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バドミントン ~2人の神童~  作者: ルーファス
Aルート第3章:動乱の日本代表編
119/135

第119話-A:ここは託児所じゃねえんだけどな

 新章開始です。

 仕事って本当に大変だよね。

 2024年8月12日の月曜日。

 多くの企業が盆休みの長期休暇に入っている最中、JABS名古屋支部は夏季休暇の日程を来週に遅らせ、普段通りの通常業務を行っていた。

 理由は盆休みの期間中に豊橋で開催される、アマチュアの一般の大会のサポート業務をしなければならない事と、あちこちのデパートや駅などの公共施設が普段以上に多くの人が…特にメインターゲットである子供連れの親子で溢れ返る事から、バドミントンの普及活動をするのにはもってこいの期間だからだ。

 

 そんなクソ忙しい最中に、それこそ猫の手も借りたい位忙しい状況下において、聖ルミナス女学園との契約を終えた六花が、本格的に通常業務に復帰する事となった。

 そして六花の隣には聖ルミナス女学園の制服を着た、相変わらずの無気力で無表情の彩花の姿が。

 彩花の胸元には「Guest」と記載された、ラミネート加工されたネームプレートが取り付けられている。


 あの忌まわしい記者会見において心が壊れてしまった彩花が、どうしても六花から離れたがらない物だから、こうして絵里の承諾を得た上で、JABS名古屋支部まで六花と同行して貰う事になってしまったのだ。

 ただし流石にこんな状態の彩花を連れて、六花に外回りの業務など到底させられないと絵里が判断した事から、六花には取り敢えず事務作業を手伝って貰う事となった。

 絵里に頼まれて書類を作っている、パソコンメガネを身に着けた六花が操るデスクトップパソコンの液晶画面を、椅子に座った彩花が、じぃ~~~~~~~っと見つめている。


 六花だけではない。他の職員たちもクソ忙しそうにデスクトップパソコンと向き合い、電話対応や事務作業に追われていた。

 来週からの1週間遅れの盆休みに向かって、社員全員がラストスパートを掛けている。

 だがそんなクソ忙しい最中において…とんでもない騒動が起きてしまうのである。


 「支部長。頼まれていたプレゼン用の資料が…。」

 「…はい…はい…その節は弊社の川口が多大なご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳御座いませんでした。」


 彩花に相変わらず両腕でしがみつかれながら、扉をノックして支部長室に入ってきた六花だったのだが。

 六花の目に映ったのは、椅子に座った絵里が取引先のスポーツ用品販売会社の社長に対して、固定電話で申し訳無さそうな表情で謝罪をしていた光景だった。


 「川口には戻り次第、私の方から厳重注意をしておきますので…はい…はい…大変申し訳御座いません。ご指名頂いたいのは大変有難いのですが、藤崎には諸事情につき事務作業をさせておりまして…。」


 いきなり自分の名前を出しながら絵里が取引相手に謝罪したので、六花は思わずきょとんとした表情になってしまう。


 「そうですね、私としても藤崎には、出来るだけ早く外回りに復帰させたいと考えてはいるのですが、こればかりは娘さんの鬱状態が改善されない事には…はい…はい…今回の件に関しては大変申し訳御座いませんでした。これからも弊社をどうか御贔屓ごひいきに…はい…それでは失礼致します。」


 はぁ~~~~~~~っと盛大に溜め息をつきながら、絵里が電話を切ったのだった。

 躊躇ためらいながらも六花はデスクの上で、ぐて~~~~~~~っとしている絵里に声を掛けたのだが。 


 「あの、支部長。川口君が平山で何かやらかしたんですか?」

 「ああ、藤崎さん、来てたのね。あのね、川口君が平山さんの社長を怒らせちゃったみたいなのよ。たまたま会社に来ていた社長の娘さんをナンパしたとかでね。」

 「ナンパって、そんな馬鹿な…。」

 「しかも本人が嫌がってるのに、ニヤニヤしながらしつこく食い下がってきたって。」


 営業活動中に、しかも主要取引先の社長の娘に対して、何を馬鹿な事をやっているのか。

 こんなの、ビジネスマナーがどうこう言う以前の問題だろう。一体どういう神経をしているのだろうか。

 六花は心の底から、男性社員に対して呆れてしまっていたのだった。


 JABS名古屋支部の主要取引先の1つである、株式会社平山スポーツ用品製作所の名古屋本社。

 ここ数年はドイツのバイエルンに本社を置く、スポーツ用品最大手のヒューガに迫る勢いで売り上げを着実に伸ばし、今や全国各地に店舗を構え、日本を代表するスポーツ用品の製造、販売会社へと成長を遂げた。

 当然ながらバドミントン関連の商品も数多く取り扱っており、その縁もあってJABS名古屋支部とは取引相手として、これまでの営業担当だった六花の奮闘もあって、今まで良好な関係を築き上げてきた。

 社長の娘さんが大学でバドミントンをやっているとの事で、社長に頼まれて六花が彼女に対して技術指導も施すなど、六花にとっても深い縁のある会社なのだ。


 だが社会人の読者の皆さんなら重々承知しているとは思うが、顧客との間で築き上げてきた信頼というのは、ちょっとした事ですぐに崩れ落ちてしまう物だ。

 そして一度失った信頼というのは、そう簡単に取り戻せるような代物では無いのだ。

 今回の男性社員のやらかしのせいで、JABS名古屋支部が果たしてどれだけの悪い印象を受ける羽目になってしまったのか。

 絵里の話だと、いつもお世話になっているから、取り敢えず今後も取引は継続すると…そう社長が言ってくれたらしいのだが。


 「取り敢えず平山の社長さんには、後で私が菓子折りを持って謝罪しに行くわ。」

 「それはまあ、いいんですけど…こんな事があった以上、もう川口君に営業なんて行かせられないですよね?他の人を営業に行かせるべきでは…。」

 「そうしたいのは山々なんだけどね。だけどうちも人手不足なのよ。こんなご時世じゃ、今はどこの会社も同じだと思うんだけど…。」


 苦笑いしながら、絵里は六花に対して愚痴をこぼしたのだった。

 今やこの日本において重篤な社会問題となってしまっている、慢性的な少子高齢化。

 その影響もあってJABS名古屋支部だけではなく、今では多くの企業が労働力の確保に苦戦し、人手不足に悩まされてしまっている。

 それこそ、求人を出しても募集がゼロ…という所も、決して珍しくないのだ。


 特に深刻なのが東京で、出生率が史上初めて1.00を下回り0.99を記録してしまった事が、ニュースで大々的に報じられる事態になってしまった。

 つまり単純計算で東京において100人に1人の女性が、生涯に渡って子供を全く産まなくなってしまった事を意味するのだ。

 このままだと数百年後には、日本人が絶滅すると警鐘を鳴らす専門家も出る始末だ。

 

 JABS名古屋支部もその影響をモロに受けてしまっており、作者の勤務先でもそうなのだが、求人を出しても人が全然集まらない。

 それこそ今回やらかした男性社員のように、多少の問題点には目を瞑り、業務の中で更生してくれる事を期待してでも、雇用を継続しなければならない事態になってしまっているのだ。

 本来なら取引先の娘にしつこくナンパするなどという、前代未聞の大不祥事をやらかした男性社員は、問答無用で即クビにしなければならない所なのだが。

 それでも深刻な人手不足であるが故に、そんなに簡単にクビを切れないというのが実情なのである。

 

 「まあ川口君は、後で私がこってりと絞っておくわ。そんな事より何か私に用かしら?」

 「そうでした。頼まれていたプレゼン用の資料が完成したので、確認して頂けますか?」

 「早いのね。もう出来たの?それじゃあ早速確認させて貰うわね。」


 六花がイントラネットに上げた、PowerPointで制作したプレゼン用の資料。

 それに絵里は自分の机の上に置いてあるデスクトップパソコンで、早速目を通して確認したのだが。


 完璧だ。凄く読みやすくて、要点がしっかりと押さえられていて分かりやすい。

 これなら取引先に好印象を与えられるのは勿論、プレゼンをする社員にとっても説明しやすい事だろう。

 しかも、これだけの膨大な量の資料を、まさかこんなにも早く、しかもミスの1つも無く正確に作ってくれるとは。

 先程、絵里が支部長室から出てトイレに行った際、六花が目にも止まらぬ物凄い速度でキーボードをブラインドタッチするのを、目の当たりにさせられてはいたのだが。


 「…うん、大丈夫よ。これなら今度の説明会も万全ね。じゃあ次はこっちの書類の整理を任せて貰えるかしら?」

 「はい。分かりました。」

 

 自分に分厚い書類の山を手渡した絵里の心からの褒め言葉に、六花はとても穏やかな笑顔で返事をする。

 六花はスイスで現役でプレーしていた頃に、Word、Excel、PowerPoint、Accessの資格を取ってきたと、以前絵里に対して自慢げに語っていた。

 それは彩花を養う為にバドミントンを辞めた後の事をしっかりと考え、バドミントンしか能の無い女にだけは絶対になりたくはない、資格を取っておいた方が引退後の就職活動に便利だろうから、との事らしいのだが。

 これはもう便利どころの話では無い。まさか六花がここまで完璧に仕事をこなせる優秀な人材だったとは。

 正直に言って、絵里は心の底から驚いてしまっていた。


 前支部長がクビになる前は、六花は営業や広報活動などといった外回りの仕事を、対称的に絵里は社内に閉じこもって経理の仕事をしていた。

 それ故に今までは外での仕事を終えた六花が、絵里に経費の申請書類を提出する位しか、仕事上の繋がりが全く無かった。

 だからこそ同じ職場で勤務しているというのに、六花がこんなにも優秀な人材だったとは、絵里も今まで全く気が付かなかったのだ。

 絵里が新たな支部長に就任し、六花と仕事で接する機会が増えてからというもの、絵里は六花の優秀さを身に染みて思い知らされてしまっていた。


 こんな超優秀な人材を、己の保身の為に懲戒解雇処分にしようとするなど、前支部長も随分とアホな事をしでかした物である。

 絵里は心の底から、そんな事を考えていたのだが。

 

 ぽこんぽこんぽこん。ぽこんぽこんぽこん。


 そうこうしている内に、お昼の休憩時間が来た事を示すチャイムが、JABS名古屋支部に鳴り響いた。

 う~~~~~~んと大きく背伸びをした絵里が、デスクトップパソコンの電源を落として立ち上がる。


 「じゃあ藤崎さん。お昼休みが終わったら書類の整理、お願いね。」

 「分かりました。それじゃあ彩花、行こっか。」


 彩花を優しく抱き寄せながら六花がエレベーターで向かった先は、JRセントラルタワーの地下1階にある、JABS名古屋支部に限らずタワー内のテナントで働く人なら誰でも格安で利用出来る、テナント社員限定の食堂だ。

 これは福利厚生の一環であり、食事代の半分をテナントが負担する事で、格安でも採算が取れるようになっているのだ。

 事前に自動販売機で食券を購入し、それを店員に渡して注文し、料理はセルフサービスで自分で取りに行き、食べ終わった後の食器も自分で返しに行くというシステムになっているのだが。

 六花は普段から外回りの仕事をしていて、昼食は外で済ませる事が多かったので、JABS名古屋支部に就職してから利用する機会は、実はそんなに多く無かったりする。


 「彩花。何食べたい?」 

 

 懐から財布を取り出し、1000円札を自動販売機に挿入した六花。

 割と豊富なメニューが揃っているのだが、その中で彩花が何の迷いもなく選んだのは、400円の日替わりランチだった。

 彩花が猫みたいにポチッとボタンを押すと、ガコンガコンと乾いた音を立てて、食券がポトリと取り出し口に転がり落ちる。


 「じゃあ私も同じ物にしようかしら。」


 2枚の食券を店員に渡して呼び出し用のチャイムを貰い、彩花と一緒にその辺のテーブルに座って、料理が出来上がるのを待つ六花。

 そこで両腕で自分にしがみつく彩花の肩を、優しく抱き寄せる六花だったのだが。

 

 「藤崎。お前がここを利用するなんて珍しいな。」

 

 そこへJABS名古屋支部のベテラン男性社員が、数人の部下たちを引き連れてやってきたのだった。

 

 「澄川さん、お疲れ様です。」

 「おう。この間のインハイのネット中継観たぞ。準優勝とは凄いじゃねえか。」

 「いえ、そんな…。」


 笑顔でベテラン男性社員に受け答えをする六花とは対称的に、彩花は突然自宅にやってきた客人を警戒する猫みたいに、ベテラン社員の事を黙って見据えている。

 そんな彩花の事を、ベテラン男性社員が複雑な表情で見つめていたのだった。


 「やれやれ…ここは託児所じゃねえんだけどな。」

 「も、申し訳御座いません、澄川さん…。」

 「いや、いいんだ。俺も支部長から事情は聞いてるし、誰もこの子の事を邪険になんか思っちゃいねえよ。お前は何も悪くねえから気にすんな。」

 「そう言って頂けると、本当に有難いです。」


 ベテラン社員に穏やかな笑顔で告げられて、思わずホッとする六花。

 そう、本来なら勤務先に自分の娘を連れて来るなど、社会人として言語道断だ。

 それどころか上司から、お前は何やってんだと怒鳴り散らされたとしても、決して文句は言えないだろう。

 それでも今の彩花の状態と、そもそもの原因が前支部長にある事から、JABS名古屋支部の社員たち全員が、こうして彩花の事を優しく温かく出迎えてくれているのだ。

 彩花が皆の仕事の邪魔を一切せずに、飼い主の膝の上で寝る猫みたいに大人しくしてくれているというのも、当然あるだろうが。

 そんな同僚たちの配慮に、六花は心の底から感謝していたのだった。


 「…治る見込みはありそうか?」

 「まだ何とも言えないですね。インターハイの決勝戦で、少しだけ治りそうな兆しは見えたんですが…それ以降は相変わらず、こんな調子なんです。」

 「そうか。時間が掛かりそうだな。」


 この先、彩花が一体いつまで、このままの状態が続くのだろうか。

 彩花を診察した精神科の医師は、とにかく彩花に対して精神的な負荷を極力与えない事が肝心だと、六花に対して念を押していた。

 それでもいつになったら治るのかまでは、全く見通しを立てられないとの事だった。

 何年…いいや、下手をしたら彩花は一生、立ち直れずにこのままなのかもしれないと。

 あるいは何かの拍子で突然立ち直る可能性もあるし、その実例も存在するのだから、決して希望を捨ててはいけないと、精神科の医師は六花にそう告げていたのだが。


 ピピピピピ、ピピピピピ。


 そうこうしている内に、彩花と六花の呼び出し用のチャイムが鳴り響いたようだ。

 ぐぐぐぐぐ~~~~と盛大に腹を鳴らす彩花を、六花が穏やかな笑顔で見つめている。


 「それじゃあ澄川さん、先に料理を取ってきますね。」

 「おう、行って来い。ここの料理は絶品だからよ。彩花ちゃんも楽しみにしてなよ。」

 「うふふ、じゃあ行こっか。彩花。」


 コクコクと黙って六花に頷いた彩花が六花と一緒に立ち上がり、六花の身体に両腕でしがみつく。

 そんな彩花の肩を優しく抱き寄せながら、六花は注文した料理を彩花と一緒に取りに向かったのだった。


 次回、2学期。

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