第124話-A:勤務先からの指示ですからね
なんかもう大変な事に…。
そして翌日の日曜日。開催国のデンマークにおいて、世界選手権大会の予選リーグの組み合わせが遂に発表された。
大会運営スタッフによる厳正なるクジ引きの結果、Cブロックに配置された日本は、スイス、インドネシア、中国、ナイジェリア、オーストラリア、ロシアの6カ国と同組となった。
この7チームで総当たりのリーグ戦を行い、上位2チームが本戦となる決勝トーナメントに進出する事が出来るのだ。
世界ランク1位のダクネスを擁し、前回覇者デンマークと並び優勝候補の筆頭とされているスイス。
今大会屈指のパワーヒッターとされている、ヘリグライダーで活躍する主将のラーベイド率いる、バドミントン発祥の地インドネシア。
引退した美奈子から背番号9を継承し、シュバルツハーケンの主力選手として活躍している、主将の王紗々(ワン・サーシャ)率いる中国。
アフリカ民族特有の、驚異的な身体能力と身体のバネを有するナイジェリア。
選手全員が欧米諸国のプロリーグに所属しており、いずれも主力選手として活躍しているオーストラリア。
その「壁」とも言うべき鉄壁の防御力は、大会随一とされているロシア。
まさに強豪国が揃った『死のグループ』。デンマークの記者たちの中には『バドミントン後進国』とされている日本が可哀想だという、同情的な記事まで書く者すら存在する始末だ。
それでもツルピカ頭は燃えていた。必ずこの6カ国を全て倒し、予選リーグ1位で決勝トーナメントに進むのだと。
いや、それで満足するつもりは無い。あくまでも目指すのは、その先の『優勝』。
現役時代は毎回のように最終選考まで名前が残りながらも、結局国際試合への出場が叶う事が無かったツルピカ頭。
だからこそ、監督として日本代表を率いる事になったからには、現役時代に果たせなかった夢を、今度こそ。
その熱い想いを胸に、ツルピカ頭は選手たちを徹底的に厳しく鍛え上げた。
だがそんなツルピカ頭の熱意とは裏腹に…いや、そのあまりの熱意が空回りしてしまったからなのか。
日本代表は少しずつだが確実に…崩壊への道を突き進んでしまっていたのである…。
まず仕事上のトラブルを理由に練習を途中で切り上げ、勤務先に戻った男性選手だったのだが。
その時は「また来週来ます」とツルピカ頭に言い残していたものの、結局は翌週の土曜日に宣言通りに、日本代表の練習に姿を現す事は無かった。
彼の勤務先の社長が、慢性的な人手不足で仕事に支障が出ている事を理由に、彼の代表入りを辞退させると、電話でツルピカ頭に通告してきたのである。
だが日本代表チームの崩壊は、それだけに留まらなかった。
ツルピカ頭の度を越した厳し過ぎる指導や、選手の気持ちを何も考えない横暴過ぎる言動の数々を理由に、次から次へと選手たちが離脱してしまい…。
「私、もう鶴田監督にはついていけません!!彼氏と別れろだなんて無茶苦茶ですよ!!申し訳無いですけど今日限りで代表を抜けさせて頂きます!!」
「お、おい、ちょっと待て!!古田ぁっ!!」
デンマーク代表との国際親善試合が来週の土曜日に迫る最中、女子大生の選手が目から大粒の涙を浮かべながら、ツルピカ頭に対して日本代表からの離脱を宣言したのである。
鞄を抱えて悲しみの表情で体育館を出ていく女子大生の後ろ姿を、呆気に取られた表情で見つめるツルピカ頭。
当初は11人で始動した日本代表だったのだが、様々な理由からツルピカ頭に不信感を抱いた事で、次から次へとメンバーが離脱。
その騒動の末に現在も日本代表に残っているのは、迅を含めた三津菱マテリアル名古屋の3人のみとなってしまったのである。
「何故だぁっ!?一体全体、どうしてこんな事になってしまったのだぁっ!?どいつもこいつも日本代表に選ばれた事を、名誉な事だと思わんのかぁっ!?」
全身をわなわなと震わせながら、何が何だか分からないといった表情のツルピカ頭。
だが迅は最初からこうなる事が分かっていたかのように、そんなツルピカ頭の無様な姿に呆れ果て、腕組みをしながら深く溜め息をついたのだった。
迅は以前、ツルピカ頭に対して警告していた。
同じ有能な指導者ではあるが、藤崎さんにあって鶴田監督には無い物があると。
貴方がその事に自分の力で気付けない限り、いずれこのチームは空中分解を引き起こしますよ、と。
果たして迅の警告通り、選抜された14人中3人が辞退、8人が途中離脱してしまった日本代表チームは、ものの見事に空中分解してしまったのである。
では迅が言っていた、六花にあってツルピカ頭に無い物とは一体何なのか。
ここまで熱心に読んで下さった読者の皆さんならば、もうお分かりだろう。
そう…ツルピカ頭は日本代表を世界の頂点へと導くという、自身が現役時代に果たせなかった夢に固執するあまり、他人に対する配慮という物が完全に欠落してしまっているのである。
既に引退を宣言しており、しかもその理由まで記者会見において分かりやすく説明していた隼人の事を、代表メンバーとして強行選抜した事。
静香が神衣に目覚めた事を周囲に…それこそ六花や隼人にさえも明かしていなかったというのに、それを記者会見で「隠す理由が分からない」とか言いながら暴露してしまった事。
聖ルミナス女学園と三津菱マテリアル名古屋の練習試合の結果を、オバサンの意向により完全非公開にしていたにも関わらず、こちらもあっさりと暴露してしまった事。
想い人の男性との子供を身籠った凪沙に対して、祝福するどころか逆に罵声を浴びせた事。
勤務先の都合で、どうしても練習を抜けなければならなくなってしまった男性選手に対して、全く配慮する姿勢を見せなかった事。
これらのツルピカ頭の、他人の気持ちをまるで考えようとしない配慮の無さが、今回の最悪の事態を招いてしまったのである。
先程の女性選手の離脱にしてもそうだ。何とツルピカ頭はあろう事か女性選手に対し、バドミントンの妨げになるから恋人と別れろなどと言い出したのだ。
どれだけ優れた指導力を有していようが、こんなクソみたいな奴に対して心の底から付いて行こうと考える者が、果たして何人いるのだろうか。
選手の大量離脱を招いて、然るべきと言わざるを得ないだろう。
だがこれも、ある意味では仕方が無い事なのかもしれない。
ツルピカ頭は現役時代に何度も何度も な ん ど で も 渇望しながらも、ただの一度も日本代表に選ばれる事は無かった。
それ故に隼人や静香、凪沙のように、それぞれ事情は異なるものの、日本代表に選ばれながら簡単に辞退してしまう選手の気持ちが、全く理解出来ないのだ。
また性格も直情的であり、選手たちが少しミスをしただけでブチ切れてガーーーーッと感情的になり、物凄い剣幕で怒鳴り散らしてしまう。
これも日本代表を優勝へと導きたい、選手を強くしたいという熱い想い故なのだろうが。
だがこれでは選手たちはツルピカ頭の機嫌ばかり気にするようになり、練習や試合に全く集中出来なくなってしまうのだ。
当然だろう。ちょっと些細なミスをしただけで怒鳴り散らすような短慮な指導者を、一体何をどうしたら『信頼出来る』と言えるのだろうか。
指導能力は確かに優秀だが、それでも指導者としては失格。
ツルピカ頭はまさに、それを体現してしまった典型例だと言えるだろう。
だがいずれにしても、日本代表メンバーが残り3人になってしまった以上、最早試合自体が全く成り立たない状況に陥ってしまった。
世界選手権大会はシングルス3人、ダブルス2組による団体戦だ。しかも来週の土曜日に開催されるデンマーク代表との親善試合も、同じ形式で行われる予定になっているのだ。
選手が3人しかいないのに、一体何をどうやって団体戦をこなせと言うのだろうか。
「鶴田監督。ちょっとよろしいですか?」
だがそこへ首元にネクタイを締めてリクルートスーツを纏った六花が、厳しい表情を見せながら突然体育館にやって来たのだった。
そして聖ルミナス女学園の制服を着た彩花が、相変わらず無気力に無表情で六花の身体にしがみついており、そんな彩花の肩を六花が優しく抱き寄せている。
JABS名古屋支部での仕事の一環で、こうして体育館までやって来たのだ。
予想外の人物の登場に、迅たちは思わず唖然としてしまったのだが。
「こ、これはこれは藤崎さん。わざわざこんな所にまでご足労頂かなくても…。」
対称的にツルピカ頭は青ざめた表情で、しどろもどろになってしまっていた。
そりゃあそうだろう。選手たちが大量離脱するという緊急事態の最中において、JABS名古屋支部の職員である六花が、何の事前通知もせずに突然姿を現したのだから。
「こ、これはですね、えっと、その、色々ありまして…。」
「先程、JABSにおいて上層部による緊急のオンライン会議が行われたのですが、そこで本部長が下した決定事項を通達致します。」
だが六花はそんなツルピカ頭に対して言い訳を一切許さず、あまりにも残酷な事実を通告したのだった。
「鶴田監督。本日付けで貴方を代表監督の座から解任致します。」
「…は…!?」
彩花を優しく抱き寄せながら、厳しい表情でツルピカ頭に告げた六花。
その六花の鋭い眼光に、ツルピカ頭は完全に気圧されてしまっていた。
「クビ…ですか…!?私が!?」
まさかの代表監督の解任。ツルピカ頭は愕然としてしまっている。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!!私がクビだなんて、そんな馬鹿な!?」
「選手たちが毎週のようにJABS名古屋支部に押しかけて来て、支部長に苦情を入れていたんですよ。全員が口を揃えて、もう鶴田監督にはついていけないとね。」
「く、苦情だなんて、そんな!!私はただ、選手たちを強くしたいと願って!!」
「先程、古田さんが私に対して号泣してましたよ。恋人と別れる事を強要されたと。」
「そ、それは!!古田には甘えが見られたからですよ!!その甘えを完全に払う為には、いつでもどこでも甘えられる存在は不要だと判断したのですよ!!」
「…貴方は何を馬鹿な事を言っているのですか…!!」
第90話での前支部長と全く同じような事を言い出したツルピカ頭に対して、六花は思わず怪訝な表情になってしまう。
選手たちを強くしたいと願って…そんな大義名分を掲げてはいるが、結局は世界選手権大会の『優勝』に固執するあまり、周りが全く見えなくなってしまっているだけではないか。
六花は社会人のクラブチームに関しては管轄外で、どこのチームにも視察に訪れた事が無かったので、今回JABS本部に選抜されたツルピカ頭が一体どんな人物なのか、今まで知らなかったのだが。
今までこんな最低最悪なクズの指導を受けていた選手たちが、あまりにも可哀想だ。
六花は心の底から、そう思ったのだった。
「何にしても、貴方の監督解任は決定事項です。最早覆る事はありませんよ。」
「そ、そんな馬鹿なああああああああああああっ!!」
OTLになってしまったツルピカ頭を、厳しい表情で見下す六花だったのだが。
「お久しぶりです、藤崎さん。聖ルミナス女学園との練習試合の時以来ですね。」
そんな六花に対して迅が、とても穏やかな表情で声を掛けたのだった。
悲しみに満ちた笑顔で、迅たち3人を見つめる六花。
「…残ったのは貴方達3人だけになってしまったのね。」
「勤務先からの指示ですからね。それが無かったら今頃は、もしかしたら俺達も代表を辞めていたかもしれないですよ。」
「ええ、そうね。」
勤務先の人手不足を理由に代表から離脱した男性社員とは対極で、迅たちはあくまでも仕事よりも世界選手権大会を優先するようにと、三津菱マテリアル名古屋から通達されているのだ。
その理由は迅たちが世界選手権大会で活躍する事によって、三津菱マテリアル名古屋の名前が全世界に伝わり、絶大な宣伝効果を与える事が出来るからだ。
上手く行けば海外の企業からも、取引の話を持ち掛けられる可能性さえも…。
社会人の選手というのは、そういった勤務先の『広告塔』としての役割も担っているのである。
「それで藤崎さん。これから俺達はどうなるんですか?見ての通り代表に残った選手は、俺達3人だけになってしまいましたけど。」
「それを今、JABSの上層部がオンライン会議で話し合っている最中よ。最悪の場合は選手不足を理由に、世界選手権大会への出場を辞退する事になるかもしれないけれど…。」
だが問題なのは、そこでは無いのだ。
世界選手権大会に関しては六花が言うように、最悪今からでも辞退を申請すれば済む話なのだが。
「それでも来週のデンマーク代表との国際親善試合だけは、何が何でも成立させないといけないわ。」
「それはやっぱり麻子さまが試合をご観戦なされる、天覧試合だからですか?」
「それもあるけど、問題になるのはデンマーク政府に支払う違約金よ。」
「…ああ…やっぱりそうなりますよねぇ…。」
苦笑いしながら語った六花に対して、納得しながら頷いた迅。
今回のデンマーク代表との国際親善試合は、日本の方からデンマーク政府に無理を言って、招待という形で実現した代物だ。
そのデンマーク代表も明日の朝にはセントレア空港に到着する予定となっており、肝心の試合も既に来週の土曜日に迫っている。
そんな状況下において『日本側の一方的な都合で』今更試合中止になんて事になってしまえば、理由はどうあれデンマーク政府に対して、多額の違約金を支払わなければならなくなってしまうのだ。
あくまでも六花が軽く見積もった結果だが、今回のデンマーク代表との試合が日本側の都合で一方的に中止になった場合、発生する違約金は最低でも大体300万円から400万円になる。
そしてデンマーク政府の言い分によっては、最悪1千万円以上にまで膨らんでしまう恐れさえもあるらしいのだ。
それを六花から聞かされた迅たちは、思わず怪訝な表情になってしまったのだが。
「それは…違約金どころの話じゃなくて、最悪国際問題にまでなってしまいかねないですよね?」
「ええ、だから今はデンマークとの試合だけは、何が何でも成立させる事を目指さないといけないわ。もう勝敗は完全に度外視して、それこそ全くの未経験でも構わないから、スキマバイトアプリを使って選手を4人かき集めてでもね。」
しかも、その違約金の財源となっているのが、他でも無い国民の血税なのだ。
おまけにチケットは即日完売。転売ヤー共に買い占められたチケットが暴利価格でフリマアプリに多数出品、落札されてしまっているという現状だ。
会場となる名古屋金鯱もこもこスタジアムも、デンマーク代表との国際親善試合に向けて着々と準備を進めている。
デンマーク代表の当面の滞在先となり、選手と市民による様々な交流イベントが予定されている稲沢市も、今頃は受け入れ準備に大忙しのはずだ。
そんな状況下において、デンマーク代表との国際親善試合が突然中止になってしまったら、一体どれだけの大勢の人々に迷惑が掛かる事になってしまうのか。
全く鶴田監督も、とんでもない事をやらかしてくれた物だと…今の六花はJABS名古屋支部の職員として、滅茶苦茶頭を痛めていたのだった。
「そういう訳だから悪いんだけど、雷堂君たちはしばらく自主練しておいてくれる?」
「分かりました。元より俺たちはそのつもりですよ。」
「こんな事になってしまって本当に御免なさいね。これからの事については後日追って伝えるわね。それじゃあ私たちは職場に戻らせて貰うわね。」
穏やかな笑顔で迅たちに会釈し、自分の身体にしがみつく彩花の肩を優しく抱き寄せながら、体育館を出て行った六花。
去り際にOTLになってしまっているツルピカ頭の事を、六花はとても冷酷な瞳で睨みつけたのだった…。
現実にツルピカ頭みたいな奴っていそうだよね。




