第10話:天狗になってない?
新入生に対しての部活の勧誘の一環として、試合をする事になった彩花と楓。
全国大会出場経験者の楓に対して、彩花はどのようなプレーを見せるのか。
今日は午前中の始業式とホームルームだけで授業は終わりであり、午後からは生徒たちの自由時間となっている。
それ故にさっさと帰宅する生徒たちも多く存在するのだが、この自由時間を存分に活用した、新入生たちに対する部活動への勧誘もまた、毎年の平野中学校の恒例行事となっているのだ。
やはり日本において圧倒的な人気を誇る競技である野球部やサッカー部が、新入生の注目を集めているようで、毎年の事だが多くの新入生たちが見学に殺到する騒ぎになってしまっている。
それに比べてバドミントン部は、日本では比較的マイナーな競技という事もあって、去年までは集客に結構苦戦していたのだが…今年は違った。
「おい、聞いたか!?あのスイスからの転校生の藤崎六花さんの娘さんと、去年の全国大会に出場した部長さんが、体育館でバドミントンの試合をするらしいぞ!?」
「マジかよ!?新入生の俺たちに対するパフォーマンスか何かか!?」
「俺、バドミントンとかよく分からないんだけど、見に行ってみようかな。」
伝説のバドミントンプレイヤー・藤崎六花が日本に帰国し、JABS名古屋支部に入社。
そのニュースのお陰で今の日本国内において、バドミントンに興味を持った者たち、バドミントンをやってみようかとラケットとシャトルを購入する者たちが、少しずつだが徐々に増えつつあるのだ。
それだけスイスで滅茶苦茶な実績を残した六花の存在が、この日本においても大きな物になっているという事なのだろう。
六花をイメージキャラクターにして外回りの営業をさせて、バドミントンの普及活動をさせるというJABSの経営戦略は、現状では上手くいっていると言える。
体育館には野球部やサッカー部程ではないものの、それでも注目の一戦という事で、新入生たちだけではなく在校生たちも数多く集まってきている。
去年の勧誘活動の時は割とガラガラだったので、これも六花の…というか六花の娘である彩花の影響力による物なのかと、隼人は内心驚いていた。
互いにジャージ姿でラケットを手にし、ネットを挟んで向かい合う彩花と楓。
「ワンセットマッチ、5点先取でいいかな?」
「ええ、構わないわよ。藤崎さん。」
穏やかな笑顔で握手を求めた彩花に対し、とても厳しい表情で握手を返す楓。
そんな対称的な2人の様子を、周囲の生徒たちが固唾を飲んで見守っていたのだった。
「よし、じゃあ審判は僕がやるよ。」
「うん。ジャッジは公正にね。ハヤト君。」
同じくジャージに着替えた隼人がシャトルを楓に手渡し、高台に乗り右手を高々と挙げて宣言する。
「ワンセット、ファイブポイントマッチ、ラブオール!!3年B組・里崎楓、ツーサーブ!!」
多くの生徒たちに見守られながら、楓はネットの向こう側で穏やかな笑顔を浮かべている彩花を、とても厳しい表情で睨み付けている。
その余裕ぶっこいた態度を、今ここで絶望に変えてやる…その決意を胸に秘め、楓は必殺のサーブを彩花に放ったのだった。
楓が修練に修練を重ねて、血の滲むような努力を重ねて編み出した、まさしく楓にとっての必殺技だと言える技を。
「食らいなさい!!これが私のクレセントドライブよ!!」
楓のサーブによって彩花に向けて放たれた、強烈な回転が掛けられたシャトル。
その瞬間、彩花の目の前で、まるで三日月を描くかのようにシャトルが急激に変化した。
並のプレイヤーなら突然目の前でシャトルがこんな曲がり方をされたのでは、まともに反応する事すら出来ないだろう。
これこそが楓の代名詞とも言うべき必殺技。まさに楓にとっての信念と誇りの象徴。
この技で楓は去年の県大会において数多くの対戦相手を打ち破り、全国大会にも出場してみせたのだが。
(あ、里崎さん、今シャトルに回転を掛けたね。)
彩花は楓がサーブを撃った瞬間から、既に放たれたシャトルの目の前に移動していたのである。
まるで楓が放ったシャトルが急激な変化を起こすと…それどころかシャトルの正確な弾道すら、楓がサーブを撃った瞬間から分かっていたかのように。
「…はっ!!」
彩花はクレセントドライブを容易く攻略し、いとも簡単にシャトルを楓のコートに弾き返してしまう。
「なっ…!?」
予想外の出来事に慌てた楓は、辛うじてシャトルを拾って彩花のコートに弾き返す。
だが彩花はそれを見越していたかのように高々と飛翔し、カウンターで強烈なスマッシュを放ったのだった。
「0-1!!」
隼人のコールと共に、感嘆の声を上げる生徒たち。
楓のクレセントドライブも凄かったが、それを簡単に攻略してみせた彩花の凛々しくも可憐な姿にも、生徒たちはすっかり心を奪われてしまったのだ。
だが楓は動揺を隠せなかった。とても悔しそうに歯軋りしながら、目の前の彩花を睨みつけている。
「馬鹿な…!?私のクレセントドライブを、こんなにも簡単に…!?」
「里崎さん。君のクレセントドライブとかいう技…これってサーブの時にシャトルにドライブ回転を掛けて、弾道を曲げたんだよね?」
「んなっ…!?」
「それ自体は確かに凄いよ。スイスでもここまでやってのける人はそんなに多くない。里崎さんが血の滲むような努力をして身に着けた技だって事は、私にも凄く伝わってくるよ。だけど…。」
彩花が言うように、シャトルに回転を掛ける事で弾道を変化させる技術は、確かにバドミントンにおける高等技術だ。
日本とは比べ物にならない程の高い競技レベルを誇る、バドミントンの本場・スイスにおいても、楓のように完全に自分の技として昇華させている者は、プロならともかくアマチュアのレベルにおいては、実はそんなに多くはないのだ。
そういう意味では楓は、確かに日本の中学におけるトップレベルの実力の持ち主で間違いは無いようだ。現に全国にも出場した経験があるのだから。
それに関して「だけ」は、彩花も素直に楓を評価していたのだが…。
「里崎さん。君はこのクレセントドライブを誰に教わったのかな?」
「独学よ!!貴女のお母さんのプレーの動画を研究したの!!何か文句あるのかしら!?」
「だろうね。顧問の先生がバドミントンの初心者だって事が、私にも充分に伝わってくるよ。」
「はあ!?」
「顧問の先生は里崎さんに対して、今までまともな指導が出来てなかったんじゃないかな?むしろ皆の普段の練習メニューとか考えてるの、実は里崎さんなんじゃない?」
あまりにもドンピシャな彩花の指摘に、全く反論出来ない楓。
そう、彩花の言う通り平野中学校のバドミントン部は、肝心の顧問の教師がバドミントンに関しては全くの初心者で、ルールさえもまともに理解していないせいで、普段の部員たちへの練習の指導に関しては、ほとんど部長の楓に丸投げしてしまっている。
それ故に顧問の教師は、楓のクレセントドライブを最大限に「活かす」為の戦術の指導を、まともに楓に対して行えていないのだ。
彩花は楓のワンプレーだけで、即座にそれを見抜いてしまったのである。
確かに学校の部活動において、その競技の経験が全く無い素人の教師が、他に適任者がいないので仕方が無く顧問を務める事自体は、実はそんなに珍しい事では無い。
ましてバドミントンは日本では、比較的マイナーな競技だとされているのだから。
だからこそ外部の経験者をコーチや監督として雇用し、指導を一任するような学校も多く存在するのだが。
「何で!?何でそんな事まで分かるのよ!?貴女は!!」
「こればかりは里崎さんは何も悪く無い。むしろ被害者だとすら言えるね。本当に運が悪かったとしか言いようがないよ。」
彩花にとっての六花や、隼人にとっての美奈子のように、楓の才能を存分に伸ばしてくれる優れた指導者が、楓にもいてくれたなら。
それが彩花には何よりも残念で、同時に楓に対して同情すらしていた。
優れた指導者が楓に寄り添ってくれていたならば、楓は今よりもずっと強くなっていただろうに。
「くっ…ふざけるなぁっ!!」
それでも楓は動揺を隠せないながらもサーブを放ち、再びクレセントドライブを彩花にお見舞いしたのだった。
「私のクレセントドライブは2枚刃よ!!」
「あ、これはさっきの逆回転だね。」
「なあっ!?」
今度は先程とは逆方向にシャトルが曲がったのだが、それを瞬時に見抜いた彩花が、またしても容易くクレセントドライブを攻略し、シャトルを情け容赦なく楓のコートに打ち返してしまう。
「このおっ!!」
それでも楓は諦めずにシャトルを拾い、彩花と壮絶なラリーの打ち合いを繰り広げたのだが、彩花に対して完全に押されてしまっていた。
そして楓が体勢を崩した所へ、彩花の渾身のスマッシュが楓に向けて放たれたのだが、楓がそれをラケットで拾おうとした瞬間、シャトルが三日月を描くかのように突然大きく曲がり落ちてしまい、楓のラケットが派手に空振り三振してしまう。
「0-2!!」
「馬鹿な…!!私のクレセントドライブを真似された!?」
そう…楓が血の滲むような修練の果てにようやく身に着けたクレセントドライブを、彩花はいとも容易く真似してしまったのだ。
しかも彩花は、ただ真似ただけではない。
野球で言う所のスライダーのように、横方向にすべるように大きく曲がり落ちるアレンジまで加えてみせたのだ。
それに彩花は、単にクレセントドライブを何も考えずに繰り出した訳では無い。
ラリーの際にシャトルを左右に散らして楓の意識と体勢を崩した所へ、狙いすましたかのように放ったのだ。
「技を決める為には、ただ闇雲に技を出すのではなく、決めるまでの過程を考える事こそが一番大事。」
「なっ…!?」
「決める為の隙を作ってしまえば、相手は分かっていても防げない。だからそこに至るまでの道筋を考えながら打ちなさい。お母さんからの受け売りなんだけど…ねっ!!」
楓からシャトルを受け取った彩花が、そんな事を言いながら渾身のサーブを楓に放つ。
そして放たれたシャトルがまたしても、楓の目の間で急激に曲がり落ちた。
「0-3!!」
今度はフォークのように、縦方向に曲がり落ちる変化を。
「0-4!!」
そして今度はシュートのように、楓の胸元を抉るような鋭い切れ味の変化を。
変幻自在にシャトルを曲げ、次々と楓を翻弄する彩花。
全国大会に出場した経験のある楓を、彩花は完全に手玉に取ってしまっていた。
そんな彩花のプレーを、隼人が審判を務めながら感心した表情で見つめている。
彩花は昔から相手の弱点や癖を見抜いたり、相手の技を分析して即座にラーニングして、あっという間に自分の技にしてしまう事が得意だったのだが。
六花の指導が余程良かったのだろう。この4年もの間に彩花の強さは、さらに凄みを増しているように見える。
「ゲームセット!!ウォンバイ、3年B組・藤崎彩花!!ワンゲーム!!0-5!!」
そして隼人のコールと同時に、観戦していた生徒たちから、凄まじいまでの大歓声が彩花に浴びせられたのだった。
5点先取制とはいえ、彩花に完封されてしまった…ショックを受けた楓は膝をつき、その場に崩れ落ちてしまう。
「そんな…馬鹿な…っ!?」
「私、思うんだけどさ…君、クレセントドライブの威力と難易度の高さに酔ってるんじゃない?全国に出たからって天狗になってない?」
「んなっ…!?」
「それとクレセントドライブだけに頼るばかりじゃなくて、クレセントドライブを活かす為の立ち回りを、もう少し意識した方がいいと思うな。」
それだけ楓にアドバイスした彩花が爽やかな笑顔で、周囲の観客たちからの大声援に右手を振って答える。
そんな彩花の姿に隼人は、心の底から感銘を受けたのだった。
間違いなく彩花は、離れ離れになった4年前よりも遥かに強くなっている。
バドミントンの本場・スイス。その競技人口も競技レベルも日本の比ではない。
そのスイスの高いレベルの環境下の中で、彩花は隼人がいなくなってからの4年間も、ずっと切磋琢磨しながらプレーしてきたのだ。
しかも彩花には、六花という最強の指導者が傍にいてくれたのだ。
指導者に恵まれなかった楓を子供扱いしてしまう程までに強くなるのは、当然の事だと言えるだろう。
(この子、もしかして須藤君より強いんじゃないの…!?)
「どっこらせっと。」
そんな楓の心の声などいざ知らず、高台から降りた隼人は右手にシャトルを、左手にラケットを持ち、とても穏やかな笑顔で彩花を見据える。
目の前で彩花の圧倒的な強さを見せつけられた隼人は、全身の血が騒いでいるのをひしひしと感じていた。
そう…隼人は今の自分の力が、成長した彩花にどれだけ通用するのかを、俄然試してみたくなったのだ。
「彩花ちゃん。今度は僕とも打ってくれないかな?」
確かに彩花には、六花という最強の指導者が傍にいてくれているのだろうが。
隼人にもまた、美奈子という最強の指導者が傍にいてくれているのだ。
この4年間、隼人とて決して遊んでいた訳では無い。
学校の部活動での猛練習で楓に散々しごかれただけでなく、休日には美奈子からの的確な指導も受けており、その優れた素質をめきめきと開花させて来たのだから。
「勿論だよハヤト君。私も君と打ってみたい。今の君の実力を私に見せてよ。」
とても穏やかな笑顔で、隼人を見据える彩花。
4年振りとなる、心から楽しみにしていた隼人との打ち合い。彩花の心が胸躍る。
「里崎さん。審判、お願い出来るかな?」
「え、ええ、須藤君、別に構わないけど…。」
「よし、じゃあ試合開始だ。」
今度は全国大会2連覇を成し遂げた隼人と、先程の試合で楓を圧倒した彩花との試合。
まさかの立て続けの注目の一戦に、周囲の観客たちのボルテージが最高潮に達し、凄まじいまでの声援が隼人と彩花に贈られたのだった。
次回、隼人VS彩花。
油断せずに行こう。




