第120話-A:引退なんて許す訳がないでしょう
2学期早々、まさかの騒ぎが…。
こうして今年のインターハイは特に何のトラブルも無く、全競技の全日程が無事に滞りなく終了した。
そして同時開催されていたパリオリンピックも、全競技が無事に閉幕。
バドミントンのシングルス部門は、決勝戦で亜弥乃とダクネスによる壮絶な死闘が繰り広げられた結果、見事にダクネスが優勝して金メダルを獲得。亜弥乃に代わって世界ランク1位の座に君臨する事となる。
ダクネスに敗北した亜弥乃は準優勝という結果に終わり、世界ランクも2位に後退する羽目になってしまった。
それでも亜弥乃はダクネスに対して、
「ふんだ!!通算成績は3勝2敗で、まだ私の方が勝ち越してるんだからね!?」
「ダクネスちゃんの馬~鹿!!馬~鹿!!馬~鹿!!べ~だ!!」
などと強がってはいたのだが…。
そして時は流れ、2024年9月12日の木曜日。
どの学校も無事に始業式が終わり、本格的に2学期が始まった頃。
名古屋市内のホテルの大広間に大勢の記者たちを集め、2025年1月にデンマークで開催予定の、バドミントンの世界選手権大会に向けた代表メンバー14人が発表される事になった。
今回の大会では史上最多となる56カ国が参加し、まず予選でAからHまでの8つのブロックに、7チームずつに分かれての総当りのリーグ戦を行い、その上位2チームの16チームによるトーナメント方式で本戦が行われる。
試合形式はシングルス3名、ダブルス2組による5試合の団体戦であり、3勝以上を挙げたチームが勝利。
各チーム事にレギュラー7人と、そのレギュラーに怪我や病気などの不測の事態が発生した場合の交代要員として、サポートメンバー7人を選抜する事になっている。
その前哨戦として10月末に名古屋において、前回大会覇者のデンマーク代表を招いての、国際親善試合が行われる事になっているのだが。
「記者の皆様。本日はご多忙の所をお集まり頂き、誠に有難うございます。私は今回の世界選手権大会において日本代表の監督を任される事になりました、エルシックス名古屋のコーチを務めさせて頂いている鶴田光という物です。皆様、どうかよろしくお願いします。」
大勢の記者たちから一斉にカメラのフラッシュを浴びせられる最中、日本代表監督の中年男性のツルピカ頭が席から立ち上がり、記者たちに対して礼儀正しく一礼する。
そして席に座り直したツルピカ頭は、とても真剣な表情で記者たちを見据えていたのだった。
現役時代は国際大会の代表選抜において、毎回のように最終候補まで名前が残り続ける程の優秀な選手だったのだが、残念ながら日本代表には一度も選抜される事は無かった。
それでも現役引退後は社会人チームの強豪、エルシックス名古屋のコーチに就任。
その確かな理論に裏付けされたコーチとしての手腕をJABS本部に高く評価され、今回の世界選手権大会の監督に抜擢されたのである。
「既に皆さんも承知の通り先日のパリオリンピックにおいて、前任の後藤監督が指揮を執られた我ら日本代表は、世界の強豪たちを相手に全くいい所を見せられず、無様な惨敗を喫してしまいました。」
とても真剣な表情で、記者たちに対して語りかけるツルピカ頭。
今回のデンマーク代表との国際親善試合は、何と日本でのバドミントンの試合としては史上初となる、皇族の秋篠宮麻子さまを招いての天覧試合となる事が、日本政府より大々的に公式発表されている。
何でも大学でバドミントンをやっておられる麻子さまにとって、今回のデンマークとの国際親善試合は、何物にも代えられない素晴らしい経験になるだろうからと…天皇皇后両陛下から強く勧められて実現した天覧試合らしいのだが。
その衝撃的なニュースに当然ながら国民たちは大騒ぎになっており、先日大手チケット販売業者のオンラインショップ限定で予約受付が行われた観戦チケットが、平日の朝10時からの予約受付開始だったにも関わらず、何と僅か数秒で完売。
多数の転売ヤー共によって各種フリマアプリに、チケットが定価の何倍もの暴利価格で転売される事態にまでなってしまった。
そしてスマホやPCをまともに使いこなせないジジイやBBA共が、何故ネット販売限定なんだと怒り狂いながら、チケット販売業者の下に大量に押しかける騒ぎにまでなってしまい、ニュースでも大々的に取り上げられてしまった始末だ。
だからこそ、麻子さまが直々に試合を観戦なされている中で、パリオリンピックの時のような無様な試合だけは、絶対に許されないと。
ツルピカ頭は多数のカメラのフラッシュを記者たちに浴びせられながら、その決意を胸に秘めていたのだった。
「その後任として監督に任命された私の力が、どれだけ役に立つかは分かりませんが…それでもやるからには一切の妥協をするつもりはありません。私が目指すのは、あくまでも世界選手権大会の『優勝』。ただそれだけです。」
おおっ…!!と記者たちが感嘆の声を上げ、ツルピカ頭に対して無数のカメラのフラッシュを浴びせる。
それに全く怯む事無く、ツルピカ頭は背筋を真っ直ぐに伸ばし、じっ…と真剣な表情で記者たちを見据えていた。
「それでは早速ですが只今より、2025年にデンマークで開催予定の世界選手権大会における、私が選抜した日本代表メンバー14名を発表致します。」
欧米諸国から『バドミントン後進国』と蔑まれ、世界を舞台に目立った成績を残せずにいる日本のバドミントン。
その歴史を塗り替える為の現時点における最強メンバーとして、ツルピカ頭が選抜した14人の選手たちの名前が、今ここで遂に語られるのである。
「まずは愛知県の、三津菱マテリアル名古屋から3名。雷堂迅、柳川真吾、北村祐介。」
まさに順当も順当。まず名前が挙がったのは社会人最強との呼び声も高い、『雷神』の異名を持つ迅だ。
他の2名も迅程ではないが、紛う事なき日本における上位クラスの実力の持ち主であり、先日の聖ルミナス女学園との練習試合でも見事に勝利を収めている。
「雷堂には先日のパリオリンピックでは、奥様の出産立ち会いを理由に代表入りを辞退されてしまいましたが、今回の世界選手権大会では今度こそ代表に入って貰います。そして私は彼にはチームの主将を任せようと考えています。」
迅は国際試合を戦った経験は無いが、三津菱マテリアル名古屋においても主将としてチームを引っ張り、実力も人格面も問題無し。チームメイトたちからも深い信頼を寄せられていると聞かされている。
だからこそツルピカ頭は、何の迷いも無く迅を主将に任命したのである。
迅ならば間違いなく、チームを1つにまとめ上げてくれるだろうと。
「続いて神奈川県の、ルナテック神奈川支部の新垣凪沙。」
次に語られたのは高校時代に亜弥乃とチームメイトだった事で有名な、若干20歳ながら社会人屈指との評価も名高い実力者の女性だ。
先日のパリオリンピックでは日本代表に選抜されながらも、体調不良を理由に代表入りを辞退している。
だが凪紗には高校での県予選決勝で亜弥乃と対決して、勝利を収めたという実績がある。
その後のインターハイでは膝の状態の悪化を理由に途中棄権したのだが、その強烈な威力のスマッシュは世界でも通用すると評価されている程の、日本屈指のパワープレイヤーなのだ。
高校卒業後は社会人屈指の強豪チームのルナテック神奈川支部に入社。今年の日本選手権でもシングルス部門において、見事に3位入賞を果たしている。
彼女もまた、代表に選抜されて然るべき選手だと言えるだろう。
「続いて静岡県の緑山大学4年、浅野亮太。埼玉県の神王大学4年、古田恭子。新潟県の…。」
さらに名前が挙がったのは、今年の大学選手権のシングルス部門においてベスト4まで勝ち上がった、大学最強の実力者の4人。
その後もツルピカ頭の口から語られた名前に、記者たちから一斉に感嘆の声が上がったのだった。
本気なのだ。本気でツルピカ頭は、世界の『頂点』を獲りに行く覚悟なのだ。
ここまで名前が挙がった12人全員が、日本のバドミントン界において多数の実績を残している、まさに日本屈指の実力者ばかりだからだ。
「最後に、いずれも愛知県。」
だがここまで熱狂に包まれていたホテルの大広間が…ツルピカ頭のまさかの発言により、とんでもない騒動になってしまう事になるのである。
「稲北高校1年、須藤隼人。聖ルミナス女学園1年、朝比奈静香。以上14名となります。」
何の迷いも無い決意に満ちた瞳で、ツルピカ頭が隼人と静香の名前を告げた瞬間。
記者たちが物凄い騒ぎになりながら、ツルピカ頭にカメラのフラッシュを一斉に浴びせたのだった。
静香はまだ分かるが、隼人まで何故選抜したのかと。
何故なら隼人は先日の県予選と記者会見において、大々的に引退を発表したばかりだからだ。
「この14名に現時点では優劣はありません。主将の雷堂を含めて全員が横一線です。練習や合宿において、私自身の目で14人の実力と相性を直接見極めた上で、レギュラーとサポートメンバー、そしてシングルスとダブルスの振り分けを行いたいと考えております。」
そんな記者たちの騒ぎを事前に想定していたと言わんばかりに、ツルピカ頭からは全く動揺の素振りが見られない。
だが、これこそがツルピカ頭の『本気』。そして世界の頂点を必ず獲りに行くという『覚悟』の現れなのだ。
世界の強豪を相手に戦うのにあたって、隼人と静香の力が絶対に必要になるのだと。
大騒ぎになっている記者たちの姿を、ツルピカ頭は真剣な表情で見据えていたのだった。
「それでは只今より、記者の皆様による質疑応答へと移らせて頂きます。ただし鶴田監督のスケジュールの都合により、今回の質疑応答は16時までで打ち切らせて頂きますので、ご了承くださいませ。では鶴田監督に質問のある方は挙手をお願い致します。」
こうして代表メンバー14人の発表が終わり、司会を務めている日本代表の女性マネージャーが、穏やかな笑顔で記者たちに促す。
それと同時に記者たち全員が、大慌てで一斉に挙手をしたのだった。
「はい、では番号札1番の方。」
「私は西海テレビの佐藤という者なのですが…。」
起立をした記者の男性に、女性マネージャーがマイクを手渡す。
そしてとても真剣な表情で、この場にいる誰もが思っている、当然の疑問をぶつけたのだが。
「今回選抜された須藤選手は、先日の県予選を最後に現役を引退しました。にも関わらず代表への選抜を強行した理由を教えて頂けますか?」
「理由もへったくれも無いですよ。引退なんて許す訳が無いでしょう。」
そんな記者の男性に対してツルピカ頭は、とても真剣な表情で断言したのだった。
「あれだけの実力の持ち主で、しかも神衣にまで目覚めている訳ですからね。そんな彼を代表に選抜しない理由が、一体どこにあると言うのですか?」
「しかし須藤選手は記者会見で仰っていました。仮に代表に選ばれても100億%辞退すると。それでも鶴田監督は、彼を代表に選抜するのを諦めないと?」
「その100億%を0%にするのが、監督である私の仕事ですよ。」
そう、県予選決勝で神衣の頂きにまで辿り着き、黒衣を纏った彩花を圧倒した隼人は、まさに低迷する日本のバドミントンにおいての救世主に成り得る程の選手だ。
だからこそ、どんな事情があろうとも、ツルピカ頭は隼人の引退など、そんなに簡単に許すつもりは無いのだ。
幸いな事に引退したと言っても、練習自体は続けていると聞かされている。体力やブランクの面においては何も心配する事は無いだろう。
「私は彼と直接交渉して絶対に説得してみせます。世界を舞台に戦うのにあたって、彼の力が絶対に必要になるはずだからです。これに関しては周囲が何を言おうが、絶対に譲るつもりはありませんよ。」
「分かりました。どうも有難うございます。」
男性記者が再び着席し、女性マネージャーにマイクを返す。
その後も記者たち全員が、はいはいはいはいはい!!と一斉に挙手をしたのだが。
「はい、では続いて番号札5番の方。」
「「「2から4はぁっ(泣)!?」」」
3人の記者たちが抗議をする中で、記者の女性が女性マネージャーからマイクを受け取り、ツルピカ頭を真っすぐに見据えながら起立をする。
「エ~テレの梅田という者です。今回の代表選抜において、朝比奈選手を選抜した理由を教えて頂けますか?」
「それは先日のインターハイ直前に完全非公開で行われた、聖ルミナス女学園と三津菱マテリアル名古屋による、練習試合の結果を踏まえての物です。」
「いやいやいやいやいや!!その練習試合に関しては学園長の意向により、試合結果も含めて完全非公開だったはずですが!?」
戸惑いの表情で、女性記者はツルピカ頭を見据えていたのだった。
そう、先日の練習試合の結果を踏まえてとは言うが、その練習試合に関しては記者たちに対して完全非公開で行われていたはずなのだ。
それこそ女性記者が言うように、試合結果さえも含めてだ。
理由はインターハイ終了後に引退する3年生に最後の思い出作りをさせてやりたい、その為に周囲の大人たちの余計な介入などさせたくはないからという、学園長の部員たちへの配慮による物だったのだが。
「私の独自の調査の結果、シングルスのワンセットマッチにおいて、朝比奈が雷堂に21-14で勝利したという事実が判明しました。」
それでもなおツルピカ頭は、静香と迅の試合結果を、記者たちの前で公然と公言してしまったのである。
学園長の配慮など、知った事では無いと言わんばかりに。
「そ、それは確かな情報なのでしょうか!?」
「間違いありません。社会人ナンバーワンを破った程の選手を、代表に選抜しない理由など無いでしょう。」
高校生の静香が、社会人ナンバーワンの迅を破った。
このツルピカ頭の口から語られた衝撃的な事実に、記者たちは最高の記事のネタになると、一斉に大騒ぎになってしまったのだが。
「それに私が朝比奈を選抜した理由は、それだけではありません。」
さらにツルピカ頭は誰もが予想もしなかった、とんでもない事を口にしたのである。
「朝比奈は神衣に目覚めています。それも理由の1つですよ。」
「「「「「「「「「「…はあああああああああああああ!?」」」」」」」」」」
さらに続けてツルピカ頭から投下された燃料の前に、一斉に記者たちに火が付いてしまったのである…。
「どうやら朝比奈は今まで周囲に隠していたようですが、私の目は誤魔化せませんよ。私には隠す理由がよく分からないのですが…。」
「誤認だという可能性は!?その情報に確かな根拠はあるのでしょうか!?」
「私自身の目が根拠です。もう一度言いますが、私の目は誤魔化せませんよ。」
「な、成程、分かりました。有難うございます。」
戸惑いながらも女性記者は、女性マネージャーにマイクを返して着席したのだった。
静香が神衣に目覚めた。その衝撃的な事実に、記者たちの誰もが大騒ぎになってしまっている。
その後も記者会見が大騒ぎになりながらも、特に何のトラブルも無く順調に進み…。
「では当初の通告通り、予定時刻の16時が迫っておりますので、これで最後とさせて頂きます。番号札31番の方。」
「「「「「「「25から30はぁっ(泣)!?」」」」」」」
最後にマイクを手渡された女性記者が、これまでの記者たちとは打って変わって、まるで抗議をするかのような真剣な表情で、ツルピカ頭に食って掛かったのだった。
「忠実スポーツの水田です。今回の代表選抜において高校生2名が選抜されましたが、これは我が国のバドミントンにおいては史上初の快挙ですよね?」
「そうですね。確かに貴女の仰る通りです。」
「ですが代表入りするとなると、最悪数カ月はチームに拘束される事になりますが、その際の2人の学校での単位の扱いについては、どうお考えなのでしょうか?」
今回選抜された大学4年生の5人は、全員が卒業するのに必要な量の単位を既に取得済みなので、単に大卒の学歴が欲しいだけならば、代表の活動にフルに参加したとしても何の問題も無い。
だが、まだ高校1年生の隼人と静香に関しては、事情が全く異なるのだ。それを記者は危惧しているのである。
2人が本格的に日本代表として活動するとなると、当たり前の話だが学校を長期間休まなければならなくなってしまう。
大会に向けての数週間以上にも及ぶ長期間の合宿に参加しないといけなくなるだろうし、10月末に予定されているデンマークとの親善試合のように、大会前の練習試合だって何試合か組まれる事になるだろう。
それだけではない。大会で勝ち進めば勝ち進む程、その分だけチームへの拘束期間が長引いてしまう。
それこそ最悪の場合、数カ月はチームに拘束される羽目になってしまうのだ。
そうなると、隼人と静香の両校での単位の扱いは、一体どうなるのか。
下手をすると代表入りしたせいで授業や試験に出席出来なかった分だけ、膨大な量の補習を受ける必要が出てくる可能性もあるのだ。
最悪の場合、そのせいで留年せざるを得なくなってしまう可能性さえも…。
「その件に関しては後日両校に対して、2人の進学に支障が出ないように、柔軟な対応をするように要請するつもりです。」
だがそれさえもツルピカ頭は、あくまでも力尽くでどうにかするつもりのようだ。
例え何があろうとも、隼人と静香には代表での活動を優先して貰うと。
「あくまでも学校側には、2人に代表での活動を優先させると!?」
「それだけの価値と実力が、須藤と朝比奈にはあるからですよ。」
「な、成程、分かりました。有難うございます。」
かくして予定されていた16時が過ぎた事で、ツルピカ頭は記者たちに深々と一礼をして去って行った。
だがツルピカ頭が残した立て続けの爆弾発言に、記者たちは一斉にスクープだと大騒ぎになってしまっていた。
そりゃあそうだろう。高校生の隼人と静香の代表選抜だけでも大変な事だというのに、現役引退を宣言したばかりの隼人の強行選抜、さらに静香の神衣覚醒を暴露されてしまったのだから。
緊急速報を流せ、臨時の特番を組めないか、などと、記者たちの誰もがスマホで勤務先に電話を掛けながら、大慌てで会場を後にする。
『神童』隼人と『天才』静香。
その類稀な実力と才能を有するが故に、2人はツルピカ頭に日本代表に強行選抜された。
だがそれ故に隼人も静香も、周囲の大人たちの身勝手なエゴに、またしても振り回される事になってしまうのである…。
当然の事ながら記者会見で、代表辞退を宣言する隼人。
そして静香は…。