第122話-A:これを悦ばずして、何がスポーツマンか
出会ってしまった隼人とツルピカ頭。
こうしてジジイに暴力を振るわれた事で、静香はオバサンに付き添われて警察に被害届を提出した。
そして被害届は無事に受理され、静香の頬に殴られた痕跡が残っていた事と、静香の頬から絶対的な証拠となるジジイの指紋が検出された事から、ジジイは警察に即座に逮捕された。
警察からの取り調べに対してジジイは、静香を殴った事に関しては大筋で認めながらも、これは暴力では無く教育だと容疑を一部否認。
当たり前の話だが、そんな滅茶苦茶な言い分が通じる訳が無く、後に起訴されたジジイは刑事裁判において懲役6カ月の実刑判決を受ける羽目になるのだが、それはまた先の話である。
だがこれにより聖ルミナス女学園バドミントン部は、六花が退任してから1カ月近くもの間に、4人もの監督が解任されるという前代未聞の事態に陥ってしまった。
1人目の監督は部員たちに対して、ブラック企業顔負けの深夜にも及ぶ長時間の練習を強要した事で、就任後僅か2日で解任された。
2人目の監督は事故を装って部員の胸を触ろうとして、間一髪の所で静香に取り押さえられた事で、淫行未遂で就任即日で解任。後に防犯カメラの映像が証拠として残っていた事から警察に逮捕された。
3人目の監督は時代遅れの昭和気質の根性論に基づいた、無茶なオーバーワークを部員たちに強要した事が原因で、部員たちを何人も負傷させてしまい、こちらも就任後僅か3日で解任。
そして4人目の監督のジジイもまた、今回の静香への暴力行為を理由に即日解任という有様だ。
六花が居なくなってからという物、『王者』聖ルミナス女学園バドミントン部は、とても『王者』とは呼べない程までに凋落の一途を辿ってしまっていた。
無能な監督たちのせいで部員たちは、六花が監督に就任していた頃と違い、まともな指導を受けられないばかりか、負傷者まで続出する事態になってしまっているのだ。
指導者に恵まれなかっただけで名門校という物は、こんなにも落ちぶれてしまう物だというのか。
今の聖ルミナス女学園の上層部は、過去に前例が無い程のバドミントン部の凋落っぷりに、関係各所からOBたちから毎日のように怒声を浴びせられ、次期監督候補の選定に頭を悩まされるなど、とんでもない大騒ぎになってしまっているのである…。
そんな騒動の最中、稲北高校では。
授業を終えて放課後となり、生徒たちが帰宅したり部活動に励んだり、あるいはバイトや塾に通う最中。
部活動の最中に美奈子と共に校長に呼び出された隼人が、校長室においてツルピカ頭と対面していたのだった。
未だに代表辞退の意志を崩さない隼人の事を、こうしてツルピカ頭が自ら説得にやって来たのだ。
隼人とツルピカ頭が向かい合うようにソファに座り、隼人の隣には美奈子が、ツルピカ頭の隣には校長が座るような形になっている。
「貴重な練習時間の最中だというのに、突然押しかけてしまって済まないね。だが俺はどうしても直接君に会って話がしたいと思っていたのだよ。」
お茶をずずず~~~~っと啜ったツルピカ頭が、隼人の事を真っすぐに見据えながら、力強い笑顔を見せたのだが。
「俺は回りくどい事は嫌いなんでね。単刀直入に言おう。引退を撤回して日本代表に入りたまえ。」
「だから辞退するって何度も言ってるじゃないですか。何があろうと僕の意志は絶対に変わりませんよ。」
それとは対称的に厳しい表情で、ツルピカ頭を見据える隼人。
校長はとても心配そうな表情で2人のやり取りを見ており、美奈子もまた隼人と同様に、突然押しかけて来たツルピカ頭に対して怪訝な表情を見せている。
先日の緊急記者会見では、美奈子は記者たちの勢いに押され、隼人の事を守ってやる事が出来なかった。
「鶴田監督。隼人君は試合に出る事を嫌がっているんですよ?それなのにどうして隼人君に代表入りを強く迫るんですか?」
だからこそ今回こそは、隼人の事を母親として絶対に守ってやらなければと…今の美奈子はその決意を胸に秘めていた。
先日の緊急記者会見の時とは違い、隼人ではなく美奈子が、ツルピカ頭に対して積極的な発言を行っている。
「今の鶴田監督がやっている事は、私に言わせればアルコールハラスメントと同じですよ。酒を飲めない部下に対して上司が飲酒を強要する。それが今の日本においてどれ程の社会問題になっているか、鶴田監督もご存じですよね?」
「私は須藤と話をしたいのですよ。須藤監督は黙って…」
「いいえ、隼人君の母親として、断固言わせて頂きます。」
何の迷いも無い決意に満ちた力強い瞳で、美奈子はツルピカ頭に対して、はっきりと断言したのだった。
「隼人君が試合に出たくないと言っている以上、私は隼人君の意志を尊重します。隼人君を日本代表にするつもりは微塵もありません。」
類稀な実力と才能をその身に宿し、しかも神衣にまで目覚めてしまったが故に、隼人は今こうして身勝手な大人たちのエゴに飲み込まれようとしている。
しかも県予選での決勝で、黒衣に呑まれた彩花を圧倒する程の活躍さえも見せつけてしまったのだ。
そんな隼人の引退を絶対に許す訳にはいかないと、周囲の大人たちが躍起になるのも当然かもしれないが。
だがそれでも隼人は引退を表明しているのだ。もう試合には今後一切出たくないと言っているのだ。
日本のスポーツの愚かさや、彩花や六花を苦しめた身勝手な大人たちに失望して。
だから美奈子は隼人の意志を尊重し、ツルピカ頭から絶対に隼人を守るつもりだ。
その決意を胸に秘めた美奈子が、厳しい表情でツルピカ頭を見据えていたのだが。
「貴女は須藤の意志を尊重すると仰いましたね?ならば俺が今から須藤の意志を覆せば、貴女は何も文句は言わない訳だ。」
だがそれでもツルピカ頭もまた、一歩も引かない。
そりゃあそうだろう。今こうして自分の目の前に、過去に前例が無い程の、とんでもない金の卵が転がっているのだから。
日本代表の監督に選抜された以上、こんな金の卵をみすみす手放す事など、出来る訳が無いのだ。
しかも10月末に名古屋で開催されるデンマーク代表との国際親善試合には、麻子さまが直々に試合を観戦なされる天覧試合となっている。
だからこそ隼人には、絶対に日本代表になって貰わなければならないのだ。
麻子さまが見ておられる目の前で、無様な試合だけは絶対に許されないのだから。
「なあ、須藤。君もバドミントンプレイヤーであるならば、自分の力が世界の強豪を相手にどれだけ通用するのか、試してみたいとは思わないのか?」
美奈子を無視したツルピカ頭が、熱く隼人に語りかけたのだが。
「今回のデンマーク代表との親善試合では、あの羽崎がシングルス1で出ると羽崎監督が語っている。俺は君をシングルス1で出場させて羽崎とぶつけるつもりだ。」
亜弥乃だけではない。デンマーク代表の監督を務める内香は、今回の日本代表との国際親善試合においての、レギュラーメンバー7人のスターティングメンバー全てを事前に発表しているのだ。
試合が始まるまで、まだ1ヵ月近くもの時間があると言うのにだ。
本来なら有り得ない事だが、非公式の親善試合だからという事もあるのだろう。
私たちはこの組み合わせで試合に臨むから、どうぞ好きなように対策を立てて出場メンバーを選抜して御覧なさい…と。
「あの世界ランク2位の羽崎と戦ってみたいとは思わないのか?今の君の全力をぶつけてみたいとは思わないのか?こんな貴重な機会はそうそう滅多に訪れる物では無いのだぞ?」
まるで客に対してセールスを行う営業マンのように、しつこく隼人に迫るツルピカ頭。
「日の丸を背負い、日の本の代表として、メダルを賭けて世界の強豪たちを相手に戦う。これを悦ばずして、何がスポーツマンか!?」
だがツルピカ頭が、さらに隼人を畳み掛けようとした、その時だ。
「お話し中の所すみません、鶴田監督!!先程、ルナテック神奈川支部から鶴田監督宛てに、緊急の連絡が入りました!!」
そこへ外で待機していた女性マネージャーが、先程通話を終えたばかりのスマホを手に、慌てて校長室に入って来たのだが。
「今回の代表メンバーに選抜された新垣凪沙選手なのですが、代表入りを辞退させて欲しいと、ルナテック側からの申し出がありました!!」
「何ぃ!?それは怪我でか!?」
「そ、それが…!!」
次の瞬間マネージャーの女性は、とんでもない事実を口にしたのだった。
「その…新垣選手の妊娠が発覚したのだそうで…!!」
「に…妊娠だとおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
まさかの事態にツルピカ頭は、口をポカーン( ゜д゜)と開けて驚いてしまう。
隼人も美奈子も校長も、全く予想もしていなかった女性マネージャーの言葉に、驚きを隠せずにいるようなのだが。
「はい、バドミントンの引退まではしないとの事ですが、しばらくはバドミントンから離れて、出産と子育てに専念したいという本人からの希望があったので、今回の代表入りは辞退させて欲しいとの事です!!」
「ぬうう、何という事だ!!」
「ルナテックによると、相手は高校時代のバドミントン部のコーチだとの事らしいのですが、それで出来ちゃった婚をするらしいです!!」
凪沙は前回のパリオリンピックに日本代表として選抜されながらも、体調不良を理由に辞退したという経緯がある。
今回の世界選手権大会も、妊娠を理由に代表入りを辞退するとの事らしいが、恐らくパリオリンピックの代表辞退の要因である体調不良は、妊娠最初期の女性特有の、特段珍しくも何とも無い症状なのだろう。
今になって妊娠が発覚したという事は、来年の世界選手権大会が始まる1月には、凪沙の腹は盛大に膨らみ、赤ちゃんの胎動が始まっている頃合いのはずだ。
どれだけの実力があろうとも、そんな状態の女性に対して試合に出ろなどと、そんな酷い事はとてもじゃないが言える訳が無い。
「新垣が代表辞退だと!?しかも妊娠などとは!!日本屈指のトップアスリートとしての自覚が足りんと言わざるを得んわ!!」
だがツルピカ頭はとても不機嫌そうな表情で、凪沙の事を激しく罵倒したのだった。
主力の1人である凪沙が代表辞退するとなれば、日本代表にとっての戦力としては、まさにとんでもない痛手だ。
世界選手権大会においては、こういう不測の事態に備えて、サポートメンバー7人の選抜を運営側から求められているのだが。
だからと言ってサポートメンバーから凪沙の代わりを1人補充しろとか、そんなに簡単な話では無いのである。
凪沙程の日本屈指のパワーヒッターなど、そうそう簡単に見つかる訳がないのだから。
「…あの、鶴田監督。ちょっといいですか?」
だがそんなツルピカ頭に対して、隼人が明らかに苛立ちを見せたのだった。
「僕はその新垣さんという方とは全く面識が無くて、亜弥乃さんと高校時代のチームメイトだったという事しか知らないので、事情はよく分からないのですが。」
先日、静香が隼人に対して、LINEでこんな事を語っていた。
私は代表入りを辞退しましたが、その理由の1つが鶴田監督への不信感です…と。
その静香の言っている事が、今の隼人は分かる気がした。
「鶴田監督は、こうは思わないのですか?新垣さんがアスリートとしてではなく、女性としての幸せを優先したのだと。」
「何ぃ!?」
「出来ちゃった婚をするという事はレイプされたとかじゃなくて、相手方の男性とは正式な相思相愛の仲なんですよね?その男性との間で赤ちゃんを授かったのだから、むしろ新垣さんを祝福するべきなのではないのですか?」
ツルピカ頭は日本代表の監督として選抜されたからには、指導者としての資質や能力は確かに備わっているのだろう。
だがそれでもツルピカ頭には、人の気持ちを理解する能力が欠けているのだ。
いや、理解しようともしていない、とも言うべきか。
引退を表明した、しかもその理由までも記者会見で説明した隼人に対して、なおもしつこく代表入りを迫った件にしてもそうだが、それだけではない。
今回の凪沙の妊娠に関しても、確かに日本代表の戦力としては痛手なのは理解出来るが、それでも大切な男性との子供を授かった凪沙に対して、どうしてあのような暴言を平気で吐けてしまうのか。
それが隼人には、どうしても理解が出来なかった。
「…まあいい。俺にもこの後予定があるので、今回は帰らせて貰うが…それでも俺は君の事を諦めた訳ではないからな?諦めたらそこで試合終了だと言うではないか。」
「いや、諦めて下さいよ。」
「門戸はいつでも開いている。代表入りしたくなったら、いつでも連絡を入れてくれたまえ。」
ソファから立ち上がったツルピカ頭は、胸元のポケットからメモ用紙とペンを取り出して、スマホの番号を書いてビリビリと破って隼人に提示する。
そして力強い笑顔で隼人に会釈したツルピカ頭は、マネージャーの女性と共に校長室を去って行ったのだった。
デンマーク代表との試合に備えて、練習に励む日本代表ですが…。