第125話-A:2人共、本当に有難う
デンマーク代表、来日。
そして月曜日の朝9時。デンマーク代表の正装である純白のジャージを身に纏った、デンマーク代表のメンバーたちが飛行機での長旅を終え、愛知県常滑市のセントレア空港に遂に到着した。
待ち構えていた記者たちに一斉にカメラのフラッシュを浴びせられ、警備員たちに規制線から出るなと注意をされながら、大勢の人々が一斉に歓声を浴びせる。
そんな騒動に全く動じる事無く、威風堂々とゲートを通り抜ける亜弥乃たち。
と言うか、まさかこんな形で再び名古屋に訪れる事になるとは、流石の亜弥乃も想像していなかったようで、思わず苦笑いしてしまったのだが。
「記者の皆様方!!大変申し訳ありませんが、選手たちは長旅で疲れています!!先日お伝えした通り記者会見の場を、明日の朝9時に稲沢市役所にて設けさせて頂きますので、選手たちへの質問はその時にお願い致します!!」
亜弥乃たちに対して早速質問攻めを行う記者たちに向かって、流暢な日本語で語りかけて制止するマネージャーの女性。
彼女は元々はデンマークの日本大使館で勤務している職員なのだが、今回デンマーク政府からの依頼でマネージャーを務めてくれて、亜弥乃は本当に心の底から助かっている。
こうして彼女が流暢な日本語で日本人たちに呼びかけ、サポート業務を行ってくれているからこそ、亜弥乃たちは練習や試合に集中する事が出来るのだから。
それでも唯一残念なのが、隼人と静香、そして高校時代から仲が良かった凪沙が日本代表に選抜されながらも、それぞれ理由は異なるものの辞退してしまった事なのだが。
「デンマーク代表の羽崎監督ですね?私は稲沢市役所の職員の恒川という者です。今回は滞在中の皆様方のお世話を担当させて頂く事になりました。短い期間ですが、どうかよろしくお願い致します。」
そんな最中、首元にネクタイを締めてリクルートスーツを纏った女性が、穏やかな笑顔で内香に握手を求めてきた。
彼女の首には稲沢市の職員である事を示す、ネームプレートが掛けられている。
「デンマーク代表監督の羽崎内香です。わざわざ御足労頂き感謝します。」
そんな彼女に対して、がっしりと穏やかな笑顔で握手を交わす内香。
そんな2人に記者たちが、一斉にカメラのフラッシュを浴びせたのだった。
「こんな所で立ち話も何ですから、早速皆さんをバスへとご案内致しますね。これから皆さんの当面の滞在先となる、稲沢市内のホテルにお連れ致します。」
「ええ、有難う。それじゃあ皆、行くわよ?」
空港の外で待ち構えていたバスに乗り込んだ亜弥乃たちは、稲沢市に向かって緩やかに高速道路を走るバスの中で、女性マネージャーにデンマーク語に通訳されながら、女性職員に穏やかな笑顔で観光案内をされた。
何でも今から亜弥乃たちが向かうホテルは、名鉄の国府宮駅のすぐ近くにあり、車で5分位の距離に隼人と楓が通う稲北高校もあるらしい。
元々稲北高校はバドミントンにおいては「ウンコより存在価値が無い」と呼ばれる程の弱小校だったらしいのだが、隼人と楓の県予選での活躍によって、全国的に一躍有名になってしまったとの事だ。
ホテルのすぐ近くには稲沢市が誇る国府宮神社が存在し、毎年2月には全国的に有名な神事である、国府宮はだか祭も開催される。
豊富な種類の札やお守りを販売しているし、色々な御祈祷などもやっているので、折角だから時間が空いた時にでも寄ってみたらどうかと、亜弥乃たちは女性職員に穏やかな笑顔で呼びかけられたのだが。
「皆、国府宮神社が楽しみなのは分かるけど、私たちは日本代表とのバドミントンの試合に来たんだって事を忘れないでね?」
なんかワクワクしている亜弥乃たちに対して、内香が苦笑いしながら流暢なデンマーク語で呼びかけたのだった。
そう、内香の言う通りだ。自分たちは日本代表との国際親善試合の為に、遠路はるばる日本までやってきたのだから。
内香に呼びかけられて、亜弥乃たちは改めて気を引き締めていた。
ネットの記事を見た限りだと、なんか日本代表は選手が大量離脱して、その責任を問われた監督が解任されるという非常事態に陥っているらしい。
それでもデンマーク代表との国際親善試合だけは、例え何があっても絶対に成立させると、六花が記者たちを通じて国民たちに呼びかけているようなのだが。
女性マネージャーの話では今日の予定は、滞在先のホテルに着いた後に各自の部屋に荷物を置いて、まずは稲沢市役所に赴いて稲沢市長と対談を行い、市役所内の食堂で昼食を済ませ、その後に稲沢市内の体育館を借りて練習を行う事になっている。
その練習は誰もが無料で自由に見学出来るとの事で、練習後に近隣住民との間でバドミントンの体験会などの、色々な交流イベントも予定されているらしい。
そしてホテルに戻って夕食を済ませた後に、ようやく自由時間という流れだ。
代表チームというのは、ただ単にバドミントンをやっていればいいという物では無い。
こうやって現地の人々との間に交流を深め、国同士の友好関係を築き上げるのも、代表選手に与えられた大切な仕事の1つなのである。
何にしても亜弥乃は日本政府に懇願されて、折角こうして日本までやって来たのだ。
(どうせなら隼人君や静香ちゃんのような、歯ごたえのある相手と戦いたいな。)
亜弥乃は窓の景色を眺めながら、そんな事を考えていたのだった。
そんな騒動の最中の、その日の午後4時。
授業中に校長を通じて、突然絵里からの呼び出しを受けた隼人は授業を早退し、迎えにやって来た六花に車で連れられて、彩花と共にJABS名古屋支部に訪れていた。
六花が言うには、何でも今回のデンマーク代表との国際親善試合に関して、絵里から隼人に対して大事な話があるとの事らしい。
隼人は六花に案内されて、支部長室にやって来たのだが。
「こんにちは。須藤君。」
ソファに腰掛けていた全く予想もしなかった人物に、隼人は驚きを隠せなかった。
「朝比奈さん!?君も呼ばれていたのか!?」
そう、隼人だけではなく静香までもが、こうして絵里からの呼び出しを受けてJABS名古屋支部へとやって来たのである。
一体全体何事なのかと、隼人は戸惑いの表情を浮かべている。
「よく来てくれたわね須藤君。立ち話も何だから、遠慮せずにソファに座って頂戴。」
そんな隼人を不安にさせない為に、静香の反対側のソファに座っている絵里が、穏やかな笑顔で隼人に呼びかけたのだった。
戸惑いながらも隼人は絵里に促され、静香の隣のソファに座る。
そして絵里の隣に聖ルミナス女学園の制服を着た彩花が、猫みたいにちょこんと座り、5人分の紅茶とクッキーをトレーに乗せた六花が彩花の隣に座るような形になった。
「さてと…2人共、授業中に突然呼び出しちゃって、本当に御免なさいね。」
「いや、それは別に構わないんですけど、今日は突然どうしたんですか?八雲さん。」
六花が淹れた紅茶を口にしながら、当然の質問をした隼人。
デンマーク代表との国際親善試合の件で大事な話があると、車の中で六花から聞かされてはいたのだが、静香まで同席させるとは一体どういうつもりなのか。
だが絵里が語ったのは、まさに隼人と静香にとって、とんでもない内容の代物だった。
「単刀直入に言うわね。貴方たち2人に、今度の土曜日のデンマーク代表との国際親善試合に、日本代表として出場して欲しいのよ。」
「…はああああああああああああああああああああ!?」
いきなりの絵里からの無理難題に、当たり前の話だが唖然としてしまった隼人。
静香も驚きを隠せなかったようで、戸惑いの表情で絵里を見つめている。
「いやいやいやいやいや、僕も朝比奈さんも代表入りを辞退したはずですけど!?」
「勿論それは分かっているわ。だから今更2人に代表入りしろだなんて言うつもりは無いんだけど…。」
「それなのにデンマーク代表との試合に、僕達に日本代表として出ろって言うんですか!?」
「ええ、そうよ。世界選手権大会には出なくていいけど、せめてデンマーク代表との国際親善試合にだけは、どうしても2人に日本代表として出場して貰いたいのよ。」
戸惑いを隠せない隼人と静香に対して、絵里は日本代表の現状を語ったのだった。
現在日本代表は選手の大量離脱により、残った選手が迅たち三津菱マテリアル名古屋の3人のみとなってしまい、その責任を追及されてツルピカ頭が監督を解任されてしまった。
このままでは世界選手権大会どころか、今週の土曜日に迫ったデンマーク代表との国際親善試合さえも、選手不足と監督不在で成立させられない状況だ。
だからと言って今更デンマーク代表との国際親善試合を中止にしてしまうと、この日の為に動いてくれている大勢の人々に迷惑を掛ける事になってしまうし、何よりもデンマーク政府に対して多額の違約金を支払わなければならなくなってしまう。
だからこそ、せめてデンマーク代表との国際親善試合だけは、何としてでも成立させなければならない状況なのだが。
問題になるのがこの試合が、皇族である麻子さまが直々に会場に訪れてご観戦なされる、日本のバドミントンの試合としては史上初となる天覧試合になるという事なのだ。
今日の朝に実施されたJABSのオンライン会議において、六花はスキマバイトアプリを使って、素人でもいいから1日限りで選手を4人集めたらどうかと本部長に提案し、本部長も非常事態である事から特例として、一度は六花に対して了承したのだが。
それを知らされた日本政府の上層部がJABS名古屋支部に電話を掛け、応対した六花に対して物凄い剣幕で怒鳴り散らしたのである。
麻子さまが直々に試合を観戦なされる天覧試合である以上、そんなスキマバイトアプリなんぞで集めた有象無象に試合をさせる事など、絶対に許さないと。
麻子さまに対して恥ずかしくない最強チームを結成し、デンマーク代表との国際親善試合に臨む事を厳命すると。
その事を六花から報告を受けた絵里は六花と相談の上で、苦渋の決断ながらも隼人と静香に対して、デンマーク代表との国際親善試合の時だけ限定で、1日限りの日本代表として試合に出て貰う事を考えたのである。
残りの2人の選手と監督に関しては、現在も六花が色々と手を尽くしているとの事らしいのだが。
「…それは…何とも根深い問題ですね…。」
絵里から切実な話を聞かされた隼人は、唖然とした表情になってしまっていたのだった。
日本代表の選手の大量離脱、そしてツルピカ頭の解任に関しては、隼人もネットのニュースで知らされてはいたのだが。
しかし蓋を開けてみれば、まさかそこまでの切羽詰まった事態になってしまっていたとは。
「勿論タダでとは言わないわ。JABS名古屋支部として、ちゃんとした報酬を支払うつもりよ。それにこれは強制じゃない。どうしても出たくないと言うのであれば、遠慮せずに断ってくれて構わないわ。」
「八雲さん…。」
「それでも私個人の意見としては、貴方と朝比奈さんに是非出場して欲しいと思っているの。」
日本政府が厳命する、天覧試合として相応しい最強チームを結成するのにあたって、確かに隼人と静香はこの上ない最強の人材だろう。
2人共、今すぐに欧米諸国でプロ入りしても通用すると言われている程の実力者である上に、伝説の闘気である神衣にまで目覚めてしまっているのだから。
それでも絵里が何よりも絶対に最優先にしなければならないのは、他でも無い隼人と静香の意志だ。
日本政府が何を言おうが、隼人と静香が試合に出たくないと言うのであれば、絵里としても絶対に無理強いをする訳にはいかないのだ。
だからこそ、これは絵里から隼人と静香に対しての『お願い』だ。
試合に出て欲しいのは山々だが、無理に強制するつもりは微塵も無いと。
六花が淹れた紅茶を飲み干した隼人は、目の前でソファに座っている彩花と六花を真っ直ぐに見据えた。
どんな事情があったとしても、日本のスポーツの在り方に失望し既に引退を表明した自分が、今更デンマーク代表との国際親善試合に出るつもりなど毛頭無いのだが。
それでも仮に隼人と静香の代役を見つける事が出来ずに、最悪デンマーク代表との国際親善試合が中止になって、デンマーク政府に多額の違約金を支払う羽目になってしまったら。
あるいは代役を見つける事が出来たとしても、その選手たちが六花が本部長に提案したような人数合わせの素人集団で、精鋭揃いのデンマーク代表にボロクソに叩きのめされてしまったら。
そもそもの原因はチームを崩壊させたツルピカ頭にあるのだが、これらの責任を周囲から厳しく追求され矢面に立たされてしまう事になるのは、他でもない絵里と六花なのだ。
自分が試合に出なかったせいで、結果的にこの2人に恥をかかせるような真似だけはしたくはない。
呆れたように深く溜め息をついた隼人は、苦笑いしながら絵里を見据え、はっきりと宣言したのだった。
「…分かりました。出ますよ。デンマーク代表との試合。」
正直全く本意では無いが、それでも絵里と六花を守る為だ。
既に引退を表明している自分がデンマーク代表との国際親善試合に出るとなると、記者たちが大騒ぎになって、
「須藤隼人、引退撤回!!」
「日本代表に加入!!」
「羽崎亜弥乃との熱愛発覚か!?」
などと、ある事無い事を色々と記事にされそうで怖くはあるのだが。
それでも絵里が自ら言い出した事ではあるが、隼人自身の口からも絵里に対して、改めて釘を差しておかなければならない。
「ただし僕が出場するのは、あくまでもデンマーク代表との国際親善試合『だけ』です。正式に日本代表になるつもりは微塵もありませんし、それ以降の事までは本当に僕の知った事じゃない。それだけは肝に銘じておいて下さいね。」
「ええ、それに関してはJABSとして、周囲が何を言おうとも絶対に徹底させるわ。だから安心してね。」
そう、隼人が日本代表としてプレーするのは、あくまでもデンマーク代表との国際親善試合の1日限りだ。
それ以降の事までは、流石に隼人の知った事ではない。
当初の予定通りに世界選手権大会への出場を目指すのであれば、残り11人の選手と監督はJABSの方で何とかしてくれと、隼人は絵里と六花に対して念を押したのだった。
そしてそんな隼人の姿を目の当たりにさせられた静香もまた、力強い笑顔で絵里に対して宣言した。
「なら私も出ます。世界レベルのチームと試合が出来る折角の機会ですし、デンマーク代表との試合だけなら単位には全く影響しませんからね。」
勿論それもあるが、それだけではない。
何よりも1日限りとはいえ、隼人と同じチームで試合が出来る格好の機会だから。
口にこそ出さなかったものの、静香はそんな事を考えながら、思わずワクワクしてしまったのだった。
「分かったわ。なら明日の朝に2人の選手登録を済ませておくわね。そしてデンマーク代表との国際親善試合が終わったら、2人の選手登録を責任を持って解除しておくわ。」
残り2人の選手と監督の人選に関しても早急に進めないといけないので、デンマーク代表との国際親善試合が中止になる可能性は、未だに消えてはいないのだが。
「2人共、本当に有難う。」
取り敢えず1日限りとはいえ、隼人と静香が日本代表として加入してくれた事に、絵里は心の底から安堵したのだった。
当然ながら、記者たちは大騒ぎになる訳ですが…。