第11話:さあ、油断せずに行こう
隼人VS彩花。
幼馴染同士、そして天才同士のぶつかり合いは、果たしてどちらが勝つのか。
全国大会出場経験者の楓を圧倒した彩花に相対するのは、全国大会をぶっちぎりの強さで2連覇し、六花以来誰も成し得ていない大会3連覇を周囲から期待されている、「神童」の異名を持つ隼人。
この大注目の一戦に、周囲の観客たちのボルテージは最高潮に達していた。
一体どれ程の高いレベルの試合が繰り広げられるのか。果たして勝つのはどちらなのか。
新入生たちも在校生たちも、互いにラケットを手にして穏やかな笑顔で見つめ合う2人の姿に、凄まじいまでの大声援を送っている。
「彩花ちゃん。この試合、負けた方がジュースを1本奢るっていうのはどうかな?」
「うん。いいよ。」
そんな周囲の大声援など耳に入らないと言わんばかりに、隼人も彩花も完全に2人だけの世界に入ってしまっていたのだった。
隼人には、彩花しか見えない。
彩花には、隼人しか見えない。
「あれ?須藤先輩、左でラケットを持ってない?」
「本当だ。左利きなのかな?珍しいよね。」
ふと、観客の何人かが、隼人が左手でラケットを握っている事に気が付いた。
隼人は右利きなのだが、バドミントンでは左打ちだ。
一般的にバドミントンでは左打ちが有利だとされているが、隼人が左で打つのはそういう理由からではなく、4歳の頃にスイスで六花からバドミントンを初めて教えて貰った際、
「左で打った方が打ちやすい。」
と六花に語っていたのが始まりなのだ。
まあ野球でも右利きなのに左投げ左打ちの選手は、特に珍しくも無いのだが。
「ワンセット、ファイブポイントマッチ、ラブオール!!3年B組・須藤隼人、ツーサーブ!!」
右手を高々と上げて楓が宣言した後、隼人はふうっ、と深く深呼吸をした後、真っすぐに彩花を見据える。
「さあ、油断せずに行こう。」
そう呟いた隼人が、左打ちによる変則モーションの構えに入る。
誰にも真似出来ず、周囲から酷評されてもおかしくない、隼人独自のスタイルだ。
バドミントンに限らず、どんな競技でもそうなのだが、日本人プレイヤーは基本に忠実で、そこから大きくはみ出るようなプレーをする者はあまりいないとされている。
それでも隼人がこんな基本から大きく外れた独自の変則モーションを使うのは、「自分にとって打ちやすいフォーム」を模索し、美奈子との二人三脚で辿り着いた代物だからだ。
(もう、ハヤト君ったら、4年経っても相変わらずだね。)
そんな隼人の真剣な表情を見つめながら、彩花は穏やかな笑顔で、あの日の事を思い出していた。
隼人が対外試合で人生初となる敗北を喫した、あの日の事を。
あれは隼人と彩花がまだスイスにいた頃の、小学3年になったばかりの時だ。
あの時の隼人は通っていたバドミントンスクールにおいて、彩花と共に周囲から「天才」だと騒がれ、もてはやされていた事で、心のどこかで天狗になってしまっていた。
だが隣町のバドミントンスクールとの練習試合の際に、格下の対戦相手にまさかの敗戦を喫してしまったのだ。
その敗因は、まさしく明白。隼人の油断と慢心による物だ。
だが隼人とて人間、しかも当時は精神的に未成熟の、まだ9歳の子供だったのだ。
周囲から「天才」だとか必要以上に騒がれてしまえば、天狗になって慢心してしまうのは仕方がない事だろう。
それでも隼人は忙しいシーズンの合間を縫って、しかもわざわざ朝早くからお弁当を作ってまで応援に駆けつけてくれた美奈子と六花に対して、とても申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。
自分の油断と慢心のせいで格下の選手に負けるという、無様な事態を招く結果になってしまったのだと。美奈子と六花に恥をかかせてしまったのだと。
あの時の悔しさと、美奈子と六花に対しての申し訳無さ。
そんな自分を決して責める事無く、ぎゅっと抱き締めて優しく励ましてくれた、六花の身体の温もり。
それを隼人は中学3年になった今でも、鮮明に思い出す事が出来る。
あの日の出来事は、隼人は一生忘れる事は無いだろう。
だからこそ、あの試合の後に隼人は真剣な表情で、美奈子と六花に誓ったのだ。
今後は試合の際に、例え自分よりも遥かに格下の選手が相手だろうと、
「ラ、ラブオール!?ラブオールとは何だ!?全員を愛するという事か!?」
などと言う超初心者が相手だろうと、絶対に油断や慢心をせずに対戦相手を全身全霊でもって、徹底的に情け容赦なく全力で叩きのめすのだと。
そんな隼人に対して六花は、
「もう、隼人君ったら、変な所で真面目なんだから。」
「隼人君は、たまには負けた方がいいのかもしれないね。」
などと苦笑いしていたのだが。
いずれにしても試合前に「油断せずに行こう」と隼人が呟くのは、あの日から隼人の一種のルーティンのような物になっている。
そしてルーティンというのは本当に不思議な物で、試合の時に「油断せずに行こう」と口にした瞬間から、自分の頭の中でカチリとスイッチが入り、思考がクリアになり、試合に対しての集中力が増すような感覚を隼人は感じているのだ。
「…はあっ!!」
周囲の観客たちが固唾を飲んで見守る最中、隼人の渾身のサーブが遂に放たれた。
それを打ち返す彩花。さらにそれを打ち返す隼人。
常人には目で追い切れない、最早中学生のレベルを完全に超越してしまっている、隼人と彩花の凄まじいラリーの応酬。
「互角!?須藤君と!?」
そんな2人の試合を審判を務めながら、驚きの表情で見せつけられている楓。
あの隼人と。全国の猛者が集う全国大会でさえも誰1人として太刀打ち出来なかった、ぶっちぎりの強さで全国大会2連覇を成し遂げた隼人と。
こんなにも楽しそうな笑顔で、彩花は互角に渡り合っているのだ。
「1-0!!」
やがて隼人の渾身のスマッシュが、彩花の足元に情け容赦なく突き刺さった。
楓が1点も奪えなかった彩花から、隼人が1点をもぎ取ったのだ。
その事実に周囲の観客たちが熱狂し、隼人に対して大声援を送る。
その大声援を全身に浴びながら、穏やかな笑顔で彩花を見据える隼人。
隼人は楓のクレセントドライブのような派手な必殺技を持っている訳でも無ければ、彩花のように相手の弱点や癖を即座に見抜いたり、相手の技を即座にラーニングして自分の物にしてしまうような、独自の強みを持っている訳でも無い。
せいぜいサーブの際に彼独自の左打ちの変則モーションを使う位なのだが、それ以外は実は何の特徴も持たない選手なのだ。
そんな隼人が全国の猛者が集う全国大会を、どうして圧倒的な強さで2連覇する事が出来たのか。
それは隼人が「何の特徴も無い」が故に「安定した強さを発揮する」から。
つまりは楓のような必殺技や、彩花のような特殊能力に頼らずとも戦える、基本能力の高さ「だけ」で勝負するプレイヤーなのである。
RPGで例えるなら、魔法やスキルを一切習得しないが基本ステータスがずば抜けて高く、「たたかう」コマンドが滅茶苦茶強い…つまりは「レベルを上げて物理で殴ればいい」を地で行くキャラクターとも言うべきか。
そして「安定した強さを発揮する」という事は、逆に言うと隼人には「目立った弱点が存在しない」という事も意味するのだ。
「2-1!!」
そう、ただのサーブが凄まじい威力を発揮するし、ただのスマッシュが凄まじい速度で襲い掛かるし、ただのロブが凄まじい精度でラインギリギリを攻め立てるし、ただのドロップが凄まじい精度でネットギリギリを攻め立てるのだ。
パワーも、スピードも、テクニックも、スタミナも、戦術眼も、判断力も、その全てが完全に中学レベルを超えてしまっている。
逆に言うと、それこそが隼人独自の「強み」なのだと言えるのかもしれない。
「3-2!!」
そしてそんな隼人と互角に打ち合う彩花の姿にも、観客たちは完全に目を奪われてしまっていた。
何という可憐で可愛らしく、それでいて勇ましいプレーをするのか。
なんか変なファンが出来てしまったのか、一部の女子たちが顔を赤らめながら、彩花に対してキャーキャー言いながら大声援を送ってしまっている…。
「4-4!!」
終始互角の打ち合いが続く中、互いにマッチポイントを迎えた隼人と彩花。
バドミントンは、楽しく真剣に。
スイスに居た頃から六花が隼人と彩花に度々言っていた事なのだが、しかし隼人も彩花も何て楽しそうな表情をしているのか。
間違いなく今の2人は心の底からバドミントンを楽しんでいて、そして目の前の強敵に絶対に勝ってやろうという気概を持って、真剣にプレーをしているのだ。
(彩花ちゃん…!!)
(ハヤト君…!!)
((…強くなった!!))
互いの成長を喜び合い、心からの笑顔を見せ合う2人。
隼人の渾身のサーブが彩花に向けて放たれ、それを彩花が楓からラーニングしたクレセントドライブで打ち返す。
だがそれを隼人はいとも簡単に攻略し、彩花に向けて打ち返す。
クレセントドライブは、ただ正面から打つだけでは、隼人には最早通用しない。
何故なら隼人はこれまでの部活動において、楓からオリジナルを何百発も受け続けているのだから。
「ならハヤト君、これはどうかな!?」
前回の話でも述べたが、これも六花が隼人と彩花に与えた助言だ。
ただ技を放つだけではなく、技を決めるまでの道筋を考えながら打ちなさい、と。
彩花は再びクレセントドライブを隼人に向けて繰り出したのだが、それを隼人がいとも簡単に弾道を予測し、あっという間に打球の正面に移動して打ち返す動作に入る。
だが隼人がクレセントドライブを打ち返した、次の瞬間。
「なっ…!?」
隼人なら必ず打ち返すと心から信じていた彩花が、まるで最初からシャトルがそこに飛ぶと分かっていたかのように、既に飛翔してスマッシュの体勢に入っていたのだ。
鋭いドライブ回転が掛かっているシャトルを、左打ちの隼人が回転を殺しながら、彩花のコートに向けて打ち返す。
この条件を元に彩花はシャトルが飛ぶコースを瞬時に計算し、分析し、見事に予測を的中させてみせたのだ。
そう、クレセントドライブは、ただの布石に過ぎない。
彩花の本当の狙いは…。
「今度はお母さんのシャドウブリンガーだよっ!!」
彩花のラケットから漆黒の『閃光』が放たれた瞬間、凄まじい威力と速度の漆黒のスマッシュが、情け容赦なく隼人の足元に襲い掛かる。
「させるかああああああああああああああっ!!」
それでも隼人は体勢を崩しながらも、シャトルがコートに落ちるギリギリの所で、放たれた漆黒のスマッシュを彩花のコートに向けて打ち返した。
「ちょお、嘘でしょ!?」
六花から受け継いだ必殺の一撃を返して見せた隼人に、驚きを隠せない彩花。
着地した彩花は慌ててラインギリギリに飛んで行ったシャトルを追いかけるものの、彩花のラケットは僅かにシャトルに届かない。
そしてシャトルは乾いた音を立てて、ラインギリギリの所に落ち…。
「…アウトッ!!」
審判を務める楓が、隼人の負けを宣告したのだった。
「ゲームセット!!ウォンバイ3年B組・藤崎彩花!!ワンゲーム!!4-5!!」
その瞬間、観客からの凄まじい大歓声が、隼人と彩花を包み込んだのだった。
何という凄まじい、そして何という熱い試合だったのか。
観客の誰もが2人の試合に心の底から感動し、いい試合を見せて貰ったと称賛の声を送っているのだ。
「あああ畜生、僕の負けかぁ。」
「そうだね。だけどハヤト君凄いよ。4年前より遥かに強くなってる。」
「彩花ちゃんも、随分と六花さんに鍛えられたみたいだね。」
「うん。お母さんがいつも私の練習に付き合ってくれてるから。」
互いに穏やかな笑顔で握手をする、隼人と彩花。
ここまで凄まじい試合を見せつけたのであれば、新入生に対するバドミントン部の勧誘の為のパフォーマンスとしては、上出来過ぎるだろう。
最も隼人も彩花も試合に夢中になり過ぎて、途中からそういう事は綺麗さっぱり、頭の中から抜け落ちてしまっていたようなのだが…。
「いや、て言うかシャドウブリンガーは反則だろ。いつ教わったんだよ。」
「お母さんが現役を引退してからだよ。今の私になら託せるからって。」
「そっか。でも六花さんのオリジナルには、まだまだ及ばないけどな。僕、実際に六花さんから食らった事があるし。」
「む~。いつか絶対お母さんみたいに、ハヤト君をぎゃふんって言わせてみせるんだから~。」
笑い合う隼人と彩花だったのだが、楓は自分が審判を務めた凄まじい試合を目の前で見せつけられて、呆然とした表情をしてしまっていた。
まさかあの隼人と、互角に打ち合う事の出来る選手が存在するとは。
間違いなく隼人も彩花も、中学生のレベルを完全に超越してしまっている。
それどころか、下手な大学生が相手なら勝てるレベルなのではないだろうか。
「じゃあ約束通り、今日の帰りに彩花ちゃんにジュースを1本奢るよ。」
「うんっ!!」
隼人に嬉しそうに返事をした彩花は、とても輝いた笑顔をしていたのだった。
次回はジュース1本奢りだ。




