五日目 春先 完結
※※※※※※※※※ 五日目 ※※※※※※※※
「其れで、俺に坊主を呼べと……。」
事の顛末を聞いた啓之助が、不機嫌そうにしている。
「村で流行り病で亡くなった家は一軒しかない。たがら、家の隣に家族が埋葬していたから、さくらさんの亡骸を埋めたいと思うのだが……。」
秋が隣に座っている。
「都の伊藤家に帰らないと行けないだろうが……。村に坊主を呼ぶにはなかなか掛かるからな。また、母上から愚痴を聞かされると思うと、嫌だな。まあ、助けたのは、初めは俺だし、何かの縁かもしれないか……。」
花瓶に入っている桜ノ木を見ながら、啓之助は溜息を吐いた。
「まあ、何かと苗の事も父上に報告しないといけないから、仕方ない。勝手させて貰ってる俺もだしな……。」
土間にいる紅時は、あさげの支度を婆としている。
どうやら婆は、さくらが疱瘡だと気が付いていたらしい。隔離もしないで黙っていてくれたのには、感謝であると秋が思った。
確かに、さくらの部屋に行くと必ず風呂が沸かしてあった。
何かに付けて、婆は、体を流して来いと云われていた。
啓之助が桜を触る。
「最後に歩く事も出来ないさくらさんが、舞を舞ったとは、信じられないね。其所まで、強靭な体力はないだろう。」
「でも、高砂を踊ってくれたのです。此の年になっても、見たかった高砂ですよ。私は嬉しかった。握り飯の御礼を忘れず、叶えてくれたさくらさんを、大切に思います。」
紅時は振り返って、啓之助を見た。
「紅時さんが云うなら信じるよ。坊主を呼んで、亡骸も、今日にでも埋葬するよ。肝心な所は見られないわ。銭だけ飛んでくわ。散々だよ。」
「すまないな……。啓之助。」
「思ってないだろ。秋が養ってるのに、銭にならないのは、お人好しだからだぞ。銭になりそうな事ばかりしてるのに、無償って意味が解らない。父上が肥えるだけだろうが……。」
婆が啓之助を、睨み付けた。
しゃもじを振りながら、顔を赤くした。
「坊っちゃんは、悪くありません。きちんと紅時様や終坊っちゃんを育てています。家庭があるのに、屋敷に戻らない啓之助様が云うのが可笑しいです。」
紅時が水を持ってきた。婆に、飲ませている。
「戻らないといけない理由が出来たな~。仕方ない行くよ。でもな……。」
「何だよ。」
「さくらさんが寝ているのに、桜ノ枝を取りに行くのは無理がある。だから、最終日に桜を置いたのは誰だったのか……。」
「確かに……。誰か大人が、其の日だけ置いてったとかか……。」
秋が花瓶を見たが、桜ノ木は答えない。
婆が振り返って、溜息を吐いた。
「どうした……。婆が怒る事はもうないぞ。」
「坊っちゃん。紅時様が桜を好きだったのを知ってる物は誰だとお思いですか……。」
秋と啓之助は考えてから答えを云った。
「私達と寺小屋の子供達と村の仲の良い者達だろう。」
「米の有り難みを知っているのは誰です。」
「人間なら誰もだろうな。」
婆がまた、溜息を吐いた。
「魂有る物なら、一食一晩の恩を忘れません。紅時様は幼き頃から、慈悲深かった。神社の黒い子猫の餌を弱っている時に与えている。死期を悟った猫は、御礼をしたかった。」
「其れが、一日目から家に入って来た猫だと、云いたいのか……。紅時が餌を与えていたのは、幼い頃だ。今頃、死んでるだろう。家に来たのは黒い子猫だったぞ。」
「尻尾が二股に分かれていたでしょうが……。あれは、何十年と生きていますよ。寺小屋の女の子達から紅時様の御結びを与えてもらっている。何年も子供を介して食べている。」
婆が禍々しい物を見る目になった。
「だから、さくらさんが最後の力を出す時に、紅時様の御結びが必要だった。神社に連れて行ったのも、猫の力が発揮できる最適な場所だった。さくらさんは、高砂を舞える最後の望みを果たしたから、其の侭、亡くなった。猫に使役されたも同じ。紅時様に恩を返すためですよ。」
「でも、婆。文明開化の明治で、猫又など……。」
「黒い子猫が何故、子猫の侭だったのかは、解りますか。紅時様と最初に会った姿で居たかったからですよ。姿など変えるのは簡単ですよ。妖しですからね。」
「確かに、人智を介した踊りであったな……。」
「黒い子猫も望みを果たし、桜ノ木の下に埋まってる。」
婆は云い終ると水場に戻って、紅時の手伝いをしていた。
啓之助が大きな声を出した。
「だから、此の家の握り飯は、紅時さんが必ず握ってた訳か……。婆の握り飯は、猫又が食べないからか……。」
顔を向けず婆が云う。
「庭に虫が沸くだけですからね。あさげの前に、啓之助様は町に御行きください。舞台の上なら、さくらさんは腐らないでしょうが、時間の問題ですよ。」
「解ったよ。早く行くって……。」
啓之助が板場から立ち上がり、雪駄を履いて、出て行こうとする。
「宜しくな。啓之助。」
秋が手を振った。
だが、敷居の前で啓之助が止まっている。秋が不思議がり、近付く。
戸の外に桜の花が、数個置いてある。
二人は顔を見詰めて嫌な顔をした。
「桜はもう良いって……。」
啓之助が頭を掻いて、困惑していた。
其の外で終がよたよたと庭を歩いてる。庭の桜の木の下から咲き始めの花を握っている。
「にゃ。にゃ。」
桜ノ枝があった場所に花を置いて行く。何度か繰り返すと、秋に笑い掛けた。
「にゃ。にゃ。」
秋が終を抱き締めると、頭を撫でた。
「そうか。終は猫又でも好きか……。」
「庭の桜も咲き始めたのだな。なら早く、さくらさんを送ってやらないと駄目だな。行ってくるよ。じゃあな。終、紅時さんを困らせるなよ。」
啓之助が、走って行く方向を、終が手を振る。
「バイバイ。」
「あっ、終が、言葉を喋ったわ。良かったわね。」
紅時が近付きながら微笑んだ。
春先の暖かい光が、庭先から家へ入って来ている。
完
倫敦時折、春
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