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佞臣伝  作者: コルシカ
4/10

佞臣

         四


 都の王城に近い場所に大邸宅が建設されている。

 屋根から外壁の意匠も贅を尽くしており、どこかの王侯貴族の邸宅に匹敵する大建築物である。

 「これは、とてつもない家じゃのう」

 「どこぞの王侯のものか?」

 「いやいや、驍騎将軍の秦朗の邸宅だと」

 「ああ、陛下のお気に入りの……」

 「出自は、武帝の妾の子だと。将軍とは名ばかりで、宮中に詰めて陛下のお話相手らしい」

 「意外よの、あの潔癖の陛下があのような佞臣を取り立てるとは」

 「賄賂も相当なものだというぞ。陛下も秦朗の進言には耳を傾けるというし」

 口さがない群臣たちは、秦朗への嫌悪感をあらわにした。たしかに秦朗は曹叡に懇願して、大邸宅を建ててもらっているのだ。

 「あ、阿蘇よ、朕のわがままを通してくれてすまぬな」

 「何をおっしゃいますか。これで群臣や世間にも一目で私が佞臣だということが理解できましょう。

 陛下の政治や人事、軍事にも大いにお役に立てると思います」

 秦朗は、子どもの頃から何不自由ない生活を後宮で送ってきたので、余計な欲はもっていない。

 しかし、曹叡の行う政治や人事、軍事の決定には、それが平等であっても、誰かが不満をもつ。その不満の矛先を秦朗に向けようというわけだ。

 たとえば後宮で曹叡や秦朗とともに育った何妟などは宮中の閑職に就けられているが、

 「あの阿蘇が陛下にわしの悪口を吹き込んで、わしの出世を妨げておるのだ」

 と公言して酒浸りの日々を過ごしているという。

 何妟は実務能力はあるのだが、人を人とも思わぬ傲慢な性格のうえ派手な遊び好きなので、曹叡自身が抜擢を見送る決断をした。その恨みの矛先が曹叡にではなく自分に向かうのは、秦朗にとって願ったりかなったりである。

 皇帝になってからの曹叡はほぼ理想の君主といえたが、やや検断癖が見受けられた。

 ほんの少しの瑕疵や不正に目をつぶることができないのだ。そのようにして罷免されたり降格されたりした臣下が、

 「あれは秦朗が目を光らせていて、陛下をそそのかしておるのだ」

 と恨み言をいった。

 とはいえ秦朗自身に何も不正のにおいがしないので、なおさら「佞臣」の誹りを陰で受けることになった。

 また秦朗は賄賂を受け取りつつも、誰もその賄賂を贈った群臣を推挙したりしなかった。

 結局表向きは曹叡が適材適所の人材を抜擢し、配置しているように見えている。

 「まったく、毒にも薬にもならぬ男よ」

 「母親が美人で、陛下のご学友であっただけで高位を得た幸運な男だ」

 秦朗の群臣の間での評価は、まさしくそれであった。

 だが大将軍の司馬懿などは、

 (恣意のほとんどない陛下が寵愛する秦朗には、何かあるのではないか)

 と多少の疑惑の目を向けていた。だがその存在に邪悪な性質が見られない今、いつもの実務の中にその疑惑は埋没していた。

         ※

 さて、諸葛亮の侵攻で寝返った三郡も魏に戻り、その太守らは厳罰に処されたので、西部戦線は一応の落ち着きを取り戻した。

 曹叡が長安から洛陽に戻ったのは四月で、東部戦線の孫権が動き始めたのは、その直後からであった。

 孫権にとって最も効果的な戦略は、蜀の諸葛亮と連動して二正面作戦を発動することであろうが、孫権は吝嗇なので蜀に利益を与えたくない。

 したがって、あえて二正面作戦を取らず、蜀軍との戦いで疲弊した後の魏を攻める作戦を立てていた。

 その作戦とは揚州方面軍を統括する曹休を欺き、撃破する策であった。

 曹休の南方での戦歴は着実な実績があり、曹叡も安心して呉との戦線を任せていたのだが、孫権からすれば荊州を統括している司馬懿より付け込む隙が大きいと見たのであろう。

 鄱陽太守の周魴が、降伏したいという。

 近隣の呉将ですら曹休に降伏してきているので、やや国境から遠い鄱陽の周魴が降伏してきても、

 「さもあろう」

 と鷹揚に信じ切った曹休があった。それこそが、彼の身を滅ぼす罠であった。

 その詐略は手の込んだもので、孫権にたいそう嫌われた周魴が己の髪を剃って謝罪させられたことや、身内から七通の書簡を送り、いかに呉の人々に曹休が尊敬されているか、周魴の身に危険が及んでいるか、呉軍の配置の実情等が詳しく書かれている。

 周魴が武昌を攻めていただければ、孫権をおびき出して曹休と挟撃できる、と具体的戦術を明かしたとき、

 「これで、勝った」

 と思わず曹休は膝を叩いた。すぐに出師を行い、曹叡に上表を行った。

 「だ、大司馬(曹休)からこのような上表がきたが、あ、阿蘇はどう思う」

 孫権は人を騙すことを得意にしているので、曹叡には周魴の裏切りを、赤壁の戦いでの黄蓋と結び付けたであろう。

 「たしかに……これは怪しい案件ですね」

 関羽を背後から騙し討ちにした呂蒙の例もある。戦場における駆け引きで敵を欺くのは「あり」だとしてもあまりに多く戦場の外で敵を欺く行為が人倫にもとるとされているのは、当時としても変わることがない。

 「と、とはいえ大司馬も、あらゆる面から戦況を分析し、調査したうえでの万全の出師であろう。こ、此度は上表を受けようと思う」

 曹叡にも孫権に対する不安はあるのだろう。

 「やはり、ご一族に対するはばかりがおありになりますか」

 先日、曹真は蜀軍の別動隊を退け、張郃も馬謖の先鋒をさんざんに撃破した戦歴がある。

 対呉において地道な功績を上げている曹休に、大いなる手柄をたてさせてやりたい曹叡がいる。

 「あ、阿蘇は朕の心中をよく忖度してくれる……だ、大将軍と征西車騎将軍があのように働いた後、大司馬には焦りもあるのだろうが……」

 曹叡にはまだ心の一隅に孫権の詐略を疑う心がくすぶっている。

 「それでは、驃騎大将軍(司馬懿)と建威将軍(賈逵)を別の二道から南下してもらえば、いかがでしょう?万が一大司馬が孫権に敗れても、壊滅的な敗北にはならないはずです」

 秦朗の献策に、ようやく曹叡は愁眉を明るくした。

 「そ、そうだ。司馬将軍と賈豫州ならば間違いは起こるまい。そのようにするであろう」

 賈逵は清廉潔白で知られた能臣である。豫州の刺史でもあり、その政治は民から圧倒的な支持を得ている。孫権もおいそれと豫州との国境を侵すことができないほど、堅実な整備を誇っていた。

 果たして戦場の機微、さらには呉軍という狡悪な性質を熟知している賈逵は、近臣を集めて心中を明かした。

 「これは間違いなく、呉のしかけた佯降だ。

このままでは大司馬は陸遜におびき出されて、死地に入ってしまう。

 わが軍は十万もの大軍なので、陸路だけでなく水路も使って大司馬の軍に合流するぞ」

 呉軍で実際の指揮にあたるのは、元帥の陸遜である。いわずとしれた夷陵の戦いで劉備を粉砕した名将だ。

 皖という土地まで軍を進めた曹休は、呉軍がすでに布陣しているのを発見した。

 「よし。周魴が降ってくるのを待つぞ」

 曹休は軍の前進を停めた。

 そのとき呉軍の大声をもって知られる兵が、

 「鄱陽太守(周魴)が、魏に降るわけがなかろう。ここがおのれの死地よ!」

 と叫んだので、魏軍は騒然となった。

 (まさか、われは周魴に欺かれたのか……)

 曹休は、青ざめた。東部戦線を任されて、次々と降ってくる呉将に油断していた自分がいた。それにしても周魴の手の込んだ詐欺には血が湧きたつようであった。

 「それしきが、何するものぞ!進め!」

 曹休は采を振った。これから戦を始めるにしても魏軍は十万もおり、六万の呉軍を圧倒している。

 しかし、戦場における駆け引きは、曹休より陸遜の方が一枚も二枚も上手である。

 陸遜は朱恒の兵を後方の曹休の本陣に回り込ませ、全琮と周魴の軍を魏軍の中腹へえぐり込むように側面攻撃させた。

 もちろん魏軍の先頭は陸遜の主力が抑えているので、包囲され前後に分断された曹休軍は大敗した。

 日暮れになって撤退しはじめた魏軍を、呉軍は猛追した。

 「賈逵はまだかっ!」

 曹休は撤退中、何度も叫んだ。曹休にしてみれば、大敗の責任は周魴に騙されおびき出された自分ではなく、救援に間に合わなかった賈逵にあるということらしい。

 賈逵は昼夜兼行で救援に駆けつけ、夾石という土地でやっと曹休軍に合流した。呉軍を蹴散らし、敗走してくる曹休軍を後ろに逃がすことに成功した。

 それでも曹休は賈逵に会うと、

 「遅い!汝は何をしておったのだ!」

 と罵倒した。賈逵は曹操の葬儀責任者を務めたほど皇室を尊崇しているので、皇室に連なる曹休の嫌味に黙って耐えた。しかし、

 「戦場に武器を棄ててきた。汝の兵で拾ってこい」

 とまでいわれたときは、さすがに低い声で、

 「私は国家のために豫州刺史を務めております。武器を拾うためではありません」

 と拒絶した。さすがに曹休もこのことばには、怒りに身を震わせて黙るしかなかった。

 とはいえ、皇帝の曹叡には戦の報告を行わねばならない。

 「賈逵さえ戦場に着くのが遅れなければ、わが軍は勝っていました」

 曹休の報告は感情論に終始しており、東部戦線においてあれほど徳政を行ってきた仁者としての面影はなかった。

 一方の賈逵からの報告が上がり、こちらは冷静に戦況の推移が記録されており、曹休を責める文言は一句たりともなかった。

 「あ、あれほど有能だった大司馬が一度の敗戦で豹変してしまった。い、戦とは恐ろしいものよ」

 曹叡は傍らの秦朗にいった。

 「逆境に置かれてはじめて人は本性をあらわす、といいます。残念ですが、大司馬もそのようだったのかと」

 「さ、先ごろの諸葛亮に対する勝利とは、まるで反対の事態を受け止めねばならぬ。て、天子とはつらいものよ」

 やがて曹休が自ら敗北の責を負うために、都に上京してきた。

 「敗軍の責任はすべてわたしにあります」

 と頭を深く下げた。

 曹叡は一族の曹休を譴責するわけにはいかない。懇ろに戦の疲れをねぎらった。

 「し、勝敗は兵家の常、と生前武帝もよくおっしゃっていた。だ、大司馬もこの度の敗戦は忘れ、国家の大事のために尽くしてくれることを望む」

 周魴の裏切りを怪しいと思いながら、親族の曹休に功績をたてさせたかった曹叡がいた。

 だから敗績の少なくとも半分は、自分が負うべきだという認識である。

 「ところで、賈逵への処分はくだされたのでしょうか」

 曹休は目を赤くして食い下がった。曹叡を始め群臣の答えはなかった。その沈黙が曹休への非難であった。

 「そういうことか……阿蘇っ!」

 秦朗に怒号を浴びせた曹休は、曹叡の傍らに侍している秦朗のもとへよろよろと進んでゆく。

 腰を浮かせた曹叡を軽く手で制した秦朗は、

 「どのようなことでしょうか、大司馬」

 と穏やかに質問した。

 秦朗の目と鼻の先まで進んだ曹休は、荒い息で秦朗を罵った。

 「きさま、賈逵から賂を受けて天子にあることないこと吹き込みおったな!どうだ、図星であろう」

 「お答えする必要はありません」

 「貴様っ!」

 曹休は秦朗の胸倉をつかんで、

 「賈逵のような賊臣をかばいたてするとは、とんだ佞臣よ!陛下っ、この場で阿蘇を斬り捨て、賈逵を討つ詔勅をくだされませい!」

 と絶叫した。曹叡は軽く手を上げると、背後から近衛兵が殺到し、曹休を秦朗から引き離した。

 「だ、大司馬は戦で少々疲れたのであろう。し、諸卿には見苦しいところを見せてしまいすまなかった」

 曹叡直々の謝罪にその場は粛然となった。

 曹休が連れ去られた宮殿は静寂を取り戻し、群臣も退出していった。

 曹叡と秦朗は宮室に戻り、ため息をついた。

 「あ、阿蘇よ。わ、わが一族のために迷惑をかけたな」

 改めて曹叡が謝罪すると、

 「いえいえ。これこそ佞臣の面目躍如です。良い見せ場をつくることができました」

 と秦朗は微笑んだ。

 曹休を救出し、魏軍の崩壊を食い止めた賈逵に関しては、功績があっても罪はない。ただ曹休の心中を納得させるには、秦朗という緩衝材が必要であった。

 「そ、それにしても呉は、ど、どのような卑劣な手段を使っても勝てばよい、という国になり下がったな」

 「はい。おそらく赤壁の戦いで、味をしめたのでしょう。関候を騙し討ちにしたときもしかり、今回の大司馬の戦もしかり、周瑜や魯粛ならばこのような策を用いなかったでしょう」

 「うむ……も、もう魏にはこのような手は使えないわけであるしな。こ、このような詐術からは大計はうまれない。ど、道義を失った呉は遠からず滑落してゆくであろう」

 そう思えば諸葛亮は偉いな、と秦朗は思った。ひとたび敗れたとはいえ、戦場で堂々と決着をつけようとした。裏切った三郡からも略奪を行わず、王者の風格があった。

 ところで、宮廷から追い出された曹休は、ひたすら己を責めるようになった。賈逵と秦朗を恨み、彼らの罵詈雑言を喚き散らしたかと思うと、酒を浴びるように飲んで眠る生活を送った。

 やがて曹休の背中に大きな悪性の腫瘍ができ、医師に切除させたものの経過が悪く、そのまま死んだ。憤死、といってよかった。

 曹叡は曹休の後任には満寵をあてた。一族であるがゆえの忖度を切り捨て、知恵と経験がある将軍に呉と対峙させることにしたのである。このことは、のちに大きな成果として結実することになる。


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