第106話-A:部活動の主役は生徒たちです
練習試合を組んだだけなのに…。
時間を1日だけ巻き戻す。
六花が本格的に静香たちの指導をする事になる前日の、2024年7月23日の火曜日。
その夕方に聖ルミナス女学園の職員室で開始された職員会議は、出席した六花の発言によって大騒ぎになる事態になってしまったのだった。
「何を馬鹿な事を言っているのかね藤崎六花君!!練習試合の相手が、よりにもよって三津菱マテリアル名古屋だとぉっ!?」
教頭が怒りの形相で興奮して顔を赤くしながら、バァン!!と机を派手に両手でぶっ叩いた。
その派手な音と教頭の怒鳴り声に、同席した彩花が突然上空からカラスに奇襲された猫みたいに震えながら、無言で六花の身体にしがみついてしまっている。
そんな彩花の肩を優しく抱き寄せながら、それでも六花は臆する事無く、何の迷いもない力強い瞳で、自分に対して怒鳴り散らした教頭を真っ直ぐに見据えたのだった。
「教頭先生。藤崎彩花さんは今、こんな状態なのよ?少しは彼女に配慮してあげたらどうなの?」
警察に逮捕された前学園長の後任として、新たな学園長を務める事になったオバサンが、彩花を怯えさせた教頭に対して、とても真剣な表情で苦言を呈したのだが。
「今はそんな悠長な事を言っていられる場合ではありませんぞ学園長!!この女のせいで我が校のバドミントン部が今、どれ程の危機的状況に陥っているとお思いか!?」
それでも教頭は全く聞く耳持たず、またしても怒りの形相で怒鳴り声を情け容赦無くまくし立てたのだった。
聖ルミナス女学園バドミントン部は、ダブルスの部門でのインターハイ出場が決まっている。
その前哨戦と、今年のインターハイ終了をもってバドミントン部を引退する3年生たちに対して、最後の思い出作りをさせる意味合いを込めて、六花は地元の社会人のクラブチームである、三津菱マテリアル名古屋との練習試合を組んだのだが。
教頭が問題視しているのは、その三津菱マテリアル名古屋が『日本最強のクラブチーム』と呼ばれている程の強豪だという事なのだ。
『王者』聖ルミナス女学園バドミントン部。全国各地から有力選手をスカウトした、まさにオールスター軍団。
それ故に関係各所やOBたちから向けられる厳しい視線は、他校の比では無い。
練習試合でも公式試合でも、部員たちが無様な試合を見せよう物なら、情け容赦無く厳しい怒声を浴びせられてしまうのだ。
それも、ただ勝つだけでは、関係各所やOBたちは決して許してくれない。
聖ルミナス女学園が試合に勝つなんてのは当たり前。圧倒的な強さで対戦相手を徹底的に叩きのめす事を厳しく要求してくるのだ。
だからこそ、社会人ナンバーワンチームである三津菱マテリアル名古屋を相手に、練習試合を組むなどという愚行を犯した六花に対して、教頭は激怒しているのである。
三津菱マテリアル名古屋には日本最強プレイヤーと称される、『雷神』の異名を持つ雷堂迅を筆頭とした、日本トップクラスの実力を持つ選手たちが数多く在籍している。
迅は開会式が既に今月末に迫っている、パリオリンピックの日本代表に選抜されながらも、日程が妻の出産と被ってしまっているという理由から、代表入りを辞退したのだが。
それでも彼の実力は紛れもなく本物であり、低迷が続く日本代表の救世主に成り得るとまで言われている程の逸材なのだ。
そんな日本最強軍団の三津菱マテリアル名古屋を相手に、聖ルミナス女学園が練習試合を行おうものなら…。
「惨敗…!!いいや!!大敗を喫してしまう恐れさえもありますぞ!!」
危機感を顕わにしながら、教頭はオバサンにまくし立てたのだが。
「そうなれば我が校は関係各所やOBの皆様方から、どのようなお叱りを受ける事になるのか!!先日の県予選でもOBの皆様方から、我々は厳しいお言葉を頂いたばかりなのですぞ!?」
「私は今回の練習試合で朝比奈さんたちが勝とうが負けようが、別にどうでもいいと思っていますよ。」
「な、何だとぉっ!?」
まさかの六花の爆弾発言に、教頭は思わず仰天してしまったのだった。
勝とうが負けようが別にどうでもいいとは、一体この女は何を馬鹿な事を言っているのかと。先程の自分の話を聞いていなかったのかと。
だが六花は周囲の評判を気にするあまりに目先の勝利に拘る教頭と違い、今回の練習試合を終えた後の、静香たちの『さらにその先』を見据えているのだ。
「先程も言いましたが、私が三津菱マテリアル名古屋と練習試合を組んだ目的は2つ。インターハイに向けての前哨戦と、そのインターハイ終了をもって部活動を引退する3年生たちに、最後の思い出作りをさせる為です。」
教頭に対して怯える彩花の肩を優しく抱き寄せながら、何の迷いも無い力強い瞳で、六花は顔を赤くして興奮している教頭を真っ直ぐに見据えている。
そう、六花は静香たちに対して、三津菱マテリアル名古屋を相手に勝つ事など、最初から求めてなどいない。
それこそ静香たちが勝とうが負けようが、本当にどうでもいいと…そう心の底から思っているのだ。
それは引退する3年生に対しての最後の思い出作りとして、最高の対戦相手との試合を提供してあげたい、その思い出作りの試合に対して結果を厳しく求めるのは野暮だというのが主な理由なのだが、それだけではない。
六花が見たいのは、三津菱マテリアル名古屋という強敵との試合を通じて、静香たちが『何を得るのか、何を学ぶのか』なのだ。
確かに教頭が言うように、惨敗を喫してしまう部員たちもいるかもしれない。
と言うか、実はそれさえも六花の想定の範囲内ですらあるのだ。
何しろ相手は名実共に社会人ナンバーワンだ。いかに『王者』聖ルミナス女学園といえども、簡単に勝たせてくれるような相手では決して無いだろう。
だがその惨敗という結果さえも、静香たちの今後の人生において、掛け替えのない経験と糧になるはずなのだ。
静香たちが勝つにしても負けるにしても、その試合を通じて静香たちが成長を見せてくれれば、それで構わない。
何よりも勝つ事を厳しく要求されるプロの選手たちと違い、静香たちはアマチュアの学生の選手なのであり、勝ち負けよりも大切な事があるはずなのだから。
あくまでも部活動とは生徒たちの『教育』の一貫であり、試合の結果はその過程に過ぎないと…そう六花は思っているのだ。
それを六花は教頭に対して、分かりやすく説明したのだが…。
「あかん!!あかんぞ!!今回の三津菱マテリアル名古屋との練習試合は、断固認めるわけにはいかん!!」
だがそんな六花の静香たちへの想いを、教頭は全く理解してくれなかった。
「勝つ事!!我々は関係各所やOBの皆様方から、それを厳しく求められているのだぞ!?」
そう、それが教頭が三津菱マテリアル名古屋との練習試合を、頑なに拒む最大の理由なのだ。
これがその辺の弱小チームが相手だったならば、教頭も六花に対して特に何も言わなかっただろう。
だが相手は社会人最強…いかに静香たちといえども大敗を喫する恐れがある程の強敵なのだ。
ただでさえ先日の県予選の結果に満足出来なかったOBたちが、教頭たちに対して鬼の形相で怒鳴り散らしてきたというのに、その上でまた静香たちが無様な試合をしようものなら…。
「引退する3年生の最後の思い出作りならば、何も三津菱マテリアル名古屋を対戦相手に選ぶ必要は無いだろう!?その辺の弱小チームと戦わせれば済む話ではないか!!」
その危機感を顕わにしながら、教頭が鬼の形相で六花を怒鳴り散らしたのだが。
「教頭先生。部活動の主役は生徒たちです。関係各所やOBたちでは無いのですよ。」
「な、何だとぉっ!?」
呆れたような表情でため息をつきながら、六花は教頭に対して苦言を呈したのだった。
勝つ事を厳しく要求されるだの、関係各所やOBの皆様方が許してくれないだの、そんな物は所詮は周囲の大人たちの身勝手なエゴではないか。
部活動における主役は、あくまでも静香たち部員なのだ。
周りの大人たちは…それこそ監督の六花でさえも、所詮は主役である静香たちを輝かせる為の脇役に過ぎないというのに。
それなのに脇役が主役より目立って、一体どうするというのか。
「所詮は古賀監督の代行でしかない君には分からんのだ!!我々聖ルミナス女学園バドミントン部が、どれ程の伝統を…!!」
「教頭先生。ちょっといいかしら?」
そんな六花に対して、オバサンが学園長として助け舟を出したのだった。
「私は藤崎さんにバドミントン部の監督を任せる事にした際、藤崎さんにこう伝えたわ。バドミントン部に関する全ての事項に関しては、その全ての権限を貴女に与えます…とね。」
何の迷いも無い力強い瞳で、真っ直ぐに教頭を見据えるオバサン。
「だから私はその権限を藤崎さんに与えた者としての責任として、三津菱マテリアル名古屋との練習試合を承諾します。」
「学園長!!何を馬鹿な事をぉっ!!」
「それと今回の三津菱マテリアル名古屋との練習試合は、完全非公開で行う物とします。」
「はああああああああああああああ!?」
まさかの予想外のオバサンからの通告に、教頭は思わず仰天してしまったのだった。
完全非公開って、一体全体どうしてそんな事を言い出すのか。
だがオバサンは教頭と違い、しっかりと理解しているのだ。
今回の練習試合を組んだ六花の真意を。六花の想いを。
「今回の練習試合は、引退する3年生に対しての最後の思い出作りが目的の1つなのでしょう?だったら周りの大人たちの余計な横槍を入れさせるなど、野暮という物よ。」
そう、引退する3年生たちにとって大切な、一生の思い出に残る事になるであろう、日本最強チームである三津菱マテリアル名古屋との練習試合。
その3年生にとっての大切な、バドミントン部の部員としての最後の思い出作りをさせるのに、マスコミや関係各所、OBたち大人たちの横槍など許すべきではないと…そうオバサンは教頭に告げているのである。
六花が言うように、部活動の主役は大人たちではない。子供たちなのだから。
その子供たちを最高の舞台で輝かせる事こそが、自分たち教育機関に所属する大人たちの仕事なのだから。
「しかし学園長!!完全非公開となると、関係各所やOBの皆様方から、一体どのような苦言を呈される事になるのか!!」
「構いません。何があろうとも全ての責任は私が取ります。言い出しっぺは私ですからね。」
「学園長ぉっ!!どうかご再考をぉっ!!こんな事を許してしまっては、関係各所やOBの皆様方が決して黙ってはいませんぞぉっ!?」
顔を赤くしながらオバサンに反論する教頭を、彩花が相変わらず六花の身体にしがみつきながら、怯えた表情で見つめている。
そんな彩花の肩を、穏やかな笑顔で優しく抱き寄せる六花。
『王者』聖ルミナス女学園バドミントン部。だが皮肉にも『王者』であるが故に、こうして大人たちの身勝手なエゴに振り回されてしまっているのだ。
たかが練習試合を組んだだけで、どうしてこんな騒ぎになってしまうのか。それを目の前で見せつけられた六花は思わず呆れてしまっていたのだった。
学園長が六花の思想に理解を示してくれたお陰で、学園長の権限によって三津菱マテリアル名古屋との練習試合を、無事に成立させる事が出来たのだが。
この様子だと練習試合当日は、さらにとんでもない騒ぎになりそうだ。
だがそれでも六花は監督として生徒たちを守り、無事に練習試合を成立させてやらなければならない。
教頭がオバサンに対して怒鳴り散らす惨状に、六花はその決意を新たにしていたのだった。
様々な思惑が交錯する中、聖ルミナス女学園と三津菱マテリアル名古屋による練習試合が、いよいよ始まろうとしていたのだった…。
次回、三津菱マテリアル名古屋、聖ルミナス女学園に来訪です。