疇であり、それはこれからも変わる事は無いのだから。
プロとして弱肉強食の過酷な戦いの舞台に、毎日のように身を置き続けているダクネスの壮絶な姿を、妹として間近で見続け、献身的に支え続けてきたからこそ、そういった考えに及んだのだろう。
毎日のように他のチームの選手たちを相手に、自身や家族の生活の為に潰し合い、何よりも『勝つ』事を厳しく求められ、結果を出せばダクネスや六花のように栄光を掴む事が出来るが、結果を出せなければ罵声を浴びせられ問答無用でクビになる。
そんな場所で戦い続ける事なんて、私には到底出来ないと。
「だから私、大学を出たら近所のクラブチームに加入して、アマチュアの大会に出る事にしてるから。」
「ぐぬぬぬぬ!!そんなの才能の無駄使いだろうが!!俺らの監督がお前の事を絶賛してるんだぞ!?お前は金の卵だってな!!」
「そんなの私の知った事じゃないわよ。」
ぐぬぬぬぬするチェスターに対して、呆れたように溜め息をついたノエルだったのだが。
「そうだよ。チェスターの言う通りだ。アンタは紛れもなく金の卵だ。田舎の農家なんかで収まっていい選手じゃ無いんだよ。」
だがそこへ1人の20代の美人でおっぱいが大きい女性が、ニヤニヤしながら颯爽と隼人たちの前に姿を現したのだった。
「「「ああっ!!貴女様はぁっ!!」」」
その彼女の威風堂々とした姿を見せつけられたチェスターの取り巻きたちが、驚愕の表情になってしまう。
「スイスのプロリーグのワイズスチュワートに所属する、エースナンバーの背番号1を背負うレイズ・ビーアン!!」
「去年のシーズンはダクネス・アンダーソンと壮絶な優勝争いを繰り広げ、優勝こそ逃したものの最終成績は堂々の2位!!世界選手権大会でもスイス代表としてシングルス2に出場し、決勝戦でデンマーク代表のコミー・クリスチャンセンを撃破!!」
「バドミントンだけでなくプライベートも充実!!4人もの女性と恋人同士になって百合ハーレムを作り上げて絶賛同棲中の、我らスイスが誇る正真正銘の最強の百合女王!!」
レイズ・ビーアン。スイスのプロチームのワイズスチュワートに所属する24歳の若手選手で、スイスのバドミントン界においてダクネスと並ぶ程のスター選手だ。
その実力は紛れもなく本物であり、第7話で六花が引退発表後に16勝2敗という無茶苦茶な成績を残したと説明したが、その2敗の内の1つをつけたのが彼女なのだ。
自身の引退発表の翌日の試合、しかもどちらが勝ってもおかしくなかった程の壮絶な死闘だったので、六花にとっては今でも鮮明に思い出す事が出来る試合だ。
そんな人物がいきなり姿を現した事で、六花は厳しい表情になったのだが。
「あはははは、ありがとう。アンタたち、どうもありがとう。」
「馬鹿なぁっ!?レイズ!!何でお前がこんな所にいるんだよぉっ!?」
驚愕の表情のチェスターに対して、レイズがとんでもない事を言い出したのである。
「何でって、そこのノエル・アンダーソンを、うちのチームにスカウトに来たからに決まってるじゃあないか。」
「…はあああああああああああああああああああああ!?」
またしても湧いて出てきた、しかも今度はダクネスに並ぶ程のスター選手からの自身のスカウト話に、またしても唖然とした表情になってしまうノエル。
複数のプロチームによる、部員の奪い合い。
弱小校のはずのアレクシス高校において、過去に前例が無い前代未聞の事態になってしまっていた。
その光景をチェスターの取り巻きたちが、絶望の表情で見せつけられてしまっている。
「だ、駄目だ!!まさかあのレイズ・ビーアンにまで目をつけられていたなんて!!やっぱり俺達なんかが手を出していい存在じゃ無かったんだ!!」
「こんな化け物を相手に、俺達なんかが太刀打ち出来る訳がねえ!!」
「に、逃げろ逃げろーーーーーーーーーー!!」
なんかもう涙目になりながら、チェスターの取り巻きたちが一斉にその場から逃げ出してしまい、チェスターが運転してきた車の中に引きこもってしまったのだった…。
「お、おい!!お前らぁっ!!」
「どうするチェスター?まだノエルを付け狙うというのであれば、先日の公式戦の時のように私がフルボッコにしてやるが?」
「くそが!!このままじゃ終わらねえぞ!!おいノエル!!この場は一旦引いてやるが、これで済むと思うなよ!?」
レイズに右手のラケットを突き付けられて、とても悔しそうな表情を見せるチェスター。
「うちのスカウトが出張から帰ってきたら、後で改めてお前に挨拶をさせるから、その時まで首を洗って待ってやがれぇっ!!」
「お仕事ご苦労様です…。」
苦笑いする静香に見送られながら、チェスターは大慌てで車に乗り込み、取り巻きたちを乗せて走り去ってしまったのだった…。
「さてと、邪魔者は居なくなった事だし、改めてアンタをスカウトしようかねえ。」
そんなチェスターの事など至極どうでもいいと言わんばかりに、レイズがズケズケと隼人とノエルの前に歩み寄ってきたのだが。
「いや、ちょっと待って下さいレイズさん。何を勝手に話を進めてるんですか。」
それを隼人が厳しい表情で制し、目の前のレイズを見据えたのだった。
「ノエルちゃんはプロ入りはしないって言ってるんですよ?大学で経営学を学んで実家の農業を継ぐって言ってるんですよ?それなのに本人の意志を無視して無理にプロ入りさせるなんて、横暴にも程があるんじゃないですか?」
「須藤隼人か。実は私がスカウトに来たのはアンタもだ。うちの監督がアンタに引退を撤回させろって五月蠅くてねぇ。」
チームメイトの身内の訃報という止むを得ない事情があったとはいえ、ノエルに懇願されて試合に出場した隼人は、来年のドラフトの目玉選手であるフレアを相手に『快勝してしまった』。
その試合の動画も観客たちによってSNSで瞬く間に拡散され、あっという間に全世界に広まってしまっているのだ。
そのせいで隼人は複数のチームから、何としてでも引退を撤回させて選手として加入させようと、こうして今のレイズのように付け狙われてしまっているのである。
「僕はシュバルツハーケンから、スコアラーとしてスカウトされてるんですけど?と言っても実際に入団するかどうかは、まだ決めてませんけどね。」
「さっきチェスターがノエルに言っていた事を、そっくりそのままアンタにも返してやるよ。アンタこそが金の卵だ。スコアラーなんかで収まっていい存在じゃ…。」
「それに。」
ニヤニヤしながら言いかけたレイズを、隼人が真剣な表情で遮ったのだった。
「仮に僕がワイズスチュワートに入団したら、静香ちゃんと敵同士になってしまうじゃないですか。そんなの僕は絶対に嫌ですよ。」
「…隼人君…。」
隼人の言葉に、感銘の表情を浮かべる静香。
そう、静香はシュバルツハーケンと練習生として契約を結んでおり、高校卒業後に選手として正式契約する事が既に決まっているのだ。
そんな状況下で隼人がワイズスチュワートと契約するとなれば、当たり前の話だが静香とは敵同士になってしまう。
プロというのはアマチュアと違ってバドミントンが『仕事』であり、何よりも『勝つ』事を厳しく要求される世界だ。
だからこそ、これまでのように静香と家族のように仲良く接する事は、少なくともシーズン中は到底出来なくなってしまうだろう。
それが隼人は嫌だと、はっきりとレイズに告げているのである。
そしてそれは、ノエルとて同じ事だった。
元よりプロになるつもりは微塵も無いが、その結果として大切な姉であるダクネスと潰し合う事態になるなど、冗談ではない。
「アンタは今自分が置かれている立場と言う物を理解した方がいいね。アンタを選手として付け狙っているのは、何もワイズスチュワートだけじゃないんだよ?ここでアタシが引き下がった所で、また別のチームのスカウトがアンタの所にやって来るだけさね。」
隼人は安寧を求めて彩花たちと共に日本を離れ、こうして生まれ故郷のスイスに帰ってきたというのに。
それなのにこの緑溢れるスイスの地においても、隼人はこんな事になってしまっている。
いや、バドミントンの本場・『王国』スイスだからこそなのか。
『神童』隼人のズバ抜けた才能と、プロにも快勝してしまう程の圧倒的な実力故に、それを周囲の大人たち…特にプロチームの関係者たちが決して許さないと言うのだろうか。
「まあいいさ。折角の機会だ。ここは互いにバドミントンプレイヤー同士として、ラケットとシャトルで存分に語り合おうじゃないか。」
何の迷いも無い力強い笑顔で、レイズは隼人に右手のラケットを突き付けたのだった。
「今から私と打ちな。須藤隼人。」
「まさか貴女が勝ったら、僕とノエルちゃんにワイズスチュワートと契約しろと言いたいんですか?」
「アンタは私を何だと思ってるんだい。そんな事をしたらチェスターの二の舞だ。だからそんな馬鹿げた事は言わないから安心しな。」
隼人を相手にノエルを賭けた決闘をやらかしたせいで、チェスターは監督から大目玉を食らってしまったのだ。
だからこそ、ここでレイズが隼人のワイズスチュワート入団を賭けて決闘なんかやらかした所で、勝敗に関係無くレイズは監督から物凄い剣幕で怒鳴り散らされてしまう事だろう。
本人の意志を完全に無視して、決闘などという馬鹿げた形で入団を強要するなど、一体何を愚かな事をやっているんだと。
それだけで済めばまだいいが、下手をするとチームから出場停止処分を食らったり、最悪契約を解除されるなんて事も充分に有り得るのだ。
レイズとて『仕事』として、生活を懸けてバドミントンをやっている身だ。
そもそも同棲している4人の大切な恋人の女性たちだって、他でも無いレイズが楽をさせてやらないといけないのだ。
そんな馬鹿げたリスクを冒してまで、隼人と決闘をするつもりなど毛頭無かった。
「だから私が今からアンタと打つのは、ただ純粋にアンタに興味が湧いたからだ。SNSでアンタとフレアの試合の動画は観させて貰ってはいるが、実際に打ってみない事には分からない事もあるからね。」
「一応念の為に確認しておきますが、これは決闘じゃなくて純粋な練習試合…それで間違いありませんね?」
「ああ、それは間違いなく約束するよ。何なら今ここで誓約書を書いて捺印してもいいよ?」
何の迷いも無い力強い笑顔で、レイズは隼人に対して大きく頷く。
隼人はパイプ椅子に座る彩花の隣に寄り添っている六花を、横目でチラリと見た。
六花は穏やかな笑顔で、スマホの画面を隼人に見せつけたのだった。
「録画は取ってあるわ。だから安心しなさい隼人。」
「ぬ、抜け目ないですね六花さん(汗)。」
「うふふ。」
これで言質は取る事が出来た。ならば思う存分、隼人はレイズを相手に全力で戦う事が出来る。
「いいでしょう。打ちますよ。今から実戦形式の練習に入る予定でしたから、丁度いいですよ。」
「いいねえいいねえ、そうこなくっちゃ面白く無いよ!!」
相手は引退を表明したばかりで頭の中がお花畑でパラッパラッパーだったとはいえ、あの六花を僅差で破った程の実力者だ。
間違いなくダクネスと並ぶ、現時点でスイスにおける最強のバドミントンプレイヤーだと言っていいだろう。
そんな相手と戦える機会なんて、確かにそうそう訪れる物では無い。
引退したとはいえ隼人は純粋なバドミントンプレイヤーとして、自分の力がレイズを相手にどこまで通じるのかを試したくなったのだ。
そんな隼人の勇姿をパイプ椅子に座った彩花が、相変わらずの無気力、無表情で見つめていたのだった…。
隼人VSレイズ、その壮絶な死闘の結果は…。
そして、彩花が…。




