第128話-A:この人でなし
駄々っ子亜弥乃。
そして2024年10月26日の土曜日の、清々しい晴天の朝。
デンマーク代表との国際親善試合を観戦する為に…と言うかバドミントンの試合よりむしろ、今日の試合を直々に観戦なされる麻子さまが目当ての人も多いのだろうが。
とにかく名古屋金鯱もこもこスタジアムに、朝早くから長蛇の列が出来ていたのだった。
第1試合のダブルス2の試合開始時刻の午前10時に対して、開場時刻は午前9時なのだが、その1時間前には既に大行列が出来てしまっていたのである。
会場や駅付近では今日までにチケットを売り捌く事が出来ず、今日の試合が終わってしまえば全く何の価値も無くなってしまう、不良在庫となるチケットを抱える羽目になってしまう何千人もの転売ヤー共が一斉に集結し、そうなる前にどうにかしてチケットを転売しようと、駅前やスタジアム付近の大勢の通行人に対して、必死の形相で声掛けを行っているのだが。
作者は思うのだが、そんな時間と労力があるのであれば、こんな転売なんぞで不良在庫を抱えるリスクを負ってまでチマチマ稼ぐよりも、その転売に割く時間と労力を使って普通に働いた方が、余程稼げると思うのだが…。
何にしても、今回の転売ヤー共によるチケットの買い占めを問題視したJABSは、来年3月下旬に開幕する予定のJBLの公式戦までには、転売対策としてスマホのアプリをチケットとして利用して貰うシステムを導入予定であるという事を、公式サイトにおいて公式発表したのだった。
開場時刻の午前9時となりゲートが開放された途端に、係員に誘導されながら大勢の客が一斉に体育館内に押し寄せる。
そんな客たちの眼前に広がったのは、巨大な電光掲示板が設置された真新しい館内において、亜弥乃たちデンマーク代表が内香の指導の下で練習を行っている光景だった。
客たちは特に何のトラブルも起こす事無く、チケットに記載された席番に従って続々と席に座り、その客たちに対して売り子のお姉さんたちが威勢のいい掛け声を出しながら、飲食物の移動販売を行っている。
今日の試合で試験的に導入されたのが、この手のイベントとしては極めて異例となる、『客側の飲食物の持ち込みを完全自由とする』という点だ。
本来こういったイベントでの飲食物の持ち込みは、様々な理由から禁止されるケースが殆どであり、基本的に食事は館内で高額な飲食物を購入して済ませざるを得ず、これまで客側も泣き寝入りするしか無かったのだが。
今日の試合では
「より多くの人々に気軽に来訪して貰い、試合を楽しんで貰えるように」
という理由から、JABSの判断で試験的に飲食物の持ち込みを自由にしたとの事だ。
その代わり、仮に館内で自らが持ち込んだ飲食物によって客が食中毒を起こしたとしても、それは『客側の自己責任である』という事を事前に大々的に公表している。
チケットにもその旨が分かりやすく記載されているので、客側としても知らなかったでは済まされないのだ。
スタジアム側としても胃薬の提供などの簡単な応急処置はするが、その際に使用した医薬品の費用は当然実費分を請求させて貰うし、謝罪や賠償なども一切行わないという事を、館内放送でもウグイス嬢が客に対して呼びかけを行っている。
これに関しては今日の試合での試験導入を経て検証を重ねた上で、JBLの公式戦でも実際に導入される予定だとの事だ。
こんな事を試験導入しよう物なら、これを利用して食中毒を起こしたとか係員に因縁をつけ、高額な慰謝料を請求しようとする輩が現れてもおかしくは無いのだが、今の所はそういったトラブルは発生していないようだ。
そんなこんだで、第1試合のダブルス2の試合開始時刻の午前10時まで、残り30分となったのだが。
「麻子さま。どうぞこちらの席にお座り下さいませ。」
「有難うございます。坂本さん。」
スタジアム内の来賓室において、首元にネクタイを締めたリクルートスーツ姿のボディーガードの女性に促され、ゆったりと席に座った美しい女性は…皇族の正装を身に纏った、皇族の秋篠宮麻子さまだ。
大学でバドミントンをやっておられる麻子さまは天皇皇后両陛下に勧められ、今日の試合を直々に観戦なさる為に御来訪されたのだ。
来賓室の扉の前にも2人のスーツ姿のボディーガードの女性が、麻子さまに危害を加えようとする者を絶対に近付かせてなるものかと、厳しい表情で警棒を手に待機している。
来賓室は最新式の屈強な防弾ガラスで守られており、その強度はアンチマテリアルライフルによる超威力の狙撃でさえも弾いてしまう程だとの事だ。
その防弾ガラス越しに麻子さまの眼前に広がったのは、今日の試合の為に…と言うか皇族である自分が目的の客も多いようだが…とにかく集まってくれた大観衆。
そしていよいよ姿を現した、隼人たち日本代表メンバーの姿だ。
練習を終えたデンマーク代表と入れ替わって準備運動を始めた隼人たちに対して、大勢の客が一斉に大歓声を浴びせる。
「須藤隼人君に朝比奈静香さん、そして猫山博子さんに立川若菜さん…層々たるメンバーを追加招集したのですね。」
「は。しかし4人共、代表入りするのは今日の試合の1日限りとの事です。」
「それに関しては私も伺っています。ですが何とも悲しい物ですね…。」
とても複雑な表情で、麻子さまは隼人たち4人の姿をご覧になられていた。
迅たち三津菱マテリアル名古屋の3人が青色の日本代表のユニフォームを身に纏っているのに対して、追加招集された隼人たち4人が身に纏っているのは、それぞれが所属する高校のユニフォームだったからだ。
それは隼人たち4人が正式に日本代表に加わる意思が無く、あくまでも日本代表として試合に出るのは今日1日だけだという事の、大勢の客たちに対しての意志の表れだ。
4人の事情を事前に知らされているとはいえ、それを麻子さまは悲しんでおられるのである。
『皆様。本日はご来場下さいまして、誠に有難うございます。本日の試合は、名古屋金鯱もこもこスタジアムのプレオープンマッチ、日本代表 VS デンマーク代表の、バドミントン国際親善試合で御座います。』
そしてスタジアム内にでかでかと、ウグイス嬢からの館内アナウンスが送られた。
『なお本日の試合は、皇族の秋篠宮麻子さまが直々にご観戦なされる、日本のバドミントンにおいて史上初となる天覧試合となっております。皆様、麻子さまに対して多大なるご声援を、どうかよろしくお願い致します。』
大勢の客が一斉に、防弾ガラスに守られている麻子さまに大歓声を浴びせる。
中には麻子さまに対して、日の丸の旗を懸命に振り回す客たちの姿も。
そんな愛すべき国民たちに対し穏やかな笑顔で、麻子さまは軽く右手をお振りになられたのだった。
『ではここで、両チームより発表された、今日の試合の対戦カードをお知らせ致します。』
そしていよいよ、今日の試合の対戦カードの発表が行われた。
デンマーク代表は内香が、今日の国際親善試合が決まった直後の1カ月も前から大々的にスタメンを発表しており、これには一部の記者たちが
「羽崎監督は日本代表を舐めているのか」
などと怒りを顕わにしていたのだが。
それに対して日本代表のスタメンは、今ここでようやく初公表となるのだ。
『まずは第1試合、ダブルス2。デンマーク代表、コルソルトデビル所属、スコット・マクギリス & 同じくコルソルトデビル所属、ローレン・クライフォートペア。』
まずはデンマーク代表の先陣を切るのは、デンマークのプロチーム・コルソルトデビルの主力選手である、角刈り頭と知的メガネのダブルスペアだ。
コルソルトデビル。デンマーク語で「漆黒の悪魔」という意味であり、電光掲示板にも2人の所属チームの紹介欄でその旨が記載されている。
それに対抗する、日本代表の先陣を切るダブルスペアは。
観客の誰もが全く予想もしなかった…それこそ麻子さまも仰天なされる、とんでもない組み合わせのペアだったのである。
『それに対するは、日本代表、稲北高校1年、須藤隼人 & 聖ルミナス女学園1年、朝比奈静香ペア。』
その瞬間スタジアム内が、はああああああああああああああああああ!?などと、物凄い大騒動に包まれてしまった。
まさかの隼人と静香のダブルスペア。こんな組み合わせを一体誰が想像しただろうか。
記者たちも大騒ぎとなり、隼人と静香に対して一斉にカメラのフラッシュを浴びせる。
『続きまして第2試合、ダブルス1。デンマーク代表、レンバイドエンゼル所属、リアナ・サンティス & 同じくレンバイドエンゼル所属、ラーナ・サンティスペア。』
続いてダブルス1に出場するのは、デンマークのプロチーム・レンバイドエンゼルの主力選手である双子の百合姉妹のペアだ。
レンバイドエンゼルとはデンマーク語で、「純白の天使」を意味する言葉である。
『それに対するは、日本代表、聖アストライア女学園1年、猫山博子 & 聖アストライア女学園1年、立川若菜ペア。』
その百合姉妹に対抗すべくBBAが送り出すのは、こちらは隼人と静香のペアとは真逆で、まさに順当も順当。
今ではすっかり百合カップルとして話題になっている、先日のインターハイのダブルス部門を見事に制した、『高校生最強のダブルス』のネコとタチのペアだ。
「頑張れよ!!ネコタチペア!!」
「ネコタチペア!!ネコタチペア!!」
「お前ら実はリバだろ!?」
もう完全にネコタチペアという愛称が定着してしまっているようで、観客たちが一斉にネコとタチに対してネコタチペアと連呼し、大歓声を浴びせる。
『続きまして第3試合、シングルス3。デンマーク代表、シュバルツハーケン所属、アンナ・フランケリー。それに対するは、日本代表、三津菱マテリアル名古屋所属、柳川真吾。』
その後にシングルスの3試合が続く。
デンマークから出場するのは、今回の代表メンバー14人の中で唯一国外のチームでプレーしている、シュバルツハーケンに所属するダクネスのチームメイト。
若干19歳にして主力選手の証である、1桁の背番号の8を背負う女性だ。
『続きまして第4試合、シングルス2。デンマーク代表、ヘリグライダー所属、コミー・クリスチャンセン。それに対するは、日本代表、三津菱マテリアル名古屋所属、北村祐介。』
シングルス2に登場するのは亜弥乃のチームメイトにして義理の姉妹であり、隼人と同じくパーフェクト・オールラウンダーと称されている女性だ。
幼少時に両親に捨てられてデンマークの孤児院で暮らしていたのだが、内香が日本の社会人チームでプレーしていた頃、勤務先の仕事でデンマークまで短期出張に行った際に才能を見出し、養子として日本に連れて帰って亜弥乃の義理の姉妹にしたという経歴がある。
『最後に第5試合、シングルス1。デンマーク代表、ヘリグライダー所属、羽崎亜弥乃。それに対するは、日本代表、三津菱マテリアル名古屋所属、雷堂迅。』
そして最後を飾るのは大将戦に相応しい、互いのチームの主将同士の激突だ。
世界ランク2位の『魔王』亜弥乃を相手に、果たして『雷神』の異名を持つ迅は、どう挑むのか。
『各チームのサポートメンバーは、以下の通りとなっております。』
続いて電光掲示板に、デンマーク代表のサポートメンバー7人の名前が公開された。
サポートメンバーとはいえ、いずれも所属チームの主力として大活躍している、他国でならレギュラーメンバーに選ばれてもおかしくない程の実力者揃いだ。
だが日本代表には、サポートメンバーが1人もいない。
それが前任監督のツルピカ頭が盛大にぶち壊してくれた、今の日本代表の現状を現わしてしまっていた。
しかも隼人ら高校生4人組だけでなく監督のBBAまでもが、この試合を最後に日本代表を抜けてしまうのだ。
これから日本代表は、一体どうなってしまうのか…。
『本日の試合のアンパイアは、JBL審判部所属・沢村千代子が務めさせて頂きます。第1試合のダブルス2の試合開始時刻は、午前10時からを予定しております。皆様、試合開始まで、今しばらくの間お待ち下さいませ。』
ダブルス2のスコット、ローレン。
ダブルス1のリアナ、ラーナ。
シングルス3のアンナ。
シングルス2のコミー。
そしてシングルス1の亜弥乃。
内香が送り出したのは全員が世界ランク上位に君臨する、まさに最強の精鋭部隊だ。
そして内香が本気で大会3連覇を目指しており、今日の国際親善試合においても日本代表を情け容赦なく叩きのめすという、確固たる意志の表れなのだ。
この精鋭揃いのデンマーク代表を相手に、果たして隼人ら日本代表は…。
「ば~~~ば~~~か~~~ん~~~と~~~く~~~!?」
太刀打ち出来るのかと大勢の観客たちが考えている最中において、亜弥乃が目をうるうるさせながら、物凄い勢いでBBAの下に駆け寄ってきたのだった。
マンボウみたいに頬を膨らませながら、物凄く不機嫌そうな態度をBBAに見せている。
「私はシングルス1だよって、お母さんに言われてましたよね!?」
「そうだね。言ってたね。」
「私が隼人君か静香ちゃんのどちらかと戦いたがってるって、隼人君に聞かされましたよね!?」
「そうだね。言ってたね。」
「それなのに何で、隼人君と静香ちゃんがダブルス2なんですかぁっ!?」
確かに隼人からは、あくまでもオーダーを決めるのは自分ではなく監督だと伝えられており、亜弥乃も了承はしていたのだが。
だからと言って、まさか隼人と静香にダブルスを組ませるとは。流石の亜弥乃も全くの想定外だったのだ。
しかも自分がシングルス1で出るという事は、事前に伝えられていたはずなのに。
この、ある意味では自分への嫌がらせとも取れるBBAの采配に、亜弥乃は大いに不機嫌になってしまったのである…。
「大人の事情って奴だよ。察しな。」
そんな駄々をこねる亜弥乃に対して、BBAは自らの考えを亜弥乃に伝えたのだった。
BBAとて『神童』隼人と『天才』静香が、世界ランク2位の『魔王』亜弥乃を相手に一体どんな戦いを見せるのか…それを実際に見てみたかったというのは事実だ。
だがそれでも今日の試合は、麻子さまが直々にご観戦なされる天覧試合だ。
それ故にBBAは1日限りとはいえ監督就任が決まった際、それを聞かされて三津菱マテリアル名古屋まで電話を掛けてきた日本政府の上層部から、今日の試合に必ず『勝つ』事を高圧的な態度で厳命されたのだ。
その理由はただ1つ。麻子さまの目の前で無様な試合を見せる訳にはいかないからだ。
BBAはそんな日本政府の上層部に対して、
「やるからには本気で勝利を目指すのは当たり前だよ。だけど勝負の世界において絶対は無いからね。」
「アンタらもしかして、須藤と朝比奈ならデンマークが相手でも楽勝で勝てると、そんな馬鹿な事を考えてるんじゃないのかい?だとしたらそれは大間違いだよ。」
と反論したのだが、それでも頭でっかちな日本政府の上層部は、麻子さまが見ておられる前で敗北は絶対に許されない、何が何でも『勝て』と…BBAに対して電話越しに物凄い剣幕で怒鳴り散らしたのである。
仕方が無いのでBBAは、先日の合同練習での隼人たちの動きを見させて貰った上で、『勝つ』為の最善手を『最優先に』考えた結果、このようなオーダーを『組む羽目になってしまった』のである。
まずは初っ端から相手をビビらせる核弾頭として、隼人と静香のペアを第1試合のダブルス2で先陣を切らせる。
BBAに言わせれば、これは今までの日本代表に一番欠落しており、尚且つ世界を舞台に戦うのにあたって絶対に必要不可欠な要素だ。
その後に『高校生最強のダブルス』であるネコタチペアを、ダブルス1でぶつける。
あわよくばこれで2連勝を飾るのが理想だが、相手は『帝国』デンマークだ。そう簡単にはいかないだろう。
この高校生4人の勝敗はともかくとして、その後のプレッシャーが一番重くのしかかるシングルスの3試合に、経験豊富な大人である三津菱マテリアル名古屋の3人を…特に亜弥乃が出場するシングルス1には主将の迅をぶつけるという流れだ。
「それさえ無けりゃアンタの望み通りに、シングルス1で朝比奈をアンタとぶつけていたよ。」
「む~~~~~~~~~~!!」
「文句があるなら今日の試合を天覧試合なんぞにした、天皇皇后両陛下に言うんだね。」
「む~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
「全く政府のお偉いさんには困った物だよ。自分らの身勝手なエゴを一方的に押し付けられても迷惑だってんだ。なあ?」
「む~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
このBBAの全くの正論に対して、全く反論出来なくなってしまった亜弥乃は。
「やだやだやだやだやだやだやだぁ(泣)!!」
とうとう子供みたいに駄々をこねてしまったのだった…。
「もう、我儘言わないの!!亜弥乃!!」
慌てて駆けつけてきた内香が苦笑いしながら、ジタバタと不機嫌そうに両手を振り回す亜弥乃を、背後から優しく羽交い絞めにして抑え込む。
「この人でなし!!馬場監督の馬鹿ああああああああああああああ(泣)!!」
「御免なさいね馬場監督。この子ったら日本にいた頃から、こうなんですよ。」
「私は今日の試合で隼人君か静香ちゃんのどちらかと戦えるのを、楽しみにしてたのに~~~~~~~~~(泣)!!」
「ほら亜弥乃、もうすぐ両国の国歌斉唱が始まるわよ?そろそろベンチに戻らないと。」
「うええええええええええええええん!!お母さあああああああああああああああん(泣)!!」
「隼人君たちも今日の試合、頑張ってね。それじゃあ行くわよ亜弥乃。」
ずるずると、ジタバタする亜弥乃をベンチへと引きずっていく内香。
そんな母娘の微笑ましい姿を、隼人ら日本代表のメンバーたちが、ポカ~ン( ゜д゜)とした表情で見つめていたのだった…。
次回、隼人&静香 VS スコット&ローレン。
隼人と静香がトッププロを相手に躍動します。