新・私のエッセイ~ 第52弾 ~ 『平家落人伝説』と『ちょんまげの館』の思い出 ~ 亡きふたりの風流人の御霊に捧ぐ
・・・少々、薄気味悪い話である。
ぼくはいま、亡くなったふたりの風流な男たちに対し、彼らの冥福を祈るべく、合掌している。
ぼくがその地を最初に訪れたのは、
1996年秋。
ぼくが『農林水産省 宇都宮食糧事務所 大田原支所』という、農水省の出先機関に在籍していた時分のことである。
・・・この『1996年』という年は、悪夢のようだった公務員生活の7年間の中で、唯一、
「まともな一年」だった。
竹村という、世にも奇妙奇天烈で捻じ曲がった最初の上司・・・ロクデナシ係長や、高橋という、色が浅黒く、笑顔一つ見せなかった厳格な上司とはまったくちがった・・・
優しい上司『古澤係長』。
ぼくは、いまだにこの人を尊敬し・・・
まだ若くてやんちゃで未熟だったぼくを優しく指導して面倒をみていただいた恩義を、
辞めたいまも、24年以上経過しても忘れることが無い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・その人格者の古澤さん、川井さん、藤田さん、そしてぼくの4人は、当時、
『業務2課』という部署のメンバーだった。
あの日、古澤係長は、
ぼくたち、部下の3人を連れて、勤務を外れた場所に連れて行ってくれた。
それが、いまの日光市湯西川にある、
『平家落人の里』だった。
ここでぼくたちは、
あとで詳しく紹介するが・・・
源氏に敗れて、山奥のこの地に逃れてきた、落ち武者の末裔が築いたとされる集落を再現した観光地に案内してもらったのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
最初に立ち寄ったのは、
『平家の里』という名の、落人たちの当時の暮らしぶりなどを再現した観光名所。
平日ということもあり、あまり観光客はいなかった。
その後ぼくたちは、川べりにくだって、ある物産店・・・つまり、土産物屋の前に。
・・・静かな場所だった。
ぼくたちの官用車は、
その土産物店の脇にある、1本の桜の樹の立っている、狭い草地に駐車した。
が・・・
目の前が崖になっているし、危険だという理由で、下の広い駐車場に移動した。
そこからしばらく川沿いを徒歩で歩くと・・・
ある1軒の、みすぼらしい建屋が見えてきた。
『ちょんまげの館』
・・・と書いてある。
車を降りてここに着く前に、古澤係長から簡単な説明があり、
「この先になぁ、ちょっと変わった飲食店があってな。店のあるじのヘアスタイルが、なんと、いまどき『ちょんまげ』なのサ。それでな、そこで食わせる料理というのが・・・」
話が終わるか終わらないうちに、
ぼくたちご一行様は、その『ちょんまげの館』に到着。
こじんまりとした外観とは裏腹に、中に入ると、意外に広く感じられた。
「・・・いらっしゃい。ご4名様で?」
出迎えてくれたのは、
「ちょんまげ」を結った、初老のおやじだった。
ただし、
「ちょんまげ」といっても、昔の江戸時代の町人のような、あんな厳密なものではなかった。
薄くなった髪を、「ちょんまげ風」に、てっぺんでちょっと束ねただけ・・・といった印象。
当時でもう・・・還暦は越えておられただろう。
体格のがっしりとした、ちょっと赤ら顔のおじさんだった。
そこでぼくたちは・・・
ある「ゲテモノ」を食することになる。
『サンショウウオ』の姿焼き。
店の中央にある囲炉裏で、竹の串刺しにしたサンショウウオを遠火であぶって丸焼きにし、ニボシみたいに、そのまんま頭からかじって食うのである。
見た目、まるで「イモリ」や「トカゲ」のような印象の、その実に怪しい食材。
ためしに鼻に持っていくと・・・なんともいえない複雑なニオイがする。
生臭くはないが・・・かなり不快なニオイ。
せっかくの機会なので、目をつぶって思いきってかじってみた。
・・・なんともいえない苦い味と、独特のクサミ。
申し訳ないが、とてもまともに食べられたものではない。
口に入れた分を吐きだすのはあまりにも失礼かと思い、なんとか飲み込んだが・・・
もう、それでたくさんであった。
二口目は、いくらカネを積まれても、もうゴメンであった。
古澤係長だけは、うまそうにムシャムシャ食べ・・・
なんと「おかわり」まで要求する始末。
ぼくら3人の部下は・・・
『話のタネ』としてとどめおくことにし、
いずれも二口目は、ご遠慮こうむった。
その館では、土産物として、
子供用の風車や、ちゃんまげおやじが描いた絵なども売られていた。
とにかくインパクトがある思い出だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・それから27年。
2023年4月に、
ぼくは「警備員」として、ふたたびこの地に足を運んだ。
橋の補修工事に伴う、「通行止め警備」の仕事だった。
なつかしい風景だった。
(・・・ああ、よく覚えているぞ。たしか、この物産店の横に、いったん駐車したんだっけ。この樹も、当時のままだな。)
(この上り坂もあった。でも、昔は舗装してなくて、砂利道だった。)
そこでぼくは思った。
(・・・そういえば、あの『ちょんまげの館』はどこだろう? たしか、このあたりだったような気がするんだけど・・・)
だが、
いくら探しても、その館は見当たらない。
例の物産店は、かなり前に経営をやめたとみえて、店は朽ちていた。
(・・・かわりに、当時はなかった新しい民宿が建ってる。『湯の宿 清盛』かぁ・・・。あ、誰か出てきたな。あの人に訊いてみよう。)
店の関係者らしき、中年女性に尋ねると・・・
こんな返事が返ってきた。
「はい。『ちょんまげの館』なら、たしかに昔、ありましたよ。」
「ええっ? どこにあったんですか・・・?」
「そこ。・・・警備員さんのすぐうしろ。そこの三角地。」
「は・・・? この、ちょっとした公園みたいな狭い場所にですか??」
「そう。まさに、そこにあったんだよ。燃えちゃったけどね。」
「燃えたんですか・・・?」
「火事でね。もう、けっこう前の話だよ。それで、取り壊された。」
「じゃあ、『ちょんまげオヤジさん』は・・・?」
「とうの昔にいないよ。で、息子さんがあとを継いだんだけどね、その火事で焼け死んで・・・」
「ゲッ! ここで焼け死んだんですか・・・? ここで??」
「そう。」
(・・・そういえば、ここに間違いない。外観の割りに広く見えたのは、きっと川の方に、建屋が張り出していたからだろう。それにしてもなぁ・・・)
そこでの警備は、約1ヶ月間。
基本的には、平家の里や、集落を再現した家々も、変わってはいなかった。
・・・『ちょんまげの館』と、その跡地の正面にできた『清盛』を除いて。
ぼくはきっと、
ここでの夜の警備は、怖くてできないだろう。
だって・・・
ただでさえ、まっくらな帰り道のトンネルや山道が怖くて、カーステをガンガンかけて毎日帰っているんだからな・・・。
でもぼくは、
「ちょんまげオヤジさん」の、あのワイルドな笑顔が忘れられない。
一度も会うことなくこの世を去られた、彼の息子さんの生前の様子も、なんとなく目に浮かぶような気がした。
・・・きっと、オヤジゆずりのワイルドなヘアスタイルと笑顔で、客人に、サンショウウオの丸焼きを勧めていたにちがいない、と。
遠い栃木県の山奥にある観光地だが、
よかったら皆さんも、一度訪れてみてはいかがだろうか?
以下に、参考資料としてのリンクを貼っておきますので♪
m(_ _)m
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『朝日新聞デジタル記事
「落人伝説」残る隠れ集落 平家の里』
『平家の隠れ里|湯西川温泉【公式】元湯湯西川館本館 源泉掛け流し温泉と郷土資料 湯西川 平家落人伝説』
『【平家の里】口コミ・アクセスと周辺観光ガイド|平家落人の里』