四日目 桜の下へ
神社の舞台の上に、さくらを下ろすと、幸せそうに辺りを見回した。
御神木は満開の桜を称えている。
秋は汗を拭いながら、板の上に腰を卸した。
「話す気にはなりましたか……。」
秋が顔をさくらに近付けると囁いた。
「確かに、桜の枝を折ったのは私です。紅時さんが、好きだと昔話していたのを覚えています。」
「玄関に置いたのは何故……。」
紅時は終を抱き上げてから、立った侭で居た。
「初めは話をしょうと思っていました。ですが、紅時さんが覚えているかも解らず、途方に暮れていました。私は、此の村の出身です。京吉原に売られた子供の一人です。小さい時に寺小屋で学んでいましたが、売られた先を知った紅時さんは、私に良くしてくれました。御握りをくれたり、吉原での生き方、直ぐに連れて行かれた私に最後迄、優しかった。」
「さくらさんを村人に知っている者も居なかった。家族が居るなら、先に会いたいだろうに、何故、紅時なのだ……。」
「流行り病で、家は崩されていました。誰も残ってはいません。其の上、私の体力が有りませんでした。此の神社で一日過ごしたら、眩暈がして、気が付いたら紅時さんが看病してくれていました。」
「何故、若いのに……。」
紅時の顔色が変わった。
「そうです。疱瘡です。」
秋が慌てて、着物を捲った。
さくらの露になった足が、膿んでいる。紅時は目を背けると、終を抱き締めた。
「外に出した握り飯を持って行ったのは、さくらさんか……。」
「はい。食べる物もなかったので、助かりました。」
「恩返しは出来たかい。もう体力が辛いだろう。家に帰ろうか……。」
秋が言葉を紡ぐと、さくらがゆっくり微笑んだ。
「此れからが御礼です。」
にゃ~、と猫の鳴き声が聞こえた。
紅時は足元を見ると、黒い子猫が足にまとわりついている。
終が気付き、抱っこした体が下へと体重が動く。
慌てて紅時は、終を地面に下ろした。
「黒い子猫……。もしかして、子猫に一緒に餌を与えていた女の子かしら……。まだ、寺小屋が出来たばかりの頃だわ。さくらは子猫の名前よ。一緒に悩んで付けた記憶があるわ。さくらさんは苦労をしたのね……。」
「さくらは私の源氏名です。疱瘡に早い時期に掛かってしまって、症状が出て来ました。私は女郎屋から追い出され、何とか村迄帰って来ましたが、どうする事も出来ず、紅時さんの握りの美味しかった事を思い出して、満開の桜の枝を折ってしまいました。もしかしたら、思い出してくれるかと思って……。」
さくらは立ち上がり、胸元から扇を出した。
腕を伸ばし、扇を固定してから、踊りの型を取る。
「此れでも、踊りは一二を争っていたのですよ。」
病人から発せられる声では無い様に、言葉が風に乗った。
ゆっくりと舞われる姿は、桜がざわめく程、妖艶だった。
黒い着物で疱瘡を隠していたのもあるだろうが、祝言の時も着られる着物である。
空気を引っ張る様に踊りが続くと、紅時は呟いた。
「高砂だわ。」
舞台から離れた秋が紅時に近付くと、歌にざわめく桜から花弁が舞ってくる。
はらはらと最後を伝える様に踊りが続く迄、花弁が落ちて来る。
自然の中で棚引く黒い着物が鮮やかに鮮明だ。
さくらが踊り終わり、歌が最後の小節を綴ると、ゆっくりと正座をし扇を舞台の上に起き、手を添えて、深く御辞儀をした。
頭を下げる時間は長く、息を飲んで踊りを見入っていた二人は拍手をした。
「さくらさん。私に、高砂を見せる為に帰って来たのね。祝言が寂しいと嫁入り前の子供に話している等、恥ずかしいわ。でも、有り難う。凄く素敵だったわ。」
頭を下げているさくらの様子が可笑しい。ぴくりともしない。
重力に負ける様に上半身が下がって来ている。
近付く秋が舞台に上がると、さくらの肩を両脇から持ち上げた。
横に寝かすと、秋が頭を横に振った。
「息絶えてる……。こんな死に様見た事がないよ。紅時に本当に感謝していたのだな……。最後の力で舞を舞ってくれて、有り難う。」
「えっ……。」
「確かに、見える所には痣がないが、体全体を覆っていたよ。あれでは、助からない。今日が、山だと知っていたのだろうね。だから、桜の下で踊りたかったのだろうな……。紅時も此の場所で、さくらさんと会っていたのだろう……。」
「はい。」
紅時は力なく頷いた。
秋がさくらの顔に布を掛ける。安らかな死に顔だった。
秋が紅時に歩みより、抱き締める。
彼女は泣いてはいない。さくらに同情もしていない。
「紅時のせいではない。時代が悪いのだ。助けられない命もある。」
秋の腕の中で紅時は頷く。
彼女は手で顔を覆って、震えていた。
足元の終が何かを云っている。
「にゃ。にゃ。」
二人は子供を見ると、黒い子猫は体を丸くしている。
背をぱちばちと叩いている。猫も動かない。
「にゃ。にゃ。」
秋が可笑しいと思い、猫の暖かい体を触った。
だらんと力なくぶら下がる。
紅時は嫌な顔をする。
終を抱き締めて猫を見せない様にした。
「終……。猫は死んでるよ。主人が居なくなった様に、後を付いて行ったのかもな。」
「猫は埋葬して上げましょう。桜ノ木の下たなら、寂しくはないわ。女の子達も喜ぶと思う。」
桜の根っ子の側に穴を掘り、黒い子猫の体を丸める様に入れて土を被せる。
桜の花を散りばめた秋が猫の墓の上に石を置いた。
「子供達が遊びに来るから、安心だな。猫には……。」
三人は手を合わせて、猫を偲んだ。
読んで頂き有り難う御座います。